異世界クリア特典の『資産』で、暗殺に来たダークエルフをメイドに雇いました
稲荷竜
ダークエルフのメイドさん(短編)
屋敷が唐突に爆発した時、つい、メイドが我が家に仕えた日のことを思い出してしまった。
最初、このメイドは僕を殺しに来たのだった。
夏休みのある日。濃密な夏の気配の中にそいつはいた。
切れかけた街灯の下にたたずんでいて、片手にはナイフを持っていて、それからボロボロの服を着ていた。
擦り切れて垢じみた衣服。ぼさぼさの長い髪が顔にかかって、前髪の隙間からのぞく目は爛々と輝いていて、それから、真夏の空気さえゆらめかせるほどの濃密な殺気を放っていた。
一目で異世界からの資格だというのを理解した。
だって、こちらを見る目がこの世界の人間じゃない。とがった耳が人間種じゃない。
エルフだ。しかもダークエルフだ。僕がこの世界に転生する前に救った世界において、人類種の敵に仕えていた種族に間違いがなかった。
どうやって異界であるここまで渡ってきたのかはわからないけれど、殺意を前にそんなことを考えるほどには平和ボケしていない。
即座に逃げるか、あるいはうちのめすかが必要で――
今の僕には、その両方が不可能だった。
僕は世界を救ったあとの転生特典として、『資産の持ち越し』を選んでしまっていたのだ。
魔王を倒した時に持っていたあらゆるスキルとステータスがなく、今は十歳の金持ちの子供にすぎない。
護衛ぐらいつけていればよかったと思った。けれど、異世界からの刺客を相手にこの世界の護衛が役立つとも思えなかった。
なにせ連中は魔法を使う。
魔法は銃より強いとは必ずしも言えないけれど、それでも、徒手空拳だと侮っている相手を奇襲で殺すぐらいはできる。
そして僕は銃さえないただの金持ちで、対抗手段はまったくないと思われた。
こういう時に死を覚悟するのは早い方だ。
自分の人生をあきらめるのは、異世界での生活で慣れてしまっていた。
だから僕は生存を諦めて、ダークエルフと真っ直ぐに向き直った。
ダークエルフは左手に魔力をほとばしらせて、
ぐぎゅるるるるる……
腹を鳴らしたあと、倒れた。
それが、僕とこいつとの出会いだった。
ここで僕がとるべき行動は『倒れた相手にとどめを刺す』だったのだけれど、この世界では殺人というのがけっこうな大罪なのと、あと、すでに帰れない(この世界からすれば)異世界の住人に懐かしさを感じて、僕はこいつを家に連れ帰ってしまった。
十歳の体は小さくて、こいつを連れ帰るまでには大変な苦労があった。
連れ帰ってからも苦労があった。
まずは言葉が通じない。
異世界の言語について、僕はそのいっさいを忘却していた。
言葉の通じないこいつとの交流は、それはもう大変だった。
最初は殺そうとしてくるので、それから逃れつつ世話をする日々。
だんだん慣れてきたこいつは僕のことを疑っているようなので、信頼を得るために苦心する日々。
なんでこんなことをしているんだろう? と何度も自問した。
そのたびに理由はないのだという答えに辿り着くしかなかった。
理由は本当にないのだった。ただのきまぐれなのだった。
ただ、それでも、なにかを捻出するとしたら。
……きっと、異世界の記憶を宿したまま、この世界に放り出された者同士の共感というのか、そういう、仲間意識があったのだろう。
接していくうちに、僕らのあいだには信頼が芽生えた。
それはマイナスだった信頼がゼロになったにすぎない。
けれど僕は殺されそうになることが減り、食料も疑わずに食べてもらえるようになり、向こうにはこちらの世界の言葉で僕とコミュニケーションをとろうという意識が芽生えはじめた。
カタコトから始まったコミュニケーションはだんだんとなめらかになり、僕らはいつしか、普通に会話ができるまでになった。
そうしてさらにしばらくの時間が経ったあと、
「……もう、復讐がどうこうという気分でもないな」
そいつはそんなふうに言って、僕に世話になったぶんを返そうと提案した。
僕には金があった。
そいつには力があった。
だから、僕らは契約を交わした。
極めて事務的な契約だった。
僕には力が必要で、そいつにはこの世界で生きていくための稼ぎが必要だった。だから僕はそいつを雇い、そいつは僕に雇われた。
奇妙な共同生活。
僕らのあいだに愛情はなかったと思う。友情さえも、なかったかもしれない。
ただ、異世界を知っているという仲間意識と、その時代を知るゆえの信頼関係だけがあった。
異世界からの刺客は、その後もいくらか現れた。
ほとんどが、僕の倒した魔王の仇討ちを目的としていた。
そいつらは僕の『力』となったダークエルフに倒された。
「なぜだ……お前は、魔王様の忠実な部下だったはず……それがなぜ、我らを裏切る……?」
誰かが問いかけた。
そいつは答えた。
「私が欲しかったのは、忠誠を捧げる相手ではなくて、柔らかい寝床と温かい飯だったらしい」
僕らはどこまでいっても契約で結ばれていた。
まったく魔法的ではない、この世界ならではの、雇用契約で。
そいつは自分のこの世界での立ち位置を『メイド』に定めた。
僕は資産を持ち越していたので大きな屋敷を持っていたけれど、誰かを雇って家の面倒を見させるのを好まなかったので、屋敷にはメイドの一人もいなかった。
そもそも、現代はメイドだのなんだのという時代でもない。
だから、そいつはメイドという立場におさまった。
現代的ではない自分には、そういう、古臭くて、今や物語の中にしか登場しないような非現実的なものがちょうどいいのだと笑っていた。
……月日は流れて、僕らは戦いを重ねた。
異世界からの刺客はたびたびおとずれて、僕らを襲った。
メイドは僕の力となり続けた。
……そうして、『現在』が来た。
屋敷の爆発。
瓦礫と炎の中から現れた存在。
復活した魔王。
僕は相変わらず異世界からの刺客に対抗できるほどの力がない子供で。
拾ったダークエルフはメイド服を着ていた。
「契約はここで終わりでもいいんだよ」
ゆったりと近寄ってくる魔王を見ながら、メイドに言った。
それは半分以上本心だった。
近寄ってくるアレの相手をするのは命懸けで、それも、だいぶ生き残る目算の低い賭けだということがわかった。
メイドがここまで僕のためによく尽くしてくれたのもわかっていたし、もともと、メイドの主人はあの魔王だった。
だから、ここで僕の首を手土産に魔王側に帰ることになろうとかまわない――
というよりも。
そうしてほしいのだとさえ思った。
そうして生き延びてほしいのだと、そう、思ったのだ。
けれど、メイドは言った。
「クビとはまた、つれないことをおっしゃいますね。ここまであなたに尽くしてきたというのに」
「給金分ぐらいは働いたと思うけれどね」
「では、特別ボーナスをいただきましょう」
メイドがロングスカートをめくりあげて、ふともものホルスターから銃を抜く。
それは、僕の資産と彼女の知識で作り上げた魔導銃。この世界での彼女の頼れる相棒だった。
僕は、彼女の相棒ではない。
僕らのあいだにあるのは、あくまでも、雇用契約だ。
僕が主で、彼女が従。
だから、僕が彼女にできることは、一つだった。
「じゃあしょうがないな。――我が従僕に命じる。魔王を倒せ」
「かしこまりました。ご主人様」
異世界から続いた因縁の決着を目の前にして、不思議な高揚感があった。
勝てるとは限らない、たぶん、負けるだろう戦いに挑む。
けれど、なぜだろう――
まったく、負ける気がしなかった。
異世界クリア特典の『資産』で、暗殺に来たダークエルフをメイドに雇いました 稲荷竜 @Ryu_Inari
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