最終話

セーリング公爵家とエドモンド伯爵家の婚約騒動から7年の歳月が流れた。 

 グランシア帝国の名のある一族が時代の波に乗れず次々と没落していく中、セーリング公爵家は今なお、むしろますますその名声を高めていた。 

 24歳になったリラ・セーリングはますます美しく気高い、正真正銘の淑女へと成長していた。 社交界でも注目の的として多くの貴族や資産家の息子から求婚を申し込まれていたが、いつもさらりと身をかわし、彼らをやきもきさせていた。

 彼女自身はその傍若無人で自由奔放な性格そのものは変わっていなかったが、婚約解消の夜を境に怒りを爆発させることや悪意のある言動などは鳴りを潜めていっていた。

 また、これまで全くと言っていいほど興味を示してこなかった経済学や歴史などの学問にも手を出し始め、周囲の人間を驚かせた。

 セーリング公爵家がさらなる富と名声を築いたのも、彼女が目をつけた新興富裕層向けの服飾企業への投資が大当たりしたことが少なくない影響を与えていた。


 休暇中のリラ・セーリングはこの日、滞在先の別荘を離れ最新式の蒸気自動車でシュタイン伯爵領の街中をドライブしていた。 リラは小さなハンドバッグを片手に街の景色をのんびりと眺めていたが、一軒のテナントを見つけるとエメラルドグリーンの瞳をいたずらっぽく輝かせ、運転手に声を掛けた。


 煌びやかな服飾店の店内では2人の人間が言い合いをしていた。 1人の男が小綺麗な身なりの男に向かって何度も頭を下げている。 


 「お願いします! 店長! ここで働かせてください! 僕には養っていかなきゃならない家族がいるんです!」


 男はやつれた顔に必死の形相を浮かべており、今にもその場に膝をつきかねない勢いだ。 


 「そう言われてもねえ、うちも人手は足りてるし、無理に人を雇う必要もないんだよ」


 自分よりも背の高い男に詰め寄られた店長は一歩下がると、困ったように頭を掻いて言った。 


 「こんなに必死に頼んでいるんだから、雇ってあげればいいじゃない」

 「そう言われましてもお客様、うちにはうちの事情ってものが……」


突然背後から声を掛けられた店長は、面倒くさそうに振り返りながら返事をしていたが、声の主に気付くと突然額からどっと冷や汗が噴き出した。


 「リ、リラ様!? どうしてここに!?」

 「別に、たまたま通りかかっただけよ。 私が出資している店に私が来ちゃいけない?」


 慌てふためいている店長を見て、リラはイタズラっぽくウインクした。 


 「し、しかし、こんな突然来られると、何の準備もしておりませんよ!……せめて事前に連絡をいただければ……」


 店長は落ち着かない様子で口をモゴモゴさせながら、しきりに店内をキョロキョロ見回していた。 すると、リラは眉間に少し皺を寄せ、ちょっと背伸びをして店長に一歩迫った。 


 「私は私が来たい時に来るの。 これ以上ごちゃごちゃ言うなら、あなたクビよ?」

 「そ、そんな! 失礼致しました! どうかご勘弁を!」


 クビという言葉を聞くと店長は一層取り乱し、顔面を蒼白にしてリラに向かってペコペコと頭を下げた。 その様子を見るとリラはふっと息を吐いて真面目な表情を崩し、今度は可笑しそうにクスクスと笑った。


 「ふふ、冗談よ……近々ここの近くにもう一軒系列の店舗を増やす予定だから、今のうちに使える従業員を増やしておくといいわ。 ほら、そこのあなた、今日からここの従業員なんだから、ちょっと紅茶を淹れてきてくれない? 砂糖は2つでお願いね…………あら、あなたは……」


 リラは黙って2人のやり取りを見ていた男に向かって声を掛けたが、その男の顔を見るとエメラルドグリーンの瞳を丸く見開いた。 

 その瞳に映っていたのは、7年の月日と度重なる苦労で大分やつれてはいたが、確かにあの日の面影を残したアルフレッド・ギルバートの顔だった。 彼もまた、時間が止まったようにリラをただ見つめ返していた。 その顔には驚愕と、僅かに恐怖の色が滲んでいた。 

 2人の視線が交差し、リラの口元が微かに震えた。

 同時に、彼女の心の奥底で、長い眠りについていたはずの黒い怪物プライドが微かに身じろぎし、その目を瞬かせた。 

 大きな首輪に繋がれた頑丈な鎖が、ジャジャラと微かに音を響かせた。

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「悪役」令嬢の矜持 あるかん @arukan_1226

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