七次元 存在と認識

 ああ、皆さん……先日はお騒がせしました。


 今日は……【意伝】したをどのように認識するか、という話をしましょうか。


『俺たちの書読遊歩の話をすればいいのか?』

「ええ、そうしましょう」


 わたしと蒼翠そうすいのように書読界を周遊することを、人はと言うそうです。


『まず読書のの話だな』

「はい。登場人物に憑依するか、顕微鏡のステージに乗せて観察するか。つまり打ち上げ花火をから見るかから見るか」


 我々はその作品の全体像や色合い、キャラクター、場面展開をズームイン・ズームアウトをしながら眺めています。蒼翠そうすいはキャラクターが眠っている間に深層心理に添い寝することもあるらしいのですが、ちょっと何を言っているのかよく解らないのでスルーします。



 どんな作品にも骨と血と肉があって、それぞれが色んなエッセンスで構成されているもの。作者は一つの作品に昇華するため、物事をあらゆる角度で眺め、切り口を創り、彫刻を仕上げていく。

 その大元の塊は作者の知識と経験に新たな調査結果を混ぜ合わせ入念に練り練りした秘密のタネ。そこから芽が出て生えた木が大樹になり、それを切り倒して削り出したが『書読の森』に棲息しているのです。


『つまり俺たちは森の熊さんを眺めているわけだ』

「どの木彫りも可愛いのですよ。それを我々は樹に登って双眼鏡で眺めるのです」

『さっき顕微鏡って言ってなかったか?』

「そんな細かい世界の話は止めましょうよ」


 森の熊さんに夢中になってくると、時折ふさふさした毛が生えているように思えてくるのです。目を擦ってもう一度眺めてみても、木彫りのはずが温かみを感じるし、もふもふしたくなる。一体なぜでしょうね。



『危険だな。それって、作品と作者が重なって見える現象だろ』

「う〜ん、そうなんですよね〜」


 解っちゃいるんですよ。書ける人は如何ようにも書けるんだから、キャラクターの個性、言動や行動、思考パターン、興味の対象、作中に登場するありとあらゆるものはあくまで木彫りなのだと。

 そりゃあタネを作る際の知識や経験には作者が絡んでいるわけだし、作者自身の願望だって適度に織り込んでおけば、読者の気持ちを揺さぶるギアになるでしょうけれど。


『でもどれが興味や願望で、どれが書くために調査したことなのかは判らないだろ』

「全くそのとおりです」




 あの狸がいい例ですよ。まるで「ずっと琥珀が好きでした」みたいな風を装ってますけども、元々は「虫とか入ってる黄色い石」くらいの認識でしかなかったんですから。


 ペンネームだって、ゴッホが好きだからあの蒼色と黄色を拝借したかっただけで、「蒼翠ひまわり」じゃちょっと直接的すぎてツマラナイ。

 そうだそうだ。琥珀なんて丁度いいやと採用したことで、蒼翠琥珀などという合成生物キメラみたいな名前が誕生してしまったのです。


『それであの狸は琥珀について猛然と調べ始めたんだよな』

「ええ。あわよくば小説に組み込もうとしているようで」


 前二作ではまだ殆ど出てきてませんけれど、これから琥珀は姿を変えて登場するでしょうから、そのうち琥珀の二文字を見るとアレルギー反応を示す方も現れるかも知れません。まあそれはそれ。仕方のないことです。



『それにさ、林檎を丸齧りするとか、茹で卵に塩振って食べるとか、できるだけ手を加えずに素材そのままを食べるのが好きなんだろ、アイツ』

「でも毎度林檎シャリシャリしてたって、読者はツマラナイでしょうからねえ。だから小説では珈琲を淹れてもらったり、料理を作ってもらったりしてるんですよ」


 あの狸は料理する姿や珈琲を淹れている姿をのが好きなのです。勿論、食べるのも飲むのも好きなんですが。美味しそうに食べる人は勿論、テキパキと取皿によそったのを渡してくれる人には間違いなく惚れてしまうようなチョロ狸ですから、気をつけないといけませんよ。


 好きな時に好きなものを食べられるのは料理する者の特権ですし、何かしら料理するのは毎日のことながら、やっぱり姿を大人しく座って眺めるのが好きなようで。

 たこ焼き屋さんがくるくるしてるのを眺めて喜んでいるし、何なら機械がひたすら一定の動きをする姿ですら、嬉しそうにじっと見ているのです。


『それじゃあまるで狸の置物じゃないか』

「大差ありませんよ」


 こんな風にあの狸が書く小説ですら、何が興味や願望で、どれが書くために調査したことなのかは判らないのです。あれ……大体判ってたのかな。いやいや、そんなはずは。



 ですから我々も森の熊さんに温かみを感じてもふもふしたくなってきた己を察知したならば、「待て! どうやらここは森ではなく作者の手のひらだ。思うツボだぞ!」そう叫んでいつの間にか頭にはめられている金の輪っかをかなぐり捨て、全力疾走の助走をもって如意棒高跳びで離脱するのです。

 適度な距離をとって作品と作者を分離し、あれは木彫りの熊であるという認識に立ち返らねばならんのです。






 どこまでが作者の一部であるか判らないを自由に想像するのが楽しく、時折作者さんが教えてくれたらニヤッとする。それも楽しい。


 一方で小説を読んで、ああこれが作者の趣味趣向であり願望の塊なんですね、と断定的に捉える場合もあるようで。仮に小説が作者の願望パンでも、作者自身がそれをエンターテイメントとして提供しているなら、それはソレで全然構わない。

 しかしあの作品を書いた狸は一体どんなイメージを持たれているのだろう……な〜んてことは考えちゃいますね。



 気に入った作品に出逢ったら、どんな方が書いたんだろうな〜と憧れのままに想像を巡らせ、ちょこまかと狸パンチでコメントを繰り出す割に、自分に興味を向けられると途端に恥ずかしくなるというパラドックス。


 尻尾を掴まれたところで、「なあんだ、触り心地が良さそうなのは被り物だけだったのかよ……中身はポンコツ狸型ロボットじゃないか」と幻滅されるのが怖いのです。要はソウイウ事。だからこそ毛皮を纏う。ハダカになるのはホントに難しい。


 ハダカこそであると理解してはいるのですが。


 いかにも素人っぽい感覚ですよね。皆そんなこと気にせず書いてるんだろうなあ。キャラクターも作者も見えないですから、やっぱりを認識するのは難しいものです。そして今日もまた、作品を通して憧れを抱いてしまう。




琥珀コーパル? 何熱く語ってるんだ?」

「え?」

『お前……まさか、また……』

「え、えっと……と、とにかく今日はこの辺で……」



 ではまた来週。木曜2021に。


 これでこのエッセイの半ばを少しすぎた辺りです。願わくば、もうしばらくお付き合いいただければ。では。

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