応援コメント

第46話 世の中を変えろ!(改)」への応援コメント

  • 地方だと今でも住民自治組織に行政が仕事を丸投げしたりしてます。
    住民自治組織のなかでも昔からの地主さんの家は発言に重みを持ってます。
    ただそれが今の世に合っているかどうかというのはまた違った話です。
    そうした場所に住む私としては、息苦しい思いもあるし、痛みの勝った痒みといったところでしょうか。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    私も山形の片田舎に住んでますので良く分かります。地主さんは一定の尊敬の対象ですが、現在は落魄してうらぶれているのが現実です。

    それに田舎では都会と違い自治会が強く機能しているところも少なくないですから、役所も丸投げしやすいでしょうね。その方が住民の不満をそらせることが出来ます。役所は責任の所在に敏感ですから、住民丸投げできたら速攻です。

    そんな中、他人との絆が強いのは良い面もありますが、息苦しい側面も確かにあります。山形じゃ、行きたくなくても、隣組の花見や芋煮会が当たり前にやらされますから。コロナでこの2年は無くなりましたが、またどうせ復活するんだろうな、好きな親爺連中が多いから。

  • こんにちは。
    地主と小作人の関係のお話は説得力がありますね。江戸時代を通じて広く行われていた村請の仕組みがこういった関係を作りだしたのかなと思います。
    イデオロギーや凝り固まった史観で現実から乖離した過去を想像しないよう、注意しなければ、、とあらためて思いました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。おっしゃる通りですね。年貢や諸役の負担を村全体の責任で請け負うということから、地主のそういう役割が自然発生的に共通の認識として育っていったのかもしれませんね。領主にとっては、年貢だけしか興味はないのでしょうが、住民としてはそこでの民生に大きな意味がありますからね。

    あの田中正造が足尾鉱毒問題で見せた村を守るための激しいパワーというのは、単に地元の名士、地主ということや、そこから出た議員という肩書きではなかなか理解できません。地主という存在の当時の存在意義を深く考えないと、天皇に直訴までする田中の心は詠み解けないですね。

    高校や中学の歴史の授業で教鞭をとっていた左翼教師は、殖産興業のちょうどいい歪み、あくどい国家政策の実業家との癒着などのいい事例として飛び付くだけで、地主のそういう立ち位置なんて考えもしないでしょうから。第一、彼らにとって地主は悪でしかないでしょうから。

  •  峰一郎君の年頃に、自分は何をしていましたか?

     こんなに難しいことは考えずに、図書館と本屋さんに通って、ヘラヘラしていたと思います。
     今、住んでいるところは山岡鉄舟の知行地だった、埼玉県の山奥ですが、きっと此処でも同じような事が起きていたのでしょうね。
     彼らのお陰で、休日にコンピュータに張り付いて、こんな事ができるのだなと思いました。

    作者からの返信

    昔の人は今よりもずっと成熟するのが早かったですね。まあ、子供の頃から働いてますし、十代後半には結婚もして自立していた方も多かったからでしょうからね。

    今は22歳までは学生、つまり子供ですし、22歳過ぎても、30歳まで子供みたいな方も多いですからね。まして、地域への貢献、国への関与などを積極的に意識している人は少ないですからね。

    峰一郎が現代に生きていたら、どう思うでしょうね。