第19話  終章

 電話が鳴り、はいはいと母が出る。

 時間は夜の8時すぎ。こんな時間に電話?と思ってたら、「洋平。電話。」と呼ばれた。

 誰?と坂口や他の友達を頭の中で再生していたら、母が受話器を渡しながら「美月さんって女の人」

 エ?みっちゃん?

 もしもし?の声がちょっと高く出る。落ち着け落ち着け。

 「崩れた絵画」の打ち上げから三日が過ぎていた。

 「あ。ようちゃん?こんばんはぁ。ゴメンねいきなり電話なんかしちゃって。

  あのさ、この前までの稽古場公演、ありがとうね・・・ううん、

  稽古中とかもさ、ちょっとアタシもいっぱいいっぱいで、ようちゃんにも冷たく

  してたなとかちょっと反省してさ・・・うん・・・それでね、実はアタシ、

  ちょっといて座を休団しようかなって思ってて・・・うん・・・

  仕事も大変だし、またキャストになっちゃうと迷惑かけちゃうし、ちょっと

  こんな状態で活動するのもなぁって思ってて・・・・

  アタシね、いて座は好きなんだ。いい人たくさんいるし、まぁ田丸さんは

  怒ってばっかだけど・・・ハハハ。そうだね。いっつも細かい事で怒ってる

  よね。そうだからさ、ようちゃんにもしばらく会えなくなるだろうから、

  ありがとうっていうのと、冷たくしてゴメンねってのだけ伝えたくってさ・・・

  ううん。休んで、また戻って来るかもしれないし、別の何か面白い事見つけて

  そっち行っちゃうかもしれないし、分からないかなぁ・・・うん・・・いろいろ

  迷うよねぇ。いて座は本当に楽しいんだけど、それだけって言うのも何か違うか

  なぁとか・・・そうだよね難しいよね」

 そうか。みっちゃん、悩んでいたんだ。

 こんな時に何言ってあげればいいんだろうか。

 「じゃあさ、とりあえずなんだけど、気分転換にって感じでさ、一緒に芝居観に

  行かない?今、東京で面白そうなのやってるからさ」

 ⇒はい。あなたはいろんな悩みのある彼女に対して、「とりあえずの気分転換」と彼女の事を考えたように言いつつも、自分が一緒に行きたいってだけの事を優先して誘いましたね。全然自然な流れじゃなくて無理やりのつなげ方ですね。会話の急カーブで38点。

 「――日曜日とかなら仕事休みでしょ?空いてる日曜とかならどう?大体昼の回

  とかは二時くらいからだと思うし」

 ⇒はい。もう彼女の悩みとかどっか行っちゃってますね。デートの約束さえしちゃえばこっちのもん。という気持ちがモロ見えですね。夜の回じゃなくて昼の回だから、僕は安全な男ですよアピール。自分勝手32点。

 「――芝居観て、ちょっとご飯とか食べるくらいだよ」

 ⇒はい。でももしかしたらの下心は無いですよ。というアピールが逆に下心ありありになっちゃってますね。ちょっとご飯。って軽く言ってますけど、昼ご飯ならともかく夕飯ですからね。あわよくば酒でも飲んじゃおうかと、でも飲みに行こうと誘う勇気はない。意気地なし23点。

 みっちゃんは、少し考えた様子だったが、最後にこう言った。

 「うん、今度ネ。いいよ」


 ただ一緒に東京に芝居を観に行くだけ。そんだけ。でもツテで東京の有名な劇団の受付やってる人に頼み込んで、チケットを二枚買った。終わったらどこの店で食事しようかと雑誌「東京walker」を買って、東京は道が分からんと「横浜walker」をまた買って調べたりした。

 前日の土曜日の夜は、店で働かないといけない。ついこの間「崩れた絵画」の公演で休みをもらっていたから、また休みをもらうのは無理だった。でも加山さんに言って、日曜日の朝は9時に早上がりさせてもらう事になっていた。

 店から直行のデートだけどしょうがない。土曜日の夜、華奢な身体が誤魔化せるので気に入っているモコっとした黒のハーフコート。下はシルエットが一番スラっと見える高いジーンズを履いて、黒のブーツを履き「おはようございまーす」と出勤した。

 3時に加山さんが店に来て、いつも僕の汚いスカジャンがかかっている所にハーフコートがあるのを見たんだろう。「おーい」と奥さんを呼んだ。

 「あによ全く」とブツブツ言いながら奥さんが行ってしばらくすると、今度はニヤニヤした奥さんが僕の所に来て「マスターがね、今日のようちゃんの服はデート用なのか聞いて来いって言ってんだけど」と聞いてきた。

 「いや、デートってわけでもないっス。ちょっと出かけるだけで」

 「へー、そうなの?マ、いいんだけどさ」とまだニヤニヤしてる。

 こいつら、夫婦して楽しんでやがんな。

 9時になったら「じゃあ時間なんですいません」と言うと「おう、いいよ」と加山さんは店の着替える為のスペースを指さした。中に入って着替えていたら、

カウンターのお客さんが「どうしたの?」と聞いてきたのに対し「なんかデートみたいなんですヨ」と答える加山さんの声が聞こえてくる。全くもう。

 俺、焼き鳥臭いのかなぁ。でももう風呂に入る時間も無い。トイレの前の鏡で持ってきたムースでササッと髪型を整えてたら「やっぱデートだよねアレ。ふふふ」と奥さんの声がする。「じゃあすいません」と頭を下げて逃げるように店を出た。

 

 デートでどんな会話をして、どんなムードだったのか。

 そんなの詳しく聞くのも無粋じゃないかな、と思う。たぶん、他人が聞いても面白くもない事を話して突然盛り上がったりするし、かと思ったら今度は家族構成の聞き取り調査みたいな話になっちゃったりするし、だからだ。会話している二人にしか分からない事って、かなり多いと思う。

 ムード的に、悪くはなかったよ。僕は楽しかったし、みっちゃんも楽しそうに笑っていたし。でも、なんか違った。これは・・・これ以上この二人はどうしようもならない予感がした。

 みっちゃんとの距離を近くしたくて前に進もうとすると、ピピピピーってホイッスルが鳴り大きな看板が出てきて、その都度僕は足止めをくらった。


[いい友達]


って太字で書かれた大きな看板だ。

 えーっと、お芝居は楽しかったし、食事したお店はいい感じだったし、会話は楽しく出来たしなぁ。特に反省すべき点も無かった。まぁ最初はこんなもんだろう。次のデートでは、何かちょっと違う雰囲気になるかもしれないしね。

 というわけで、二度目のデートは、また芝居に誘って、もちろんOKをもらった。

 またデートかよとニヤつく加山さん夫妻を見ないふりして、早上がりして待ち合わせに向かった。

 そのデートで、僕はやらかした。

 大きな劇場で感動的な芝居を観て、感想を喋り合いながらゆっくりご飯を食べよう。とデートプランを考えていたのだが、その「感動的芝居」の最中に、爆睡してしまった。

 えー寝ましたよ。途中まではウトウトしながらもがんばっていたけど、座席の柔らかさと客席の温かさでくる眠気には勝てず、意識飛びました。

 たしか、女優さんが「私の事をあなたはずっと見守ってくれていたのね。何年も何年も。気づかなかったわ。ありがとうね。本当にありがとう」みたいなセリフを言っていて、すすり泣く声があちこちで聞こえてきそうな場面でした。しかもあろうことか隣のみっちゃんとは逆側の全然知らない女性に寄り掛かって寝てしまって、「ん、ウン」って肩で跳ね返されて目覚めました。

 デート中に寝てもいいのか?いいのヨだってそれだけその人の隣が安心できるってことですもの。て考えがあるのも分かりますよ。でもそれは二人がちゃんと付き合って、二人っきりでいても心地よい時間になってから使えるものであって、デート二回目ではさすがに・・・・ねえ。

 もちろんみっちゃんは寝ていることに気づいてた。終演した後、「面白かったね」と声をかけたら「でもようちゃん寝てたよね」とリターンがきた。いややっぱ仕事で寝てないから。でも寝てたトコ以外は面白かったよ。ホントホント、最初のあのシーンとかさ。とかなんだか口から出るのが言い訳ばかりになってしまって、「もうようちゃん疲れてるからさ、今日はご飯食べないで帰ろう。早く帰って休んで」とその日は食事もしないでまさかの17時にバイバイして18時半に到着という、高校生でもまだ遊んでるような時間に帰ってきた。

 「アンタ早かったじゃない。夕飯無いわよ」

 そうだよね母さん。夕飯いらないって言ったのは僕だものね。しょうがないから、また外に出て近所のラーメン屋でチャーハンを食う。女の子とデートした日に近所の店で一人でチャーハンって、どうなの?脈があるかないかって言ったら、無いな。

 人間は自分に都合の良い風に物事を考えていくものなのかもしれない。「疲れた僕の身体を心配してくれたんだよ」「嫌だったら二人で一緒に芝居行くのにOKしないものだよね」「また次お芝居観に行った時に今度は寝ないよってギャグにできるし」「ひょっとしたら隣で寝ている寝顔がカワイイとか思ってくれてたかもしれないし」とかいう意見が、脳内の会議で「ぼくヤラカシテナイデス」から出されたりした。

 でもそれから、僕が電話してもみっちゃんは前ほど親しげに話しをしなくなり、「今日は疲れているからゴメンね」と話している途中で終わる事が多くなっていった。


 店の近くの全国チェーンの居酒屋で、生ビールのジョッキを1杯開けた。

 今日は、みっちゃんに電話をしようと決め、家では親がいて恥ずかしいから、わざわざ外に出て店に入り時間をつぶしていた。最近のみっちゃんはなんだかそっけなくなってきていたので、1杯飲まないと電話をかける勇気が出なかった。

 店の外に出て、路地の電話ボックスに入り、もう暗記している番号を押した。狭いボックスの中で、自分の鼓動と呼吸の音が妙に響いている。てゅるるる。てゅるるる。てゅるるる。がちゃ。

 「はい。美月ですけど」

 お母さんの声だ。すいません奥村と言いますけど。

 「あハイハイちょっとお待ちください。かりんー」と、お母さんは僕の名前を聞いただけですぐにみっちゃんの下の名前を呼んだ。何度も電話したから覚えられたのだろう。

 「もしもし?ようちゃん。こんばんは」

 「ああみっちゃん?こんばんは」

 「どうしたの?なにかあった?」

 「何かあったってわけじゃないけど・・・あのさ、また今度、みっちゃんが休みの

  日に一緒にどこか出かけようかなと思って」

 「あー、そう・・・ホント悪いんだけど、アタシ最近忙しくてさぁ」

 「あそっか・・・結構スケジュール埋まってるの?」

 「うーん・・・まぁちょっとね」

 「土曜とか日曜とか全部?」

 「うーん・・・まぁね・・・全部ってわけじゃないけど・・・」

 「そっか。今度はさ、映画でも一緒に行こうかなって思ってさ。ホラ、映画だから

  結構長い間やってるし、もしあれなら来月とかでも・・・」

 「うーん・・・でも・・・まぁちょっと・・・ごめんね」

 「そっか・・・忙しいの?」

 「そうなの。いろいろあってさ」

 「例えばどんな事?」

 「それはいろいろ。だからゴメンね。また今度約束しよう」

 「そっか・・・今度っていつ約束できるんだろう。なんかもう約束できないような

  気がして」

 「そんなことないと・・・思うよ」

 「ねえ?オレと話して楽しい?」

 「エ?」

 「楽しい?」

 「たの・・・しいけど、でもさ、正直あまり楽しくないなって時もあるよ。」

 「・・・そっか」

 「でもそれはようちゃんだけじゃなくて、いて座の他の人と話していても、

  つまんないって思う時あるよ」

 「そっか・・・じゃあさ、気持ちの話していい?」

 「エ?きもち?」

 「あのさ、オレはみっちゃんの事・・・・好きなんだけど、みっちゃんはどう

  思ってるの?」

 「えー・・・」

 「ねえ?・・・どう?・・・どう思ってる?」

 「どうって・・・正直に言っていい?」

 「うん」

 「・・・本当にゴメンなさいだけど、ようちゃんとはさ、付き合えないよ」

 「・・・そうなんだ」

 「・・・うん」

 「じゃあ、今後は?例えば、ちょっと一年後とか、また気持ちが変わるとか?」

 「えー・・・ちょっと今は、気持ち、変わらないなぁ」

 「そっか・・・」

 「ゴメンね」

 「いやいいよ。オレがいろいろ足りないって事だから」

 「そういうわけじゃないと思うよ。ようちゃんはようちゃんでいい所たくさんある

  し、そんな完璧な男の人っていないと思うよ」

 「でも、人って完璧になりたいんだよね」――そう言いながら、完璧にみっちゃんに愛されるような人になりたい。って事かなと考えていた。

 「――分かった。教えてくれてありがとう」

 「ううん。アタシの方こそ。ようちゃんの気持ちは嬉しかったから。

  ありがとうね」

 「うん。じゃあね」

 「じゃあね。またね」

 電話を切って、外で外気に触れながら、ラークマイルドに火を点けた。

 さあてと、ふられちまったか。これからどうしよう?ヤケ酒でも飲むか?

 短くなった煙草を道路の排水溝に火が付いたまま放り投げた。赤い火の光がスポンと排水溝に消えていった。

 また店に入ると、客の顔なんか覚えようともしない男の学生バイトが、いらっしゃいませー、と声をかけてくるのを手で制して、さっきまで座っていたテーブルに着く。

 メニューを開いてから、すいませんと手を挙げた。

 「コーラを二つ」

 あと三時間後には店に行かないといけないから、ビールの酔いを

醒まさないと――。


 焼き鳥「鳥よし」。今日の早い時間は、お母さんの友達のスナックのママさん独り

と、飲み屋のお姉さんの二人組。あと、日雇い労働のおじさんが独りで飲んでいる。

 お母さんとママさんが昔の話なんかをしていると、そのおっさんが「その店昔あったよな。知ってるよ」と口を出してきたりして、二人とも迷惑なんだけどまあお客だからという感じで、愛想笑いしながら対応していた。その「迷惑です」ってサインが見えてるのか見えてないのか知らないが、それからもおっさんはしつこくお母さんとママにいろいろと話しかけていた。

 時々、こういうおっさんが店に来る。昼間は一日何千円とかって建築現場の日雇い労働やって、その日暮らししてるような人だ。ちょっと金が入ったからって飲んでいて、もうちょっと飲みたいなと思って何軒目とかでうちの店に入ってくる。たいてい出来あがった酔っ払い状態で入ってくるし、酒癖の悪いのが多いから、あまり歓迎されない類のお客だ。今日来ていたそのおっさんも、髪も髭もボサボサで、60過ぎの小汚い格好で店に入って来た時から既に目が座っていた。

 おっさんは、立ち上がってトイレに行った。お母さんとママさんは「なんだよあれ。嫌な客だね」って話してる。

 水が流れる音がして、おっさんが出てきて、カウンターで飲んでるお姉さん二人組の後ろを通ろうとしたその時、突然、「かわいいなぁ」と言ってお姉さんの一人の背中に抱き着いたのだ。お姉さんが「キャッ、なにすんのよ!」って叫ぶ。

 「ちょっとあんた何してんのよ。このコたちうちのお客さんなんだから、

  もう迷惑になる事するんなら帰んなさいよ」とお母さんが怒鳴った。

 あんだよ。そんなちょっとふざけただけだろ。とかブツブツ言っている。

 「もうアンタ出てって。千円でいいから」

 「なんだ?おらぁ、金はあんだぞ。客だろ」

 「アンタみたいなの客じゃないよ。いいから出てって」

 これから朝まで仕事って時にこんな酔っ払いの相手。しかもよりによってふられたその日に。もううんざりだ。

 カウンターの中から出ていって、座っているおっさんの所まで行った。

 「おじさん。もう千円でいいってお母さんも言ってるから、もう出ていってよ」

 なんだぁ?オレはまだ飲むんだよ。とムスッとした顔で睨んできた。お母さんも

ママさんも「帰んなさいよ」って怒っている。

 「金はあんだからヨ」とカウンターの上に千円札を放った後、ふんと鼻で笑い

 「ガキは向こう行ってろよ」

 は?ガキ?おもしれえおっさんのやってる事の方がガキじゃねえか。とにかくもう出てけって言ってんだよ。

 襟首を持って引っ張った。なにしやがんだと抵抗してきたが、構わず脇に手を入れて無理やり立たせ、引き戸を開けて表に引き釣り出した。

 クソ。腹立つ。なんなんだみんな。なんだってんだよ。

 よせとかやめろとかおっさんが騒いでいる。うるさい。店から少し離れた所の、ゴミ捨て場で乱暴に手を離したら、おっさんはよろけてゴミの中に倒れ込んだ。

 そのまま眺めていると、おっさんは倒れたまま、バカが、とか、クソ、とブツブツ言ってる。さすがにやりすぎたかと思い「お客さん、大丈夫っすか?」と手を差し出したら、その手をパチンとはたかれて、こう怒鳴ってきた。

 「おめえみたいなクズみたいなヤツがな、俺に偉そうにするんじゃねえヨ!

  あんな汚ねえ店でやっててもな、クズはずっとクズのままなんだよ!

  一生そのままだ。ざまあみろ」

 なにかが、切れた。

 体重を乗せた右足を、思いっきりおっさんの腹に振り下ろした。グエ、

オウエェー、と酒を飲みながら食べたであろうものを吐く。おお吐け吐け。そんなのいつも見飽きてるんだよ。

 次は、右足を振り上げて、顔を蹴り上げた。ぶるんとおっさんの顔がふれて、鼻から血が出た。頭が電柱にゴツンとぶつかり、一瞬おっさんがしかめっ面になる。

 「あんちゃんいいか?ケンカん時はな、相手が倒れたら足使うんだ。蹴ったり

  踏みつけたりな。拳で殴るよりも、足の方が力入って体重かかるから効くん

  だぞ」

 カウンター越しにそう言っていた、顔に傷がある常連のヤクザの顔が思い浮かぶ。

 おっさんはもうこっちを見る気力も無くなったみたいだけど、まだ小声でチクショウクソって呟いている。

 「おっさん、もう来んなよ」

 ムカつく。おッさんムカつく。クズって言われてムカつく。ふられてムカつく。演技がヘタクソでムカつく。こんな時間に働いててムカつく。ヤクザに愛想笑いする自分にムカつく。自分より弱そうなおっさんをやっちゃっててムカつく。

 店に戻ると、お母さんが、どうした?て聞くから、もうどっか行ったと思います。と答えたら、ありがとうねって言ってくれた。そんな親切心でやったわけじゃない。ただ僕がイライラしてた所にあのおっさんが来ただけだ。

 またカウンターの中に戻って、刺身を並べたりと作業していたけど、どこかであのおっさんがひっかかっていた。

 蹴った時に頭をぶつけてたなぁ。ひょっとして脳震盪とかでまだ倒れてて、通りすがりの人が救急車呼んで。それで警察が、誰かに蹴られた跡があるけど誰がやったんだって話になって、目撃者の証言でこの店に警官が来て、とにかく来なさいって連れられて行く自分・・・傷害事件?執行猶予?前科?あー親は泣くかな?

 ちょっとタバコ無いんで買ってきます。と言って店を出た。本当はラークマイルドほぼ一箱入ってたけど。

 ちょい急ぎ足であのゴミ捨て場に行ってみると――おっさんはいなかった。

 夜の帳の中、早すぎで出された生ごみの袋の間の地面に、おっさんの吐いたゲロと、その上に、たくさんの血がかかっていた。たぶん鼻血だろう。

 白濁したゲロと、その上の赤黒い血が、僕のこれからに対する、何かの暗示

なんじゃないかと思わせた。

 ・・・・クズか。そうかもしれないな。でもしょうがない。やってくしかない。

 っさ、戻るか。

 ゴミ捨て場にやってた目を振り切り、踵を返して歩き出した。

 明かりが洩れる、縄のれんのかかった引き戸をガラガラと開け、これから酔っ払い達がわんさかやって来る店の中に、僕はまた入っていった――。



                                  (了)

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