蜃気楼少女

S`zran(スズラン)

 

「明日、花火大会があるんだって!」


 彼女は笑顔で後ろ歩きをしながら僕に言った。

 腰くらいまである長い黒髪、前髪の左側にバツ印につけられた銀色の髪留め。

 忘れるはずもない、僕の初恋の人。


「いっしょに見に行こうよ!」


 その願ってもないお誘いに僕は驚き、照れながらも了承した。

 だって、デートのお誘いだと思ったからだ。

 彼女にその気があるかはわからなかったけど、僕にとっては間違いなくそれだった。


 あの時のうれしさは未だに覚えている。

 ドキドキとワクワクで胸が満たされ、明日はどの順番で回ろうか、金魚すくいや射的の練習をした方がいいだろうかなんてどうでもいいことも考えていた。


 その日は眠ることができなかった。

 明日の僕と彼女の様子を想像するだけで眠気が吹き飛んでしまったからだ。

 遠足や修学旅行前夜なんかとは比べ物にならないほど、楽しみで仕方がなかった。

 早く明日になれ、早く明日になれ。

 そう繰り返し願いながら目を瞑り続けてたっけ。


 でも、彼女は来てくれなかった。

 どれだけ待ち合わせ場所で待っても彼女が訪れることはなく、その日はそこで一人寂しく花火を見た。


 待ち合わせ場所は花火が一番きれいに見える場所で、とてもきれいに見えた。

 だからこそ、余計に虚しかった。

 本来なら僕の横には彼女がいるはずだったのに、今はいない。

 現実が酷く突き刺さって、フラれたわけでもないのに僕は泣いてしまった。


 その日以降、彼女が学校に来ることはなかった。

 どうやら引っ越したらしい。

 こうして僕の初恋は終わった。



「……終わったな」

「……そうだな」


 下駄箱で靴を履き替え、学校の正面玄関を出る。

 夏特有の暑い陽ざしが僕と達樹を照らしている。

 これを浴びながら学校に通うのも今日で終わり、明日から夏休みだ。


 高校最後の夏休みなのに待ちわびていた気はしない。

 受験生だし、塾に通って教科書や参考書とにらめっこしているうちに夏は終わる。

 そんな気がしているから、長期休みでも特別視していないのだと思う。


「そういえば、達樹ってなんか予定あるの?」

「俺? まあ、家族と旅行に行ったり部活の大会とかかな。

  今年は高校最後の夏だし、みんなで甲子園行きたいなぁ」


 うちの高校は野球の強豪校で過去に三十回くらい出場しているらしいけど、最近は同じ県にある別の高校に決勝で負け続けて行けていないらしい。

 達樹がいつも悔しそうに語っていたのを覚えている。


「今年こそは勝って、お前をスタンドまで連れてってやるからな!」

「楽しみにしてるよ」

「んじゃ、またな! 暇な日ができたら連絡くれよ!」

「ああ!」


 そう言って達樹は走って校門を出ていった。

 地方大会前の追い込み練習は明日からなのだろう。

 周りを見ると数人の生徒が校門を出て行ったり下駄箱で話しているのみだった。

 

 ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。

 午後を少し過ぎたくらいだ。


「……帰るか」



「ただいまぁ」


 家に帰り、リビングに入ると涼しい冷房が僕を包み込んでくれる。

 最近は猛暑なんて言葉では片づけられないほど暑い気がしてならない。

 もうエアコンなしでの生活なんて考えられない。


「お帰りなさい、圭太」


 母さんは台所で雑誌と並べられた調理器具を交互に見ている。

 最近菓子作りに凝っているらしいが、今までうちの家事を担ってきたのは父さんだ。


 母さんはもっぱら仕事人間で料理なんて全くしたことがなく、本来必要な作業時間よりも多くの時間がかかる。

 そのうえ、失敗することもよくある。

 そんな人が菓子作りまでやろうとするのだから困ったものだ。


 こんな時に限って父さんは出張に行ってしまってしばらく帰ってこない。

 大変な時期だ。


「ねえ、圭太。帰ってきたばかりで悪いんだけど牛乳買ってきてくれない?」

「えっ、一昨日買い物に行ったんじゃなかったっけ?」

「もうすぐでなくなっちゃいそうなのよ。なんでかしら?」


 そりゃ、失敗ばかりするからだろう。

 そう思ったが、言わないようにした。


「こんな暑い中行きたくないよ……」

「そこをなんとか! 味見していいから!」


 それは行いに対する報酬として釣り合わないのだけど、なんて真面目に作っている母さんには言えない。

 僕たちのためにがんばってくれているのだから。


  僕はわかったと言って了承する。

 これくらいするのが家族というものだろう。


「じゃあ、適当なの選んで買ってくるから。いってきます」

「いってらっしゃい」


 リビングを出て玄関の横にあるいろんな鍵をかけておくフックから玄関と自転車の鍵を取って扉を開けて外に出る。

 先ほどまでの快適さとは一転、暑い日差しにジリジリと肌を照り付けられる。

 さっさと終わらせるためにも僕は自転車の鍵を開けてまたがり、デパートへ向かった。



 自転車で走ること数分、目的地に到着。

 道中でハンドルに独特の重さを感じた。

 この自転車も長く使っているし、もうタイヤにヒビができてしまって交換しなきゃいけなくなっているかもしれない。

 いきなり破裂なんてされても困るし明日にでも修理屋に持っていこう。


  駐輪場に自転車を止めてしっかりと鍵をかけてからデパートの中へ。

 さすがに大手のデパートともなれば中は快適だ。


 ここの一階は食品売り場になっていて、母さんと父さんがいつも利用している。

 僕も連れられて店内を回ることはよくあったし、どの辺になにがあるかはもう覚えてしまっている。

 早く牛乳を買って帰ろう。


 店内を歩き、ほぼ最短距離で乳製品売り場へ。

 何種類かの牛乳が並べられている。

 細かい違いはあるだろうけれど、僕からすればどれも一緒だ。


 たしか、奥の方から取った方が良かったはず。

 そう思って奥の方にある牛乳をもってレジに向かう。


 時間は午後三時、平日なのにそれなりの人が並んでいるレジの近くにある商品棚を眺めながら待つこと数分、自分の番が回ってくる。


「ビニール袋ください」

「かしこまりました……百四十五円になります」


 レジ横にある機械に値段が表示される。

 最近導入された会計機だ。

 百五十円を入れてからパネルのボタンを押す。

 おつりとレシートを受け取り、牛乳の入ったビニール袋を持って立ち去る。


 駐輪場に戻るため歩き、外へ出ようとしたときにふと思い出す。

 そういえば、そろそろ赤と青のペンのインクがきれそうになっていた。

 せっかくだし、ついでに買って帰ろう。


 僕は方向を百八十度変えて二階にある文房具屋に向かった。

 エスカレーターを上り終えてすぐそこに目的の店はある。

 中を歩き、ペンが売っている場所を探す。


 あった、ここだ。

 何色ものペンが並べられ、そこから赤と青の二色を一本ずつ取る。

 そして、レジに向かう。


 食品売り場とは違い空いていてすぐに会計を済ませる。

 これで終わりだ。


 エスカレーターに向かう途中でデパートを支える柱に貼られたポスターに目が行く。

 花火大会のポスターだ。


 毎年この地域では夏になると花火大会が行われる。

 それも、結構規模の大きいものだ。

 地元で料理店を経営している人たちが屋台を出すということもあって、遠くの場所から訪れたりする人もいるから結構人気がある。


 最後に行ったのはもう五年前。

 過ぎてみれば、意外と早いものだ。


「……きれい」

「ん?」


 後ろの方から声がして振り向く。

 そこには一人の女の子がいた。


 長い黒髪に銀色の髪留め、赤い彼岸花が描かれた浴衣を着ている。

 どこか彼女に似ていて思い出してしまう風貌で背丈を見るに中学生くらいだろうから、あの子なんじゃないかと疑ってしまう。

 そんなことありえないのだけど。


 それにしても、花火大会が近いからとはいえもう浴衣を着ているなんて珍しい。

 普通当日くらいしか着ないだろう。

 彼女は僕の肩越しにポスターを眺めていたのだろうか、草履で背伸びをしていた。


「あっ、ごめん」


 僕は右に退いて、彼女が見えるようにする。

 彼女はさっきまで僕のいた位置に立ってポスターを眺める。

 それから、僕の方を向いた。


「お兄さんは見に行くのですか?」

「へ?」

「花火大会」


 なぜ見ず知らずの僕にそんなことを聞いてくるのか。

 答える義理はないけれど、無視するのはなんだか申し訳ない。


「……わからない」


 率直に言った。


 塾の夏期講習が本格的に始まる前だし時間的な余裕はあるけれど、行く相手はいない。

 達樹を誘ってもいいが、男二人で行くのはむなしくなりそうで嫌だし、かといって誘えるような女の子はいない。

 だから、わからない。


 彼女は期待していた答えと違っていたのか、つまらなそうな顔をする。

 そうだよね、わからないじゃあまりにもつまらなすぎる。


 しかし、閃いたと言ってすぐに表情が変わる。


「じゃあ、私といっしょに行きましょう」

「君と?」


 なんでだ。

 彼女はなぜ見ず知らずの男、それも年上であろう僕を誘ったりするのか。


 そんなことを思ったところでスマホが震えた。

 ズボンのポケットから取り出して画面を見る。


 よくやっているスマホゲームの通知だった。

 大したことのない内容だと思って、再び彼女に視線を戻そうとするが、彼女は僕の目の前から音もたてずに消えていた。

 周りを見渡しても彼女は居ない。

 まるで、最初からそこに存在していなかったように。


「……なんだったんだ」


 僕はスマホをポケットにしまってその場を去った。



 家に帰り牛乳を母さんに渡した後、僕は自分の部屋のベッドに寝転がった。

 今日から五日間くらいは暇だ。


 早速、達樹とどこかに行こうかとも考えたけれど大会の前だし迷惑になるだろう。

 そうなると、ゲームをするか寝転がってダラダラするくらいしかない。

 ふと、誰かが僕の部屋のドアをノックする。


「圭太、リビングにペン忘れてたわよ」


 母さんだ。


 言われて買ってきたペンを袋ごとリビングに置き忘れたことを思い出す。

 立ち上がってドアを開ける。


「はい、これ」

「ありがとう、母さん」


 短い会話を済ませ、ドアが閉める。

 今のうちにペンケースにある古いものと取り換えておこう。


 勉強机にペンケースを置いたことを思い出し、机の上を探そうと思うと見たことのない紙が机の中央に置かれていた。


 あの花火大会についての広告紙だ。

 いったい誰がこれを。

 それを手に取って眺める。


 思い出すのはあの時の記憶とデパートで会った少女。

 記憶の中のあの子と彼女を照らし合わせてみると、やはり似ていた。

 本人と言っても納得できるほどに。


 だが、あの子は僕と同い年の十八歳のはずで、中学生の時のままなんてことはありえない。

 他人の空似であることは間違いない。


 それでも、否定しきれる気がしなかった。

 絶対的な根拠があるわけではない。

 本能が否定することを拒絶している。

 要するに、僕の勘がそうさせている。

 彼女に会えばわかるのだろうか。


 だとしたら、僕は――。



 二日後、達樹から連絡があって学校の校門前で待ち合わせすることになった。

 二人の家の距離的にも、学校は待ち合わせ場所として最適だ。


 それにしても、今時直接会って話したいなんて言う奴がいるとは思わなかった。

 それだけ、重要な内容なのかもしれない。


 僕が到着して数分後に達樹はやってきた。


「オッス、待たせたな」

「いや、全然。それで、話って?」

「ああ、圭太にしか話せない重要なことなんだけど――」


 それから、達樹の話を聞くこと数分。

 それはありがちなことだったが、僕は初めて経験する相談だった。


「要するに、花火大会でマネージャーに告白しようか悩んでるわけだ」

「ああ、ムード的には最高だろ?」

「……まあ、たしかに。でも、そのマネージャーの子はお前に気があるのか?」

「いや、わからん」

「わからないのか……」


 もう少し伺ってからやるべきだろう、とは思った。

 けれど、達樹は昔からこういうところがある。

 考えるより行動するタイプの人間なのだ。

 それがいい所だし、今更変えろなんて言っても無駄だ。


「まあ、達樹らしくていいんじゃない?」

「俺らしいってなんだよ……でも、否定的な感じじゃなくて良かったよ。そうと決まれば、善は急げってやつだ」

「ああ、さっさとマネージャーの子を誘った方がほうがいい。予定埋まっちゃうかもしれないし」

「じゃあ、俺はこれで。サンキューな!」

「がんばれよ」


 彼はそのままグラウンドの方まで行った。

 そういえば、野球のユニフォームのままだったし、まだ練習中なのかもしれない。

 こんな暑い中運動なんて、僕じゃあ三十分も耐えられない。

 これで学校にも用はなくなったし、早く帰ろう。


 家へ向かおうと校舎に背を向けたをところで、視線の先には見覚えのある浴衣の少女がいて、こっちを見ていた。

 偶然にしてはできすぎているタイミングだ。

 だからこそ、都合がいい。

 草履の音が近づいてくる。


「おはようございます」

「おはよう。もうお昼だけど」

「それで、決まりました?」

「なにが?」

「花火大会、私と行きませんか?」

「……いいよ。行こう」


 僕は決別しなきゃいけない。

 過去に、彼女に。

 例え疑似的なものを用いることだとしても。



 それから日が過ぎるのは早かった。


 夏は夜になっても暑くて好きじゃない。

 虫は多いし、熱中症になるかもしれないし、とにかく暑いに尽きる。

 でも、どんな言い訳を並べたって僕は行かなくちゃいけならない。

 約束したのだから。


 母さんには友達と花火大会に行くってことで話しておいたし、問題なし。

 それよりも、高校生と中学生くらいの女の子が一緒に花火大会に行って良いものなのだろうか。


 いや、考えたって仕方がないか。


 事前に決めておいた待ち合わせ場所に彼女はいた。

 五年前と変わらない場所だ。

 そこに彼女がいるだけで安心した。


「来てくれたんだ」

「あっ、おはようございます。だって、約束しましたから」

「……浴衣、そのままなんだね」

「はい。お気に入りなんです」


 あの子も似合っていたはずだよな、浴衣。

 きっと、こんな感じでさ。


「それじゃあ、行こうか」

「はい」


 さすがはうちの花火大会、端から端まで人ばかり。

 どの屋台も行列ができている。

 空いている場所でも十人は並んでそうだ。


「どれが食べたい?」

「そうですね……定番ですが、焼きそば」

「なら、三丁目のとこのでんさんだね。あそこの焼きそば最高だから」

「是非食べてみたいです」


 目を輝かせながら彼女はそう言う。

 見た目は小柄な女の子なのだが、意外と大食いなのかもしれない。


「それじゃあ、行こうか」


蕎麦屋そばやの田』といえばこの辺りで知らない人はいないほどの名店だ。

 普段は蕎麦しか売ってないが、花火大会の時にだけ屋台で焼きそばを作る。

 店主の田さんはとても接しやすい人でお店と共に街の人に愛されている。

 そんな田さんの屋台ともなれば他のと比べて行列が長い。

 屋台だから回転率はいいけど、十分くらい待つことになるかもしれない。


「お兄さんはどうして私のお誘いを受けてくれたんですか?」

「え?」


 突然の質問だった。

 僕は率直に答えることしかできなかった。


「たまたま予定が空いてたんだ」

「そうですか……うれしいです」

「うれしい?」

「はい。ずっと行きたかったんです、このお祭りに」


 そういえば、あの子も行きたがっていた。

 そのせいか、誘われる前からも何度も行きたいと彼女から聞かされた。

 だから、一緒に周る相手として僕を選んでくれたことがうれしかったのだ。


「次、私たちですよ」

「あ、うん」


 彼女の声で考えを振り払われた。


「こんばんわ、田さん」

「おお、圭太くんじゃないか! いつもありがとねぇ」


 田さんの笑顔は相変わらず眩しい。

 だからこそ、人に愛されてるんだ。


「焼きそば、ふたつで」

「ふたつ? はいよ!」


 田さんは慣れた手つきで調理を進めていた。

 僕たちの番でちょうど作っておいた分がきれたのだ。

 そうなれば、出来立て一番を食べられる。

 とても運がいい。


 あっという間に完成させてしまい、ふたつ分受け取り、代金を渡す。


「はい焼きそばふたつお待ちどうさん! それにしても、よく食うねえ」

「えっ? 僕とこの子の分ですけど」


 そう言って横を見るが、彼女はいなかった。


「この子? 誰もいないじゃないか……あ、次のお客さんどうぞ! それじゃあ、またな圭太くん! お母さんにもよろしくな!」


 田さんは販売作業に戻った。

 僕は嫌な予感がして走り出した。



 彼女はすぐに見つかった。


 田さんの屋台の近くにある金魚すくいに彼女はいた。

 一度深呼吸をしてから真剣なまなざしで金魚たちを見つめる彼女の横に立ち、声をかける。


「……金魚、好きなの?」

「あ、お兄さん。はい、大好きです」

「そっか……これ、持っててくれない?」


 彼女に焼きそばを預ける。


「おじさん、一回いくら?」

「二百円」


 財布をポケットから取り出し、百円玉をふたつ取り出す。


「はい、二百円」

「んー」


 おじさんは金魚を入れる皿と掬いをひとつずつくれる。


「兄ちゃん、金魚すくいできるんか?」

「少しだけ……よっ」


 昔取った杵柄というのだろうか、僕は慣れた操作で一匹すくって見せた。


「すごい……」

「おー、やるやんけ」

「この調子で次も……あっ」


 とはいえ、練習したのはもう何年も前の話。

 継続して練習していなければ当然衰える。

 すぐに破けてしまった。


「はい、お疲れさん。袋に入れるけえ皿貸して」


 素直におじさんに皿を渡す。

 すぐに金魚入り袋が手渡された。

 彼女に預けておいた焼きそばを再び持ち、二人でその場を離れる。

 適当に人混みの少なそうな場所を選ぶ。


「この金魚あとであげるよ」

「え、いいんですか?」

「うん。欲しそうにしてたからさ」

「……ありがとうございます」


 彼女は笑顔でそう言ってくれた。

 五年前に僕が見たかったものだ。

 あの子の笑顔じゃないけれど、これでいいはずなんだ。

 そうやって、妥協していけばいいんだ。


「……食べよっか」

「はい」


 二人で焼きそばの入った容器の蓋を開ける。

 ソースの香りが食欲をそそる。

 少し時間は経っているけど冷めてはいないようだ。


 どこかで座ってゆっくり食べられたら良かったのだけど、この人混みじゃそんな場所もない。

 少し離れた位置に椅子がいくつも置かれたエリアがあるけれど、空いている席はないだろう。


 箸を割っていただく。

 濃厚なソースがちょうどよい噛み応えの麺に絡みついて味よし食べ応えよしの逸品だ。


 彼女の顔をちらりと見る。

 満足そうな表情だ。

 あの子もきっと満足してくれたはずだ。

 それで、当時の僕なら自分が作ったみたいに自慢していたのだと思う。


 食べている顔が見たかった。

 未練だらけじゃないか、僕は。


「おいしいです」

「いいでしょ? この辺じゃ一番だよ」


 ポケットに入れたスマホを取り出し、時間を確認する。

 もうすぐ午後八時、そろそろ始まるころだ。


「ねえ、行きたい場所があるんだけどいいかな?」



 普段あまり参拝者の多くない神社。

 夏祭りの日になればここを中心地に町全体が盛り上がるけど、花火の打ち上げの時だけはほとんど人がいない。


「ここは?」

「隠れスポットだよ。もう始まるよ」


 一呼吸分の間、昇る音。

 そして破裂。

 空にひとつ赤い光の花が咲いた。


「わぁ……きれい……」

「ここって人も少なくてよく見える位置なんだよね。ずっと前に偶然見つけたんだ」


 本当は何度目下調べをしてここが一番見やすい位置だろうと考えて、当日あの子を連れてくる予定だった。

 最初の一発につづき、どんどん花火が上がっていく。


「ありがとうございます、こんな素敵なところに……どうしたんですか?」

「えっ、なにが?」

「なんで悲しそうなんですか?」


 悲しそう、か。

 そうか、そうだよね。

 そうに決まってる。

 やっぱり、悲しすぎてだめだ。


「……僕が見たかったのは、あの子だから」

「……」

「僕が求めてたのは君じゃなくて、あの子。見た目は似ていても全然違う。僕の中のあの子である君じゃ意味がないんだ。本物のあの子じゃなきゃ」

「……だめですか?」

「うん。焼きそばを食べたって、金魚すくいをしたって、花火を見たって、幻である君じゃだめだよ」

「ごめんなさい」

「謝らなくていいよ。結局僕がいけないんだ。自分のいいように記憶を書き換えて現実から目を背けた僕が。でも、折り合いはついたよ。ようやく前に進める」


 これで僕は過去から解放される。

 悲しい過去から。



 夏の日差しは日々強さを増している気がする。

 今日は達樹と一緒に外出することになっていて、いつも通り校門前で待ち合わせをして集合した。


「おまたせ」

「オッス……本当に行くのか?」

「うん。踏ん切りついたからさ」

「そうか……そういや、花持ってきたんだな」

「うん。一輪だけだけど、あった方がいいと思って」

「なんで朝顔にしたんだ?」

「……彼女へ僕からのメッセージ」

「ふーん……なんかいいな、そういうの。じゃあ行こうぜ」

「うん」


 僕は青い朝顔を丁寧に持って彼女の眠る墓地へと向かった。

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