第45話 地主の務め(改)

(これまでのあらすじ……)


 東村山郡役所と山形県庁が住民の不穏な状況に対する善後策に腐心する中、今上陛下山形行幸の成果を県庁に持ちかえった三島通庸山形県令は、住民の目的が百姓一揆ではなく、郡住民挙げての集団訴訟にあることを喝破し、高木秀明土木課長や鬼塚綱正警部らに次々と指示をくだします。東村山郡役所では、郡書記筆頭の留守永秀が直ち郡内全村に督促状を発出する一方、峰一郎は佐藤伊之吉に頼まれた使いの先の指定された場所で、怪しげな謎の人物と接触します。


 **********


 峰一郎が使いを頼まれた先、伊之吉の小作人の家で峰一郎を出迎えた怪しい男、その男が懐に手を入れて何かを取り出そうとします。


 一瞬、峰一郎は身構えますが、男はニヤリと微笑み、峰一郎に構わずその物を取り出しました。


「まずはこれを伊之吉に届けてくれ」


 そう言って男は何通もの封書のようなものを峰一郎の目の前に出し、重ねて言葉を続けます。


「昨日、役所の督促状が届いたおかげで、腰を据えかねていた者も踏ん切りがついたようじゃ。……役所さまさま、皮肉なもんじゃ」


 役所の督促状を受けたということは、この封書はすべて各村の戸長からのものということになります。しかし、峰一郎には、まだそれが何を意味するのかまでは分かりません。


 使いの用件はこれであったかと、合点のいった峰一郎が、上がり框から板の間に上がり、その男に近づきます。


 梅はまだ警戒しつつ、峰一郎の後ろに隠れるように、土間に立ったままです。


「これがお前たちの得物だ」


「得物……? 」


 男の言葉に峰一郎は首をかしげます。


『得物』と言えば、武器、それも自分が一番得意とする武器のことです。一揆ともなれば、百姓にとっては鋤や鍬がそれになります。


 しかし、目の前の封書はとてもそのような武器に見えるものではありません。封書が武器になる……峰一郎には意味が分かりません。


「そうだ、これからはもう刀や鉄砲の時代じゃない。もちろん、峰一郎の得意な馬糞や屎尿もいらん……ハッハッハッハッ! 」


 そういうと、その人物はとても愉快そうに笑いました。どうやら、小鶴沢(こづるざわ)川で峰一郎たちがやらかした一件もすべて知っているようです。


 しかし、負けん気の強い峰一郎は、自分や村の仲間が揶揄されたように感じられて、あまり面白かろう筈もありませんでした。


 峰一郎は憮然として、その男を睨み続けていました。


 **********


「ところで峰一郎、おぬしから見て、久右衛門や伊之吉をどう思う?」


 その言葉に峰一郎はカチンときました。


 峰一郎にとって尊敬する本家の叔父の安達久右衛門(あだち・きゅうえもん)、それに峰一郎を可愛がってくれている梅の父親の佐藤伊之吉(さとう・いのきち)を呼び捨てにするだけでなく、更には、まるで人品の値踏みをするような発言だったからです。


「おんつぁまも、伊之吉さんも、立派な人だっす。ふたりとも、村の皆のために必死に頑張っているべっす! 」


 峰一郎は、やや声を荒げて応えました。


「ふんっ」


 その男は峰一郎の答えを鼻で笑い、更に問いかけます。


「なんで、おんつぁまたちは、そんなに頑張っているんじゃ? 」


「そ、それは……そうするんが、当たり前だからだべ……」


 峰一郎は考えてもみなかったことを聞かれて戸惑ってしまいます。


「なにが当たり前なんじゃ? 郡に金を払えば済む話しじゃろ? 地主なら払えん額じゃなかろうに」


 間髪を入れず、峰一郎の答えに押しかぶせて畳みかける質問に、峰一郎も必死で食い下がって答えます。


「そ、それは、村のみんなのためだがらだべ! 」


「村のみんな? そんな他人のために、なんでそうまでするんじゃ? 」


「地主様だからじゃ! 」


「地主がなんでそこまでせんといかんのじゃ? 」


「そ、それは……」


 矢継ぎ早に聞かれる問いかけに、とうとう峰一郎は答えに詰まってしまいました。


 しかし、相手は勝ち誇るでもなく、柔らかな笑みをたたえて、峰一郎に優しく言葉をかけたのでした。


「峰一郎の叔父さんも、その娘のててごも、わしにゃ、とても真似のできん立派な人じゃ」


「そ、そうじゃ! 」


 峰一郎は、挑むように口をとんがらせて答えます。


「峰一郎の叔父さんの親父さんは、確か、よその家から入った入り婿じゃろう? 」


 峰一郎は驚きました。どうやらその男は本家の久右衛門叔父のことをよく知っているようです。


 その男の言う通り、当代久右衛門・林助(りんすけ)の父である先代久右エ門・権治郎(けんじろう)は、安達家よりも更に大きな地主である、山野辺村の渡辺家という家から婿に迎え入れられ、久右衛門の名前を襲名したのです。


 その渡辺家は、高楯村・山野辺村のふたつの戸長を同時に兼任していることもあって、山野辺地区全域においても名の通った名家でした。


「入り婿というのはな、ただ次男・三男で家を継がないあぶれ者なら誰でも良いというわけじゃない。むしろ、その才能を見込まれて、是非にと望まれて婿に貰われてくるんじゃ」


 男は峰一郎を見やります。峰一郎は相変わらす、挑むような目付きで睨み返しています。


「もし跡取り息子がおったとしても、それがただのぼんくらじゃったら、それよりも娘に才能のある婿をもらって家を継がすんじゃ。それが地主じゃ」


 睨んだままの峰一郎を見て、男はニヤリとします。


(向こう気の強い坊主じゃ、……しかし、)


「なんでそうするか? 峰一郎、分かるか? 」


 それは峰一郎には考えたこともなかったことでした。娘しかおらんから婿を取る、それを当たり前に思っていただけですから、答えることもできません。


(素直に悩んじょる、可愛い坊主じゃ……)


 男は峰一郎の様子を楽しみつつ話を続けます。


「地主はな、自分の家を守りさえすれば良いというもんじゃない。地主の家には使用人もおるし、小作人もおる。自分だけでなく、たくさんの家族とたくさんの人たちを養い守っていかなきゃならん責任がある」


 峰一郎の表情が少し変わってきました。


「じゃから、いくら自分の息子が可愛くても、それがぼんくらじゃったら、よその家の才能のある者を婿に迎えるんじゃ」


 いつしか、峰一郎はその男の話しを頷いて聞いていました。


「地主は、自分のためじゃなく、使用人や小作人の生活を守るために、苗字をもらい、位階をもらい、帯刀を許され、そうして家の格を上げることに頑張ってきた。それが、入り婿に入った家の先祖への孝行にもなる」


 令和の時代では当たり前になっている恋愛結婚の時代感覚からは、考えもつかないような結婚観です。しかし、当時はそれが当たり前の時代でした。


 結婚が個人同士のものではないのは当たり前、それどころか、家同士のものというわけでもなく、地主においてはそのコミュニティに住む人々のためのものでありました。


 だからこそ、地主はそこに暮らす人々からの信頼を克ち得ているのです。


「峰一郎、お前の言う通り、地主というのは住人みんなのために働かねばならない立派な人たちじゃ。しかし、なんで地主だけがそんなに働かねばならないのか? 峰一郎は、まだ考えたことはないだろう? 」


「……」


 峰一郎は答えませんでした。いえ、答えられなかったのです。その男の言う通り、考えたこともなく、父や祖父、叔父の苦労や考えも知らず、好き勝手に動いて、もう一人前になったような気になっていたのです。


 峰一郎は、急に自分が情けなく小さな存在に感じ始めました。村のために役にたっていると、知らず知らず思い上がっていたことが、恥ずかしくなってしまいました。


「お前がしおらしくなることはない。知らんであたりまえだ。……しかし、現実に地主は本当に忙しい。川普請もしなけりゃいかんし、道普請もするから、測量もしなきゃいかん」


 峰一郎は、父や叔父の日常を思い浮かべつつ、何度も頷きます。


「百姓には水争いや土地争いは付きもんじゃ、訴訟のために訴状も書かにゃならんし、測量だけじゃなく絵図面も引かにゃならん。収穫や測量には算盤もできなきゃいかん」


 実際、久右衛門は、水源地の玉虫沼の管理責任者として、用水路の設計や工事をいつもしています。


「役所がせんから自分で人別帳も作らんといかんし、悪い奴が入り込まんように見回りも夜回りもする。火事が出たら火消もやれば、人が死んだら届け出も葬式も……、全部が地主の差配じゃ」


 地主の仕事は多岐にわたります。現代風に言えば、生活に密接する市役所の住民課・福祉課の業務に、建築業・土木業・設計事務所の仕事から訴訟・警察・消防・冠婚葬祭など、その仕事には果てがありません。


 個人の能力としても、本来の農業の技術のみならず、文書能力以外に測量・計算・作図など、まさに超人的能力を兼ね備えて八面六臂の活躍をしなければならない、それが地主なのです。


 **********


 自らは耕作せず、もっぱら小作人の生産を生活の糧とする地主を『寄生地主』と言い、その発生は江戸時代から見られました。しかし、それがより広まったのは明治以降で、自由民権運動の展開に伴い地主が政治活動に参画し、また、地方議員や国会議員など専門職化して、自らはまったく耕作をせずに、土地からの収穫のみを得る『寄生地主』が多く生まれてきます。


 地主の政治色が強くなるとともに、地元を離れ都市部に居を構える地主が多くなります。また、必ずしも政治とは関係がなくとも、全国で都市化が進み、生活が豊かになるにつれ、その利便性から都市部に移る地主も増えていきます。こうして、時代の変遷とともに、自らが寄って立つところの土地に住居を持たない『不在地主』が多くなってきます。


 こうして、明治初期に残っていた統治システム末端に連なる小作人との家族的連帯に基づいていた地主制度は、時代が進むにつれて、一方的な収奪システムのみが機能する搾取的な地主制度に変わっていき、階級闘争の典型例として左翼活動家の攻撃目標となっていきました。現代の学校教科書での扱いも後者のようになっています。


 しかし、江戸時代から明治初期にかけて存在していた多くの地主は、決して『寄生』でも『不在』でもなく、住民の利益代表として住民を必死に守ってきた真の『地元の名士』なのでした。


 自由民権運動の初期、士族民権運動と言われたものが、明治10年前後から『豪農民権』と呼ばれるものに変容していった背景には、一連の士族反乱鎮圧に伴う士族の没落と共に、そのような地主の社会的役割と性質がありました。


 現代からそれを類推するのは非常に困難なことでありますが、明治初期の地主制度と昭和初期の地主制度は、同じ『地主』という言葉を用いながらも、両者はまったくの別物と言ってよい存在でした。


 峰一郎は、今まで考えもしてこなかった『地主』というものの意味とその存在する意義を、その謎の男の言葉によって、初めて気づかされたのでした。


 **********


(おわりに)


 謎の男は峰一郎に封書の束を手渡します。しかし、その男は峰一郎のことをよく知っているようで、自分から峰一郎に語りかけてきます。いかに地主という者の勤めが大変であるか、そして、それがいかに不条理なものであるかを、峰一郎に教え聞かせます。始めは警戒しつつ反発しながら聞いていた峰一郎も、いつしかその男の話す言葉に頷いているのでした。そして、峰一郎は今まで自分が考えもしなかったことを次々に突き付けられて愕然としてしまいます。

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