第54話 分断

(これまでのあらすじ……)


 住民達は上申書を提出し負担金納付拒否を宣言、郡役所側は愕然とします。しかし、住民側圧勝と思われた次の瞬間、和田書記は巡査隊で住民側を捕縛しようとします。その窮地を救ったのは意外にも筆頭書記留守でした。留守は久右衛門と言葉を交わし見送ります。忿懣やる方ない和田は留守から第6の男の正体を聞かされ驚きます。


 **********


 第六番目の男が実は新聞屋であることを喝破した留守永秀筆頭書記の洞察力に、和田徹書記は今更ながらに舌を巻きました。しかし、であれば尚のこと、和田としてはその新聞屋の魂胆が気掛かりです。


「なれば尚のこと、奴等をこのまま帰したのでは、我らが理由もなく巡査を使って住民代表を捕らえようとしたと、明日の新聞に書き立てられてしまいます。今からでも、すぐに追っ手を!」


 慌てる和田を留守が笑っておだやかに引き止めます。


「慌てんでも良い、奴らは書かんよ……」


 またまた留守の言葉に理解の追い付かない和田でした。和田には悠然と構える留守の考えが理解できません。


「え?……なぜです!なぜ、留守書記にはそれが分かるのですか!」


「和田くん、君は頭に血が上り過ぎたな。さっきのわたしの謎かけが分からんかったかね?久右衛門にはしっかり伝わっていたぞ」


 それでも和田は不得要領で頭を傾げています。


「……ふふっ、分からんか、小鶴沢川だよ。渡辺くんが散々な目に遭った小鶴沢川の坊主どものことを忘れたかね?久右衛門は、村の子供たちを我々の手から守るために、今日のことには目をつむってくれるようだ」


 しかし、和田はそれでも留守に食い下がります。


「そ、そんな!郡役所の指図に従わぬ住民なぞを信じられるおつもりですか!」


 しかし、留守はそれをまったく意に介してもいないようです。


「ふっ、確かに、あの久右衛門という奴、並のことには動じん、腹の据わった、したたかな男のようだ。しかし、人としては我らよりずっと信頼はできる男だろうよ」


 自分たち官吏よりも平民の方が信じられるとの留守の言葉に、和田は益々驚きを隠せません。


「なぜです!留守書記も、あの男とまともに面と向かって話したのは今日が初めてではありませぬか!なぜ、そんなにお信じになられます?それも、我々官吏よりもあの男の方が信じられるとは!」


 留守は和田の興奮を楽しむかのように笑って話します。


「すまんすまん、君らを信じられないという意味ではないよ。……和田くんはまだまだ教条主義が抜けないね。実際、我らは政策目的実現のためなら平気で強引なこともする。和田くんも、つい先刻、それをやろうとしたじゃないかね」


「当然であります」


 生真面目に答える和田に、留守は苦笑するしかありません。


「しかし、あの男はどこまでも真っ直ぐに筋を通そうとする男だ。今日、初めて言葉を交わしただけだが、それがよく分かった。奴を信じてよかろう」


 確かに官吏の職権を利用した卑劣な行為を、たった今、やろうとしたばかりの当の本人である和田には、返す言葉もありません。


「目的達成のためなら密かに裁判所に訴状を提出し、更に新聞に掲載して我らよりも先に輿論に訴えれば良いものを……」


 留守は椅子から立ち上がると、窓の外に目をやりました。窓の外には広々とした村山盆地が広がります。


「その前に正々堂々と役所に来て、まず、真っ先に我らに宣言をしおった。……迂遠なことだし、方法論としては稚拙だ」


 留守は窓の先に広がる西の空を凝視します。その西の空の下には、高楯村を含む山野辺地区があります。


「しかし、間違いなく筋を通した正しい手順だ。そんな愚直だが堂々たる漢は、心からの尊敬を贈るに値する、……そうは思わんかね?」


 しかし、次の留守の言葉は、まるで人が変わったかのように、冷たい声になっていました。


「だが、……だからと言って我々が手心を加えてやる謂われはないがな。ふふふ……」


 そう言った留守の顔からは、先ほどまでの柔和な笑顔は影を潜め、冷徹な官吏の顔に変わっていました。


 留守にとってそれは当然のことでした。彼らは庇護すべき小作人を持つ地主でもなければ、子供たちに対して道義的に清廉な教育者でもないのですから。


「それよりも監視体制を見直すのだ。あれだけの委任状をとりまとめながら、我々はその動きを全然つかめなかった、まず、奴らの横の繋がりを完全に断ち切ることが先決だ」


 今度こそ、和田は心から留守の命令を素直に受け止めました。


「はい、……既に奴らは公然と郡に対して反旗を翻しました。今後は今までのような遠慮は不要です」


「うむ。天童の分署とよく連携し、今まで以上に監視を強化するのだ。遠慮はいらん。怪しそうな奴は手当たり次第に勾引せよ。今後は監視に留めず、堂々と督促と納付強要を行って締め付けを行う!」


 一瞬だけ晴れ間が見えたように思えた天童の空でしたが、どうやら再び黒い雲が沸き起こってきたようでした。


 **********


 その日の夕刻、留守の姿は山形県庁のすぐ裏手にある、県令官舎にありました。県ナンバー1の住まいでありながら、意外にもそれほど大きくはない質素な造りの建物でした。


 三島通庸が山形に赴任するまで、県庁は山形城内の旧山形藩政庁に置かれ、当時の山形県トップである権令はその旧藩主私邸に滞在していました。


 三島が山形に赴任するまで、山形は県令不在で、次席にあたる権令が県政を取り仕切っていました。


 山形に赴任した三島は、山形城には入らず、旅籠町の旅館に県庁を開設し、まずは県庁造営に取りかかりました。


 県庁造営に当たって南村山郡を中心とする元城下町周辺に居住する住民から過酷な収奪をしたのは前にも述べた通りです。


 しかし、その造営中も、三島は豪荘な住宅を接収するわけでもなく、自らはあばら家のような粗末な家に寝起きして、県庁造営を陣頭指揮していたのです。


 そして、今、住んでいる県令公邸にしても、無駄な造作を廃し、最低限の日常生活に必要な質素な造りに甘んじていました。そこに三島の私欲を廃し、純粋な使命感と理想に燃えた薩摩人の高邁なる姿勢が感じられます。


「すまんな、留守くん。忙しゅうて、今頃、やっと晩飯にありつけっど」


「いえ、こちらこそ、お忙しい中、お屋敷まで押し掛けて申し訳ありません」


「いやいや、間もなく高木課長と一緒に栗子に行くっとじゃで、良か時に報告に来てくいやった。県令に休みなんか、なかとじゃ!困った時はいつでんよか!夜討ち朝駈けじ、あっはっはっは!」


 豪快に笑った三島は、湯呑みの冷めたぬるい番茶をぐいっとあおります。酒豪の多い南国薩摩の出身には珍しく、三島はまったく酒をたしなみませんでした。


「戊辰のいくさに比べれば、官舎の布団で寝れるだけ天国じゃ!」


 三島は遠くを見るような目で、昔を懐かしむように語り始めます。


「あん時ゃ、会津も庄内も長岡も、……どいも強かったとじゃ。そん上に海にゃ最強の榎本艦隊じゃ。上杉も伊達も恐くはなかとじゃっど、榎本が海から越後と庄内ば結んで、会津を後ろから助けよったら、おい達もそう簡単には勝てんごで」


 実際、幕末のプロイセン商人のスネル兄弟が新潟港から大量の銃砲弾薬を陸揚げして、長岡や会津に納入した事実があります。


 日本海で榎本艦隊が睨みを効かし、新発田藩等の同盟離反を押さえ、新潟港の補給ルートを確保できれば、庄内・長岡・会津の三角地帯の有機的結合も謀り易くなり、奥羽越のいくさはどう転んだか分かりませんでした。


「じゃっどん、おいたちは速攻で真ん中にある会津を包囲して孤立させたとじゃ。庄内も長岡も好きなように暴れくさったが、榎本艦隊も日本海に現れず、新潟も落ちて三藩の連携は取れんじゃった」


 その時、襖が開いて女中が山形では珍しい洋皿に、まだ湯気の立ったポークステーキ、いわゆるトンテキを持ってきました。


 この三島の好きな洋食料理の普及も三島県令の土木事業の賜物でした。難工事と思われた栗子隧道工事遂行のため、世界でも数少ない掘削機械を輸入し、工事のためのお雇い外国人を招聘した副産物でした。


 三島はそのトンテキにナイフを入れます。手慣れた手付きで、三島は目の前のトンテキを三つに分けようとしていました。


「……いくさも政治も同じこつじゃ!」


 三島の意図を察して、留守が答えます。


「さしずめ、東村山郡の会津は、真ん中にある長崎地区ですな……」


 三島は留守に対してニンマリと笑うと、三つに切り分けたトンテキの真ん中の肉片にブスリとフォークを突き刺します。


「ここをしっかり押さえて、東の天童と西の山野辺の連携を断ち切っとじゃ!」


 そう言うと、三島は突き刺した肉片を口の中に放り込み、旨そうに舌鼓を打ちます。


「……あとは、煮るなり焼くなり、ですな?」


 その留守の言葉に、三島はニンマリとほくそ笑みつつ、左右の肉片を更に細かく切り刻んで、旨そうに口の中に放り込みます。


 敵の戦力を分断したら、後は各個に細かく孤立させていき、その敵をひとつひとつ潰していく……まさしく戦略の常道です。


 元より東村山郡の長崎地区は関山新道の通過ルートであるだけに、今回の負担金納付反対運動には最初から組していません。あとは東西の連絡を完全に断ち切るだけです。


「留守よ、おんしの申し出はよぉ分かった。鬼塚どんとよく相談しながら好きにやってたもんせ。鬼塚どんにはわしからもよろしく言うちょく……それと、北の中山どんにも言うちょくが、西の海老名どんにも話しておこう、おいにちょっとばかり考えがある」


 そう言って、三島はイタズラ小僧のような笑みを浮かべました。


「ははっ!閣下のお手を煩わせ、申し訳ありませぬ!」


 両手をつき、叩頭する留守でした。どうやら、三島は留守の報告を受けると共に、留守からの願いを全面的に聞き届けた様子でありました。


 鬼塚とはもちろん山形警察署の鬼塚警部のことですが、残る二人は、北村山郡長中山高明と西村山郡長海老名季昌のことです。


 果たして、留守は三島に何を語ったのか?また、三島は一体、何を策しているのか?そして、天童・山野辺の連携は?密使を務める峰一郎に危難が及ぶことはないのであろうか?


 明確な意思表明をした東村山郡住民に対し、いよいよ情け容赦のない権力の猛威が襲いかかろうとしているのでした。


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(史実解説)


 現在の市町村で申しますと、山形市の北側に天童市があり、天童市から南西方向の西隣に中山町長崎、更に南西方向の西隣に山辺町があります。当時で言うなら、ちょうど天童・長崎・山野辺が東西に並んでいる配置でした。また、天童と長崎は須川で境目を成していましたので、統治者側からすれば、川を押さえることで東西の分断は容易だったかもしれません。


 三島通庸が統一山形県令の初代県令に赴任するまで、山形県は山形県・鶴岡県・置賜県の三県に分立していました。明治9年に三島が鶴岡県令から統一山形県令に赴任するまで、山形県は県令不在で、実質的に山形県を取り仕切っていたのは関口隆吉権令でした。


 なお、本作品での登場はありませんが、この関口隆吉は元幕臣で、遠祖は戦国時代の駿河今川家一門という名家です。しかし、幕末は特に目立った履歴もなく、江戸城明け渡しに立ち会い、勝海舟と共に幕府の戦後処理にあたりました。のち、明治政府に招聘され、置賜県参事から山形県権令となり、その後、山口県令に転じて萩の乱を鎮圧、次いで、静岡県令となり、官制改革による静岡県知事となっての在職中に列車事故で負傷、その傷が元で知事在職のまま死亡しました。


 本稿では、栗子隧道工事に伴うお雇い外国人の招聘が洋食の普及に預かったように書きましたが、実際に栗子視察に来たオランダ人技術者エッセールは、2回来県しましたが、滞在期間はそれほど長くありません。むしろ、東北で最も早く西洋医学を取り入れた済生館に、三島がオーストリア人医師ローレツを招聘したことの方が洋食の普及に影響が大きかったかも知れません。飽くまで作者的に三島の土木行政に意図的に結びつけたものです。なお、この済生館は、山形市立済生館病院として現在に残り、作者も毎月のようにお世話になっています。


 ちなみに、三島は酒も煙草もまったくたしなみませんでした。酒豪の多い南国薩摩兵児には珍しいことで、筆者も初稿では三島が酒をあおっている姿を描きましたが、ぬるい番茶をあおったことに変更しました。絵面としては苦しいものがありますが、三島の面白い意外な一面でもあります。


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(おわりに)


 住民上申の後、留守は密かに三島県令を訪ねて、ことのあらましを復命します。三島は東村山郡の現在の状況を把握すると共に、あらたに留守に命令を与え、更に裏面から様々な手を打とうとするのでした。

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