第2話

 アッシを連れたジョーはそのまま街道筋をとんぼ返りし、またアッシはアンダルの町までやってきた。


 とはいえ、既に町の門は閉ざされ、よほどの緊急事案でなければ開けてもらうことは出来ない。


 だが、ジョーは締め切った門を無視し、町を囲む壁沿いに歩き始めた。


「こっちに隠し口があるんでさ」


 門から離れたところの壁に、板で被せた箇所がある。ジョーがその板を除けるとそこな壁には人ひとり、辛うじて潜り抜けられる亀裂が走っていた。


「なんせ古い町でね。しかもこんな脆い土の壁よ。あっちはひび割れ、こっちは崩れ、ちっともお守りにはならねぇ」


「それくらいこの町が平和だったってことだろ」


「まぁな。せいぜいが小鬼退治くらいしか冒険者がやるこったねぇ。この辺りにゃレムレスカの遺跡なんてのもないしな」


 つまるところ、アンダルという町は冒険者稼業にとって旨みの乏しい土地柄ということである。


 アッシのような流れの冒険者が、時折訪れては立ち去って行くような辺鄙なこの町で、ジョーは掘り出し物を見つけたと言わんばかりに目を輝かせて言った。


「兄さんみてぇな腕利きはこの辺りにゃ居ねぇ。いるのは腕っぷしばかりのろくでなしか、他所で怪我して引退した『自称』元凄腕冒険者ってところよ」


 でもな、とジョーは続ける。


「そんなどうしようもねぇ連中でも今は使い出があるんだから、世の中ってのはよくできてるよ」


「お前、一体何が言いたい」


「……こっちに入ってくれや」


 ジョーが案内したのは町の外れにある小屋だった。屋根を町を囲む壁に押し付けてあり、埃を被った吊り寝床と囲炉裏があるだけのあばら家であった。


 ジョーは中に入ると囲炉裏に懐から種火を出し、積んであった炭を放り込む。手慣れた手つきで焚かれた火の前に座り込んだジョーに対し、火を挟む形でアッシは座った。


「あんたに仕事を頼みてぇ。あの戦いっぷりだ。化け物専門ってぇわけじゃないんだろ」


 冒険者稼業の花形は、深山幽谷しんざんゆうこくを分け入って魔物と称せられる獣を狩って、その骨肉皮を得る、もしくは古に打ち捨てられて埋もれた廃墟に潜り込み、往古の珍品銘品を持ち帰ることである。


 それに比べれば、人と人との諍いに介入し、その腕と脚で解決を図るが如きものは下の仕事であった。


「今アンダルの町は二つに割れてる。さっきあんたを襲ったのはウエルバ支道を抑えてるパスキュイ一家の連中さ」


 ジョーは囲炉裏の灰に棒で地図を描いた。アンダルを真ん中に、太い道が二本伸びている。これが、ナスル街道。ここより北東のナバラを経て王都へ、もしくは南西はナスル伯国のお膝元グラナッデンへと至る。お国の敷いた道である。


 そしてアンダルからは細い三つの道が伸びていた。このうちの一つがウエルバ支道という。


「パスキュイ一家の組長は今は空席になってるアンダル代官の座を狙ってるのさ。その為に金を使い、百姓どもを絞りあげて土地を取り上げ、アンダルの住民の支持を取ろうとしてる。ここいらの小作どもなんてな金の使い方も知らねぇから、ちょっと煽れば阿呆のように金を手放すのさ。二束三文の農具やら、がらくたやらを掴ませてな。気が付いた時には、一家の纏めるごろつきどもに小突かれながら泣く泣く土地の権利書を手放して、一家の畑を耕すだけの農奴になっちまうのさ」


「俺にはかかわりのねぇ話だ」


「まぁそう言うなって。それに、アンダルでもパスキュイに良い目を合わせたくねぇ御仁がいるのさ」


 ジョーはアンダルから伸びる支道の一つに印をつけた。


「ハエン支道に根を張ってるマルトスさんって方がいる。ここいらじゃパスキュイの野郎に次ぐ顔役って奴で、今は他の金使いの下手な小作を纏めて新式の農法を試したり、新しい機械を取り寄せて内職を与えたりと、そりゃあ小作に優しい庄屋さんよ。……もちろん、パスキュイの野郎からすれば目の上の瘤よ」


「アンダルじゃその二方が代官の座を争ってるってわけか」


「そういうことよ。パスキュイは子飼いの連中を使ってマルトスさん所にちょっかいを出す。マルトスさんも対抗上自警団を組織して息のかかった百姓や町の連中を守ってやらなきゃならなくなったのさ」


「そしてお前はマルトスの手の者ってことか」


「へへっ、分かってるじゃないか」


 ジョーは鼻を擦って得意げに頷いた。


「それでお前は俺に何をさせたいんだ」


「なぁに。簡単なことさ。あんたにゃ用心棒になってマルトスさんを守ってほしいのよ。報酬は弾むぜ」


 ジョーがなぜ、アッシを用心棒に欲しているのか。これには理由があった。


 これより五日後に伯国の主、ナスル伯爵の名代として家令がアンダルを訪れ、吟味の上で新たな代官を任命する運びとなっているのである。


 主だった候補をすりつぶしたパスキュイにとっては、万難を排するためにも五日の内にマルトスを亡き者にせねばならないのだ。一方、マルトス方にとっては、この五日を凌ぎ切ればパスキュイの暴虐を家令に陳情し、アンダルからの追い出しを期待できるのである。


 そう言った次第で、マルトス傘下の者らはこの数日、パスキュイの息のかかった場所と人を見張り、胡乱な気配があれば先んじてこれを潰そうといきり立っているのであった。


「俺はアンダルの中に潜り込んでる連中の元締めを任されてるが、ここに居たんじゃマルトスさんにもしもの事があった時に駆け付けられねぇ」


「パスキュイもマルトスもアンダルに住んじゃいないのか」


「アンダルに住むにはな、お上の御任状がいるのよ。何せここは街道の駅宿だからな、真っ当で、国に逆らわねぇ奴じゃないと寝起きは許されねぇ。まぁ、俺みたいなどうでもいいような奴は関係ないが、支道筋の小作を束ねる庄屋には許されてねぇ」


 庄屋、すなわち小作百姓たちの収穫物を預かり、徴税を代行する地元の長者は、ともすれば国の命じる代官や領主を圧倒する土地の支配者になり得る可能性を持っていた。それゆえ、国は武装権を厳しく制限するのであった。


 冒険者と呼ばれる稼業も例外なく、事実、アッシの提げる短剣は所持が許されるギリギリの刃渡りである。


「どうか俺を、いや、俺たちとアンダルを助けると思って手伝っては貰えねぇか。報酬も出す! 飯も寝床も用意する! その腕前をどうか!」


 ジョーは囲炉裏の灰の中に頭を突っ込みかねない程に頭を下げた。アッシはひくりとも眉を動かさず、ぽつりとつぶやいた。


「そのマルトスって御仁の顔を見るまでは、何とも言えねぇ」




 翌朝。ジョーに連れられたアッシはアンダルの門を抜け、外はハエン支道に出た。


 支道はお国ならぬ土地の庄屋が敷かせた道。普請の甘い細道なれど、街道駅宿との繋がりを求める村落百姓どもの命を繋ぐ道であった。


 波打つ大地に蛇の如く伸びる細道を行くと、朝靄の雫を受けて輝く風車小屋を有する大きな家が見えてきた。


「あれがマルトスさんの屋敷だ。風車は小麦の脱穀に使われる……いや、使わなきゃいけねぇんだ」


「風車税ってやつか」


 マルトスの屋敷では朝から人の出入りが引きも切らぬ有様で、ジョーとアッシが木戸の前に立てば、そこでは下男や手の者らが小麦の詰まった袋を右から左へと運び込んでいるのが見えた。


「黒銀のジョーだ。マルトスさんは御在所かい?」


「ジョー! お前持ち場離れて何しに来やがった」


「ちょいと出物があってマルトスさんにご相談をとね、ほら、そこの方よ」


「なんだぁ? 小汚ねぇ流れの冒険者なんて連れて来やがって」


 胡乱な眼差しが下男どもからアッシへと注がれた。アッシはまんじりともせず、ただ、事の成り行きを待っていた。


 軒先で騒がしくなっていることに気付いたのか、家主であるマルトスが自ら出張ってくる。その姿はなるほど、とアッシに思わせるものがあった。


 マルトスという男は四肢が太くがっしりとして、蓄えた髭が威厳ある顔を作っていた。だが露出した肌は日焼けてはいるが肌理が細かく、見た目より若いのであろうと察せられた。


「ジョー。お前何しに来た。パスキュイの手下どもをアンダルで見張ってる手はずだっただろうが」


「へぃ。ですがその、そこでこの冒険者を見つけまして。アンダルさん、どうかこの方を用心棒として傍に置いてください。この五日の間にパスキュイの野郎は必ずあんたを狙ってくる。その時に俺が傍に居なくてあんたにもしもの事があったら俺は泣くに泣けねえ。でもこの人がいたら俺は安心して手前の仕事が出来るんだ」


「おいジョー。随分その流れ者を買ってるじゃないか。そんなに使える奴なのかよ」


「この方はな、パスキュイの手下に成り下がった百姓どもが襲っても、束になっても叶わねぇくらい腕が達者なのよ。マルトスさん、どうかこの黒銀のジョーの顔を立てると思って、手元に置いておくんなさい。どうか、このとおり!」


 マルトスはジョーとアッシを見比べた。既にアッシの周りにはマルトスの手下どもが取り囲んでおり、すわ、一言かかれば手に手に得物を取って殴りかかろうという雰囲気であった。


「下がれお前ら。あんた、名は」


「……アッシ」


「どうだいアッシ。この五日の間だけうちの厄介になる気はあるかい」


 マルトスの力強い視線がアッシのそれとかち合った。アッシの眼差しはなんの感情も宿さぬそれではあったが、やがてぽつりとつぶやき答えた。


「五日で金貨十枚。それさえあればあんたの命を守り切ってみせよう」


「こいつ! 足元見るのも大概にしやがれ!」


「マルトスさん、こんな奴の手を借りるまでもねぇ、さっさと追い出しちまおうぜ!」


 やいのやいのと手下が囃し立てる中、マルトスは真一文字に閉められた口を開くや、


「黙れお前ら! ……いいだろう。五日で金十枚だ。命を懸けて俺を守ってもらうぞ」


「飯と寝床も用意してくれ。それがジョーとの約束だ」


「! ……ああ、いいだろう。おい、こいつに部屋を案内しろ」


「しかしマルトスさん!」


「いいから連れてけ! ……ジョー、手前、これは高くつくぞ」


「そんなの、あんたが代官になれればいくらでも返ってきまさぁ」


 手下の一人が顎をしゃくってアッシを呼ぶ。アッシはそれに黙ってついて行き、マルトスの屋敷内へと足を踏み入れる。


「ほらよ。この小部屋が空いてっからここで寝起きしな。一応、仮眠用のベッドもあっから、文句言うんじゃねえぞ。飯は好きにしてくれ。ここじゃいつでも飯が食える」


「そいつはありがたい話だな……なるほど」


「なんでい」


「ジョーがどうして俺を自分の親分に引き合わせたかったか、合点がいったぜ」


「ああん?」


 手下はアッシが振り向きもせずベッドの具合を確かめながら呟いているのを聞いて、こめかみを震わせた。


「飢えていねぇ奴は弱いってことさ」


「はん! 結構じゃねぇか。マルトスさんは立派な方だ。誰も飢えねえように取り計らってくれてる。百姓にだって優しいしな。この豊作でも驕ったりしねぇ、懐の広い大親分になれる御仁よ!」


「なるほど……」


 一見納得するように答えたアッシに満足して、手下は部屋から去っていった。


 アッシはマントを脱ぎ、ベッドの端に丸めて枕にし、長靴を脱ぐこともなく横になった。たった五日の用心棒。何事もなければそれでよし。


 だがアッシの脳裏に、街道で襲い掛かってきたパスキュイの手下どもの、飢えて血走る眼差しが薄っすらと蘇るのであった。

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