私はヒーローです。

幾兎 遥

私はヒーローです。

本が好きじゃない。

いきなり何を言ってくれると思われただろうか。いや、思っていただきたい。この話を最後まで聞いていただくにあたり肝心な導入にしたつもりであるから。なのできちんと説明をさせてほしい。

たとえば流行りの格好をした若者が「自分本ちょっとニガテなんすよ」などと言ったなら、まあ最近の子はそうだよなと大方の人間は納得するだろう。あいにく違う。私は若者ではあるが、現代を仲間と洒落に歩いているような明るい人種じゃない。流行への興味はそこそこ、まあまあの数の友達がいて、将来に向けてぼちぼち努力していて、といった堅実な人種でもない。私の正体は、物書きにならんとしている人である。つまり例の冒頭の一言を言ったのは、本を書く人だ。

本を書く人が「本が好きじゃない」と言ったのである。

と、自分の一言のおかしさというのを熱く語ったところで、次は理由を話そうと思う。

大学生になって少し経つくらいまでは、私も本のことが好きだった。すごいものだと思っていた。何かコンプレックスを抱える主人公がいて、奇妙な出来事に巻き込まれたり新しい出会いがあったり。書く人の数だけある想像の世界を、私は主人公と一緒に泳ぐことができた。さらに、自身のあり方などを問うていた主人公が見つけ出した答えに、同じように感動し共有することもあった。

何より私を魅了したのは、ほとんどの物語にはヒーローという存在がいるということだった。異能などを持ち子どもの憧れの姿をしたヒーローはもちろん、親、友人、先生、時には主人公自身。身近に出会えるような人たちが、物語に立ち込める暗雲を穿つこともあった。時には一世一代と言わんばかりの大胆な行動で、時には何気ないたった一言で。主人公や物語が一番救いを必要としているときに、一番救いになる言葉を寄越してくる。私はありがとうと彼らに物語を救ってくれたことへの感謝をし、それから夢みるのだ。

いつか此処にいる私のどうしようもない悲しみも、誰かが救ってくれるのではないか。

いつか私も、誰かを悲しみから救い出せるような人になれるのではないか。

私はそんな憧れを、中学三年生の時に現実へと持ち出す。まず当時の国語の先生にそいつをそっくりそのまま投影した。教師というのは、私が読んできた物語の中で最もヒーローの姿で描かれることの多かった存在だったから。そして私は、私の仕立て上げた偶像そのものになろうと決意する。教師というのを、将来の夢としたのだ。

ヒーローに、なりたかった。



それが途方もない幻想だった後悔したのが大学生の時。本のことを嫌いになってしまった、いや、もともと好きじゃなかったと気づいた頃のことである。




「Tさん、この傷どうしたの」


本と教師の夢と、嘘の話をしようと思う。あれは大学二年生の秋のこと。私は教員免許を取得するにあたり参加が義務付けられていた介護体験のため、特別支援学校に二日ほど出向いた。とはいっても、その頃には私は教員の夢にほとんど見切りをつけつつあった。そもそも教師になることへの揺るぎない決意があったのは二年ほどと、実はごくわずかな時間で。高校二年生に上がる頃には既に、その決意への不安が膨らみはじめていた。ひとまず大学では教職課程を取ったものの。結局、その不安に勝てずにいたのである。

高校生以降、見かけだけは一丁前だったのか友人にはよく頼られる人間になっていたのだけど、彼らに即興で気の利いたことばをかけられたと思ったことはなかった。不器用だ、と感じてばかりいた。「まずはただ聞いて、彼らの言うことに理解を示すだけでいい」と本や教授はよく言っていた。多分私はそれが得意だったから、なんとなく人に懐かれていたのだろう。そのままで特に問題はなかったのかもしれない。だけどそんなことを自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、自分がひどく機械的になっていく気がして嫌になった。人を救うのに、マニュアルなんて使いたくなかった。

さて、体験生の私は二日目、生徒さんたちと先生方と二時間ほどの短い遠足に出ていた。隣では特に引率を、と頼まれていたTさんという女の子が歩いている。短い期間でも私のことを気に入ってくれたらしく、よく無邪気に話しかけてくれるようになっていた。

その子が担任のY先生に声をかけられる。先生が見ていたTさんの首の左の付け根に目をやると、そこには薄い打ち傷が一筋あった。



「わかんない」


Tさんは言った。ちょっと、不機嫌そうに。Y先生が「うーん、そう」と言ったところで、他の子どもから「せんせー」という声が上がる。先生はそちらに応えるために行ってしまった。

胸がざわついた。


彼女嘘をつく癖があるから、あんまり言うことは真に受けなくていいよ──

体験初日の終わりにTさんに関して、Y先生に乾いた笑みで言われたことだった。虚言癖というやつか、とそんな登場人物が出てくる小説を以前読んだのを思い出す。それから、そう困る気質でもないなという感想を抱いた。こちらが騙されて傷つくわけでもない。冷たい言い方をすれば、癖がついて将来困るのは嘘をつく本人だけなのだということに気づいた。そこが教育に携わる立場にいる人としては問題なのだろうけど。だけど別に迷惑な気はそんなにしなかった。

嘘の、何がそんなにいけないのだろうと思う。

別の想い人がいる男の子のために少女がしまった恋心と、テレビの向こうの芸人のジョークと。優等生の笑顔と、余命を宣告された母親が子についた「来年、」という嘘。この子が自分を見てもらうために、あるいは自分のことを隠すためにつく嘘とそれから……魔法が使える世界を描いた物語。それらの何に、大差があるというのだろう。

そう、物語とは嘘だった。本が嫌になったのは、それに気づいたからだった。言ってしまえば当たり前のことなのだけど、私はそれを長いことわかっていなかった。白雪姫の「いつか必ず王子様が」になんとなく期待していた。王子がいるとは思っちゃいないが、私の全てを理解し肯定してくれる人なら、現れるのではと。振り返ってみると王子の方がまだ現実的である。無茶な話だった。現実の他人というのは、小説家がするように環境や性格をカスタマイズできるようなものじゃない。いくらこちらがメイクアップしてお姫様を演じたとしても、白馬に乗って迎えにきてもらう王子役の人を手配する術はない。小説家のようにその心のうちを言語化できるものですらない。他人から見た私もしかり。神様か何かなら、あるいはその役割を担っているのかもしれないけれど、当然会うことはできない。だから読者と作者の関係みたく、その全能の視点を借りられるはずもなく。結局現実の私は私の視点しか持ち合わせていない。あなたはあなたの体しか動かせない。お互い自分の心臓を動かすことでいっぱいいっぱい。物語を書く人の技とは、現実じゃ到底真似のできない嘘っぱちだった。

悪いこととは思っていない。どれも読者を楽しませたり励ましたりするためのものだ。これに異議を唱えるとは、ディズニーランドが提供する夢のようなひとときにクレームをつけるようなもんだ。でも、夢の国からも本からも、お土産はあれどいずれ帰らなければいけなくて。どこまで行っても、その世界の住民にはなれない。それが……

私は、本が読めなくなってしまった。全く読まなくなってから気づいた。そういえば、私は活字を読むのがいつまで経っても人より遅くて。それに焦るのが嫌いで。そういえば私の部屋の本棚には、並べて満足したきりの本がたくさんあって。

かつて主人公とともに探し出したはずの生き方の答えとやらも、現実じゃあうまく通用しないことばかりで、もうがらくたとして置き去ってしまった。

そういえば、私が本をよく読むようになったのは、父がよく読んでいたからだ。彼は本や映画が大好きで、私が小さい頃からたくさん見せてきた。私が本を読んでいると父は喜んだ。喜んでくれるのが、嬉しかった。私が憧れた例の恩師との出会いというのも本からだった。先生の授業で私が紹介した本が彼女の好きな作家の作品だったらしく、後から声をかけてもらったのだ。そこからよく本の貸し借りをするようになって。本が、私にとって先生との架け橋になった。そんなのなくたって、今でも気にかけてくれるようなやさしいあの人なら相手をしてくれていたのかもしれないけれど……当時の私は、彼女に「あんた箸の持ち方変わってるね」と一言言われただけで、十数年改めなかった薬指挟みの箸の手を直そうとするほどに臆病だった。できるだけ、彼女に気に入ってもらえる私でいたかった。彼女と同じでありたかった。

架け橋の役割を取り除いてみると、本に関する明るい感情は何も残らなかった。なるほど、つまり。

私は本が嫌いになったんじゃない。最初から、大して好きじゃなかったのだ。

彼らのせいと言いたいのではなくて。

これだって私がつき続けていた嘘なんだ。私が、幸せでいるための。


Tさんとはその後も行動を共にしていた。遠足も最後までほとんど付き添っていたし、帰ってからも隣で授業を受けたり、絵本を読んだりした。とにかく、たくさん話しかけてくれる子で嬉しかった。帰りの会の前に、クラスのみんなでババ抜きをした。Tさんともう一人の男の子が私の手札を見るズルをして、先生に怒られて勝負を降ろされてしまった。怒らないでやってほしかった。たった二日しかいないのんきな学生にはわからない事情が先生方にもたくさんあるのはわかっているけど。「ズルをするとゲームは楽しくなくなっちゃうんだよ」って教えて、もう一回、って言ってあげればそれでいいじゃないかと思ってしまった。それを言葉にする勇気がない私が一番無能なのも、わかっているけれど。Tさんは泣いていじけた。それから、鬱屈とした感情が行き違う帰りの会が終わり、迎えを待つ中で、彼女は隣の私に囁いた。



「この傷、ママにされたの」



嘘の、何がそんなにいけないと言うのだろう。
「助けて」と素直に言うのが正しいのか。

それで誰かが手を差し伸べてくれる数と、背を向けられる数、果たしてどちらが多いだろう。

背を向ける人たちが悪いわけじゃない。彼らには彼らの生活があり、自分と、せいぜいその身近な人のために生きていくので精一杯なのは当然なのだ。千里眼を持ち、ワープができるヒーローなど此処にはいない。彼らも私も、自分の「助けて」に何度も背を向けられてきたただの人間に過ぎない。

ちょっとしたすれ違いから喧嘩のあった友達の両者の言い分を、どれほど等しく聞いていられるだろう。どれほど呑み込んで、平気でいられるだろう。親にぶたれた子どもが家の中で漏らした「助けて」は、いったいいくつがちゃんと外に届くのだろう。

私にとってのこの世界は、ほんとうのことだけじゃ呼吸が追いつかないくらいに痛みで満ちていた。


嘘の、何がそんなにいけないのだろう。


「そう」

私はTさんに相槌を打った。この正直な少女の告白に対し、あまりに間抜けで無力な相槌。何か、言わなきゃいけないのだ。考えて、それから、ちょっと震えた声で、絞り出した。
「辛いときにはさ、辛いってちゃんと誰かに言うんよ」

今日にはいなくなる学生の、無責任極まりない言葉だった。


嘘はいけないのか。

正直で、涙とどう向き合えって言うんだ。

嘘の、何が悪い。

嘘の。


ああ。


虚しい。


嘘は、いけないことではない。


いけないことではないけれど、虚しいのだ。

ほんとうにならないことのために、つくものだから。


虚しくても、私たちは笑う。はぐらかす。おどける。



嘘を、やめないのだ。


Tさんとはそれきりである。先生に相談しようかと思ったけれど、しなかった。もしあれが私にだけ見せた内緒の勇気なのだとしたらと思うと、踏みにじりたくなかった。もうあの学校に訪れることもないだろう私の話は、いらぬちょっかいにしかならない気がした。大ごとになってさらに彼女が苦しむということがあってほしくなかった。

……体のいい言い訳、なのかもしれない。

私は教師の夢を諦めた。「無理だ」とはっきりわかった。私に、ほんとうの世界で子どもと向き合う力と強さはない。いつかその無力感を例の恩師に話したら「ノリで助ければいいのよそんなの」と答えてくれたことがあったのだけど、うまくできなかったな。どうしても喰らうように話を聞いてしまって、自分までキツくなって。挙げ句の果てには吐き出して棄ててしまおうか、なんて思いかけて。そんな自分がまた嫌になって。なんでこんなヤツを好きになるのだろう。いや、自業自得だ。私が「いい人」を演じようとしているからだ。本気じゃできやしないくせに。なれると思っていたからやっていたのだけど、なれなかった。原因はきっと、自分との向き合い方すらも全く見えていなかったから。自分のこともなんとかできないヤツが、他人を真っ当に守れるわけがなかった。

この将来の夢を手放してみると、ずいぶん心が軽くなった。ただの重荷になってしまっていたのかと気づく。この夢にあったのは、憧れとエゴばかりだった。かつて自分が慕っていた大人たちと同じになりたい。そうなれば自分を少しは愛せるようになるのではないかと。誰かを救いたい、のではなく、誰かを救える人になりたい。そうなれば自分の存在を少しは肯定できるようになるのではないか。かつて聖職者と呼ばれた職業の理想像にあるまじき、下心。人に触れられるような志ややさしさというのを私は、表面にしか纏っていなかった。

本と同じ。「いい人」と同じ。これも嘘。私はとんでもない嘘つきだったようだ。「ようだ」と自らに言わしめてしまうほど、他人に対しても、自分に対しても。

だけど嘘に縋っていなきゃ、私は誰とも一緒にいられなかった。「人に愛され、信頼される私」でいなければ、少しの自信も持てなかった。きっととうの昔に、いなくなっていた。


だから私は今でも嘘に、誰かや自分を救う嘘に、一番の希望を見出してしまう。この空っぽな重荷を、なかったことにはできずにいる。


物書きを、やってみようと思うようになった。本をまた、まだ好きになったわけじゃない。暴走した妄想だったのはもうわかっているけれど、今だって「嘘つき」と小石を一つ投げつけてやりたくなる。「誰も、何も、他人の手を握り続けることはできないじゃないか」

だがどうやら、私はそれでも誰かの手を握る仕事をしていたいらしい。できるだけ、たくさん。彼らの救いになりたいからとか、そんな胸を張って言える理由はない。平たく言えば、私の「生きがい」だ。私が知覚していたいのだ。人の手を握る、私の手を。消えずに済むように。

本当に、ただのエゴである。私は不器用だから、そうしながらじゃ他のことはとんとできなくなるだろうし、握った手があまりにも冷たかったら顔をしかめてしまいそうだし。臆病だから『手ぶくろを買いに』の母ぎつねが子に化けさせたような人間の手しか出せないし。

自分はそんなろくでもないヤツだとわかっているはずなのに。誰かの背を光の方へ押し出したい、そしていつか私も光を見つけたいと、未だ焦がれているのだ。

そのために私が使えるものが嘘しかないのなら、その虚しさを信じていたい。


私は物語を書く。空想を、架空を、嘘を描く。私の思うままに。誰かのために、ではなく「誰々に書きたい」という私の願いのために、光の方へ行くために。どこにあるかはまだ知らない。どこまで探しにいく体力があるのかも、まだわからない。

その道中でたまたまあなたに出会ったときに、何か一つでも嘘の代わりを与えられたなら。今はそれだけで嬉しい。

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