十次元 SF

 先に断っておきますが、この巻物は非常に長いです(6000字程)。

 ただ、本当は晒したくなかった私のSF観とその構造の一端をチラリズムしますので……封印を解いてしまったのであれば、どうか最後までお付き合いください。

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 皆さま、コンニチハ。射法八節を超えて放たれた『光陰の矢』が切り拓いた世界。それがこの蒼翠琥珀フィールドに展開中の『夢幻狸の琥珀世界アンバーワールド』です。


 数あるSF世界の一つですが、この世界の特徴は「狂気の沙汰サイエンス」という骨格で構成されていること。狂気の沙汰サイエンスとは通称『科学』。

 よそのSF世界にありがちな科学技術のように仰々しい術式の基盤ではなく、「よくワカラナイ奇妙な物事でも、まあ懲りずに眺めてみるか」といった至極のんびりした概念でございます。


 『有り得ないけれど、在るかも知れない世界』とも称される胡乱うろんな世界。まあ一応「創世記」みたいなものも語り継がれております。

 思考の奇想空層レイヤーに存在するとでも言いましょうか。


 ワケがワカラナイな。それで良いのです。この『無色茶論』の第二章のタイトルは【不可視の七不思議】。この十次元のSF話が七つ目です。


 最近このの新たな解釈を見つけたので、ここにちょいちょいと書き散らかしておきます。


   *


 まず七不思議っての不思議のことだと思っていました。ですが<七>は単純にとして充てがわれているだけじゃないのか。<思ったほど不思議な現象や存在>ののように。


 七不思議は「不思議だがこれもなのだ」という意味で、言うなれば<SEVEN FACTS;SF>。割り切れないかもしれないけれど、観測しちゃった以上は存在を認めざるをえないよね〜ソウイウ事も7つ8つはあるだろうさ〜というの話ではないかと。



 そうシてその<七>というモとい「不思議」を認めルのであれバ、そんなものはモハヤ。モウ末広がりに世の中ワッケのワカランことだラけですネ〜。ハハハ8HAPPY!!! と次元ヲ超越し、無限の八次元に跳躍するのデス。



 これが全てを有耶無耶に帰する最終奥義。究極の無秩序。



   *



 ああ、もう十次元なんですね(遠い目)。ずいぶん遠くまで来てしまいました。


 先ほど『有り得ないけれど、在るかも知れない世界』が思考の奇想空層レイヤーに存在するとお話しましたけれど、空間なんて幻想ですから、<SPACE FANTASY;SF>の世界なのです。


 わたしはこのひょっこり現われる奇想空層レイヤーを【超現実】と呼んでいます。

 他の人は知りませんが。


 光陰の矢によって切り拓かれたの一断片。肉眼では視ること叶わず、によってのみ触れることができます。


   *


 さて、いよいよこの「エッセイのようなもの」の核心に迫ります。


 超現実世界の『夢幻狸の琥珀世界アンバーワールド』は、科学をベースにしつつ、シュールで色付けした世界です。ですから我々の世界基盤は科学技術ではなく。ま、自然現象と言いましょうか。

 の術式はすべて『芸』なのです。『芸』とは何をおいても愉しむもの。「よくワカラナイけれど、まあ眺めてみるか」と気軽に向き合って良いものです。


 私が表現する『、それもまた現実』はを超えた魂の。そこから生まれる。すなわち<SPIRIT FUNCTION;SF>の世界。



 少し話が逸れますけれど、食品業界などにおいて、五感を計器としてフル稼働し、数値化出来ない評価を行うことを「官能検査」と言います。

 例えば「この酒はまろやかで、非常に香り高い。爽やかながら含みのある余韻が残る」などと酔うことも許されず、淡々と「言葉による表現」をもって評価します。



 ですからもし、私が発振する感応小説中の表現マイクロウェーブが、電子レンジのように皆さまの感性をガタガタいわせているようでしたら、それは官能小説とも言えましょうけれど、その辺りの解釈は自由でございます。



 そもそも『夢幻狸の琥珀世界アンバーワールド』は自由な解釈から生まれた情熱満ち満ちの世界。ことが大前提。


 誰しも波打つ自分だけのを持っており、それはであり、時に絡まり合い、色を織り、いつしか解け、また、ただの糸に戻ってゆく。


   *


 『超理論』に基づいたイトが束ねる世界で芸術アートを介した『』を交わすのです。


   *


 こんな風に書くと、「ああ、この狸は言葉をチョロまかして遊んでるんだな」と大抵の人が思うでしょうが、狸としてはごく真面目に、そして真剣に「言葉」を徹底解析して丁重に扱っているのです。


 漢字に妙なを振って喜んでいるのではなく、その世界のを示しつつ、厳密に意味と音イメージを張り合わせているのです。


 『超イト理論』に関しても、SF世界で議論されている『超ひも理論』に引っ掛けて遊んでいるのではなく、こちらの世界における確固たる根幹であり、があるのです。


 そういった根本からの創世界アートなのです。


   *


 とまあ、こんな風にSFだ芸術アートだと書いてみたところで、これっぽっちもワカラナイでしょう。たとえ『無色茶論』の果てまで読んだとしても。

 本当はあまり具体的な話を引き合いに出したくはないのですが、流石にこんなところまでお付き合いいただいた皆さまに全く誠意を見せないというのも心苦しい。


 そういうわけで、までお付き合いいただくことを条件に、少しだけイメージをお伝えしておきましょう。



 例えば、この世界の<SF>、そして<芸術アート>について。



 冒頭でもお伝えした通り、「よくワカラナイ奇妙な物事でも、まあ懲りずに眺めてみるか」という「狂気の沙汰サイエンス」が我々の世界基盤。

 ですから『不思議の国のアリス』や『モモ』が<SF>であり、ピカソや岡本太郎が<芸術アート>なのです。繰り返しますがシュールな世界なのです。



 感応のままに、こそである。


   *


 ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する亀のカシオペイアは、の存在で、を持っています。だからこそ、世界のまで行ける。


 そう! これぞ、SF!


 モモは時間の花を持って、たった一時間というの中で奮闘します。これが人と時間の関係なのです。そして私もこととに重なりを感じるからこそ、九次元で「時間」を「桜華」に例えてお話ししたのです。


 は実に的なもの。それが真理かもしれません。


   *


 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の原文に見られる言葉遊びやナンセンス。という変換作業。そうして子供を愉しませつつ、固定観念を打ち破るという巧みな<芸術アート>で、シュールな世界を構築する。


 例えば、教育訓の話。「読み方(Reading)」を「糸巻き(Reeling)」などとナンセンス(しかしどこかで風刺的)に変換する。しかもそれを亀に喋らせる。そうなると「文字が這うようにゆるやかに糸巻きに巻き取られてゆく光景」しか残らない。


 そうして「言葉というのは、ある種の力で引き出せば、素直に流れ出てくるものですよ。ですから巻き取るようにおしまいなさい」という風にも聞こえてくる。


 アッパレ!


 これはもう、軽妙にしているようにしか視えないのです。


   *


 狸はそういったギミックを上手い美味いと妄想しながら、こういったウィットな味付けのエスプリ料理を考えたいものだと夢を視るのです。

 だからこそ「読むこと(Reading)」は、書くことの「先導(Leading)」になるのか、なるほどナルホドとむにゃむにゃ言うのです。


 また、言葉をとかとか言うのも、意図を載せた言葉イトを引き出したり巻き取ったりと、できるだけワカリニクイ(つまりナンセンスな)ことをやっておるのです。大抵の人がスルーしているはずなのです。



 【狂気の沙汰サイエンスグリルのマジカルキノコ添え〜シュール風ソースで〜】



 私のSF小説は「うっかり食べるとメタモルフォーゼしますよ」とでも言いましょうか。後ほどもっと美味しそうな料理を思いついたら、コッソリ書き換えますのでご了承下さい。お好きなメニューをご提供いただくのも結構。


 もちろん私のナンセンスはで料理してください。


   *




 外側からのではなく、内側からのによって生まれた

 これをSFと呼んでいます。


 新しい星の誕生、つまり超新星爆発<SUPERNOVA FORMULA;SF>。

 ただの萌芽。知らない世界の芽生え<SPROUTING FORMULA;SF>。


 爆発こそ芸術。芸術はナンセンス。意味なんて無いのです。


 『超理論』に基づく『夢幻狸の琥珀世界アンバーワールド』はそんなシュールなSF世界です。

 



   *


 それはそうとと言えば『シュルレアリスム』。これも浅はかな知識のままに、恥ずかしげもなく書き散らしておくことにします。



 まず、前衛的な思想として『ダダイスム』という芸術運動があり、<批判><破壊>の姿勢で、第一次世界大戦の時代に風刺を中心に表現されました。

 かの有名なウルトラヒーローと対峙した、白黒の幾何学シマシマの全身タイツ怪人の名前もダダイスムに由来します。「これまでの常識では理解しがたい存在」といった意味合いのようです。


 エッジの効いた思想も作風も、当時の人々の心に深く刺さったことでしょう。ですが強烈なインパクトは熱が冷めるのも早い。<批判><破壊>のままではいけないという反発により生まれたのが『シュルレアリスム』です。


   *


 『竜の爪』の鱗を形作ったの手法は『ダダイスム』の頃から用いられていました。ことで出来上がった明らかな継ぎ接ぎ境界線は『シュルレアリスム』によってシームレスに。

 第二次世界大戦の終わりに向けて活気づいた思想です。


   *


 ピカソのキュビスム的なと言ったほうがイメージしやすいかもしれません。素材を一旦にしてしたことで、様々なが浮き彫りになった一枚の絵。『キュビスム』は色んなで眺めることで、本質ハダカに近づこうとする試みなのです。


 例えばピカソの『泣く女』。美術的素養の欠片もない、ただの一介の鑑賞者としての解釈を書いてみます。そうすることで私の視点が少し垣間見えるかもしれません。

 ピカソ周辺のスキャンダラスな話題はとりあえず無視して、絵だけを見て感応することにします。


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 女というのは自覚、無自覚に関わらず、独特の鋭敏な感応装置センサーを無数に持っていて、そのが絶好調の時は「女の真価」のようなものを発揮する。しかし、その糸は絡まりやすく、ときに疎ましい。


 糸が絡まること自体が格好悪いし、ほどこうと藻掻く無様な姿は見られたくない。うまく事が運ばないと焦燥と嫌悪が募る。

 そこへ来て「なんだそりゃ、一体どうなってんだ?」な〜んて踏み込まれた日には「見〜た〜な〜」では済まさず、「自分でもよく解らねーんだ! このあんぽんたん!」と一蹴したうえで温もりを欲しがるいびつな生き物である。


 そして女の真価とあんぽんたんを、のように周期的に繰り返すのだ。


 「女を泣かせたい、泣く女こそ美しい」と感じる人もいるかもしれないが、多くの老若男女にとって「泣く女」は恐らく面倒である。そしてギャラリーは「あーあ、泣いちゃったよ。あの男何やらかしたんだろうね〜」などと噂する生き物。


 しかし……


 美しいと思っていた女の正面は、氷山の一角に過ぎないのではないか。ピカソは外野など気にもとめず、そのことに気づく。共に過ごすほどに浮き彫りになる別の側面。その全てが氷山の本質である。だからこそ、あらゆる側面を許容する。


 それが真実であり、全て、愛しい。これが人のである。


 女は真実よりも己が認める正面だけを見ていて欲しいからこそ泣く。ギャラリーは「あの男、何考えてんだ? やめてやれよ……痛ましいよ……」と異様な光景を見て心がざわめく。

 そうしてピカソが許容した『泣く女』は、理解の及ばないある種のとして鮮明に心に刻まれる。


 『泣く女』は醜か、美か。解釈は自由なのだ。この世はただ、許容に満ちている。

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 シェイクスピアの『マクベス』の魔女に言わせれば『美醜相対性理論』。

 「きれいはきたない、きたないはきれい(※)」というあの有名な呪文のことです。立場によって解釈が変わりましょう。

 ソウイウことなのです。オモシロイ・ツマラナイと同じく。


 ま、私が考えることなど、世界中で同時に誰かが考えていますから、こんな話は有名なのかもしれません。色んな人が各々の視点と独自の方法で、同じことを表現しているようなことも、ままあることです。


 ただ、私が開発した眼鏡型双眼鏡『ニッチモ察知ャーシュルレアリスム』を通して視えたお話。


 黄色と青色を重ねたら緑色になった。そんな目に優しい緑色が蒼翠琥珀フィールドに生まれようとしています。『ニッチモ察知ャーシュルレアリスム』は色フィルター可変式眼鏡。『夢幻狸の琥珀世界アンバーワールド』の旅のお供におひとつ……


 お求めの際ハ、蒼翠琥珀フィールドのカスタマーセンターまデ、お気軽にお問い合ワせ下サイ。HomePieのURLはhtt......ピ――――


   *



 物事のは色々あって良いし、【意伝】させてみればいい。


 必ずしも共鳴するとは限らず、それで構わないのです。私はただひたすら、垣間視たものをひっそりとカンヴァスに描いて、小説の皮を被らせる。


 そうしてようやく自分が生み出したものを眺めて、なんだ、既に『不思議の国のアリス』や『モモ』があるし、ピカソや岡本太郎がもっと凄いことやってるじゃないかと気づくのです。


 ただ、それだけのことです。



   *



 ずいぶんと長い巻物スクロールで失礼しました。

 私のSF小説について、「?」と感じている方は少なくないでしょうから、こういった機会を設けて書いてみました。本当は晒したくなかったハダカに近い部分です。


 少しおさらいしておきましょうか。


<SEVEN FACTS;SF>

<SPACE FANTASY;SF>

<SPIRIT FUNCTION;SF>

<SURREALISM FRUITS;SF>

<SUPERNOVA FORMULA;SF>

<SPROUTING FORMULA;SF>


 思考の奇想空層レイヤーの片隅に生まれた摩訶不思議な話を、叫び、伝え、共鳴すれば、いつしか現実を超える。五次元のSFを超越したところにまた、現実という名の<SPECULATIVE FRUITS;SF>が生り、それを喰らうのは狂気世界<SCIENCE FANDOM;SF>の住人や訪問者なのです。



 禁断のSF果実はタイムトラベルしながら、あらゆる意識に点在します。あまり難しく考えず、思考の片隅によぎったら、齧って種を蒔いておけばいい。


 それこそ生命の起源。(パンスペルミア説)


 全ては『太陽の塔』の中に。『太陽の塔』は生命の種を搭載した彗星。爆発すれば生命が誕生する。これぞ芸術。七次元の「存在と認識」も全てナンセンス。

 生命の始まりに意味など無いのです。

 生命は


 無為自然に、ただ在るというだけですから。



 それが七不思議。割り切れない世界の話。

 ただし、それを超えると無限の可能性に満ちています。


 私が描いているのは、ソウイウ・ナンセンス・ナノデス。





【参考文献*インスピレーションの原泉】

◉ミヒャエル・エンデ 著, 大島かおり訳. 『モモ』岩波書店. (1988)

◉ミヒャエル・エンデ 著, 丘沢静也 訳. 『鏡の中の鏡』岩波現代文庫. (2001)

◉岡本太郎 著. 『今日の芸術』光文社. (2018)

◉シェイクスピア 著, 福田恆存 訳. 『マクベス』新潮文庫. (2016)

(※第一幕 第一場より引用)

◉九鬼周造 著. 『「いき」の構造 他二篇』岩波文庫. (1979)


(注)本エピソードに登場した著名な創作物及び創作家は単なる憧れの対象であり、当方の創作物とは何の関わりもありません。





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コレより先ハデスから、のご準備ヲ……

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