【4週目③】私達なら大丈夫
■■■
_どうしよう…。
放課後。
私は赤松さんと、理科準備室への道のりを一緒に歩いている。
理系の赤松さんは、どうやら今日は化学で実験をしたらしい。そのレポートを提出したいとのことだった。
レポートの提出期限早くない?!とびっくりしたけれど、期限はもっと先らしい。赤松さんは昼休みに図書室に籠って終わらせてしまったそうだ。凄すぎ。
理科準備室と聞いて、最初は場所がわからなかった。赤松さんも初めて行くそうで、私は「コレ提出場所わからない人いるんじゃないか…?」という疑念を抱いている。そもそも鍵、開くのか?
二人並んで歩きつつ、私は中尾くんから託された手紙を一体どう渡すべきか途方に暮れていた。ラブレターを渡す、なんていう一世一代の大仕事を任されてしまったわけだけれど。
正直に言おう。渡したくない。
何故かって?
そう、普通に気まずいからだ。
期間限定であるとはいえ、私と赤松さんは恋人同士だ。恋人に、「はい、貴方宛てのラブレターですよ」なんてことをするのは流石にNGだとわかる。
うん、それだけ。渡したくない理由は、それだけだ。
断じて、中尾くんと赤松さんが付き合ってるところなんて見たくないからじゃない。
決して違う。本当に。
チリ、と痛む胸は、多分気のせいだ。
_理科準備室、到着。
入ると、やっぱり誰もいなかった。
普通の教室の半分以下の広さの部屋。壁には本棚がぎっしりで、中央の机には書類だらけ。
それらの書類に埋もれるようにして置いてあるレポートボックスに、赤松さんがプリントを入れた。レポート用紙は赤松さんの丁寧な字でびっしりと埋まっている。相変わらず、綺麗な字だなぁ。
「すごいね、本がたくさん」
壁の本棚に近づいた赤松さんが、感心しながらその背表紙たちを眺める。
「本当だね」
私も、赤松さんの横に立って本棚を見上げる。「よくわかる無機化学」とか、「元素図鑑」とか。元素図鑑はちょっと面白そう。
本を眺めつつ、「やばい…手紙…どうしよう…」という思いもこみ上げてくる。どうしよう。マジで。
「どうしたの?なんか、ぼーっとしてない?」
赤松さんが、下から心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「えぁっ!?…っと…そうかな!?」
やばい。挙動不審すぎる。
…でもこれって、チャンスじゃないか?
この手紙、貰ったけどどうしたらいいのかわからなくて…みたいな。渡すのは失礼だと思ってることもちゃんと言えれば…。
「この手紙さ、中尾くんから…」
鞄から手紙を取り出すと、赤松さんの表情が一瞬陰った気がした。
「…貰ったんだ?」
「あ、うん、それで赤松さんに…」
「…別れようって?」
俯いた赤松さんが、私の話を遮るように呟いた。
「へ?」
え?
ぽかんとしてる私をよそに、赤松さんは下を見たまま矢継ぎ早に話し始めた。
「中尾君と付き合うの?」
「あ、えーっとそうじゃなくて、」
「じゃあ、何?」
えーっと…どこから説明したものか…。
っていうか、何でこんな怒ってるんだろ…?
戸惑い黙る私の左頬の横に、赤松さんがトンと右手をついた。
私の背中が、本棚の硬い感触を捉える。
「言えないの?」
背伸びした赤松さんが、私に顔を近づける。
間近に迫る赤松さんの顔。
やばいやばいやばい。近いって!!!
あまりの恥ずかしさに、思わず顔を背けてしまう。
「…こっち、向いてよ…」
悲しそうな声。
背けていた顔を正面に戻すと、そこには寂しそうに表情を歪めた赤松さんが居た。
私の事を壁に追い詰めているというのに、どうしてそんな顔を…?
「…あのさ、赤松さん」
「…。」
瞳を不安そうに揺らめかせながら、赤松さんが私の話を聞いてくれる。
「この手紙、私宛じゃなくてさ…赤松さん宛てなんだよね」
「なんか、勘違いさせちゃって…ごめん…」
気まずさに目を伏せる。
流れる沈黙。
反応が怖くて、恐る恐る視線を上げると_
_そこには、ザックリと傷ついた表情をした赤松さんが居た。
「あ、赤松さ…」
「…森丘さんはさ。私が、中尾くんと付き合ってもいいと思ってるの?」
「…ッ!」
違う、と言えなかった。
告白の手紙を仲介しておいて、そんな図々しいこと。
「ねぇ、」
赤松さんが、私の瞳をじっと見つめた。
いつもキラキラしている彼女の瞳が、今は私のことを逃がすまいとするかのように鋭く私を捕まえる。
「答えてよ」
「……っ」
赤松さんが、左手で私の右腕を捉えた。
そのまま、右腕を壁に柔く押し付けられる。
その間も、赤松さんは私のことを見つめたままだ。
赤松さんの視線に耐えきれなくなった私は、観念して言葉を絞り出す。
「…いやだよ…」
やっぱり恥ずかしくて、視線を下に向けた。
「付き合っていいなんて、思ってるわけないじゃん…」
…わかってよ。
気遣い上手で、察することに長けてる赤松さんなら_私の気持ちなんて、言わなくてもわかってるでしょ?
今の私の顔は、多分真っ赤だ。
ダメだ。相当恥ずかしい。前を向けない。
「どうして?」
それ、言わせる?!?!?
「そっ…れは…!」
ああもう、何で私こんなこと言わされてんの?
もういい。ここまで来たらどうにでもなれ。
私はヤケクソで叫んだ。
「好きだからッ…!」
「誰を?」
「ちょ、赤松さん…!」
からかわないでよ!!と言おうとして、私は顔を上げた。
それは赤松さんへの反発心だったわけだけど。
でも、私を見上げる赤松さんが_
_すごく、優しそうな、愛おしそうな目で私を見ていたものだから。
何も、言えなくなってしまった。
「…わからないから、言ってほしいな」
赤松さんが、こてんと首を傾げた。
「う…」
わかってる。この人絶対わかってる。
その仕草が可愛いことも、赤松さんのお願いに私が弱いことも。
もおおおおおお!!!
「……………赤松さんが…好き、だよ…」
たっぷり十秒くらいおいて、言葉を絞り出した。
顔に集まる熱のせいで喉はカラカラに乾いていて、最後の方は掠れていた。
「私も」
「ッ!?」
赤松さんが、壁についていた手で私の頬にそっと触れた。
そのままするりと耳朶まで手を滑らせる。くすぐったくて、ビク、と肩が跳ねた。
赤松さんの唇が、そっと私の耳元に寄せられる。
「森丘さんが、好きだよ」
囁かれて、背中がぞくりと震える。
耳から赤松さんの声が、息が、言葉が_流れ込んでくる。
彼女の甘い吐息が、全身を巡るみたいだ。
「…はい…んむっ!?」
顎を引き寄せられ、優しく口づけられる。
頬が一瞬で灼けるように熱くなった。
「な、なななな!?」
「ふふ、かわいい」
ふにゃ、と子どものように赤松さんが笑った。
いやいやいやかわいいのは貴方でしょ!?
「もっかい」
甘い声で、赤松さんが呟く。
「ちょ、待_」
「理科準備室ってここかなー?」
「!?」
赤松さんの唇が、再び私の唇に重ねられようとした瞬間。
生徒が入ってきて、私は思わず赤松さんを突き飛ばした。
「あ、赤松さん!!帰ろう!!!」
後ろに少しよろけた赤松さんは不満そうにこちらを見ていたけど、知らないフリをする。
私はいつの間にか床に落ちていた鞄を拾って、早足で出口に向かった。
まだ柔い感触の残る唇を、指で確かめるように触れながら_
_二人で並んで歩く、帰り道。
いつものように何でもないことを話すだけ。でも、流れる空気がどことなくくすぐったい。
時々チラリと赤松さんの顔を盗み見て、目が合ってふふ、と笑われたり。
楽しそうに話す赤松さんの横顔に、可愛いなぁと癒されたり。
ふと触れる指先と指先に、どくんと心臓が鳴ったり。
「…繋いでいい?」
赤松さんが、上目遣いで伺うように聞いてくる。
返事の代わりに、私から手をぎゅっと握った。
さっきから翻弄されてばっかりだから、せめてもの反撃のつもりで。
「耳、真っ赤だよ」
「…言わないで…」
赤松さんが、からかうように囁いてくる。
耳が熱いのは、自分でもわかる。仕方ないじゃないか、手を繋ぐのなんて幼稚園以来だ。
なんだか、結局私ばかりが恥ずかしい思いをしてる気がする。
「でもね、繋ぎ方が惜しいかなぁ」
するり、と赤松さんが指を私の指の間に滑り込ませて、絡ませた。
通算二回目の、恋人繋ぎ。
密着した掌が柔らかくて小さくて、すべすべした肌が心地いい。
「こっち、ね」
「…はい…」
幸せそうに笑う赤松さんに、私はもう何も言えなくなった。
手を繋いだまま、住宅街の中を歩く。
指先から伝わる熱に慣れなくて、心臓がドクドクと音を立てる。初めて繋いだ時よりも、心臓が煩い気がする。
手を繋いで改めて思う。赤松さんの指は細くて掌も華奢で、優しく扱わないと壊してしまいそうだ。
赤松さんは、例えるなら綺麗なキラキラしたガラス細工とか、ふわふわした繊細なスイーツとか、そんな感じ。
そのイメージは今も変わっていないけれど、時々思うことがある。
「赤松さんって…猪突猛進というか…結構積極的だよね」
「え、そう?」
赤松さんが、意外そうな声を出す。
「う、うん…告白も凄かったし。今日だって…」
「そ、そっかな…」
お互い今日のことが脳内を巡り、気恥ずかしさからちょっとした沈黙。
落ち着きかけていた私の頬の熱も、またぶり返してきた。
ふと横を見ると、赤松さんも私の方を見ていた。
赤松さんの綺麗な瞳と、目が合う。
「でも多分、それは森丘さんだから」
「え?」
「森丘さんなら、どんな私でも受け入れてくれるだろうと思ったから」
赤松さんが、目を伏せた。
…あぁ、そうか。彼女も不安だったのか。
私は「赤松さんなら察しがいいから私の気持ちをわかってくれているはずだ」と思ってた。
でも、違うんだ。
赤松さんも、相手の気持ちがわからなくて、それでも自分を受け入れてほしくて、悩むんだ。
「それに…こんな風に感情的に行動するのなんて、森丘さんにだけだよ」
心なしか、赤松さんの頬が赤い気がする。
釣られて、私の頬にも更に熱が上る。
「それをいうなら…私もだよ」
赤松さんが、きょとんとした顔でこちらを見た。
「私、誰かを好きになったのなんて…初めてだし」
「え…」
「赤松さんが、さいしょ」
赤松さんにしか聞こえないような声で、か細く呟いた。
恥ずかしくて、赤松さんの顔が見られない。
「っはああああ~~~もお~~~!!」
赤松さんが、突然叫びながら空を仰いだ。
「な、なに!?」
「可愛すぎるよ、森丘さん」
唇を軽く尖らせて、赤松さんが恨めしそうに私を見る。
いやいや、それはこっちの台詞ですけど!
「前から思ってたけど…、赤松さんの方が…その…かわいい、と思うよ…」
「耳まで赤くして“かわいい”って相手を褒める時点で、森丘さんの方が可愛いですー」
「だっ…てそれは!言いなれてないし…しょうがないじゃん…」
「そーいうとこが可愛いんだって」
「か、かわいいって言いすぎ…!」
「えー、嫌?」
「………嫌じゃ、ないけど…」
「かわいい」
「もう!!!!」
_ずっと、一人がいいと思ってた。
でも、貴方のためなら二人になれる。
_ずっと、誰かの傍に居なきゃ不安だった。
だけど、貴方のためなら一人になれる。
私たちなら、これからも…きっと、大丈夫。
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