完全版 08

 スズメが、さえずっている。

――あー、朝チュンやー……――

 七割くらいまだ寝ている頭で、下着姿でベッドに横になっていた昴銀子すばる ぎんこは、思った。

 思って、即座に覚醒する。知らない天井、知らないベッド。ここはどこ?ウチ、何がどないしてん?

「え?なに?なに?」

「昴さん、起きはった?」

 離れた所から、八重垣環やえがき たまきの声がする。見渡すと、そこは見覚えのある、八重垣環の寝室であり、ベッドの上だった。半開きのドアの向こうからは、何かを焼く音と甘く香ばしい香り、そして環の鼻歌が聞こえてくる。

 ベッドを降り、サイドテーブル上に綺麗に畳んである自分のセーラー服を胸に抱えた銀子は、妙に明るい環の様子に戸惑いつつ、恐る恐るLDKリビング・ダイニング・キッチンに入る。

「……どっち?」

 銀子は、LDKに一歩入ったところで、何か甘い匂いのするものを焼いている環の、制服にエプロンを着けた後ろ姿に、用心深く問いかける。

「どっちて?……ああ、そんなら、どっちでもおへんえ」

 肩越しに笑顔で振り向きつつ、環が答える。

「どっちでもないて?え?」

 一度に色々な疑問が浮かんで、銀子は言葉に詰まる。

「うちの中に玉姫さんがおって、玉姫さんの中にうちがおって。うちと玉姫さんは裏表。ただそれだけの事どすえ?」

 焼き上がったフレンチトーストを皿に載せながら、環が促す。

「さ、朝ご飯にしまひょか?」


「玉姫さんからな、昴さんにことづてがおす」

 うちかて、このくらいは作れますえ。そう言って環が並べたフレンチトーストとカフェオレの朝食をいただきつつ、環が言う。

「大人しゅう封じられたるさかい、うちのこと、あんじょう護りよし、やそうどす」

「……何やて?」

 即座にはその内容を理解出来ず、銀子が聞き返す。フレンチトーストを頬張ったその銀子の顔を見つつ、環が、くすくす笑いながら言う。

「玉姫さんな、あの後、昴さんを運んでくれはったんえ。うちや、昴さんよお運べしまへんさかい」

「ああ……って、え?」

 太っているとは思っていないが、身長がある分体重もそれなりである事を自覚している銀子は思わず頷き、そして、大事なことに気付いて聞き返す。

「ちょお待って八重垣さん、まさかやけど、その、もしかして、玉姫と八重垣さんで会話、成立しってん?」

 夕べの事の記憶、それ自体が環にある事は、既に朝食開始時点で銀子も確認出来ていた。だが、環の体に存在するというもう一つの魂、あるいは人格である玉姫と、環自身が会話出来ていたとは、銀子は思っていなかった。

「へえ、お話ししましたえ。そんでうち、わかったんどす。玉姫さんは、ずっとうちの中に居てくれはったんやて。ずっと、見ててくれはったんやて。そやから、うち、うちが気付いてへんかっただけで、ずっとうちは、一人とちごたんやて」

 言葉を切った環は、一口、カフェオレをすする。

「……その玉姫な、今、どないしてはるん?」

 言葉を選びつつ、銀子は、慎重に、聞いた。

「寝たはります、うちの中で。うちが起きてる間は玉姫さん、表に出られへん言うてはりました。そやから、いままでもずっと、うちの事見てても、何もできひんかったて」

 さらりと言って、ああ、そうそう、環は手を打って、続ける。

「なんや昴さんからもろた薬、あれのおかげでほんの少しだけ、うちと玉姫さんと一緒に居れたらしい言うてはりましたえ?あれ、お狐さんの秘伝の薬どっしゃろ?」

「ああ……あの薬なぁ……ごめんなぁ、うち、よお知らんねん。婆ちゃん、まだ早い言うて、作り方教えてくれへんねん」

「そおどすか……まあ、化かされて馬糞喰わされたんとちごて、ちゃんとした薬で良かったて、玉姫さんわろたはりましたえ」

 言って、環はくすくすと笑う。

「あー、玉姫、いけずやなあ、そんなん言うかぁ?」

 口を尖らせて、銀子は抗議する。抗議して、環と見つめ合い、互いに吹き出してしまう。


「……ウチ、誤解してたかもやなぁ。玉姫て、ええ人やったんかなぁ……」

 ひとしきり笑ってから、ぽつりと、銀子が呟く。環は、頷いて、

「……優しいお人どすえ。そんで、うちよりずっと長いこと、お一人どしたんえ……玉姫さん、言うてはりました。一つの体に二つの魂はおられへんて。そやから……」

「八重垣さんの体、乗っ取ろう言うん?」

 身を乗り出す勢いで、銀子が言う。だが、優しい顔で、環はかぶりを振る。

「うちが目覚める・・・・までは、玉姫さんもじっとしてはったさかい、一緒にいたはっても大丈夫どしたけど、二人とも目覚めて・・・・しもたから、そしたら、魂は一つになってまう、そう言うてはりました」

「……それって……」

 環は、銀子の言外の疑問に、頷いて、答える。

「そやからさっき、うちと玉姫さんは裏表、もう、どっちでもおへんいう事やて言いましたんえ……言うても、まだ完全に一つと違う、一つになるんはまだ時間がかかるて玉姫さん、言うてはりました。一つになるいうんは、どっちも区別つかひんようになる事やて。そんで、一つになったら、うちは玉姫さんの神通力が身につく、玉姫さんは、うちと一緒に寿命で死ねる、もう長いこと一人でおらへんとようなる、寂しい思いしいひんとようなる、そういう事やて」

「……そういう事、やったんか……なんやうち、早合点して誤解してたんやなぁ……玉姫さんに謝らなあかんなぁ……」

 ちょっとしんみりして、銀子は環に告げた。

 それを聞いた環は、明るく、しかしにやりと笑って、言った。

「ほな昴さん、うちに謝ってください、うちと玉姫さんは一緒どすさかい」

 真正面からそう言われて、銀子は、気付いた。さっき、八重垣さんに感じた違和感の正体は、これや。魂が、一つになる。それは、今イチ気弱やった八重垣さんの性格が、玉姫のそれに引き摺られて変化する、そういう事やったんか、と。

 だが。銀子は、思う。これはこれで、多分、ええ事や。八重垣さんの本質は、この娘の優しさは、芯の強さは、きっと変わらへん。せやったら、少しくらいは、こないな積極性いうか、図太さみたいなもんが付け加わった方が、ええ。

「……そしたら玉姫さん、八重垣さん、ごめんなさい、かんにんしてな」

 銀子は、テーブルに額を付けて、言う。そして。

「そんでな、かんにんついでに、一つお願い、してもええか?」

 顔を上げて、銀子は環の目を見る。

「……何をどす?」

「ウチな、大阪の友達には、「お銀おぎん」呼ばれててん。せやからな、八重垣さんも、そない呼んでくれへんか?」

 一瞬、環は返す言葉に詰まり、丸くした目をしばたかせ、そして、微笑んで、答えた。

「……よろしおすえ。そんなら、うちも「たまき」てよんどくれやす、お銀ちゃん」

 微笑む環の顔を見上げた銀子は、微笑み返し、言う。

「ええで、環さん……ちゃうな、そしたら、たまちゃん、やな」

 笑顔で見つめ合った一瞬の後、同時に、二人はまた吹き出した。


「ほなお銀ちゃん、学校行きまひょか?」

「はいな環ちゃん、鍵かけたんな?ほな行こか」

 白銀の髪の少女と狐色の髪の少女は、連れ立って部屋を出て、エレベーターホールに向かう。

 とりとめも無い会話と、明るい笑い声が、朝のマンションの廊下にあふれた。

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玉姫伝ーさみしがり屋の蛇姫様、お節介焼きのお狐様に出会うー 二式大型七面鳥 @s-turkey

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