夜空の下で、笛の音に誘われて、とてもロマンティックな二人の出会いですね。
翌朝の父親のデリカシーのない問いかけも含めて、何だか幻想的でした。
友達がいなくなるというのは身売りなんでしょうか?
寒冷地の農村では良くあった話のようですが、現代とは隔絶した感があります。それだけ人々の日々の努力が積み重なったおかげなのでしょうね。
作者からの返信
桁くとんさん、いつも応援ありがとうございます。コメントいただき嬉しいです。
東北の農村部では、テレビドラマの『おしん』にありますように、娘の身売りもしくは奉公が、当たり前に生きる術の選択肢のひとつでした。
そういう先人たちの苦労や悲しみが、路傍に無数にあるお地蔵様に表されているのかもしれません。
ちなみに、この回は清十郎も個人的に思い入れのある大好きな回です。峰一郎にそんな甘酸っぱいエピソードを付けたくて、清十郎のワガママで付けた回です。でも、この後、清十郎が思っていた以上に梅との話が膨らんでしまいました。どうぞ、お楽しみに。
友達がいなくなる。それが必然って怖いですよね。
男の子と女の子の違いがあるので、何とも言えませんが。叶うなら、人身売買なんて無い世の中になって欲しいです。
私も子供ができて分かったのですが、売られる子供も大変ですが、売った親のダメージも半端ないですよね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
東北は古来より貧困飢餓との戦いでした。現在でも、本州ではダントツの平均所得の低さを誇っています。維新での賊軍だったために土地が没収され、西日本は9割が民有林なのに、東北では入会地が全部取り上げられた結果、9割が国有林となっています。
おしんの物語は決して昔話しではなく、祖母の代では間違いなく現実の危機感があったと思います。
米軍という第三者的な記録にもある金を稼いで故郷に帰ったという事実歪曲の従軍慰安婦問題ではなく、東北の農村では、ついちょっと前にあった現実なんですよね。
女の子との甘ずっぱいエピソード!
やっぱりお上手ですね!!!
作者からの返信
ありがとうございます。そういうの、好きなんです。
でも、女の子の気持ちがよく分からないから、男目線になりがちで、今更ながら猛勉強中です。