のぞみはかなう

増田朋美

のぞみはかなう

のぞみはかなう

ある日、杉ちゃんと蘭は、箱根の美術館へ行くために、新富士駅から、新幹線に乗った。どっちにしろ、杉ちゃんや蘭のような障碍者は、安全のためにグリーン車に乗ることになっている。二人がグリーン車に乗り込むと、グリーン車はちょうどすいていた。隣の自由席は、いつも人がいっぱいいて混雑しているのに、グリーン車は誰もいないと言っていいほど、人が乗っていなかった。

「えーと、確か、30分くらいのればいいんだよな?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「そうだね。もう少し早く着くかも。」

と蘭が答えた。こだま号は車内販売は行っていないため、食べ物は駅弁を買うことが通例である。杉ちゃんたちも、新富士駅の売店で買った、駅弁をたべて、のんびりと新幹線で移動をしていたのであるが。

突然、隣の自由席の車両から、ギャーっという声がして、同時にガーンと何かをぶつけたような音がした。急に隣の車両は、きゃあとかわーとかいう叫び声でいっぱいになってしまった。同時に皆さん落ち着いてくださいという車掌さんの声が聞こえてくる。ほとんどの客は女性であるらしくて、車掌さんの声のみが、男性の声だった。

「何か事件がおきたのかな。」

杉ちゃんと蘭は顔を見合わせた。

やがて、新幹線は、小田原駅に緊急停車した。杉ちゃんと蘭は、小田原駅が目的地であったため、駅員に下ろしてもらった。隣の車両の入り口には、警察官が待機している。そこへ血まみれになった鉈を持った女性が、車掌に連れられてやってきて、警察官に連れられて行った。

「すごいなあ。犯人は女だったか。」

杉ちゃんと蘭はため息をついた。

「なんだろう。確信犯とかそういうひとかな。其れとも麻薬でもやっておかしくなったとか?」

「うーん分からないなあ。いずれにしても新幹線の中で、事件を起こすんだから、相当な女だよ。」

二人はそういいながら、女が警察官に連行されるのを眺めていた。しばらくすると別の警察官が、遺体を担架で運んでいくのが見えた。その靴の形から判断すると、殺害されたのは男性だった。ほかの乗客も順番に降りて行って、別の電車で目的地へむかうとか、バス乗り場へ歩いていくなどしていた。

杉ちゃんと蘭は、乗客たちが全員、新幹線を降りていくのを見届けたあと、箱根登山線に乗り換えて、目的である美術館へ行った。ほかの路線は、何ごともなかったように動いているのが印象的であった。杉ちゃんたちが、箱根登山線に乗ると、先ほどの新幹線で起きた事件の事は話題にすらでなかった。ただ、その事件以降、新幹線は、運転を見合わせたため、杉ちゃんたちは仕方なく、帰りは東海道本線に乗って富士へ帰った。

その事件の数日後。杉ちゃんが、別の用事があって、御殿場駅の構内を移動していた時の事だった。大きなカバンを持った、小久保さんが、電車の切符を買っていたのが見えたので、

「おーい、小久保さん。」

と、杉ちゃんは間延びした声で言った。

「一体、そんなでかい荷物もってどこに行くつもりなんだ。」

「杉ちゃんに聞かれたのであれば、ちゃんと答えを出さなきゃいけませんね。」

と、小久保さんはそう答えた。杉ちゃんの質問は、ちゃんとこたえを出さないと終わらないし、いい加減な回答では容赦しないのを知っている。

「この間、新幹線の中で、殺人事件がありましたよね。その殺人を犯した女性、川田希さんの弁護を引き受けたんです。」

「川田希だって?」

「はい。あの女性の名前は、川田希さんです。其れは、警察の方もそういっていましたので、間違いありません。」

何だか、新幹線に出てくる車両と同じ名前なので、一寸びっくりしてしまうのであるが、そういうんだから、間違いはなかった。

「そんなら、僕も連れて行ってよ。僕もあの事件の時、同じ新幹線に乗っていたんだ。その川田希という名前だったのは知らないが、逮捕される所も見たよ。目撃者ということでさ。御願いしてもいいかなあ。」

杉ちゃんがそういうと、

「わかりましたよ。裏付けのため、証言も必要なので、一緒にきていただきましょうか。」

と、小久保さんは同意した。なので杉ちゃんと小久保さんは、二人で御殿場線に乗り込み、国府津駅にむかった。その川田希という女性は、国府津駅近くにある、留置場に収監されているという。御殿場線は単線なので、新幹線に比べると、えらく時間がかかってしまった。

二人は、国府津駅に着くと、タクシーを拾って、その女性が、収監されている留置場に行った。二人が到着すると、新人刑事と思われる若い男性が出迎えてくれた。

「やっと弁護士さんが来てくれましたか。ああ本当によかったですよ。こっちでいくら話しても、一言も口をきいてくれないんですもん。事件の概要を説明させても、何も話してくれません。頼みますよ、先生。何か彼女から、聞き出してください。」

刑事は、とても苦労しているという顔をして、小久保さんにそういった。

「えーと確か、名前は川田希、年齢は、33歳、それで間違いありませんか。」

小久保さんがそう聞くと、

「はい。そこははっきりしています。新幹線のこだま号で事件を起したのに、なぜか希という名前でしたので、よく覚えております。」

刑事はそう答える。そして二人を接見室に案内させ、

「じゃあお願いしますよ。できるだけ、事件の事を細かく、話させるようにしてください。俺たちには、あんな事件を起こした動機も、何も話してくれなかったんですよ。」

と言って、そそくさと、部屋を出ていった。

二人が、接見室に入ると、ガラス板の向こう側に川田希という女性がいた。看守に付き添われていたが、その女性が、どこかのテレビ女優のような顔をしていたので、杉ちゃんも小久保さんも一寸びっくりする。

「はあ、よく見ると、ずいぶんと美しい奴なんだな。」

と、杉ちゃんが一つつぶやいた。

「あの新幹線の中から出てきたときはそうでもなかったが、近くで見ると綺麗だよ。」

小久保さんは、急いでカバンを開き、メモをするため手帳を取り出した。

「えーと、川田希さんですね。住所は、横浜市に在住。職業は無職。年齢は33歳。これはまず間違いありませんね。私は、弁護士の小久保哲哉と申します。そして、隣にいるのは影山杉三さんです。」

小久保さんがそういうと、

「ええ、その通りです。よろしくお願いします。」

と、川田希さんは、小さな声で答えた。杉ちゃんが、

「僕のことは、杉ちゃんと言ってな。」

といつも通りの自己紹介をする。

「はい、まず初めに、あなたが逮捕された理由ですが、一月十二日に、東海道新幹線の車内で、乗客であった三田村浩紀さんを鉈で殺害した。これで間違いありませんか。」

と、小久保さんが聞くと、

「間違い、、、ありません。」

と川田希さんは、間違いの前に、一寸間を入れて答えた。

「そうですか。分かりました。早速なんですが、三田村浩紀さんとは、面識はありましたか?」

「いえ、ありませんでした。」

小久保さんが聞くと、彼女は答えた。

「では、三田村さんとは、一面識もなかったということですね。その三田村さんをなぜ、殺害したのでしょうか?」

「ええ、誰でもよかったんです。」

「はあ、変な奴だなあ。誰でもよかったって、そんなにやりたかったのか。」

と、小久保さんの話に杉ちゃんが口をはさんだ。

「はい。誰でも構いませんでした。誰でもいいから、世のなかが嫌になってやったんです。」

「世のなかが嫌になったかあ。其れでもさあ、人の事をやって良いはずないよなあ。ちゃんと、人だって、生きていて、ちゃんと家族がいるんだからね。それを考えれば、勝手にやっつけて良いはずないでしょうが。」

と、杉ちゃんは、彼女の話にそういうことを言った。

「でも私、どこにも居場所がなかったし、行くところも住むところもなくて、誰も私の事なんか、きにかけてくれなかったから、こんな事にならなければ、私の事なんて、どうでもいいんだと思ったんです。」

「そういうことか。まあ、天下取りになりたかったというわけね。昔の戦国武将と似たような動機かな。世の中を嫌がって、何か大きなことをしたくなって、結局人殺しに走ってしまったわけか。だけどやったことはやったことだ。ちゃんと、やった事は反省しなきゃだめだぜ。」

杉ちゃんがそういうと、小久保さんは、

「その、三田村さんを殺害したことについてはどう思っていますか?三田村さんに謝罪したいとか、そういう気もちはありますか?」

と聞いた。

「いえ、したことは確かにいけないかもしれないけど、でもこうしなければ、私の願いもかなわなかったと思います。だから、その気持ちはありません。」

「はあ、願いとは何だ?」

と、杉ちゃんが聞いた。

「私の事、ちゃんと見てくれる人が現れるかということです。」

「ちゃんと見てくれる人ね、それは、どういうひとなんだろうか。」

杉ちゃんは、すぐにそれを突っ込んだ。

「ええ、私の事いつも考えてくれて、私にどうしたらいいのか教えてくれる人です。」

「はあ。そうなのか。僕たちは、放置されていても平気だったんだけどな。だって、僕も歩けないから、歩ける人間と違って、注目なんか絶対されないよ。お前さんはなんで、それなのに、注目されたくて、殺人をしたんだよ?すくなくとも僕たちとは違ってさ、歩けるんだから、注目されるために歩いてみてもよかったんじゃないの?」

杉ちゃんが言うと、彼女は、

「ええ、そうなのかもしれないけど、私は特別でした。みんな私の事なんか、放置したままですもの。皆一斉に、同じことをやって、私にはそれができないで、周りからいじめられるし、先生には馬鹿にされるし。どうしたらいいのかわからないまま、そのままになってしまいました。」

と、答えるのであった。

「はあなるほどねえ。まあそういうことね。ちなみに僕も、そういうことはできなかったねえ。僕、文字読めないし、学校にも行ってないし、みんなと同じようになんて、出来るわけないと初めから思ってたから、犯罪をしていることもなかったよ。」

「そうなんですね。そういうひとは逆にいいですよね。私も、そういう風になりたかった。私は、学校になじめないので、みんなにばかだ馬鹿だと言われて、能力がないとか、そういうことばかり言われて、私何て、みんなから必要ない人間なんだと思ったの。だから、私、もう、この世界にいるのも嫌で。其れで、こういうことをやるしかなかったのよ。」

「わかりました、なるほどね。」

小久保さんは、そういって、彼女の発言を丁寧に手帳にメモをした。彼女は、自信が殺人をしたことは認めたが、その被害者の三田村浩紀という男性に謝罪をするという気にはなれないようであった。その後も、小久保さんは、川田希と会話を交わしたが、この時は反省しているような態度は見せずに、接見の制限時間になってしまった。

「まったくよ。変な奴がいるもんだな。みんなに注目してほしいから、犯罪をしたなんて。それに、被害者に対する謝罪の言葉もないとは。」

帰りの電車の中で、杉ちゃんは、小久保さんに言った。

「そうですねえ。でも、そういう動機の殺人者は、非常に増えてますよ。誰かに見てほしいとか、自分の存在に気付いてほしいとかで、犯罪を犯す人。」

小久保さんは、カバンの中を整理しながら、そういう事を言った。

「まあ、なんでもボタン一つでやれる時代になりましたからね。其れで、人ができることがどんどん減ってしまっていて、其れで彼女も居場所をなくしたんでしょうな。それに、学校になじめなかったというところも大きいでしょう。彼女の、学校で他の生徒と同じことができないで、馬鹿にされたことは、事実だと思いますよ。そういう時に先生が親切に教えてやれればいいんですが、生徒の中には、実際に、そういうことができないことを、馬鹿にする生徒もいますからね。」

「うーんそうか。僕たちみたいなやつがうらやましいっていうセリフにはあきれたな。僕らは、何も利益も出せないダメなやつと言われる奴らだぞ。そういう方がかえっていいなんて、何を考えているのかなと思ったよ。」

杉ちゃんは大きなため息をついた。

「あの、大量殺人事件みたいにさ、利益を生み出せないものは、殺しても構わないっていう思想もあるのにねえ。ある意味対を成すな。」

杉ちゃんがそういったのと同時に、御殿場駅に電車が到着したというアナウンスが流れた。小久保さんはじゃあこれで、と言って、駅のホームに止まった電車から降りた。一方で杉ちゃんのほうは、車内で切符を切りに来た車掌を捕まえて、富士駅に行きたいんだけど、と急いで告げる。御殿場線が沼津駅に到着すると、杉ちゃんは、車掌に手伝ってもらって御殿場線をおり、そのまま駅員に頼み込んで、東海道線のホームに連れて行ってもらい、そこにやってきた電車に乗せてもらった。そして、電車が富士駅に到着すると、また車掌におろしてもらい、駅員に頼んで改札へ運んでもらい、切符を手渡してもらって、改札口を出るのであった。ここまでの作業に一体何人の人手が必要だったのだろう。そういう細かいことを一切気にしない杉ちゃんだから、勘定もせずのんきに家に帰っていったけど、もし、勘定ができる人だったら、その人数に驚愕してその次は電車に乗らないと思ってしまう人もいるかもしれない。

その数日後。杉ちゃんと蘭が自宅内で着物を縫っていると、スマートフォンがなった。電話をよこしたのは小久保さんで、なんでも、川田希が、あの車いすの人なら話をするというので、一寸来てくれないかという。御殿場駅に来てくれれば、今度は警察の関係者が迎えに来てくれるというのだ。杉ちゃんは、また富士駅に行って、とりあえず駅員に手伝ってもらって御殿場線の連絡切符を買い、沼津行きの電車に乗り込み、沼津駅で車掌や駅員を巻き込みながら、御殿場線に乗り換えて御殿場駅に行った。御殿場駅に行くと、小久保さんが待っていた。駅前には、警察関係の車両も待っている。杉ちゃんと蘭は、直ぐそれに乗せてもらって、国府津駅の近くにある、留置場にいかせてもらった。

「いやあ、蘭さんまで来てくださってありがとうございます。お二人が来てくれたなら、事件の解明も、早くなりそうです。」

小久保さんは、そういうことを嬉しそうに言った。そして、杉ちゃんと蘭を、狭い接見室に案内した。やっぱり、川田希は、硝子板の向こう側で待っていた。

「今日は僕の友達を紹介するよ。こいつは、伊能蘭で、僕の家の隣に住んでいる。お前さんが新幹線の中で、事件を起こした時、彼も一緒にいたんだよ。今日は、手伝い人として来てもらった。よろしくな。」

蘭も川田希という人が、普通のひとよりきれいな容姿をしているということに驚いたようであったが、その容姿は、明らかに、本人が持っているものではなく、整形などで得たものだということに気が付いた。つまり、何年か前には、彼女も平凡な容姿だったということだ。家族の誰かが整形を勧めたのかもしれないし、本人が望んだのかもしれなかった。

「じゃあ、先日も伺いましたが、あなたがなぜ、新幹線の中で、三田村さんを殺害したのか、理由を詳しく話してください。あなたは、本当に、誰かから注目されたかっただけで、あんな犯罪を犯したのでしょうか?」

と、小久保さんが言うと彼女は、

「ええ。その通りです。ほかには何もありません。私は、小さな時から、何もできなかったんです。こんな当たり前のこともできないでどうするのとか言われましたけど、私にとってはわからないことばかりでした。みんなそんな私をダメな人として、放置してましたから。其れで私は、結局、仕事も得られなかったし、何をしてもダメだったんです。だから、もうこんな世の中、捨ててもいいと思ってやりました。」

と答えた。

「そうですか。なにも出来なかったとあなたはおっしゃいますが、何が具体的にできなかったんでしょうか。」

と、蘭が小久保さんの話に口をはさむ。こういう事を主張する人は、蘭も何人かあったことが在った。彼女たちは、体の一部に刺青をすることで、それを解決しようとしていた。世界が私を見捨てても、刺青が私を見捨てないから生きていける。こう主張する人は、蘭のお客さんにはよくある事だった。

「ええ、たとえば、学校では、体育の時間に前にならえをしますよね。あの手の形とか、そういうこと、私何も知りませんでした。だから、そんなことも知らないのかって、先生に叱られました。」

と答える彼女に、蘭は、幼稚園かそのような場所に行かなかったのかと聞いた。すると彼女は、幼稚園での態度が悪いということで退園させられたと答えた。別の保育園に転園したが、そこでは何の問題もなかったと言う。しかし、小学校に上がると、起立という言葉の意味が分からない、なぜ授業のはじめと終わりに礼をするのかわからないなど、わからないことだらけになってしまったと彼女は言った。其れを正直に表現しなかったのかと蘭が聞くと、先生は、そんなことも知らないのかとこっぴどく叱ったという。本当は叱るのではなく、こういう生徒もいるのだと割り切って、ちゃんと教えてやっていれば、彼女は事件を起こさずに済んだかもしれない。いずれにしても彼女は、変な生徒ということで、学校になじめなかったのだ。先生やほかの生徒もあきれて寄り付かなくなってしまったのだろう。それを彼女は孤独だと勘違いしてしまったのだ。

「まあ確かに、誰かに自分を見てもらいたい気持ちもわからないわけでもないよ。でも、お前さんは人をやってしまうというところはいけないな。まあ僕の場合だけどさ、電車に乗るのも、エレベーターに乗るのも、皆、誰かの手を借りなきゃできないんだ。だから、注目は当の昔にされているのかもね。だからさ、お前さんも、こっちへ帰ってくることができたなら、ちゃんとできないことはできないといい、理由がわからないならちゃんと聞いて、教えて貰うということを身に着けるんだな。そうすれば、お前さんの注目されたいという望みは、必ずかなうから。」

と、杉ちゃんが彼女に言った。

「どうか、自分のしたことは間違いだったと思いなおしてくれることを祈ります。」

蘭は、戸惑った顔をしている彼女に、そういうことを言った。彼女は、ちょっと表情が変わってくれたようだ。






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のぞみはかなう 増田朋美 @masubuchi4996

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