4 コレカラノオンナ
こんなの納得できるわけはないが、桜枕のことを考えると……悩んでいた。それに追い討ちをかけるように神奈川が、
「友人も助かる。バイトも見つかり、離婚して男手一つで育ててくれた父親からの仕送りに頼らないでも済む。君にとって悪い条件ではないだろう。こちらも私とは真逆の、君の運の無さや、絡まれ体質、事件に遭いやすいってのは望むところさ」
「……よく知ってますね。どこまで私を調べたんですか?」
「この三日間で、君が子供の頃からこれまでに関わった人間、例えば、君が高校の時一緒にバイトをしていた友人から、そのバイト先の人間に連絡したりとか、最終的に五十人くらいには聞き込んだかな。君も知っているんだろう。そのうちの二人が、君に連絡してきたのは分かっている。ま、逆にたった二人からしか連絡が来ないってのは寂しいもんだが」
「気にしないでね。うちの所長一言多いんだよね」
ツインテの女性がすかさずフォローした。
「それは知ってます」と八千代。もともと不機嫌だった八千代は嫌味っぽく続ける。「私をつけてたんですか? 盗聴だとしたら犯罪ですけど」
「それは企業秘密だね」
「……でも、間違ってますよ。うちの両親、離婚はしていませんから」
「ああ、そうだったね。それならば、別にこちらからは話さないでおくよ」と。
「あーじゃあ、所長、俺らは他の調査行くんで」
小柄な男が右腕をさすりながら店を出て行った。
「所長、あんまり余計なこと言わないように。じゃあね、千代田さん。もしお仲間になった時はよろしく」
と長髪の女性がウインクをして扉の鈴を鳴らし、それを追って、ツインテの女性が「自己紹介はお仲間になった時にね」と、くしゃっとした笑顔で出て行った。
「……今のはどういうことですか?」
神奈川は横目で見ていた店の扉から、八千代に視線を移した。
「父親に確認した方が良いと思うが」
「裏で荷物を整理しているので、何かあれば呼んでください」とマスターもその場を離れた。
八千代の目は真剣だ。
「……母親は亡くなったと聞かされていたんだろうが、君の両親は離婚したようだよ」
神奈川は淡々と話し始めた。八千代は真一文字に口をつぐみ、聞いている。
「母親は君を出産後、すぐに産後鬱になってしまってね、家を飛び出したようだよ。それからは、その期間に知り合った男と暮らすようになり、居場所を見つけた君の父親と話し合いの末、協議離婚している」
八千代も今では、大抵のことには驚いたとしても、またか、とすぐに気持ちを入れ替えることが出来たが、さすがにこれには動揺を隠せない。
信じられない。
それでも、深く深呼吸をして神奈川に問う。
「じゃあ、お母さんは今でも生きているってことですよね」
「いや、残念だが亡くなっているよ」
八千代の鼓動が一段跳ね上がった。
「そう……ですか」
なぜ? と八千代が聞くよりも早く、神奈川が言う。
「母親が教員免許を持っていたのは知っていたかい?」
八千代は母親に関しては何も聞いていない。
綺麗で、優しかったとしか聞かされていない。
八千代が首を横に振る。
(教員……免許? まさか、ね)早まった鼓動が、さらに波打ち、神奈川はそんな八千代の表情の変化を確かめるように話す。
「数年で男とは別れたようだよ。それからの交友関係は分からないが教師は続けていて、ある時異動を希望した」
「もし……か、して……」
「そう。四年生の時の担任が君の母親だったんだよ」
「嘘だ!」ガタリと八千代は立ち上がった。体が震える——緊張が一気に高まる。
あの事故の記憶が身体を支配する。
八千代が小学四年生の時の事故だ。
担任の先生と生徒二名が犠牲になった、【体験学習の小学生ら三十八人を乗せたバス、転落・横転】事故。
学校行事である体験学習で、八千代たちの乗るバスが高速道路から一般道へ降りてしばらくして、居眠り運転の対向車がセンターラインを越えて突っ込んできた。
ハンドルを切り、衝突はまぬがれたもののバスはガードレールを乗り越え、道路沿いの水田に転落、横転した。
「その事故で、先生にかばわれることで助かった生徒が一人いた。その少女はバスの中央、運転席側に座っていたらしい。君を調べているうちに、その助けられた少女が君だと分かったんだ。もともとその事故を知った時に気にはなってたんだ。だって先生って、普通バスの先頭に座ってるか立ってるだろ。今にも事故が起きそうな瞬間、近くの生徒ならともかく、中央に座っている生徒を助けた。その生徒だけは何があっても助けたかったかのようだ。だからね、その生徒が君だと分かってから、あらためて先生を調べたんだよ」
そして真実を知った。そう言った神奈川の言葉で、八千代は薄れていたあの時の瞬間を思い出す。
バスが急に曲がって大きく揺れ、何が起きたか分からないまま前の座席をどうにか掴んでいた。
突然体が浮いた時、誰かが叫び、覆い被さってきた。あとでそれが先生だということが分かった。
今思えば、あの時確かに先生は「八千代!」と叫んでいた——。
先生はとても優しかった。でも、それだけだ。顔だってほとんど覚えていない。母親の写真も見たことのない八千代には、同一人物なのかも分からない。分からないが——、
とめどなく溢れる想いは頬をつたい、カウンターテーブルを濡らす。
しかし、それを隠すことなく、うつむくこともせず、八千代は神奈川から目をそらさなかった——。
もう疑う気持ちは微塵もないが、こんな衝撃的な話を、まさかこんな時に、こんな場所で、こんな探偵に知らされるとは思ってもいなかった。
でも——それでも——、
真実を知ることができて良かった——。
そこで、ようやく八千代は涙をぬぐった。
長い沈黙のあと、ぽつりぽつりと二人は会話を始め、それが仕事のことや雑談になった頃、マスターは戻って来て二人に暖かいコーヒーを出した。
これ、と神奈川がもう一度名刺を渡す。「昨日貰いましたけど」と八千代。
「いや君、こいつで肩の雪を払っていたじゃないか。ヨレヨレだろう。では、後日履歴書を持って……そうだな、この喫茶店で会おうか」と、神奈川。
「え? 普通、事務所とかじゃないんですか? この辺なんですよね?」
「いや……ははは、まあ、立ち上げて半年なんだが事務所はまだ無いんだ」
「はあ?」
なんじゃそれ? 流されるようにバイトを決めてしまったが、大丈夫だろうか……。
そう思いつつも、この仕事は自分に合うんではないかと考えている。決して、時給二千円、さらには成功報酬ありとか、そんなものに釣られたわけではない。
喫茶店を出て別れ際、八千代はもう一度「よろしくお願いします」と頭を下げた。
「こちらこそよろしく、千代田さん……ああ、そうだな、千代田八千代さんだから——【ちよちよ】で良いかな」
え? 何が? もしかしてあだ名ですか? そうは思ったが、とりあえず「はあ」とだけ八千代は答えた。
「それと、いろいろ気にしていることを言ってしまって悪かったね」
と神奈川は自分の首に手を当てて言った。
そのジェスチャーに、八千代はビクッとして「別に気にしてません!」と神奈川に背を向けて歩き出した。
「はああー」
と八千代は空に向かって大きく息を吐き、伸びをする。
何か——、確証はないが、これからは何かが変わりそうな予感を感じていた。
そして、神奈川は余計な一言が多すぎるのも感じていた。
確かに、先ほどのあれもそうだ。別に八千代は首のたるんだ皮を気にしてタートルネックを着ているわけではない! たぶん!
「お前も一言多いんだわ! 次からは絶対ナレーター代えてもらうからね!」
……それだけはやめて。
数日後——午後十時半。
「もしもし……うん平気、まだ起きてたよ。こんな遅くにどうしたの?」
電話の相手は桜枕だ。八千代が探偵のバイトを始めたことを聞いていて連絡して来たようだ。
「あのね、
どうやら、理学部地球惑星物理学科准教授。
「明日……分かった。今すぐ所長に連絡してみる。でも、これって仕事の依頼で良いのかな? 知り合いとはいえ料金発生するよ? とりあえず待ってみる? そっか、その可能性があるんだね。分かった。すぐに連絡するよ!」
こうして、八千代の新しい物語が始まった——。
おしまい
コレカラノオンナ FUJIHIROSHI @FUJIHIROSI
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます