血に支配された大地で ②

(あの暗い緑の軍服……間違いない、あの女は帝国陸軍の将校だ。僕の魔法まほうで……)

 ビフレストの一角にあるエルフ街に住むエルフの少年、マックス・コルトナー。はっきり言えば特にこれと言って取り柄の無い、十三歳の少年。彼は建物の陰に隠れ、外出禁止令の出されたエルフ街を我が物顔で歩く帝国陸軍の将校の女をじっと見つめた。

 解放戦争から五百年が経ち、もはやエルフ達もそれぞれの祖国への帰属きぞく意識いしきを持つまでに至った。各国のエルフ達は、戦争ともなればこぞって軍に志願しがんしその愛国心あいこくしんを示す程に。しかし、彼は特に強い愛国心がある訳では無い。祖国バンドリカに対し、八英雄の一人である賢者けんじゃハンスの血を引く王家に対し、大した興味など無かった。

 だが、祖国バンドリカがトメニアの若き皇帝であるフリードリヒ五世に支配されるとなれば話は別だ。何せ、皇帝は大のエルフ嫌いなのだから。バンドリカの北、トメニアの東。そこには八英雄の血を引かぬ国、ギアラル王国がある。民族間の不和ふわの絶えぬギアラルで起きたトメニア系住民を標的ひょうてきとした暴動ぼうどう激高げきこうし、ギアラルに侵攻。戦争を始め、バンドリカはそれに巻き込まれた形となったのだが……皇帝はその暴動が、『国際こくさいエルフ金融きんゆう資本しほん』なるものが煽動せんどうしたのだという与太話よたばなしを信じ込んでいた。

 フリードリヒ五世は既に軍から、帝国議会から、大学から、官僚からエルフを追放している。まだ矛先ほこさきはエリート層に過ぎない。が……それがエルフ全員に向くのが時間の問題なのは火を見るより明らかだ。バンドリカがトメニアに併合されたのなら、必ずや迫害はくがいを受けるだろう。

 だからマックスはその手で魔杖を握り、将校めがけて風魔法を放つ。無謀なのは百も承知、死すらも覚悟している。将校一人殺したくらいで、何が変わる? でも……せめてもの抵抗だ。何もせずに生き長らえるなら、死んで名を残す。その覚悟で――


「えいっ、えいっ、えいいいっっっ!!!!」

 マックスが将校の女目がけて風魔法を放った瞬間――逆にマックスは軽く飛ばされ、尻餅しりもちをついた。魔杖は――遠くに吹き飛んで、もはやどこにあるかも分からない。将校の女はびくともしない。

「誰だ、私に向けて風魔法を放った奴は。そこにいる事は分かっている。出てこい」

 マックスは背筋せすじが凍った。

 ここで将校を殺し、正義に殉じた英雄として名を残そうと思ったのに。それすら叶わぬ。ああ、いっそここで死にたい。将校さん、僕を殺してくれ、お願いだ、殺してくれ!!

「お願い、将校さん! 僕を殺して! バンドリカは滅びる運命なんでしょ?」

 マックスはわざわざ将校の前に出向いた。そして、東方で最も屈辱くつじょく的とされる礼法、三跪さんき九叩頭きゅうこうとうの如く、ひざまずいて殺す事を乞う。

「さあ、どうするか。生殺与奪せいさつよだつの権は私が握っている」

 将校は跪くマックスに魔杖の先端を向けて脅した。

「だって……貴女あなたたちはこの国を侵略しに来たのでしょ? 僕は見たくありません! ビフレストが、僕が生まれ育ったこのエルフ街が、トメニア帝国の、皇帝フリードリヒ五世の手中に落ちる光景を!」

「まあな。私の小隊の任務はこの街区を占領する事……無防備都市宣言が出されているからあっさり占領できると思ったのになぁ、思わぬ刺客が現れやがった」

「僕はただ……個人的な義憤ぎふんに駆られて……」

「全然出来ていなかったぞ、お前。何だ? あのヘボ魔法は」

「だって……僕は男だし、経験も無いし、それに……」

「それでよく帝国陸軍の将校を殺せると思ったな! まあ、それなら……」

 将校はマックスの腕を引っ張り、無理矢理立たせ、肩を叩く。

「強くなれ。十分に強くなったらまた私を殺しに来い。その時になったら、私もお前を殺すつもりだから覚悟しろ」

「強くなれ、って……。僕は男です、男の時点でやっぱり、魔法は……」

「別に魔法で強くなれとは言っていない。剣でも槍でも大砲でも良い。それに、確かに一般的に魔法は女の方が適しているが、魔法に秀でた男も数多く見てきた。私の小隊だって、三十人中六人は男だ」

「び、微妙っ……。と言うか、どうして僕を殺さないんですか」

「私は民間人は殺さない主義なのでな。まあ、危害を与えてきた時点で『民間人』と言い切れるかは微妙だが……しかし事情が事情だ、見逃してやる。それと、もう一つ……エルフ街の連中に、秋津あきつ大使館に逃げ込むように言っておけ。ハンス二世通りにあるだろ、秋津式庭園ていえんが立派な大使館が」

「秋津大使館? どうしてですか?」

「八大国で今の所戦争に参加していないのは、アウソニア王国と華夏かか帝国、ルテニア帝国、秋津皇国こうこくの四カ国。八大国以外に難民なんみんを受け入れる余裕など無いだろう。だがアウソニアと華夏はトメニアの同盟国で、ルテニアの皇帝はトメニアの皇帝に負けない程のエルフ嫌いだ。ならば秋津しか無い。尤も、秋津が助けてくれる保証は無いが……しかし賭けだ、このままここで野垂れ死ぬのであれば、死ぬか生きるか分からなくとも少しでも生きる可能性が高い方を選べ」

「ちょっと言っている事が難しくて……理解出来ないのですが……」

「まあとにかく……エルフ街の人々に早急に秋津大使館に逃げ込むように言っておく事だ。ここにずっといれば死ぬぞ!」

「し、死ぬっ!?」

「そうだ、死ぬぞ! 伝えておけ、街の連中にな。……私が出来るのはこれくらいだ」

 将校はため息をついていた。どこだか迷いのある顔をして。

「ありがとう、将校さん……」

 マックスは感謝を述べて去って行った。複雑な想いを胸に秘めて。

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