血に支配された大地で ③

「ヒルダ、指令通りエルフ街西地区は制圧いたしました。特に抵抗はありませんでしたが……どうやら我々は歓迎かんげいされていないようですね。家々の窓から我々に向けられる目線の怖さと言ったら……」

 小隊長に戦果を報告するのはゲルトルート・フォン・ベルツハイム曹長そうちょう

「当たり前だ、トゥルーデ。私達は侵略者なのだから。それに、エルフ街ともなれば尚更だろう。エルフを嫌う皇帝の軍なのだから」

 身も蓋もない事実を言うのは魔法歩兵ほへいの一個小隊を率いるヒルデガルト・エーベルハルト少尉しょうたい。二人はあだ名で呼び合う仲だ。

 平民出身のヒルデガルトと、公爵家こうしゃくけ出身のゲルトルート。トメニア帝国のヒエラルキー構造に於いては、例え軍での階級が上であろうと、家格かかくからして通常、この様な口をきくのは許される事では無い。ゲルトルートの生家、ベルツハイム公爵家は八英雄の一人であり、トメニア皇帝家の祖であるくろ魔女まじょゾフィーのしょう聖痕せいこんを受け継ぐ名門中の名門。彼女の父、フリッツ・フォン・ベルツハイムが築いた貿易会社『ベルツハイム商会』の経営権を握る一族でもある。そんな出身階級の絶対的な差の前では、軍隊での階級など無意味だ。

 しかし、彼女はそんな事はお構いもなく、この様な関係を好んでいた。

「ですよね……。しかしこれから何をすれば……」

「時期に中隊から命令が来る筈だ。勝手な行動は慎もう。中々連絡が来ない所を見るに……」

 ヒルデガルトはズボンの右ポケットから小さな水晶板すいしょうばんを取り出す。戦場には必携の野戦やせん水晶板。これで中隊との連絡を図る。

「もしもし、もしもし……。やっぱり反応は無いな。激しい抵抗にでも遭って、連絡出来るような状況では無いのかも知れない」

「さあ、どうなんでしょうね。私的には、エルフ街だけあって血みどろの戦いにでもなるかと思っていたので、意外過ぎて……」

「私もこれ程まで抵抗が無い事にびっくりした。意気消沈いきしょうちんしていて、抵抗どころでは無いのだろうが。しかし……」

「しかし?」

「一人だけ、私を殺そうとした奴がいた」

「そいつはどんな奴でしょうか?」

「男のガキだ。多分、九歳くらいだと思う。全く、無謀むぼうな事をするな。ヘボい風魔法で私を殺そうとしてきた」

「そんな奴を返り討ちで殺すなんて朝飯前ですよねぇ?」

「そうなのだが……やっぱり躊躇ちゅうちょしてしまうのだよ。そいつは逃がしてやった」

「どうしてですか? 自分を殺そうとしてきたのに」

「やはり……エルフを嫌う国から来た侵略者なんて……ああ、この戦争は……果たして……果たして……」

「ヒルダ、私もこの戦争には疑問に思う所がありますよ。でも……そんなメンタリティで、将校が務まりますか? 私情しじょうは封印して、上の命令に忠実に行動しないと」

「悪いな、君の言う通りだ。しかし勇気ある少年だったな……」

「それ程勇気のある少年なら、我が小隊に欲しいくらいですね。ヨハンナと交代で。あいつ、何をしでかすか分かりませんもの」

「あいつは……笑顔で人を殺せるという稀有けうな才能を持っているから……」

「それが怖いんでしょうが! 私達はいつあいつに殺されるか分からなくてヒヤヒヤしているのですよ!」

「あれぇ、何ですかぁ? 私のウワサをしているんですかぁ?」

 揺れる長い髪がチラリと見えたかと思えば、二人は背後から聞き覚えのある声を聞く。振り向けばそこには、狂気をはらんだ笑顔を浮かべる小柄な若い兵が一人。ヨハンナ・クラウゼン二等兵。十八歳の新米、小隊の最年少にして、一番の問題児。

「ヨ、ヨハンナ……」

 二人は引きつった顔をして彼女を見つめる。まさか、さっきの話、聞かれていたか? そんな風に思いながら。

「ねえヒルダさん、この街の人達は敵じゃないんですよね? 殺しちゃダメなんですよね?」

「……お前、まさか殺してないよな?」

「エヘへ、殺してませんよ。だって、無抵抗の人を殺したって楽しくないんですもの。戦場で敵の兵士を殺す方がずっとずっとスリリングで楽しいんですから!」

「ああ、そうか……。民間人を殺しでもしたら私がお前の首をねるからな。覚悟しておけ」

「首を刎ねるですってぇ? キャッハッハ! コワイッ、コワイッ!!」

「……………」

 狂気の笑い声を上げるヨハンナを、二人は複雑な想いで見つめていた。

「やっぱりヨハンナは危ないですよ! 早く何とかしないと……」

 ゲルトルートはヒソヒソと、ヒルデガルトの耳元でささやく。

「あの娘は幼い頃に凄絶せいぜつ虐待ぎゃくたいを受けていたんだ。だからああなってしまったのだろう。許してやってくれ」

「そうやって甘やかすからつけあがるんですよ……。あんな狂人と同じ隊列たいれつで歩かされる我々の身にもなってください」

「まあ、それもそうだ……。後で厳重に注意しておこう、多分反省しないけど。よしっ、さてと……」

 ヒルデガルトは夜戦水晶板で連絡をとり、部下達からの報告を受ける。小隊が制圧を担当する街区の全域で制圧が完了した事が分かった。

「街区全域が落ちたようだな。小隊全員で集合するぞ。集合場所は……」

「分かりやすく大聖堂前で良いんじゃないですかね? 写真で見た事はありましたけど、実際に見たら想像以上の大きさでしたよ、ここの大聖堂」

「大聖堂……異教徒いきょうとの侵略者が……」

「違う方が良いでしょうか? しかし、そこ以外にエルフ街のランドマークなどありますかね? 商店の前に集合とか言っても分からないでしょうよ」

「…………そうだな、大聖堂にしよう。くれぐれも中には入らぬよう……」

 ヒルデガルトは夜戦水晶板で小隊全員に大聖堂前へ集合するよう告示こくじ。彼女自身も大聖堂前へと向かった。


「自分の番号を言え」

「一!」

 兵士達を大聖堂前へ集結させ、整列させると、番号を順に唱えさせた。一番目のゲルトルートから順に。

「二十九!」

 そう唱えたのはあの問題児、ヨハンナ。この小隊に属する兵は三十名だが……最後の三十がいない。

「あれ、あの役立たずはどうした。従軍司祭のヘルムート・バルクホルン……。おいヨハンナ、まさかお前が殺したんじゃないよな?」

「ええっ? どうして私を疑うんですかぁ?」

「お前の普段の言動からして、何かあったら真っ先に疑われる事が分からないのか?」

「嫌だな、分かってますよ。殺して良いのは敵の兵士だけって事くらい。でもまた戦場に出たら私にもっともっと殺させてくださいね! 殺したくってウズウズしてます!」

「お前なぁ……。まあ、それはさておき、バンドリカ戦線で一人の戦死者も出さなかった誇るべき我が小隊が、思わぬ所でとんでもない失態しったいだ……何だ、アイゼナハ」

 心当たりがあるのか、無いのか。数少ない男性兵の一人、テオドール・アイゼナハ一等兵が挙手をした。

「何があった。言ってみろ」

「あの……ポケットの中に何やら手紙が……。心当たりが無いのですが、いつの間にか入れられていたみたいで……。恐らく、移動魔法で入れたのかと」

「どれどれ。もってこい」

 彼はヒルデガルトの前に行き、ポケットの中に入っていた手紙を渡した。

「えっと……。『ぼくは逃げます。さようなら ヘルムート・バルクホルン』……」

「……………」

「あの役立たずがぁっ!! ろくに戦わないくせして後ろからついてきて『女神ヴァルキュリアの御加護ごかごを』などと適当な事をほざいて散々足を引っ張ってきたあのバルクホルンが逃げやがった! とんでもない糞野郎だ……。まあ良いわ、足手まといが消えて清々した」

「で……どうするんですか? あいつの扱いは」

 ゲルトルートは聞く。

「どうするか……。流石に逃亡されたとなれば体面が悪い。私の出世コースが絶たれる。しかし戦死したとして、後で見付かったらと考えると……困ったものだ」

捜索そうさくした方が良いのではないのでしょうか。見つけた上で軍法会議にかければ……」

 アイゼナハが言う。

「無駄でしょ。バルクホルンを捜索するなんて労力も時間も勿体もったいないですよ。そんな暇があったらゆっくり休んで体力と魔力を回復しましょう。恐らくそろそろ対ブレフスキュ戦が始まるでしょうし、我々はそちらに回されるでしょうからね」

「よく言ってくれたな、トゥルーデ。お前の言う通りだ、あんな奴に構っている暇なんか無い。いま必要なのは次の戦いの準備だ」

「ええ。それで、バルクホルンは戦死扱いにしますか? 失踪しっそう扱いにしますか?」

「んっと、そうだなぁ……とりあえず生きている事にしておくか、しばらく」

「中隊と合流したらどうしますの? 必ず聞かれますよ?」

「んーっと……それまでにどうにか考えておくか」

「意外といい加減なんですね……」

 ゲルトルートが苦笑いすると……後ろの大聖堂の扉が、ゆっくりと開く音がした。

「うわっ、大聖堂の扉がっ! ヒルダ、敵の不意打ちかも知れません。我々は侵略者として恨まれていますから、ここで襲われてもおかしくないでしょう。身構えて!」

 ゲルトルートは慌てて叫んだ。

「ああ、分かっている。相手が危害を加えてくるようであれば、すぐに撃つ!」

 ゆっくりと開く大聖堂の戸の前で、魔杖を身構えるヒルデガルト。戸が開くと……

「しょ……少年っ!」

 彼女は構えた魔杖を引っ込めた。そこから出てきたのは、さっき知り合ったエルフの少年だった。

「あっ、将校さん! また会えましたね」

「も、もしかして……この少年……」

 ゲルトルートは恐る恐る言う。

「ああ、私を殺そうとした、あの少年だ」

「…………」

 ゲルトルートは戦々恐々としていた。

「どうした、トゥルーデ」

「人は……人は見た目に……よらない…のか」

 ゲルトルートの見つめる先にいたのは、中性的な少年。実年齢は分からないが、かなりの童顔である事は確か。非常に小柄で、一五四センチしか無いヨハンナよりも背丈は低いと見えた。こんな小さな少年が、自ら魔法を使い帝国の将校に刃向かった……彼の肝の据わり方に、恐れ戦くばかりだった。

 ヒルデガルト・エーベルハルトとマックス・コルトナー。二人は運命的な出会いを果たした。世界の激震は、この時、まだ始まったばかりだった…………。

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血に支配された大地で 加藤ともか @tomokato

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