第33話 留守郡書記の懸念(改2)

(これまでのあらすじ……)


 関山新道開削が始めからすべて決まっていて、住民賛成の建前のためだけ村山四郡連合会が開催された事実を知って安達峰一郎ら村の少年たちは驚きました。その後、峰一郎は、久右衛門から連れられて行った先の東村山郡役所で天童村の佐藤伊之吉と出会い、伊之吉の家で郡住民全員が法廷闘争を始める話し合いがなされました。伊之吉宅に泊まった峰一郎は、伊之吉の娘の梅に出会います。梅の話しの意味はよく理解できなかった峰一郎でしたが、少女のひたむきな話しには強い印象を受けました。


 **********


 東村山郡役所では、粛々と住民からの負担金徴収を行う事務作業が進行しています。


 安達峰一郎(あだち・みねいちろう)が初めて郡役所に来た7月9日の戸長会議で、四郡連合会の決議書が通達された後、次に行われた8月3日の戸長会議では、東村山郡だけでなく四郡別の負担額明細と徴収方法が郡役所により公開されました。


 この時、他の3郡に比べて突出して高額な東村山郡住民の負担額が正式に公表されましたが、東村山郡内から集まってきた各村戸長は、改めて感じたあきらめと無感動で、静かにその報告を受けとめました。


 郡長の五條為栄(ごじょう・ためしげ)と、留守永秀(るす・ながひで)郡書記以下の郡役所の主だった顔触れは、その戸長たちの様子を見て、状況は順調に推移しているものと受け止めました。もう、支払うしかないと、あきらめてくれたのだろうと……。


 この時、天童(てんどう)村の山形警察署天童分署より巡査5名が郡役所に派遣され、不測の事態に対応すべく待機をしていましたが、出番はまったくありませんでした。平穏な戸長会議の成り行きに郡長以下の職員たちは一様に胸を撫で下ろしました。


 しかし、事実はまったくの逆でした。四郡それぞれの負担額の数字は、各戸長の憤りを誘い、新たな怒りの種を火中に投じることになったのです。


 そして、明くる9月の14日、月例の戸長会議で、負担金は二回払いと決められ、負担金の第1期分について、各戸長が各村民の分を取りまとめて、9月25日までに郡役所に上納することを通達されました。


 僅か10日で支払いをするようにとのあまりに無茶な命令です。しかし、住民自ら望んで寄付をするからには、当然、既に用意している筈との勝手な判断理由でしょう。


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 9月の定例戸長会議が終了し、郡書記のお歴々も、講堂から書記の執務部屋に戻ってきました。各書記たちは実際の集金業務に当たる準備で忙しくなります。


 しかし、ひとり憮然として黙考している人物がおりました。


「留守書記、分署の巡査を戻してもよろしいですか?」


 講堂での戸長会議から戻った留守に、次席の和田徹(わだ・とおる)書記が尋ねます。


「ん?……あぁ、よかろう……」


 留守は何か考え事でもしているのか、生返事でこたえていました。しかも、何か近寄りがたい雰囲気をまとって……。


 その留守の様子を見かねて、思いきって和田が尋ねます。


「留守書記、いかがいたしましたか?何か御思案の御様子ですが……」


 留守は机に両肘をついて手のひらを組み、その組んだ拳に顔を当てて、しばし無言の後、その姿勢のまま和田に視線を向けました。


 そして、おもむろに顔をあげると和田に顔を向けて話します。


「どうも、おもしろくない」


「?」


 留守の言葉が何を意図しているのか、和田は計りかねる様子です。


「6月の連合会で東村山郡委員が出したという建議書だが、……後で柴くんから聞いた話しでは、それぞれの郡の道路を、それぞれの郡が負担して行いたいと、……あの時、確か君も同席して聞いていたよね」


「はい、その建議書の通りにしてしまいますと、根本的に郡毎の徴収金額がまるで変わってしまいます」


 留守は和田のその返事に頷きます。柴とは、連合会に担当官として出席していた土木担当郡書記の柴恒玄(しば・こうげん)です。


「そうだ、下手したら北村山郡だけで2万円も集めなければならなくなる。万が一、そんな事態にでもなれば、徴収が破綻し、工事そのものが不可能になる。……いや、確実に以後の郡政にまで影響をきたしてしまうだろう」


 東村山郡委員の建議の通りに郡域負担制とすれば、もっとも路線が長く、大部分が山間部の難工事を予想される北村山郡が工事費のほぼ半分以上、現在の約4億円に相当する金額を負担しなければなりません。


 小作農など、一般庶民の所得水準を考えれは、感覚的には4億円どころか、50~60億円ほどの金額にも感じられるかもしれません。


 たかだか約5万程度の郡の総人口で、自分の年収の2倍~3倍もの負担を求められたら……それは、為政者としては自からの無能をさらすような事態です。


 まして、小作農などの庶民としては、暴動の有無に関わらず、結果的な「死」しか選択肢がありません。


「それほどまでに反対していた奴らが、おとなしすぎるとは思わんかね?」


 留守が自然な疑問を和田に問いかけました。


「殊勝にも、抵抗する無駄をさとった……とでも思われますか?」


 和田自身ですら思ってもいないであろう皮肉な返しに、留守は吐き捨てるように、しかし、小声で答えます。


「バカな。郡長閣下でもあるまいに」


 和田は、留守が引合いに出した郡長の様子を踏まえて答えます。


「郡長閣下は、本気でそのように思っておいででございますが?」


 わざとらしく微かな笑みを浮かべる和田に対し、留守は、その無意味な掛け合いの終了を示すがごとく、そっぽを向いて断言しました。


「郡長閣下がどうあれ、我々がそのような能天気な判断で郡政をつかさどるわけにはいかん」


 制度的な不備は留守も感じていました。このような大規模事業を一地方だけで賄う不合理なぞ、現場で実務に当たる留守が一番よく理解していました。


 国税・地方税を含めた租税体系の根本的な見直し、事業規模による国と県・郡・町村の線引と負担割合など、必要な施策は山ほどあります。


 細分化された小領主モザイク構造から広域行政単位への統一がはかられた以上、いつまでも近世的な住民の持ち出しに頼るのは不合理極まりないことです。


 それは留守も感じているところです。しかし、今の留守はそれを諮る立場にはありません。優秀な行政官として、与えられた任務を果たす。それが、組織であり、歯車は自らの思惑で持ち場を越えることはなりません。


「では、引き続き監視を……」


 和田は、それまでと打って変わって、顔を引き締めて尋ねました。


「うむ、戸長らは自分から表立ってはなかなか動けんだろう……、だからこそ、楯岡(たておか)村の連合会に出た委員らの動きには特に注意するように。もちろん、戸長の家に出入りする輩にも注意しろ」


「承知いたしました。さっそくに地元出の役人から聞き取りして、委員20人全員の簡単な人相書を用意しましょう。なお、内偵には天童(てんどう)分署の御協力も仰がねば手が足りませんが」


 打てば響くように和田の返事が返ります。


「当然だろうな、そのつもりで山形署の鬼塚(おにづか)警部からは既に了解を得ている。君は常に分署長と連絡を密接にして、君が情報を集約し、必要な人員を君の判断で適宜割いて構わん。私には事後報告で良い」


 留守は今までにない緊張感と高揚感を感じて和田に指示を下しました。留守は漠然とした不確定要素にさえ、それが必要と感じたならば、最低限の処置を施すことを怠りはしないプロの行政官なのです。


 **********


 戸長会議から数日後、高楯(たかだて)村では、朝早くから峰一郎たちが戸長の安達久右衛門(あだち・きゅうえもん)の家に呼ばれました。


 久右衛門は、屋敷のほぼ真ん中にある仏間に少年たちを通し、自らは香炉に線香を立てて安達家累代の過去帳位牌をお祀りしている仏壇の前で居住まいを正します。そして、深々と累代の先祖の霊に額ずきました。その後ろに並ぶ少年たちも、思わず釣られるように頭を下げます。


 しばらくの後、頭を上げた久右衛門は、仏壇の正面から座を外し、ご先祖様の霊に足を向けないようにやや仏壇からずらした形で、ゆっくりと少年たちに振り返ります。そして、ひとりひとりの顔をゆっくりと見回すと、静かに声をかけました。


「おめぇだには済まねが、頼まっでけっか」


「はい!」


 久右衛門の頼みに、安達峰一郎、三浦定之助(みうら・さだのすけ)、石川確治(いしかわ・かくじ)の三人が、声を揃えて元気に返事をします。


「峰一郎、おめには、まだ天童さ使いば頼む」


「はい!」


 峰一郎は、あの戸長会議の後、既に2回、天童に使いをしています。今日も、使いの文は、定之助や確治が来る前に晒(さらし)に巻いていました。


「定之助ど確治さは、手分けして、こいづば全部の家さ回覧してきてけろ。ほして、よそさ置いで来ねで、必ずこさ戻すぐな」


「はい!」


 当時の高楯村は約80戸、人口約450人でした。由来として、織田家天童藩領と幕府旗本の高力(こうりき)領に分かれていますので、二人で手分けするには手頃な件数です。


 しかし、久右衛門は今までの回覧板での伝達方式に工夫を加え、今回はわざわざ一軒一軒に使いを回らせて回覧板を届ける方法を取りました。その回覧版で住民運動についての情報共有と行動指針の確認を行うのです。しかも、回覧したものは必ず一家の主人にその場で確認してもらい、回覧板そのものは持ち帰るように厳命したのです。


 それというのも、いよいよ郡役所が集金日限を区切ってきたからです。決行間近であればこそ、今まで以上の慎重さが求められます。


 この3ヶ月間、安達久右衛門や佐藤伊之吉(さとう・いのきち)を始めとする各戸長たちは水面下で様々に準備を重ねて来ました。それぞれの村人たちを回り、説得を重ね賛同と協力を求めて動いてきました。


 策は密なるを要します。しかし、東村山郡の住民約1万2千戸、約7万人が意思を統一して隠密裡に謀議を進めるのは並大抵のことではありません。ここまで来れたのが奇跡でした。


 しかし、9月25日と第1期納付分の期限が明確になった以上、そこから対決姿勢は鮮明となります。


 そうなると予想されるのは官からの妨害です。まずは監視が一段と強化されるのは自明の理です。戸長だけでなく、峰一郎の父で連合会委員だった安達久(あだち・ひさし)はもちろん、村の男衆が表立って動くのははばかられます。


「おめださ、こだな事ば頼んで、ほんてんわれど思うげんど、どうが、よろすぐ頼む」


 そう言って、戸長の久右衛門は少年たちに頭を下げました。3人は戸長のその姿勢に、自分たちが重大な使命を託されていることを実感し、不思議な緊張感に包まれるのでした。


 **********


(おわりに)


 村山四郡連合会決議を受けた戸長会議も、開催を重ねて9月となりました。連合会決議通りに沿った順調な推移に、東村山郡の村々の表向きの様子は平穏でしたが、東村山郡役所の実質的なトップを預かる留守永秀郡書記は、どうにも釈然としません。漠然とした不穏さ感じている留守は、和田郡書記以下の部下たちに更なる郡内の監視強化を命じます。同じころ、安達久右衛門も水面下での運動を開始します。いよいよ峰一郎を始めとする村の少年たちにも、村のための働き場を与えられたのです。

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