読んでビックリしました。
官吏や警察のそんな横暴が罷り通っていた時代だったんですね。
自由民権運動は起こるべくして起きたと思います。
現代では有り得べからざる獄死という言葉が普通に存在していた時代。
誰もが激しく生きていたのでしょうね。
作者からの返信
ありがとうございます。薩摩長州の天下ですから、やりたい放題、特にこの三島県令は、山形県のあとは福島県と栃木県に行って自由民権運動を大弾圧して、その功績?で警視総監に栄転します。そして、東京でもかなりやっちゃいましたから、なかなかのお人です。でも、その一連の三島の原型は山形県で既にありました。山形人はなんて我慢強いのかなぁ?
三島県令の交通網整備というビジョンはまったく正しい目的でしたが、その方法論は激烈苛烈で、同時代人の怨嗟の的でした。功罪半ば、毀誉褒貶の激しい信念の人ですね。ある意味で、非常に興味のあるキャラクターです。
明朗な熱情型・攻撃型の九州人が、相容れない木訥温和で辛抱型・守備型の東北に来たことから不幸が始まったのかもしれません。
なるほど薩長中心の新政府の役人は傍若無人、ひどいなー。
でも、政治体制が変わり、権力の所在が移り変わる過程では、古今東西ふつうに見られることなのかもしれません。
作者からの返信
ありがとうございます。体制の交代として、当たり前のことではあるのでしょうね。ひとつ、救いなのは、三島県令の信念は国のための強権行使であり、長州系政治家に見られるような業者との癒着や特権を利用しての収賄といった噂や話しが聞かれないことです。