第17話 攻略宣言
セオリーどおり、下段回し蹴りを繰りだした彩女は防御の姿勢をとる。
しかしスティーブはなにもしてこない。
彩女が一歩、距離を詰める。
――終わった。
スティーブはあえて動かないことによって彩女の攻撃を誘ったのだ。打撃にしろ投げにしろ、いまの彩女は無防備。どんな攻撃も入れ放題だ。
つぎの瞬間、スティーブが大きく飛びあがった。サマーソルトキックだ。最後は華麗に決める。それは実に礼音くんらしい行動と言えた。
しかし予想だにしないことが起こった。
飛びあがったスティーブがぐるりと一回転し、床に叩きつけられたのだ。
――え!?
脚を折られ、スティーブの体力ゲージが減る。彩女は追い打ちとばかりに倒れたスティーブにダウン投げを入れる。
『K.O.』
「よぉし!!」
思わず大声をあげてしまった。遠くにある音ゲーコーナーのギャラリーまで振り向いたくらいだから、よっぽどの大音声だったらしい。乙村さんも目を丸くしてこちらを見ている。
俺は振りあげた拳を慌てて引っこめた。顔が熱い。
「あの……、おめでとう。――って、なに笑ってるんだよ」
照れる俺を見て、乙村さんは目を細めて微笑んでいた。
「意外と――いえ、意外ではありませんね。
――俺、そんなふうに見られてたのか……?
「俺はべつに熱くなんて」
「頭はクールですが、心は熱い。そんな方だとわたしは思います。だからこそわたしは渡来さんが――」
乙村さんははっと言葉を切った。
「だからこそ?」
「い、いえ、その……。大変に興味深いと感じています」
「俺は珍獣かなにかか」
「そ、そういうわけでは。――それより、渡来さんもおめでとうございます」
「俺?」
「はい。ふたりで手に入れた勝利ですから」
興奮しているのか、ほんのり頬が上気している。
「ああ」
――『ふたりで』……。
照れくさくなって、俺は顔をそらす。
向こう側の台から、取り巻き女子たちの無念の声が聞こえてきた。
――それにしても、なにが起きたんだ?
スティーブのサマーソルトキックに彩女の返し技が炸裂した。
読みきったのか? ちょっと前までガチャプレイしかできなかった乙村さんが? そんな馬鹿な。
しかし、では、なぜ?
答えは分からない。確かなのは、乙村さんが勝利したという事実だけだ。それで充分だろう。
「おめでとう、お姉さん」
礼音くんがこちらにやってきて、祝福の言葉を述べた。乙村さんは慌てて立ちあがり、お辞儀をする。
「対戦していただいてありがとうございます、礼音くん」
「すごく強くなったね」
「いえ、そんな」
「いいお手本が身近にいるのかな?」
と、礼音くんは俺に向かってウインクした。
――だから男まで籠絡しようとするのやめろ……!
まじでちょっとくらっと来るから。
彼の後ろで取り巻き女子のひとりが肩を震わせていた。礼音くんが負けたのが悔しくて泣いているらしい。
それに気がついた礼音くんはすかさずポケットからハンカチをとりだし、彼女の頬を優しく拭った。
「ほら、泣かないで。泣いてる顔も可愛いけど、笑ってるほうがもっと可愛いよ」
彼女は照れたように笑った。
――こいつ、ほんとに……! 参考になります!
とりあえず俺もハンカチを携帯するようにしよう。
「じゃあ、お勉強、頑張ってくださいね」
「ありがとう。ふたりとも、いつまでも仲よくね」
礼音くんたちは去っていった。
「じゃあ、祝杯でもあげるか」
「祝杯、ですか……?」
「あれ」
例のあんパン顔ヒーローのポップコーンマシーンのほうを指さす。乙村さんの顔がぱっと明るくなった。
「では、わたしはお茶を買ってきますね」
「頼む」
乙村さんと別れてポップコーンマシーンへ向かう。例のヒーローの「よ~くかきまぜよう!」というガイドに従い、俺はハンドルをぐるぐる回す。
小さな子供や家族連れが背後を行き交う。針のむしろの上で反復横跳びでもしているかのような気分だ。
――苦行……。
別行動をとらなければよかった。
ポップコーンが完成する。カップを持って待っていると、ようやく乙村さんがやってきた。
俺はほっと息をついた。
――あれ……?
いつの間に俺にとって乙村さんはほっとする存在になったのだろう。
「どうかしましたか? ぼうっとして」
「あ、いや。――勝利の余韻に浸ってた」
乙村さんはくすっと笑い、
「では、乾杯しましょうか」
と、お茶のペットボトルを差しだした。
「すま――、ありがとう」
それを受けとり、礼を言う。
ベンチに並んで座り、ペットボトルを打ちつけあう。
「乾杯」「乾杯」
お茶をわざわざ買って飲んだことなんてなかったけど、一息で半分近く飲んでしまうくらいおいしかった。知らぬ間に喉が渇いていたのか、勝利の美酒だからか、あるいは一緒に飲む相手が乙村さんだからか。
――なんてな。
ふたりのあいだに置いておいたポップコーンに手を伸ばす。
――あれ?
なにか棒のようなものをつまんだようだ。ポップコーン以外にもなにか入っていたのだろうか。
指先で形状を探っていると、
「そ、それ……」
乙村さんが戸惑ったような声をあげた。
「わたしの指です……」
「はい!?」
弾かれたように目を向ける。
俺は乙村さんの指をつまんでいた。慌てて離す。
「す、すまん!!」
「いえ……」
乙村さんは顔を真っ赤にしてうつむいた。
指先が触れるくらいならともかく、つまんだばかりかまさぐってしまうなんて。
鼓動が早く、大きくなる。まるで全身が心臓になったかのようだ。
家族以外では、乙村さんが一番ほっとする存在だ。でも、一番どぎまぎしてしまうのもまた乙村さんだった。
黙りこんだまま、ひたすらポップコーンとお茶を口に運ぶ時間がしばらくたった。
「あの……」
沈黙を破ったのは乙村さんだった。
「今日まで、ありがとうございました」
「……」
胸がきゅうっと締めつけられるような感じがした。
そうだった。目標は達成されたのだ。であれば、乙村さんとの関係は今日で終わり。
急に話もしなくなるとかそんな極端なことにはならないだろうが、少なくともいままでみたいにほぼ毎日一緒にゲームというわけにはいかないだろう。
そして、なにかと忙しい彼女のことだ、やがて徐々に話す回数も減っていってしまうに違いない。
「おかげさまで、とても刺激的な時間を過ごすことができました」
「うん……」
「すごく楽しかった」
「うん……」
俺もなにか言わねばとは思う。でも喉が詰まるような感じがして、うまく言葉が出せそうにない。
一緒にいるとほっとして、でもたまにドキドキして、遠くに行ってしまうのが悲しい。
多分――。
――好き、なんだろうな。
これを世間一般の恋と言ってしまえるのかは分からない。でも離れるのがつらいという気持ちは本当で。誰かと一緒にいたいという思いが俺の中に芽生えたことに、俺自身が戸惑っている。
乙村さんは座りなおし、膝に手を重ねてお辞儀をした。
「本当にありがとうございました」
「……ぅん」
もう返事をするのも精一杯だ。
頭を上げた乙村さんが言った。
「これからもよろしくお願いします」
「……ぅん」
俺は乙村さんの顔を見た。
「うん?」
「え?」
「いや、なんて?」
「これからもよろしくお願いします、と」
「これからも?」
「はい。――だって見てください」
乙村さんは周囲に目をやった。
「ここだけでも、こんなにたくさんのゲームがあるんですよ? 渡来さんがいないとわたし、どこから手をつけていいのかも見当がつきませんし」
「え、ええと、つまり、それって……」
俺は自分の髪の毛をくしゃっと掴んだ。
「――ゲームフレンドをつづけるってこと?」
「もちろん。……ご迷惑でしたか?」
「まさか! ――俺も、いままで楽しかったし、その……、つづけたい」
「よかった」
安心したように微笑む。
「断られたらどうしようかと思いました。新たな目標もできましたので」
「もう? 今度はなに?」
乙村さんはまっすぐに俺を見た。決意のこもったまなざしだった。
「渡来さんを――攻略したいと思います」
「俺を?」
「君を、です」
俺は思わず吹きだしてしまった。小学生相手にどうにかこうにか勝てたばかりなのに?
「大きく出たな」
「そうですね。とても難しい。すごく苦手ですから」
と、自分の胸に手を当てる。
「でも、いままで感じたことがないくらいドキドキしているんです。だから――」
「やる価値がある?」
「はい」
顔が真っ赤だし、目も潤んでいる。そこまで感情が高ぶってしまうほど、新たな目標は彼女にとって困難で、そして魅力的だということだろう。
「いいんじゃない? まあ、時間はかかりそうだけど」
『……時間をかけたいんですよ……』
ぼそ、と乙村さんがなにか言った。
「ん?」
「い、いえ。その……、お手柔らかにお願いします」
「ああ、胸を貸すよ。どーんと飛びこんでこい」
「え? あ」
じっと俺の胸を凝視したあと、目をきょろきょろと泳がせる。
「そ、そのうち」
「? ああ」
ときおり挙動不審になることはあったが、今日はいつにも増してひどい。
――まあ、喜んでるって点では、俺もひとのことは言えないけどな。
キャラメルポップコーンをひとつ口に入れ、ぽりぽりと噛む。
じんわりと広がる甘みを楽しみながら、つぎはどんなゲームをやろうかと思いを巡らせた。
お嬢様をゲームでボコったらなぜか懐かれたうえに攻略宣言(意味深)されたんだが 藤井論理 @fuzylonely
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