応援コメント

第12話 郡書記留守永秀(改)」への応援コメント

  • わたしは公務員ですが、県民をして「愚民ども」とか「無知蒙昧の者ども」とか、なかなか思えないですね。

    まして、「わたしの行為のひとつひとつが県政そのものなのである」とは、とても言えません。留守という人の意識は、現代公務員の感覚とは隔絶していそうです。

    一般に明治の役人というのはこんな感じなのでしょうか。そういう意識はどこからやってきたのでしょう。

    作者からの返信

    ありがとうございます。明治の官僚は現代の公務員とはまったく別物ですね。公僕、公共サービスの意識はまったくなかったのが、資料や日記からも見てとれます。むしろ、自分たちが日本を支え、日本を一等国にするという圧倒的自信と自負が素晴らしく、それだけに国民を教導しようという強い責任感も感じます。

    当時の官僚といえば戊辰の勝ち組を中心とした士族がほとんどですから、まだまだ四民平等は掛声だけの頃で、百姓町人とは一線を画していたでしょうね。人間、性根は十年くらいじゃなかなか変われませんから。

    現代の公務員の皆さんを誹謗するつもりはありませんが、内容的にイメージを盛ったことは間違いありませんので、不快に思われたら申し訳ありませんでした。全国の公務員の皆様、失礼いたしました。m(_ _)m

  • ううーむ…建議書……
    複雑な気分であります。
    こうやって、小さな声は押しつぶされていくんでしょうか。

    だが、それを書くことに意義がある!
    そうでしょう?

    作者からの返信

    ありがとうございます。東村山郡から独自の建議書が出されたという証言は確かにあるのですが、それがどういう内容だったのか、また、どのように取り扱われたのか、どこにも記録は残っていません。山形県庁の古資料の奥の院に封印されたままの可能性もありますが、とりあえずこの作品では、郡役人により焼却処分にされて跡形もなくしてしまったことにしました。その方が官憲の横暴っぽくなりますので。

  •  これを読むと、役人の横暴、農民の艱難辛苦に非難、同情の声を上げるのは簡単なことではありますが、その血肉と涙の末に我々の豊かさがあることを思うと、我々がなすべきことは感謝の気持ちをもつこと。これに尽きるように思います。

    作者からの返信

    ありがとうございます。まさしく、おっしゃる通りですよね。明治の先人が、様々な立場であっても、血や汗を流して後世に伝えてくれたことに、私たちは感謝しなければならないと感じました。