応援コメント

第59話 関山の真実~東日本広域インフラ整備計画」への応援コメント


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    河川水運は昔から物流の大動脈でしたからね。これを整備するのは理に適っています。
    幕藩体制下だと各々の藩内の河川の整備でとどまっていたのでしょうかね?
    その辺りが詳しくわからないのですが、明治政府樹立によって複数県にまたがる地方単位の物流整備の観点が持てるようになったのは近代化のための大きな一歩だったのかも知れません。
    ただ、そのために地域住民は泣かされることになりますし、数十年単位で見れば自分たちの生活を良くするためだった、とわかってもその当時の住民としては死活問題だったのでしょうし、難しいですね。

    作者からの返信

    ありがとうございます。まったくその通り、おっしゃる通りの状況でした。

    それまでの領主ごとの分割統治では出来なかったことが中央政権による中央集権による広域経済計画・広域建設計画ができるようになりました。

    江戸時代後半の富士山火山活動による小田原藩の経済復興は幕府の音頭で全国的支援割当が図られましたが、それは二宮金次郎という人物の存在もありますが、幕藩体制では例外的な経済復興支援活動だったと思います。

    しかしながら、一方で公共事業というものへの理解もなく、大手ゼネコンもない時代の手探り政策は非常な困難があったと思います。

  •  大久保利通に伊藤博文ですか・・・

     石を投げていた頃から比べると、大変な大物が身近に迫っているような気がします。峰一郎くんは大丈夫ですかねぇ。

    作者からの返信

    大変失礼しました。遅くなり申し訳ありません。

    ですよね。目の前の話から入って進めてきましたから、よりマクロな視点で全体状況を説明したいと思いました。

    当時の山形の位置的なものは現在考えるより結構重いものだったと思います。仙台を東北の要として整備するのは明治政府からはじまったようです。あとで述べますが、当時は山形遷都論もあったほどで、北のロシアがよほどに怖かったでしょうね。その遷都論には四方を山岳部に囲まれた山形は首都防衛に適しているから、とありました。

    ただの田舎ですが、逆もまた真なり、ですね。