第3話

 アッシがハエン支道の庄屋マルトス一家に腰を据えた、その日の夜。主のマルトスは夕餉の席にアッシを招いた。


 アンダルでは名前の知られた庄屋とて、さぞ、その主の夕餉なら御馳走を食らっているのかと思えば、さにあらず。


 マルトスの食卓に出ている献立はまことに質素であった。パンと、ビールと、塩辛い干し肉に、野菜が入ったとろみの付いたスープ。しかも、このスープも中々に塩辛く、これだけでパンが何斤も腹に入るような代物であった。


 マルトスの手下たちが干し肉とビールだけで腹を満たそうとする中、パンもビールもスープもほどほどに収め、ただ、黙々と食事を進めるマルトスの傍で媒酌をする女がいた。


 この女が、一家の生活で必要になる飯と寝床の始末をしているのだった。


「女将さん! もっとパンが食いたいぜ」


「かまど脇の籠から好きに持って行きな。あるだけ食ったらそれで終わりだよ」


 蓮っ葉な物言いだが、女将と呼ばれた女は付かず離れず、マルトスの杯が空になればビールを注ぎ、スープが無くなればスープを足した。


 その様をアッシは見るともなしに見ているのだった。


「食が進まないみたいだな、先生」


 マルトスはアッシを「先生」と呼んだ。手下の者がアッシを下に見るのを制止する計らいであった。


「元から食は細いんだ」


「ほう。飯は食っておかないと動く時に動けなくならんかね」


「そういつも食えるとは限らない身上でね」


「へーえ。……どうだい先生。一つ、その冒険者としての武勇伝の一つでも聞かせては貰えないもんかね」


 そう言った途端、騒がしく飯を掻き込んでいた手下の視線がアッシに集まった。


「……人に聞かせるほどの話など持っちゃいないが……さて……」


 アッシが困惑しつつも何かを語ってみせようとした、その時。


「ぎえぇっ!」


 台所から絶叫と共に物音が聞こえて一同は騒然となった。アッシは誰よりも早く動き、聞こえるを頼りに台所へたどり着き、目撃する。


 台所はこの程度の富農屋敷らしい、粘土製の焚き竈にパン焼き用の大竈が連ねて置かれている広い土間である。そこに支度向きの長机、小麦粉の袋や生野菜が置かれている。


 叫び声の主はそこに居た。土間の隙間に倒れており、喉を抑えて動かなくなっていた。口からは血が零れている。


「先生! どうした!」


「一人死んでいる。毒を盛られたらしい」


「毒だと!?」


 手下たちがわらわらと台所に駆けつけてくる中、マルトスは厳しい目で倒れた男を見た。


「どうして毒だと分かる」


「外傷がない。毒針で撃たれた可能性もあるが、争った形跡もない」


 ざわ、と手下たちの目の色が変わった。アッシの手慣れた様子を見て、ようやく只者ではないことに気付いたのであろう。


「毒を盛られたなら、パンか、スープか」


「さて、なんとも」


「ぐえ、じゃあ俺たちもおっちんじまうのかよ!」


「吐け! 食ったもん吐け!」


「騒ぐな。飯はもう終いだ。みんなもう休め」


 マルトスは狼狽える手下たちを下がらせ、死んだ男の始末を任せた。


「ジョーの見立てもそう悪くなかったらしい。結構な眼力だぜ、先生」


「おだてられても困る。……ここはいつでも飯が出せるようにしてあるそうだな。なら、いつでも毒が盛れる。あんた一人を狙うには不向きな仕方だ」


「ふうむ。なるほど。おい、シェスタ!」


 マルトスはさっきまで自分に給仕をしていた女を呼んだ。女は駆け付けたが台所の惨状を見て顔を青くした。


「明日から台所に見張りを置く。賊が入って毒なんて入れられねぇようにな」


「は、はい……」


「……あと、俺の部屋に来い」


 シェスタと呼ばれた女はそれを聞いてさらに気色けしきを悪くするのを、アッシはよく、覚えておくことにした。



 翌朝。アッシは外の喧騒で目を覚ます。


 すでにマルトス屋敷の外では手勢の男たちが仕事に励んでいた。荷車に小麦や野菜、その他の細工物などを詰め込み、曳き手と護衛をつれて出ていくところであった。


「おう、先生起きなすったか」


「これからアンダルの市まで荷を運ぶのか」


「おうよ。家令様が来るってんで、暫く市はひらきっぱなしよ。お陰で忙しくっていけねぇ」


「……飯は?」


「台所で貰ってくれ。昨日のこともある。先生の目で何もないか見てくんなせ」


 アッシは答えることもなく、黙って台所へ赴き覗き込んだ。


 昨晩とは打って変わり、土間の竈からは煤煙を吐き出す真っ赤に燃えた炭が焚かれ、その上で竈に掛けられた鍋がくつくつと湯気を上げて煮えている。長机の上ではせっせとパン生地が練られて次に竈が開くのを待っている。


「すまない。何か食い物をくれないか」


「ああ、先生。おはようございます」


 見張りに立っていた手下が機嫌よく挨拶した。昨晩の件ですっかり見直されたらしく、アッシとしては背中が痒い。


「女将さん、先生に朝飯だ」


「……はいよ」


 シェスタは答えると、木挽こびきの碗に卵の入ったスープを取り、これにパンを一切れ付けた。


「すんませんね先生。昨日の今日だからこんなもんしかねぇんで」


「構わん。食えるだけで十分だ」


「あんた、ちょいと蔵から炭を出してきておくれ。あと人参もね」


「はいはい。じゃあすんません先生、ちょいとここで……」


「見ていればいいんだろう。構わんから行ってくるといい」


 へこへこと頭を下げて手下は台所の勝手口より出ていった。


 アッシは長机の端で黙々と碗の中身を平らげると、シェスタの仕事っぷりを見た。


 そしてアッシは気付くのである。シェスタの頬には腫れあがった跡があるのだ。よく見れば、瞼も昨日より厚く腫れている。


「昨晩、マルトスと何かあったのか」


 びくり、とシェスタの肩が震えた。


「毒を盛ったのかと問い詰められたか」


「……あの人はね、私に負い目があるのだわさ」


 シェスタはふりむくわけでもなく、独り言のように話し始めた。


「あの人がこの庄屋を継ぐか継がないかってくらいの頃、あの人は私のおとッつぁんとつるんで遊び呆けてたのさ。アンダルだけじゃ飽き足らずに伯爵さまのお膝元グラナッデンまで出ていって、冒険者の真似事なんかしてたんさ。だからあの人の部屋にゃ、その頃使ってた鎧やらヤッパやら、仰々しく飾ってんのさ」


 いつのまにやら鍋を掻きまわしていたシェスタの手が止まり、視線が床を這っていた。


「……おとッつぁんはマルトスの親父さんに拾われた流れ者で、数字に強かったから蔵勘定をやらされてた。所帯を持って、畑を持たせてくれて、良い親父さんだったんだよ。だから跡取りのマルトスが心配で、マルトスの放蕩に付き合ってた……そして、ある時マルトスは帰ってきた。背中におとッつぁんをを負ぶって」


 アッシはシェスタの話をまんじりともせず、聞いている。シェスタは果たして何を期待して話しているか、定かではない。しかし、アッシは黙ってただ聞いた。


「おとッつぁんは、毒持ちの化け物に噛まれて殆ど死にかけてた。マルトスの度胸試しに、廃墟に住み着いた化け物退治に出るのに付き合って。マルトスを庇って」


「……死んだのかい」


「五日五晩、火みたいに熱を出して、六日目の朝には冷たくなってた。最後までおとッつぁんは、マルトスを怨んじゃいけない、自分はマルトスの親父さんに恩があるから、身体を張っただけだから、決して怨んじゃいけないよって、ずっとそれだけ言ってた。でも、マルトスの奴は負い目があるのさ。昨日の晩も、私をぶちながら言うんだ。『親父の敵討ちでもしてぇのか』ってさ」


 そう言うと、またシェスタは機敏に働いてパンの大窯の口を開けて中から焼き立てのパンを次々に取り出し、中の焼けた炭を掻きまわし、釜の熱の案配あんばいを変えながら次のパンを焼く準備をするのだ。


「ねぇ冒険者の先生。あんた、どうして流れ者の冒険者なんてやってるんだい。でっかい町に腰据えて、金持ちの道楽に化け物狩りしたり、墓暴きしたりした方が実入りがいいんじゃないかい。田舎に来る奴ぁせいぜい、小鬼退治にしか来ないんだからさ」


 アッシが答えるか、という間になって炭の束とニンジンの詰まった袋を担いだ手下が帰ってきて、威勢のいい声で二人に割って入ってきた。


「女将さん! この炭とニンジンな! ああ、先生。ちんけな仕事頼んですんませんねぇ」


「あいよ。ほら、焼き立てのパン一つ食ってみな」


「おお、こいつぁいい! はっは、うめぇうめぇ!」


 たった一人で随分賑やかな手下に気を取られたシェスタが振り向いた時には、既にアッシは台所から姿を消していた。ただ、長机の端に空になった木挽きの碗が、慎ましく置かれているだけであった。

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