第11話 郡役所の思惑(改4)

(これまでのあらすじ……)


 安達峰一郎少年が山野辺学校を卒業した後、故郷の高楯村では関山新道問題が湧き起こります。少年たちは純粋無垢な正義感に駆られ、自分たちの村のために立ち上がり、東村山郡役所から村にやってくる役人を追い払ってやろうと決意したのでした。子供たちだけでなく、村の母親たちも関山新道問題の行く末を心配していました。場合によっては娘を奉公に出さねばならない貧しい家庭も出て来るかもしれないからです。そんな中、峰一郎たちは郡の役人を追い払うべく、準備に余念がありません。


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 初代山形県令の三島通庸(みしま・みちつね)は、奥羽の化外の地に文明開化の風を吹き込みました。先にも述べた山形県庁の竣工より遅れての明治12年10月、東村山郡役所が竣工落成しました。これは、山形県庁が一度焼失していますので、令和の時点では山形県最古の明治洋風建築となります。


 東村山郡庁舎は、明治12年11月16日に開庁して業務を開始しました。そして、明治13年3月22日、それまでの東村山郡長であった筒井明俊(つつい・みょうしゅん)が山形県一等属に転任し、後任には元区長を務めていた五條為栄(ごじょう・ためしげ)が新郡長に任じられました。


 筒井前郡長は、まだ未着任の五條郡長に代わり、郡書記・留守永秀(るす・ながひで)に引き継ぎをして県庁舎に向かいました。


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「留守くん、あの郡代表者の……楯岡(たておか)の北郡役所でやったあの会議ですが、……なんと言いましたかね? 」


 明治13年6月、洋風執務室の真ん中、窓を背にした執務机に座った鼻髭と顎髭を生やした洋装姿の小柄な男性が、やや甲高い声で、目の前に立つ部下に話しかけます。彼が五條為栄東村山郡郡長です。


「『村山四郡内数町村連合会』のことでございますね、閣下」


 そう答えたのは、東村山郡役所の庶務担当郡書記・留守永秀(るす・ながひで)でした。こちらも、山形にはまだ珍しい洋装姿です。


 郡役所の主な役人には、他にも郡書記の肩書きを持つ者が全部で13人、更に訓導が2人、これが主だった東村山郡役所の人員構成でした。


 書記はいわゆる事務官で、庶務・会計・租税・土木・衛生・学務勧業など、それぞれが担当を割り振られています。現在の町村役場の課長職に相当するかもしれません。


 訓導は、一般的に学校教諭を指しますので、郡役所の中での教育行政事務を担当したように思われますが、上級郡書記に学務担当が別におりますので、その郡書記の指導下で各地に新設した各学校の育成指導という現場事務を行っていたものと思われます。つまり、実質的な行政業務はこの郡書記たちが担っていました。中でもこの留守は官位12等、郡書記の中でもトップで、実質的に郡役所を切り盛りしていました。


 山形県に来る前の留守は開拓使に奉職しており、薩摩出身の黒田清隆開拓使長官のもとで開拓少主典を勤め、優秀な現場事務官として黒田の目に留まったものでした。


 そして、黒田にとっては同郷の後輩である三島が酒田(さかた)県令として羽前国に赴任する際、三島の請いに応えて黒田から推輓されたひとりが、この留守永秀でした。


 すなわち、この留守は生粋の内務官僚テクノクラートであり、三島県令の意を含まれて郡役所に送り込まれた実質上のトップ、影の郡役所ナンバーワンでした。


「あぁ、そう、それ、……その、なんとか連合会の採択は昨日だったよね? 」


「はっ、昨夕、西川議長および細谷副議長が会議報告と共同採択建議書の提出に参りましたので、いつでも閣下にお目を通していただけるよう、閣下の机の上にご用意しております。ご報告が遅れましたことをお詫び申し上げます」


「あぁ、これね。わたしもうっかりしていました。留守くんはもう内容を確認したのですよね。……郡内への通達はどうするのかな? 」


 初手から内容を確認する気もないような五條郡長は、悪びれもせず留守に確認をします。


 もちろん、既に留守以下の郡書記で昨日の内に内容を精査して、布告事項を別途まとめ終わっています。


「はい、既に本朝来、各書記が担当地区に赴き、内報をしているところです。ただいま正式な公文書を清書しておりますので、明朝にでも閣下より郡長印をいただき、各町村への公式な布告といたします」


「あぁ、そう。それを持って、わたしは、明日には県令閣下に復命に行くんですよね? 」


「はい、郡内住民代表が採択した建議書と、それにもとづく布告書を、県令閣下に奉呈する予定となっております。昼過ぎには県庁に到着できるよう、出立の時間は朝10時としております。なお、お供は不肖留守が務めさせていただきます」


 恭しく留守がそこで立ったままで拝礼しました。


「そう、良かった。君が一緒なら心配はいらないよね。留守くん、じゃあ、万事よしなにね。きっと明日は、県令閣下もさぞかしお喜びでしょう」


「ははっ、かしこまりました」


 留守は、畏まった体で郡長執務室を出て、扉を閉めていきました。


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 同じ頃、高楯(たかだて)村では、安達家本家の安達久右衛門(あだち・きゅうえもん)の家に、峰一郎の父・安達久(あだち・ひさし)と、峰一郎の友人、石川確治(いしかわ・かくじ)の父・石川理兵衛(いしかわ・りへえ)が集まって、なにやら話をしています。


「久さぁ、東郡と南郡の連名で出すた建議書は、郡長さまで届いだべがっす? 」


 石川理兵衛が、村人の一番関心が高いことから、久に話を切り出します。


「郡長は会議さ来てねがら、そごまでは分がんねげどよぉ」


 久の答えを受けて、久右衛門が話を続けます。


「きんな(昨日)の内さ、議長だが、楯岡村がら最上川ばさがのぼて、天童(てんどう)村の郡役所さ行って報告ばしったがら、そん時、おらだの建議書も郡長さ出した筈だべ」


 実際のところ、連合会議長および副議長が各郡役所へ会議報告したとは記録にありませんし、郡書記による事前告知がなされた記録も残ってはおりません。


 しかし、各郡代表者が各村に帰れば、当然に会議内容については次第に広まってまいります。各議員の帰郷の上での結果報告に委ねるのは無責任ですし、噂として郡内に広まる前に公式の統一した内容報告がなされることが必要であることは自明の理です。そして、それをすべき位置にいるのが議長・副議長でありますし、火急的速やかなる会議結果の報告が会議主催たる議長名にて報告があるのが当然です。


 住民の話し合いの結果が正式な手順で各行政主管たる郡役所に報告され、それを受けて各郡役所が住民に結果を布達するのは当然な手順です。そして、正式な各戸長への通達は7月の定例戸長会議です。


 そして、今回の定例戸長会議は重要事項の伝達になりますので、山野辺地区の各戸長へも、山野辺の会所での通達で済ませるわけにもまいりませんし、各戸長全員の参集と各村の反応をうかがうために、戸長会議の前に郡役人による事前告知がなされたものです。


「んだげんと、明日には郡の使者が高楯どが山野辺(やまのべ)さも来んだべ。来んのが早すぎねが? ちゃんと建議書ば見でけでけっだんだべが? 」


 あまりにも早い郡役所の動きに対して、久がやや疑問を呈します。


「んだずね、北郡西郡のど、おらだが出したのど、ふたづの建議書ばちゃんと役所で見っだなら、そう簡単には決めらんねよな?はらだくさぐないが? 」

(はらだくさい=おかしい、変だ、筋が通らない)


 理兵衛が、久の疑問に同調します。内容の違う建議書が並んだら、それにどう対処するか、真面目に検討してくれているなら、検討するだけで1日や2日はかかるのではないかという、もっともな道理です。


 しかし、郡役所ではそのような第二の建議書の存在などははなから存在しないものとしています。住民側は、そんな役所側の判断を知らないだけのことでした。


「久さぁ、ぶぢょうほうだげんと、間違いねぐ、議長さ渡したんだべが? 」

(ぶぢょうほう=不調法=失礼ながら)


 親友を疑うわけではありませんが、さすがに久右衛門に直接言うのは憚られますので、それでも遠慮がちに理兵衛が久に尋ねました。


「ほいづは大丈夫だ。議長と副議長の揃ったどごさ、ちゃんと手渡しだ。俺もほさ居だっけがら間違えない。……んだげんと、議長だが、かなり驚いっだっけのが気になっげんとな」


 久がそう言いうと、久右衛門は結論づけるように言いました。


「久はよぐやってけだし、委員のみんなもよぐ頑張てけだ。楯岡から夜っぴいで来ておらださおしぇでけだし、山野辺や天童の戸長さんだも知恵ば出しあってけだし、久が委員のみんなの間ば走り回てけで、南郡さも運動して、おらださ引き入れでけだ。みんなのいろんな頑張りでおらだが自分だの建議書ばこさえらっだんだ。……やるだげの事はやた、ここであだこだしゃあますしても始まらねべ(あぁだこぉだと心配しても始まらん)。

(しゃあます=心配する)


 そこで一息言葉をついた久右衛門は、腕を組んで瞑目します。


「待づすかねぇ。おらだがすんけたがりみだいに騒いでかまさんねがらよ(我々が騒ぎすぎて掻き回したりしてはいけない)、郡長閣下が悪ぐなぐしてけっど信じっべ」

(すんけたがり=神経たがり=ぎゃあぎゃあ騒ぐ様子)

(かます=かきまわす)


 しかし、久右衛門のその信頼は届きません。久右衛門だけでなく、村の皆も知りませんでした。まさか、郡長はお飾りで、県令の意を受けた郡書記がすべてを牛耳っていたとは。


 でも、それを知ったところでどうにもなりません。計画は結論ありきで進められており、根本的な修正は元から許されてはいません。連合会の存在自体が、住民の賛同という建前を取り繕うためだけのものでしたから。


「かますわげでねぇげんともよ、県庁舎こさえっ時の話ば考えっど不安でなぁ」


「んん、んだずなぁ」


 理兵衛の言葉には、さすがの久右衛門も否定もできず、絶句せざるを得ませんでした。県庁を作った時の、南村山郡で繰り広げられた人も無げな酷悪な収奪の有り様を、皆が知っていたからです。


 明治9年10月29日の県令布達に始まる山形県庁舎造営事業では、その必要経費はすべて民間献金で賄うと、三島県令は内務卿大久保利通に報告していました。


 その時の内務卿宛伺書には、既に九百人余の住民からの1万円(現在の価値で約2億円相当)に及ぶ献金が報告され、また、地元の柏倉知卿(かしわぐら・ともあき)より所有地二千百坪弱の提供も報告されて、加えて『地所差上度ニ付願』が御丁寧にも添付されていました。あたかも県民の自発的意思と寄付で立派な庁舎が造れると、中央に報告がなされているのです。しかし、現実にはまるで違いました。


 県では70戸の民家を強制退去させ、応じない家には巡査数十人を派遣して、寄ってたかって火を付けるぞと脅し、平成初頭のバブル時代の地上げ屋さながらのことを警察官を使ってやらせていたのです。また、献金も強制徴収で、千円(現在の約二千万円に相当)の献金に応じなかった地元の住民を三日間も拘留して、強制的に献金を行わしめたとの記録までもがあります。


 東村山郡でも強制献金の徴収はありましたが、お膝元の南村山郡ほどではありません。噂では牢屋に入れられた住民もいるとか、ひどい拷問をされて、かたわになって帰ってきて寝たきりになった人もいると、村人も聞いています。


 結局、そのような献金が予定通りに集まるわけもなく、最終的に3分の1を官費で賄うことになりましたが、実際の工事でも多くの人夫労役が強制徴発されました。


 また、県庁造営ほどではありませんが、東村山郡役所造営においても同じようなことが起きました。郡役所の造営にあたって、地所は地元地主からの自主的な寄付とされ、その他の建設費徴収や人夫負担もすべてが住民の負担でした。


 この一連の構図、民間の自発的協力を装った強制徴収・強制徴発という県の土木事業の構図は、関山新道計画の実態とまったく同じ構図でした。住民の不安感はまさに的中していると言えるものでした。


 つまり、東村山郡独自の建議書が期待通りに郡長を通じて県庁、県令に届いたとしても結果は変わりません。住民が弾圧されることはあっても、住民の願いが聞き届けられる可能性はほぼ皆無といっても過言ではありませんでした。


**********


 親たちが頭を悩ませていた頃、少年たちも自分たちの考えで、同じ問題に対して自分たちなりに立ち向かっていました。


 小鶴沢(こづるざわ)川では、少年たちが集まって、少年たちによる役人のおもてなし準備に大わらわでした。


「確治、鍬ば持ってきたぞ」


「お~、助がっだぁ、こっちで、一緒に手伝ってけろ」


「んでも、こごだば固ぐで、たいして深ぐ掘らんねべ? 」


「しぇんだ、そごはまだ別に考えがあっからて。まず、こっからそごまで頼むず」


 確治の指揮で何人かが鋤で地面を掘り起こしていました。


「お~い、峰、集めで来たぞ! 」


 別の少年が、桶いっぱいに何か黒っぽい団子のようなものを入れて運んできました。かなり重そうで、肥え柄杓に桶縄を通し、二人がかりで運んで来ました。


「おぉ、これだけあっど十分だべ、仕分げして、あそごどあそごの草むらさ隠しておぐべ」


 峰一郎の指示に従って少年たちがそこに向かうと、そこには他にも桶が幾つも隠されていました。


「お、こいづもずいぶん持てきたな、こいづはすごいべ」


「明日が楽しみだべ。役人のやづらもたまげっぞ」

(たまげる=驚く)


 少年たちが楽しそうに会話している所へ、今度は三浦定之助(みうら・さだのすけ)がやってきました。


「峰、こっちもばっちりだ、2回試してみだげんと、大丈夫だ」


「定ちゃん、びしょびしょだべ。自分で試すたんだが」


 峰一郎が笑って答えます。


「んだ。おれ、臭いのはもうしぇえず。濡っでだほうがしぇえ」


「わあ~はっはっはっはっ! 」


 峰一郎はもちろん、事情を知ってる確治も大笑いしました。


 少年たちは皆、生き生きとたち働いています。自分たちは村のため、親父たちのためにしているという無垢な正義感に溢れて、疲れも感じず汗を流しているのでした。


**********


(おわりに)


 安達峰一郎少年が山野辺学校を卒業した後、故郷の高楯村では関山新道問題が湧き起こります。少年たちは純粋無垢な正義感に駆られ、自分たちの村のために立ち上がり、東村山郡役所から村にやってくる役人を追い払ってやろうと決意したのでした。子供たちだけでなく、村の母親たちも関山新道問題の行く末を心配していました。場合によっては娘を奉公に出さねばならない貧しい家庭も出て来るかもしれないからです。そんな中、峰一郎たちは郡の役人を追い払うべく、準備に余念がありません。

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