第36話 留守の逆襲(改)
(これまでのあらすじ……)
安達峰一郎は東村山郡役所へ行った先の天童村で、佐藤伊之吉や娘の梅に会い強い印象を受けます。高楯村総代の安達久右衛門も水面下での運動をいよいよ開始し、天童村の伊之吉への使いに行った峰一郎も、無事に連絡使としての役目を果たします。一方、関山新道開削負担金が思うように集まらない状況に、東村山郡役所では五條為栄郡長の苛立ちが次第につのってきます。しかし、実質的な郡トップたる留守永秀郡書記は、冷静に情報を分析し、住民たちの反逆を推断します。
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明治13年9月23日、負担金の上納期限まで2日を残すのみのこの日、東村山郡役所は焦りと憂色に包まれていました。
そのような中、会議室では、状況報告を受けた留守永秀(るす・ながひで)が郡庁の実質的首脳部たる上級書記の面々を前に語り始めます。
「……それどころか住民が裏で何か不逞の画策をしているのは、もはや明白だ。平穏過ぎるというのが、それこそ異常だと思わんか? 」
留守の問いかけに、書記たちはお互いに顔を見合せます。
「今はもう9月も下旬、田畑は収穫の時期だ。どの村も総出で猫の手も借りたい時期の筈だ。小作人家族だけに勝手にやらせて、地主の指示も差配のひとつもないというのか? 」
書記たちは留守の言葉にもっともだと頷きます。
「それに、刈り入れが済んだら村の秋祭りだ。祭りの相談や準備の集まりもないのは、あまりに不自然ではないか? 百姓どもは集まりにかこつけて、地主の家で酒を振る舞われるのを楽しみにしているものだ、何もないのはもはや異常という他はない」
書記たちは大きく頷きます。
「よしんば、本当に寄合いがないとしよう。ならば、触れ書きのひとつ、回覧板の1枚もないというのはどうしてか? 道具の融通から米一粒の分配まで、諸事に細かい百姓にはすべてが揉め事の種だ。……これは異常どころの話しではない」
留守の分析と判断が的を射ているのは明らかです。書記たちも納得の体で聞き入っています。
既に内偵の時期は終わったと書記全員が理解し始めていました。後はどのような行動を起こすべきか、留守の命令を待つのみです。
そして、いよいよその時期が来たことを感じた留守は、やにわに椅子から立ち上がると、まず和田徹(わだ・とおる)次席書記に指示を出します。
「和田くん、もう一度、天童(てんどう)分署の署長と話し合い、巡邏と監視の強化徹底につき、最初から相談をやり直したまえ。戸長、委員の家は夜中も監視して、出入りした者は細大漏らさず報告するのだ」
「はい! 」
留守の指示は監視だけにとどまりませんでした。
「そして、天童の分署から、そのまま県庁に行ってくれ、鬼塚警部に面会して状況を報告し協力を仰ぐように。ことを荒立てたくはないが仕方あるまい。最悪の状況を考えて対処方策についても意見を聞いてくるのだ。なお、一揆や暴動に備えた人員配備の要請も内々にお願いせねばなるまい」
「はい! 」
弾かれたように和田が返事をします。
次いで、留守は拜郷直(はいごう・なおし)書記に顔を向けます。
「拜郷くん、住民の不服従は明らかだ、よって君は督促の通達文書を今から作成しておいてくれ。次の戸長会議なぞ待ってはおれん。全村の枚数分の作成を上納期限の翌日、26日にはすぐに発出できるよう頼む」
「はっ! ……ですが、25日中に全村宛の文書を仕上げるとなると、筆生だけでは間に合わないかもしれません。作業には地元書記を使ってもよろしいでしょうか? 」
筆生とは文書作成を専門とする下級職員のことです。その拜郷の問いかけに、一瞬だけ考えるような素振りを見せた留守ですが、すぐに即答します。
「ふむ……いや、いかん。地元書記に任せて、どこから漏れるかもしれん。……必要なら、まず、我々だけでやるのだ。……柴くん、拜郷くんと協力してやってくれたまえ」
「はっ! 」
柴恒玄(しば・こうげん)書記も弾かれるがごとく返答します。
拜郷の言う地元書記とは、天童織田藩などを出身母体としている下級士族のことを指します。拜郷自身も山形県士族であり、他に小松英休(こまつ・ひでやす)郡書記も山形県士族でありますが、彼らは士族の中でも上士階級でした。そして、土木事業担当の郡書記である柴恒玄は福島県士族でありましたが、県庁の中はもちろん、各郡郡役所においても、特に責任ある地位にある者はほとんどが西国出身の士族であり、東村山郡役所の実質的トップにある留守永秀は九州の長崎県士族でした。
先日、高楯村に行った下級郡書記の渡辺吉雄も士族階級ではありますが、養子縁組で士族となる前は地元の百姓に過ぎません。まして彼は山野辺村戸長の渡辺庄右衛門の縁類でもあり、下手に郡役所の方針を知らせることで、どこから情報が洩れるか分かったものではありませんから、留守の不安も杞憂ではありません。
そして、拜郷郡書記が心配する通り、全村への通達といっても簡単ではありません。東村山郡内にはおよそ百の村々があります。長崎(ながさき)地区の村がすべて上納金を納めても、長崎地区だけでは全体の1割にも足りません。
東村山郡発足時点での集落構成は1町97村で、ほぼ現在の天童市・山辺町・中山町のエリアに相当します。1町というは旧天童城郭内の田鶴町を指します。
コピー機械はもちろん、ガリ版刷りもまだない当時、すべては手書き手作業です。およそ百件ほどもある郡通達公式文書ですから、1人2人の筆生で簡単に出来るものではありません。すぐに準備に入っても26日に通達するのにギリギリなのです。
ちなみに、ガリ版は発明王エジソンが明治初期に既にアメリカで発明していました。しかし、それが日本に入ってきたのは日清戦争終結後の明治20年代末のことでした。明治13年と言えば、公文書もまだまだ手書きで書いていた時代のことです。
「そうだな……下級書記には、郡役所に寝泊まりと炊き出しができるような準備でもさせておくように、上納金の収公が済むまでは泊まり込みの覚悟をしろとでも言っておけ。……職員たちには言わんでも良いが、場合によっては巡査の常駐もあるかも知れんから、多めにな」
留守は万一の場合には郡役所に全員が泊まり込みになる場合も想定していました。一揆ともなれば、襲撃対象になるのは郡役所が一番の目標です。最悪の場合、郡役所に全員が籠城せねばなりません。
次いで、留守は津田端(つだ・はじめ)書記に顔を向けます。
「あとは、津田くん、君は明日の朝イチで、地元郡書記に指示して、各々の地元戸長に口頭での督促使者として出させるのだ。寝泊まりの準備に全員はいるまいから、振り分けは任せる。どうせ上納金は無理だろうが、相手の反応を確かめられれば良い」
留守は肝心なところは下級書記に任せるつもりなぞ、はなからないようです。
「そして、天童村の佐藤戸長には君自身が行って、特に戸長の息子の様子を探れ。あの男は不届きにも県を訴えた前歴がある、些細な動きも見逃すな。特に鍬や鋤など、武器になりそうな物騒なものを集めていないかも注意しろ」
「と言いますと、佐藤戸長の息子というのは……? 」
津田の疑問の後を受けて留守が補足します。
「そうだ。跡取り息子の方ではない。昔の日野屋の屋敷とかに住んでいる舎弟の方だ。確か、伊之吉とか言ったな。親父は、地主の仕事は惣領任せで、伊之吉の家にもよくいるようだから、構わん、直接、伊之吉の屋敷に行けば良かろう」
「はっ! かしこまりました」
津田は得たりとばかりに反応します。
佐藤戸長の息子とは佐藤伊之吉(さとう・いのきち)のことです。彼は昨年も訴訟騒ぎを起こしていますし、県外の民権活動家と接触している節も窺えましたから、郡にとっても最重要注意人物です。
次に、留守は視線を小松英休(こまつ・ひでやす)書記に転じます。
「小松くんは、明日、山野辺(やまのべ)地区に行き、高楯(たかだて)村の総代へ督促の使者に赴き、探りを入れてくれ。時間が許せば山野辺村の戸長にも探りを入れてくるのだ」
「はっ!……しかし、留守書記、山野辺村ではなく、先に高楯村ですか?」
そこで留守はやや言いよどみます。
「うむ、……特に根拠があるわけではないのだが、……なんとなく気になってな」
表立ってはいませんが、小鶴沢川(こづるざわがわ)での騒動も高楯村でのことでした。留守としては不思議と気になるのです。
「確か高楯村総代の家の隣に連合会の委員もいたように思う。同じ姓だから近しい身内かもしれん。念のため頭に入れておくといい。それに高楯の総代は山野辺村戸長の縁者だった筈だ」
「はっ! 」
山野辺村戸長の渡辺庄右衛門は、安達久右衛門からすれば直系の祖父にあたります。そして久右衛門の家の隣にいる委員とは、連合会委員を務めた安達久が住んでいました。言わずもがな、峰一郎の父です。すなわち、根拠も確証もないものの、小鶴沢川の事件も含めて山野辺地区のすべてのことが、高楯村総代の安達久右衛門に収斂しているように留守には感じられたのです。
ともあれ、以上の如く、矢継ぎ早に留守の指示が飛びました。そして、各書記は弾けたように準備に取りかかります。
(うむ……まずは、明日の内に考えられるだけの手を打たねば、それに、鬼塚警部宛にわたしからも一筆書いて和田くんに持たせた方が良かろうな。……そうだ! わたしとしたことが! )
和田を県庁に派遣することを反芻する中、留守はふと思い出したことがありました。
「和田くん、もう1ヶ所、使いを頼む。南村山郡役所に行って郡長に面会し、南郡の様子を確認してきてくれ。楯岡での連合会では東と南の委員たちは共同歩調を取っていたから、南でも何らかの動きがあるかもしれん」
「はっ! 」
連合会で、共同採択に反発して別の建議書の作成に携わった件では、東郡がそれを主導していたのは間違いありません。しかし、その東郡の動きに賛同して、建議書提出には南郡も加わっていたのでした。その陰で連合会委員の安達久は、北西村山郡委員の連合に対して、東南村山郡委員での連合をもって対抗すべく多数派工作を実施したのでした。
南村山郡の郡長は元肥後藩士の村上楯朝(むらかみ・たてとも)、彼もまた三島県令の側近の1人で、県庁造営での住民からの苛烈な収奪はまだ記憶に新しいところです。住民の潜在的な憎悪と反発は根深いものがあります。
留守としては、県との連携はもちろん、警察署・南郡役所との三者での協力が不可欠であろうと思われたのでした。
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最後に、留守は更に全員に声をかけました。椅子から立ちあがり準備に入ろうとした書記たちでしたが、留守の言葉に、改めてその場に直立します。
「皆々、明日からはここに籠城する意気込みで出勤してくれ。万一の場合は、ここが我々の居城だ。むざむざ、城を明け渡すようなことはせん! ……しかし、心配することはない。その場合には完全武装の巡査隊百余名がすぐに駆けつける」
天童分署員総数を超える百余名というのは留守のふかし過ぎですが、静かながら落ち着いた安心感のある声で、留守の言葉が全員の耳に届きます。
「よいか、これからは住民の好き勝手にはさせん。我々は国家百年の大計に従い、この山形の未来のために動いておるのだ。些末な情に流されず、恐れず、揺るがず、自信をもって自らの職務に精励せよ! 」
「ははっ! 」
彼らもまた、恣意的に動いているわけではありませんでした。むしろ、自分たちこそがこの地域の発展のために寄与していることを、彼ら自身、疑いもしていませんでした。
強烈な使命感と、未来の公共の利益を建前とする一方的な善意は、住民にとって傍迷惑なだけだったかもしれません。しかし、それが真正面からぶつかり合った時、その過程には悲しい悲劇が連続して発生していくのです。
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(おわりに)
関山新道開削工事負担金の上納期限が目前となっている現状を分析した郡書記筆頭の留守永秀は、住民たちの不服従と反逆を確信します。そして、これに対抗するため、郡書記上層部に次々と矢継ぎ早に指令を発します。まず、警察との協力のもとに巡邏と監視の強化徹底、県庁への報告と山形の警察本署への協力要請、郡内への督促通達文書の速やかなる作成、そして、郡役所24時間体制の準備でした。更に、留守は、天童の佐藤家と高楯村総代の安達家への内偵をも命じるのでした。
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