短編:数年後の俺と君
※小説家になろうの方には掲載済の短編です。
暖かな部屋の中、テレビから声が聞こえる。
再生されている映画は佳境に入っており、画面の中では男女が真剣な表情で何かを話している。……が、今の俺の頭には会話内容が入ってこない。むしろストーリーも数十分前から分からなくなっている。
眠い。
映画は面白いのに眠さが勝る。
うつらうつらどこではなく、ガクン、と大きく頭を揺らせば、隣に座っていた珊瑚がそれに気付いて「健吾さん」と呼んできた。
「健吾さん、眠いんですか?」
「……ん? いや、大丈夫だ。……大丈夫」
「昨日、遅かったって言ってましたもんね」
「仕事がなぁ……」
大学を卒業し、就職して三年。
仕事も覚えて後輩もでき、会社の先輩や上司からは「今が一番大変な時」といわれている。その言葉通り、任される事と出来る事と頼られる事がごっちゃになって、やりがいと達成感はあるがその分きつい時もある。
そのうえ年末と繁忙期が重なって十二月の半ばからは残業続きだ。クリスマスに合わせて休みを勝ち取るための残業でもあったのだが。
おかげでせっかくクリスマスイブに二人きりの時間だというのに眠い。
だがそれだけではない。眠いのは残業続きだからではない。
……昨夜は色々と考えたり緊張したりで、あまり寝付けなかったのだ。
結果、今日は朝から珊瑚と出掛ける予定だったものを昼から家での映画鑑賞のあと外食に変えてもらった。
急遽予定を変更したうえに眠いなんて失礼だ。そう思えども眠気は増す一方で、珊瑚がそっと腕をさすってきた。
「少し寝たらどうですか? 夕食は外に行くんですよね?」
「……レストラン、ちゃんと取ってあるから。……ふぁ」
話の最中に思わず欠伸をしてしまう。「悪い」と謝罪をするも珊瑚に怒っている様子はなく、それよりもと寝るように促してくる。
だけどせっかくの家での二人きりの時間。それを寝て過ごすなんて勿体ない。というかせっかく来てくれた珊瑚に失礼だ。
……でも。
今はひとまず仮眠を取っておいたほうが良いかもしれない。
夕食のその後のために……。
「そうだな、少し寝る。悪いなせっかく来てくれたのに」
「大丈夫ですよ。夕方になったら起こしますね」
「……ん、頼む」
うつらうつらと微睡む意識で答え、ゆっくりと立ち上がる。
寝室へと向かえば、珊瑚の「おやすみなさーい」という声が聞こえてきた。
◆◆◆
「健吾さん、健吾さん」と呼ばれて、微睡んでいた意識が浮上する。
なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。賑やかで、騒がしくて、楽しくて、そして少しずつ珊瑚と近付いていったあの時間……。つい先日のように鮮明に思い出せるし、それでいて酷く懐かしくもある。
そんな思いを抱きながらぼんやりとする意識でもぞと上半身を起こせば、珊瑚が俺の顔を覗き込んできた。
彼女も既に大学を卒業し社会人となった。あの時よりも大人っぽくなっている。だがやはり高校時代の面影はそこかしこにあり、目を細めて「健吾さん」と笑う表情は当時のままだ。
珊瑚を好きになって、思いを告げて、待って、待っている間にも何度も想いを告げた。
今になって思うが我ながらしつこい男だ。
だけどそのかいあって珊瑚は俺を選んでくれた。今この時も、俺の恋人として居てくれている。
だけど、いや、だから、今日こそは……。
今日こそは言うんだ。
返事は直ぐじゃなくていい。迷っているなら何年だって待つから。
高校時代にあれだけ待ったんだ、今更追加で待たされたって構わない。
だから。
「俺と結婚してください」
布団の上に置いてあった彼女の手を取り、真っすぐに見つめて告げる。
珊瑚はきょとんと目を丸くさせて数秒間を開けた後……、
「はい」
と、嬉しそうに微笑んで頷いてくれた。
あぁ、良かった、返事を貰えた。
今日って決めていたんだ。クリスマスイブにプロポーズなんてチープな気もするけど、ちょっと背伸びしたレストランで食事をして、イルミネーションを眺められる公園で二人で過ごして、そこでプロポーズを……。
する予定だ。
予定なんだ。
でも今、返事を貰った……。
「えっ!?」
思わず声をあげれば、驚いたのだろう珊瑚がきょとんと目を丸くさせている。
次いで彼女はほんのりと頬を染めながら首を傾げ「どうしました?」と尋ねてきた。照れくさそうな表情、なんて可愛いのだろうか。だが彼女の問いかけに答えている余裕は今の俺にはない。
だって俺はこのあと夕食後にプロポーズをしようとしていたんだ。
だけど今珊瑚から返事を貰って、つまりその前に俺は……。
「い、今のは違うんだ……!」
「違うんですか?」
俺の言葉に珊瑚が疑問の表情を浮かべ、そして「違うんですね……」と切なそうに俯いてしまった。
これはつまり俺のプロポーズが無かった事になったと思ったんだろう。だけどそうじゃない、そういうわけじゃないんだ。
「違う、そうじゃない。違うといってもそういう意味で違うんじゃないんだ!」
「違わないんですか?」
プロポーズはやはり正しかったと考えたのか、珊瑚がパッと表情を明るくさせた。
一瞬で花が咲くような表情の変化。その表情もまた可愛くあるのだが、やまり今の俺には愛でている余裕は無い。
「違うっていうのは今がっていう意味で、結婚してほしいしプロポーズもするつもりだった。だけど今じゃなくて、いや、でもまだ先っていう程じゃなくて、今日はそのために予定していたからその時で、だから今じゃなくて、それで……!」
寝起きの頭は碌に働いてくれず、なにからどう説明して良いのか分からない。
ただとにかくプロポーズする予定ではあったことを伝えなくては、と考えて必死で訴えるも、焦ってしまい自分で何を言っているのか分からなくなってくる。
あぁ、ちゃんとシミュレーションしておいたのに……。それも何があっても冷静にいられるように様々なパターンを予想しておいた。
だけどさすがにこんな状況は想定していない。
そんな俺に対して珊瑚は首を傾げたまま「健吾さん」と俺を呼んできた。
「コーヒー飲みますか?」
これはきっと「ちょっと落ち着いて」という事なのだろう。
「……いただきます」
項垂れながら答えれば、珊瑚がクスクスと笑うのが聞こえてきた。
きっと楽しそうな表情をしているのだろう。少し悪戯っぽく笑っているかもしれない。
その表情はきっとたまらなく可愛らしいものなのだろうが、生憎と今の俺は情けなさと不甲斐なさと恥ずかしさで顔を上げることが出来ずにいた。
◆◆◆
「夕食後にプロポーズをするつもりだったんですか?」
「そう。イルミネーションが見える公園あるだろ。あそこに行って、ベンチで何か飲みながら……。で、頃合いを見てプロポーズする予定だった。開き直って言うけど指輪も買ってある」
コーヒーを飲みながら今日持っていく予定だった鞄を指差す。
あの中には先日買っておいた指輪が入っている。プロポーズの後に渡す予定だったが、もうこの際全てネタバレしてしまえという悲しい開き直りだ。
イルミネーション輝く雰囲気のある公園で出されると思っていたら鞄の中で暴露されるのだがら、きっと指輪もさぞやビックリしているだろう。無機物に対して申し訳なさすら覚えそうだ。
「だからレストランの予約も取ってくれたんですね。クリスマスイブだからどこも予約でいっぱいになるからかなぁ、ぐらいにしか思ってませんでした」
「俺だって色々と考えてるんだよ。社会人になって三年目で俺の仕事も忙しいけど安定してきたし、珊瑚だって仕事に慣れ始めてきただろ。だから……、まぁ、返事を急かす気はなかったし、珊瑚が待てっていうなら年単位で待つつもりだったけど」
「年単位!?」
珊瑚が驚いたように声をあげる。……が、俺はそんな彼女の頬をむにっと摘まんだ。
「付き合うまでに何年俺を待たせたと思ってる? ん?」
「そ、それは……」
頬を摘ままれたまま珊瑚が言い淀む。
挙げ句「レストランの予約時間が」と話題を誤魔化してきた。それに免じて手を離してついでに頬を軽く撫でてやれば、珊瑚が嬉しそうに俺の手にすりよってきた。まるで撫でられる猫のような仕草だ。
「私、すぐに返事をしたでしょう? もう待たせたりなんてしませんよ」
「……ん、そうだな」
甘えてくる珊瑚が可愛く、頬を撫でたままそっと彼女に顔を寄せた。
心地良さそうに目を細めていた珊瑚が察して目を閉じる。頬を撫でる俺の手にそっと自分の手を重ねながら。
なんて可愛いのだろうか。その魅力に誘われるようにキスをする。
柔らかな感覚。キスをしているという実感。付き合ってから何度もキスをしているが、いまだに嬉しくなる。
その感覚を惜しむようにゆっくりと唇を放し、余韻を胸に見つめ合い……、
「今夜、改めてプロポーズしてくれるんですよね」
という珊瑚のニンマリとした笑みに、思わず「えぇっ!?」と声をあげてしまった。
だというのに珊瑚はさっと立ち上がり、「そろそろ出かける準備をしないと」とあっさりと話題を変えてしまう。更には俺に対しても準備を急かしてくるのだ。
これは話題を変えることで俺に拒否をする隙を与えないつもりだ。恋人だから分かる。……というか、この性格は付き合う前の段階から把握している。
「も、もう一度って、それも今夜!? 改めるにしてもせめて別の日に」
「駄目ですよ。今夜って決めたなら今夜決行しないと。プロポーズはタイミングと勢いが大事なんですから!」
「タイミングもなにも、もうプロポーズしてるだろ。珊瑚だって返事してくれたわけだし」
「あんな寝惚け眼のプロポーズは認めません。ちゃんと予定通り、夕食を食べた後、イルミネーションの見える綺麗な公園で私のまえに片膝をついて指輪を手にプロポーズしてください」
「ちょっと待てなにしれっとハードル上げてるんだ! そこまでは予定してないからな!」
「私も新鮮な反応しないと。涙出るかなぁ。言葉を詰まらせた方が良いですか? それとも抱き着きます? 左手を差し出して指輪を着けてもらうのもロマンチックですね」
どうしましょうか、と珊瑚が楽しそうに尋ねてくる。
なんて楽しそうで悪戯っぽい笑みだろうか。これは俺の二度目のプロポーズを心待ちにしつつ、同時に今の俺の反応を楽しんでもいるのだ。高校時代から数え切れないほどに見ている表情である。
……そして俺はこの表情に弱い。
いや、弱いのはこの表情だけではないけれど。
これは勝てないと俺は小さく唸り……、「よし分かった」と覚悟を決めて上着を羽織った。
出掛ける準備。むしろ気持ち的には出陣と言っても過言ではない。
覚悟を決めろ、敷島健吾。気持ちを伝えたうえでのアプローチなんてもう何度もやってるじゃないか。
「イルミネーションの見える綺麗な公園で片膝ついて指輪を手にプロポーズだな。分かった。覚悟しておけ、人通りのど真ん中でやってやる」
「人通り!? ま、待ってください、そこまでの期待は……!」
「あの公園で一番人が多い場所はどこだったか……。イルミネーションの演出に変化もあるから、一番派手に光ったタイミングを狙った方が良いな。なんだったらその後にお姫様抱っこでもして公園を一回りするか。『私達結婚します』って看板掲げて」
「ロマンチックの欠片も無い! もう! 冗談ですよ!」
自棄になった俺の提案に珊瑚がふくれっ面で訴えてくる。
焦る俺の姿を楽しんでいたのにしてやられて不服なのだろう、じっとりと睨みつけてくる。……もっとも、睨みつけつつも出かける準備はするし、準備を終えると玄関で待っているのだが。
その分かりやすさが可愛くて思わず笑えば、珊瑚が「予約の時間!」と急かしてきた。これが照れ隠しなのは言わずもがな。なにせ時間はまだ余裕がある。だがそれを言えばレストランまでの道中ふくれっ面を眺める事になりそうで、俺は笑いたいのを堪えて「分かった」と応じた。
「そもそもすべては健吾先輩が寝惚けてプロポーズをしたからなんですよ? 私がすぐに返事をしたのに『違う』なんて言い出すし」
「分かった分かった、悪かった。ほらもう行こう」
促せば、長引かせる話題ではないと考えたのか珊瑚が素直に応じて俺と共に部屋を出る。
そうして冬の寒い風を感じながら部屋を出て……、俺は珊瑚の手をそっと掴んだ。ゆっくりと指を絡ませて握る。暖房のついた部屋にいたからか、珊瑚の手はほんのりと暖かい。
「その……、まぁ、さすがに寝惚けてってのは無いって俺も分かってるから、だから、一応、ちゃんと今夜改めて言うつもりだから」
「……健吾さん」
「あ、でも片膝ついてとかはやらないからな。公園っていっても静かな場所で、落ち着いて……」
そこで、まっすぐに珊瑚の顔を見て。
もちろん今度は寝惚けたりなんかしない。
「ちゃんとプロポーズするから、またすぐに答えてくれよ」
そう告げれば、珊瑚が僅かに息を呑み……、
「だから、昔から健吾さんはそういうところなんです……」
と、頬を赤くさせてそっぽを向いた。
そのまま早歩きで進んでしまう。だがまだ手を繋いでいるので俺も早歩きで彼女の後を追う。
「そういえば、高校時代も何度か『健吾先輩はそういうところです』って言ってたよな? なにがそういうところなんだ?」
「そういうところはそういうところです」
「さっぱり分からん」
「引いたと思わせて真っすぐにぐいぐいくるところですよ。健吾さんのそういうところが昔から変わらなくて……、それで、そんなところが昔から好きなんです」
最後の言葉は随分と声が小さく、まるで囁くような声量。そのうえ珊瑚はすぐさま「さぁ行きますよ!」と声をあげてしまった。
だがその顔はいまだ真っ赤だ。心なしか繋いでいる手も熱を持っている。恥ずかしいのか普段よりも握ってくる力が強い。
あぁ、まずい、にやけそうだ。
というか確実ににやけている。レストランに入る前に、むしろ人通りに出る前に表情を戻せるだろうか。
「役所寄って婚姻届けもらってから行くか」
愛おしさのあまりそんな事を口にすれば、珊瑚が「調子にのるのはそこまでです!」と厳しい指摘と共に、絡めていた指で俺の手の甲に爪を立ててきた。
これもなんだか可愛いし、更にはプロポーズの答えだって分かりきっているのだから、俺の顔はきっと今日一日緩みっぱなしだろう。
……end……
「先輩の妹じゃありません!」 さき @09_saki_12
★で称える
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