第34話 密使(改2)

(これまでのあらすじ……)


 高楯村総代の安達久右衛門は東村山郡役所で天童村の佐藤伊之吉と出会い、伊之吉の家で天童地区の人々たちと法廷闘争につき話し合いがされました。この時、久右衛門から連れられて来た安達峰一郎は伊之吉宅で娘の梅に出会い、強い印象を受けました。9月となり表向きは平穏ですが、東村山郡役所の実質的トップである留守永秀郡書記は、部下に郡内の監視強化を命じます。一方の久右衛門も水面下での運動を開始し、峰一郎を始めとする少年たちにも村のための働き場を与えられたのでした。


 **********


  高楯村総代の安達久右衛門からの重大な使命を帯びた少年たちは、託された任務の重さからくる緊張感と、一人前の村の男として認められた誇りをないまぜにした、不思議な高揚感に包まれていました。


 すると、その時、久右衛門の話しが終わったことを見計らったかのように、仏間の襖を外側から引き開ける者がいました。それは、久右衛門の母・志ゑ(しえ)でした。


「母様、いかがしたっけっす? 」


 久右衛門から声を掛けられた志ゑは、その皺の目立ち始めた目尻でにっこりと優しい微笑みを少年たちに向けます。


「峰一郎たちが林助殿のためさ働いでけるっていうんだべ。このばばがらも、せめてのはなむけの言葉でお礼ばすっだいど思ての」


 そう言って仏間の戸口に入って来た志ゑは三人の可愛らしくも逞しく凛々しい少年たちの顔を見渡します。林助とは久右衛門を襲名する前の幼名です。


 久右衛門が頭の上がらない数少ない者の一人が、この志ゑです。志ゑは父親の顔を知りません。まだ母親のお腹の中にいる内に、父である先々代の13代久右衛門・吉五郎は、文化11(1814)年、19歳の若さで病死しました。更にその5年後の文政2(1819)年には舅の12代久右衛門・久兵衛も59歳で亡くなり、安達家には51歳の姑と25歳の若い嫁、5歳の女児の女三人のみが残され、高楯村の名主職も別の家に引き継がれました。


 残された妻の里う(りう)は、まだ若いこともあり、大寺村で地主をつとめる実家の渡辺家に戻ることもできましたが、生涯、再婚することもなく、一人娘の志ゑを厳しく立派に育て上げました。そして、志ゑに山野辺村の大地主・渡辺庄右衛門の三男・権治郎を14代久右衛門として婿に迎え入れ、立派に安達家を守り通しました。


 安達家の過去帳には里うの個所に但し書きを付け、その偉業を称え残しました。


『里うハ夫吉五郎没後、未亡人タルコト文化十一年ヨリ慶応元年ニ至ル、五十二年ノ間、貞節ヲ守リ甚ダ清ク、其ノ閨中ノ節操、近郡ニ響キ他女ノ模範ナル多シ』


 この記録からは、ただの女傑ではなく、周囲からも再婚を勧められるほどの美しい婦人であったことが偲ばれます。そんな里うから厳しく育てられ、次代の安達家を託された志ゑもまた厳しくも美しい老婦人でありました。


 しかし、その老婦人は、自らの苦労を誇るでもなし、優しい柔和な笑顔で少年たちに語りかけます。


「みなみな、立派な大人になったなっす。どんぞ、林助ば、……いえ、この村の衆みんなのため、頑張ってけらっしゃいな」


 そう言うと、志ゑは一幅の軸物を入れた桐箱を出し、一度、頭の上に両手で掲げて深々と頭を下げました。それと気づいた久右衛門もまた、志ゑと同じように深々と頭を下げます。


「林助や、これば……」


 そう言った志ゑの言葉を受けて、それと察した久右衛門がその桐箱を受け取ります。そして、蓋を開けて中から一幅の掛け軸を取り出し、床の間の脇に収納してある軸掛けを取り出して掛け軸の紐に引っ掛け、その掛け軸を床の間に飾ります。


 そこには一人の人物像が描かれていました。でも、不思議なことにその絵の筆致はどうみても日本風の人物ではないように見えます。衣冠束帯風の全身姿が描かれていますが、どう見ても日本的な感じはしません。強いて言うならば大陸的な雰囲気のする人物画でした。


「峰一郎は、これば知ってだべ」


 志ゑから優しく言葉を掛けられた峰一郎は答えます。


「毎年、正月の時に掛げっだ掛け軸だよねっす? 」


 その言葉に満足した志ゑは、またにっこりと優しく微笑んで言葉を続けます。


「んだ、これだば水戸の御殿様から拝領した安達家の家宝の掛け軸だ」


 その掛け軸は中国の明王朝時代の作と思われる「唐渡り天神」と呼び伝わる絵でした。それは、水戸徳川家の初代・徳川頼房(とくがわ・よりふさ)公、もしくは二代・徳川光圀(とくがわ・みつくに)公から下賜されたものと伝わる安達家の家宝の掛け軸でした。


 ちなみに、安達久右衛門家と水戸徳川家との直接的な繋がりはありません。話は、江戸時代初期の最上家改易の際に遡ります。この最上家の災厄の時、最上義光(もがみ・よしあき)公の四男で、当時、山野辺城主であった山野辺義忠(やまのべ・よしただ)公の家老として召し抱えられていた安達勝兵衛(あだち・しょうべえ)が、安達久右衛門本家から分家した弟でした。


 元和8(1622)年に起きた最上家の跡目相続争いで改易となった最上家とともに領地を召し上げられた山野辺義忠は、一時、備前岡山藩の池田家に幽閉されましたが、その12年後に水戸藩初代頼房公の招聘を受けて家老として召し抱えられ、現在の日立市にある助川城主となり、初代頼房公・2代光圀公の二代にわたり使えることになりました。


 その際、安達勝兵衛も山野辺義忠公に従い水戸藩入りを果たしています。当時より勝兵衛は出羽に残った安達久右衛門本家と書簡のやり取りを頻繁にしており、その際、入手の経緯は不明ではありますが、その唐渡りの掛け軸が水戸藩主より安達久右衛門に下賜されたもののようでした。


 石川確治(いしかわ・かくじ)や三浦定之助(みうら・さだのすけ)も、分からないながらも身を乗り出して、興味深げにその掛け軸に見入りました。


「ばばからのはなむけは、この掛け軸ば見せるのでね、この箱書きだべ。峰一郎、お前だば読むいが? 」


そう言われて、久右衛門からその桐箱を押しいただいた峰一郎が、その箱を見ます。すると、その箱の蓋には達筆で裏書がしたためてありました。


「こ、心だに……誠の道に……かなへなば……祈らずとも……神や守らん」


峰一郎はたどたどしくながらも、なんとか、それを読むことができました。志ゑはその言葉に満足そうに頷きます。


「んだ、こいがら(これから)お前だは村のみんなのためさ、頑張って働いでけるなだ。誰も、お前だが頑張って働いでけだのば知ゃあねがもすんね。んだげんと、ちゃあんと、神様はお前だの事ばしっかり見ででけっだ。お前だが、村のみんなのため、郡のみんなのため、正すい事ばしったんだがら、必ず、神様はお前だば守てける」


 志ゑは目尻に皺をたたえて目を細めながら、若い三人を眺め渡します。三人とも改めて引き締まったように居住まいを正しました。


『心だに 誠の道にかないなば 祈らずとても 神や守らん』


(自分の思いや心が、真に世の中の正しい道理に沿ったものであるならば、手を合わせて祈りを捧げるような行為を殊更にはしなくても、神仏はその行いを是として、きっとご守護してくださるであろう)


 それは、若干の言い回しの違いはありますが、紛れもない菅原道真公が詠まれたと伝わる有名な和歌でした。


「これが、ばばからのはなむげだ。きっと、神様はお前だの事ば見でけっだ、無理はさんたとも良いげんど、しっかり頑張ってこい」


 そう言いつつ、志ゑはキッと顔を引き締めて、少年たちに鋭い眼差しを向けました。


「おばば様、ありがどさまっす。村のみんなのため、きっと、きっと、総代さんの言いつけば果だしてくるっす」


 峰一郎が両手をついて志ゑに一礼すると、それに合わせたかのように、確治や定之助も、志ゑに向かって手をついて礼をしました。


「気ぃつけて行げよ、無理なすねでな」


 志ゑは、再び優しい笑顔で、この幼き勇者たちを見送るのでした。


 **********


 安達本家のばば様のはなむけを受け、高楯村総代の安達久右衛門の家を走り出た少年たちは、そのまま分家の安達久左衛門(あだち・きゅうざえもん)宅であるところの峰一郎の家の前を突っ切り、天満神社の西側の崖下にやってきました。


 そして、人ひとりがやっと通れるくらいの細い九十九折の崖道を彼らはよじ登り、天満神社の社に登り立ちました。


 峰一郎はいつものように天満神社の北西方向に見える小鳥海(こちょうかい)山の大杉を眺め見つめます。三浦定之助と石川確治も互いに目を合わせニヤリとすると、峰一郎の横に並び、一緒に大杉を眺めました。


 秋にはまだ早い9月半ば、残暑が残るものの、風は爽やかに吹き渡っていきます。晴れ渡った青空を背にした朝日連峰の山並みに、少年たちの新たな壮途を祝い励ますかのように、大杉が雄々しく屹立しています。


「よし、行ぐべが! 」


「うん、行ぐべ! 」


 崖の突端から社に移動した3人は、天満神社の鈴をジャラジャラと鳴らし、高らかに手を叩いてお参りをしました。恐らくは今までにない、神妙に敬虔な思いで手を合わせたことでしょう……。


「峰一郎、とがくまで(遠くまで)行がんなねんだがらて、気ぃつけろな! 」


「おめだも、村さ見だごどない奴、いねが、気ぃつけろな! 」


「おらだは、きっと神様が守てける! ばば様の言う通り、無理はすねで頑張って行ぐべ! 」


「おう! 」


 少年たちは互いを気遣いつつ、しかし、使命を帯びた成人の気負いを胸に、勇ましげに駆け出します。そして、正しい行いをする自分たちには、きっと神仏の御加護・御加被があるとの強い信念を胸に刻み付けるのでした。


 天満神社の北東側にある石段を駆け降りた3人は、東海林寿庵(しょうじ・じゅあん)先生の東子明(とうしめい)塾の前で3方向に別れ駆けていきました。


「行蔵は我に存す! 毀誉は他の言! 行蔵は我に存す! 毀誉は他の言! 」


 峰一郎は寿庵先生から教えてもらった言葉を何度も何度も叫びつつ、東へ向かい駆けていきます。


 自分の信念に従い、村を守るため、総代さんや父を信じ、自分で心に決めた果たすべきおのが使命に邁進するのでした。


**********


 昼前には、峰一郎の姿は天童(てんどう)村のとある民家にありました。


「こんにちは、峰一郎です」


 佐藤伊之吉(さとう・いのきち)の家の戸口に峰一郎は立っていました。


「おお、待ってだ、梅、足桶ば持ってこい! 」


 笑顔で峰一郎を迎えた伊之吉は、梅を呼び足桶を持ってこさせました。


 上がり框に腰をかけた峰一郎のところに、足桶を持った梅が来て、目の前に座ります。梅は峰一郎を見上げてにっこり微笑み、峰一郎も恥ずかしそうに微笑みます。


(あっ! )


 草鞋の紐を外そうと伸ばした峰一郎の手が、同じく伸ばした梅の柔らかい白い手に触れてしまいます。


 思わず峰一郎は赤くなって手を引っ込めて、身体をこわばらせたように固まってしまいました。梅も、ちょっと頬を染めながらも、峰一郎に再びにっこり微笑んで、草鞋の紐を外しました。


 足桶に入れた峰一郎の足を、梅は丹念に洗います。峰一郎はドキドキしながら下を見ると、甲斐甲斐しく自分の足を洗う梅のほっそりした白いうなじが見えました。


(! )


 その途端、再び心臓が早鐘を打つようにドキドキとした峰一郎が、慌てて顔を上げ、視線を壁に向けました。


 しかし、峰一郎は、梅の手から触れられて足を洗われる不思議な心地よさに、いつしか気持ちよく浸っているのでした。


 一方の梅は、この瞬間の峰一郎との時間を楽しむかのように、丹念に丁寧に峰一郎の足を洗い清め、最後に乾いた手拭いでゆっくりと水滴を拭き取っていったのでした。


 僅かな、そして無言のひとときでした。


……でも、そんなささいなことに過ぎませんでしたが、なぜか二人には、それがことのほか嬉しく楽しい時間の共有になっていました。


**********


「峰一郎、ご苦労だっけの」


 伊之吉がそう言うと、峰一郎はおもむろに立ちあがり、着物の帯をほどきました。前合わせがハラリとほどけた着物の奥に、峰一郎の腹に巻いた真っ白な晒(さらし)と真っ白なふんどしが見えました。


 峰一郎は次に晒をほどきます。すると晒の奥から、何やら紙のようなものが見えてきました。峰一郎はそれを取り出し、着物をはだけたまま、それを伊之吉に差し出しました。


「久右衛門のおんつぁまから、預ってぎました」


 伊之吉は待ちかねたように、それを受け取り、真剣な眼差しで、一字一句をむさぼるように読んでいます。


 そして、何度か読み返した後で、その紙を囲炉裏にくべました。わざわざ峰一郎が持ってきたものを、峰一郎の目の前で燃やしてしまうのです。


 しかし、峰一郎は驚きませんでした。久右衛門からの使いはもう三度目ですが、伊之吉はいつもその書状を囲炉裏にくべて燃やします。そこに何が書いてあるのか、伊之吉も久右衛門も教えてはくれませんでした。


「ちぇっと待ってろな。……梅、峰一郎さ、飯、だしてやれ! 」


 そうやって、昼餉を伊之吉の家でいただきながら、伊之吉が書いた文を受けとるのもいつものことでした。


 でも、この日は、伊之吉の細君が不在だったためか、給仕をしてくれたのは梅でした。峰一郎は晒をそのままに、あわてて着物を合わせて、急いで帯を結びます。


**********


 峰一郎は梅が出してくれたご飯と漬け物を、いつにも増して掻き込んでいます。いつもは、もうちょっと落ち着いてゆっくり食べるのに……。峰一郎は自分でも不思議に思いました。


 その隣で、梅が楽しそうに笑みを浮かべて峰一郎の食べるさまを見ています。


「なにか? 」


「え? 」


 峰一郎の問いかけに、梅がきょとんとします。


「俺が食べんの、変だが? 」


「ううん」


「んだて、俺ば見で笑たべ」


「美味そうにいっぱい食べっから、嬉すくて、……お代わり、あるべ」


 無言で峰一郎が差し出したお椀を、梅は笑顔で受け取り、楽しそうにご飯をよそってあげました。


 峰一郎がお代わりしたご飯も平らげて、しばらくすると奥の座敷の間から襖を開けて伊之吉が出てきました。


「腹いっぱい食ったが! ……んだば、まだ久右衛門さんさ、こいづば持てっでけろ。梅、晒ば巻いでやれ! 」


 峰一郎は、予想はしていたものの、その言葉に狼狽してしまいました。


「ひ、ひとりで、するいっす」


「晒な、ひとりでだば、ギリッと巻がんね、梅! 」


「はい」


 昼餉の後片付けをしていた梅が、ぴょんと跳ねるようにやってきました。伊之吉が言ったのですから、もう峰一郎には逆らえません。


 いつもなら、伊之吉の妻が手際よくビシッと巻いてくれますが……。梅の前でふんどし一丁になるのが、こんなに恥ずかしいとは!


 いつも確治や定之助の妹も一緒になって川遊びをしていましたが、なぜ、こんなに恥ずかしくなってしまったのか、峰一郎にもわけが分かりませんでした。


 それどころか、次に言った伊之吉の言葉に峰一郎は心臓が止まりそうな程に驚いてしまいました。


「ついでに、梅、今日は隣の寺津(てらづ)村まで、峰一郎ば送てげ! 」


「は、はい! 」


 思いがけない父の言葉に、梅も驚いたようです。ひときわ大きな返事をした梅は、つい、晒を引っ張る力にも、知らず熱が入ってしまいました。


(ぐ、ぐえ~っ! )


 心臓が止まりそうな程の峰一郎の驚きでしたが、どうやら心臓が止まらずに済んだのは梅のお蔭だったようです。


 驚きと同時に締めつけられた晒の瞬間的な圧力が、峰一郎の心臓を救ってくれたようでした。


 そこに、郡役所を震撼させた小鶴沢(こづるざわ)川の小さな英雄の面影は、微塵もありませんでした。


**********


 峰一郎と梅を送り出した伊之吉は、囲炉裏の円座の上にあぐらをかきました。そして、煙管(きせる)に煙草の葉を詰めると、体をかがめてスパスパと囲炉裏の火で煙草をふかします。


(……峰一郎、梅、おめだみだいな子供さ、危ね橋、渡らせで、われな……)


 伊之吉は煙草を一息に深々と吸うと、長い息をついて煙を吐き出します。


 伊之吉は、なんとはなしに、ふたりが出ていった戸口に目をやりました


(二、三日前から、チョロチョロしった奴だがいるみだいだがらな、気ぃつけで帰れよ……)


 伊之吉は、自分たちの回りに、数日前から見慣れない人影を感じていました。梅を峰一郎に付き添わせたのも、それが幾らかでも隠れ蓑になればとの思いのようです。


 しかし、当の梅は何を勘違いしたのか、とても楽しそうにして出かけて行きました。それがまた伊之吉には不憫でなりません。


 今日は、梅が無事に帰ってくるまで、伊之吉もゆっくりと安心はできそうにありませんでした。


 **********


(おわりに)


 高楯村総代の安達久右衛門の使いとして天童村の佐藤伊之吉宅に行った安達峰一郎は、無事、久右衛門からの書状を伊之吉に渡して役目を果たします。伊之吉の娘の梅も峰一郎の訪問を心から喜び、昼餉の用意をして峰一郎を迎えました。しかし、住民達の運動が水面下で進行している一方で、不気味な影が郡内にも見え始めてくる予感を感じている伊之吉でした。そのため、峰一郎の帰りにあたっては子供たちの遊びを装おおうというのか、娘の梅を峰一郎の見送りに隣村まで遣わしたのでした。

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