第五話 護主の遺産

第五話 モリヌシの遺産


「三百年前に迫東ハヅマハラ山塊にくぼを成したのは何と思われますか」

 先生はいきなりに違う話題をなげけた。

モリヌシの遺産……ですよね」

なる兵器と思われますか」

たとえば……モリヌシの動のめぐみを詰めた火薬玉のごとき何かとおもいえがきますけれども」

に有ったと思われますか」

「コヲカ家が伝えて来られたと聞きます」

「人が人と争うのをいとって戦乱初期に身を隠したモリヌシが、幾万人も城も丸ごと瞬時に葬るしろものを人に託したでしょうか」

 なるほど、戦乱期の人類の手にこれほどの兵器が有ればひどい災いの種と成ろう事は、私にもわかる。

つたえきくのが違うなら、それは……何なのでしょうか」

モリヌシの遺産なる兵器を具体的に記す史料は、実に一点も有りません」

 いやいやそれさすがに言い過ぎでしょう、と私はかぶりを振った。

迫東ハヅマハラで王軍が使ったからには『セン』に何かしらはずです」

 教えてもらいながら『コウセン稿カウ』の頁をって記述をさらった。


 いつせんののち伝令いはくモリヌシさんさくれつ。敵陣かいめつして残敵かいそうしてうんぬん


らんどおり、諸領の軍も王軍の諸隊も伝令を受けたと述べるばかりです」

 伝令を発した老将コヲカ=ロヲは戦後に間も無く歿ぼつしたから『コウセン稿カウ』はの回顧を含まない。

「でもとりあつかった隊が……敵陣中央で点火した隊が在ったはずです」

 先生は暫時しばし考える顔をした。

迫東ハヅマハラの地理をほどぞんですか」

 再び事務所に足を運んで最近の地図二枚を借りてきて広げた。

 一枚は全国地図……東端のニイサトに発した川はヒガシサト山野ヤマノ川辺カワベナカサトの各盆地の水を集めて西流して迫東ハヅマハラを抜けて迫間ハザマヤトを抜けて平野を流れて王都を経てオヤヲカの南をかすめて湾へ注ぐ。

 二枚目は迫東ハヅマハラの地形図……おおむひしがたの盆地で東西五きろ・南北三きろ。南と北は山地に閉ざされて、東と西が細く開く。東のナカサトからながれき川は南の山沿いを西南西にしばらく流れて、盆地の南東で西北西に転じて盆地の中央西寄りのさしわたしきろくぼに溜まって、西向きにあふれで迫間ハザマヤトながれゆく。

 先生は写真一枚を私に示した。

コウえきの五十年前の迫東ハヅマハラです」

 写った絵図にくぼは無い。川はひしがたの東端から盆地の南の山沿いを流れて西端に至る。西端をさえぎほりるいの北の山腹の城は東を警戒する備えだ。

ナカサトノ乱の当時の迫東ハヅマハラですね」

 四百年前の戦乱期末、先に西領を束ねた王統初代はなおあらがう東の諸領を二度攻めて、二度共にナカサト川辺カワベ山野ヤマノまでを制したが、二度共に残党がにげんだヒガシサトシロヤマを落とせず退いた。三度攻める前に和議が成って東領の諸領主は王統を宗家とする形に血縁を結んだ。でも五十年してナカサトの反王派が領主のしよかついで領軍と結んで城を奪ったのがもとで、川辺カワベ山野ヤマノの反王派も決起した。対して王軍と西領の諸軍は迫東ハヅマハラの西端をふさいで、いちは戦乱の世に逆戻りかと思われたが、ヒガシサトが王統支持を貫いた結果、東領の反王派は勢いを失して乱はわずひとつきしりすぼみに終わった……これナカサトノ乱だ。

「乱ののち、王統が諸領の力を次第にいだのはぞんですか」

 歴史の教本にる程度ならわかる。かげで乱から五十年はいくさらしいいくさも起きず、王軍の務めは治安と防災が主と成って、だから高齢の将をいただくのでも支障無くて、まり……先生の言わんとするところようやく察せられた。

「三百年前の人類の軍は戦乱期と比べ得ぬほどに弱かったのですね」

「有事になおも老将に全軍を預けたのは、ナカサトノ乱を知る世代でいまだ役目に就く最後のひとだったからです」

 大規模な軍の扱いを具体的に知る者が他に無かったのだ。

迫東ハヅマセキふさいだ人類軍の数はほどでしょうか」

「『セン』にる諸隊の数をたしわせておよそ一万七千です」

コウの主力は、今のクボイケところむれつどったのですね」

 私は地図の迫東ハヅマハラの広大なくぼを見た。

迫東ハヅマハラせめコウ兵は『セン』から推定して十五万あまり。昔の当地は水気が多くて兵がみっしりめたとも思われませんが、でも今のクボイケの一帯に十万ほどたともくされます」

まんなかまで、人類がきりめたはずが無いのですね」

ばんゆうていしんで成る事ではなかったでしょう」

 私は暫時しばし案じておもいついた。

あらかじちゆうけて置いて点火したかもしれません」

 対して先生は写真六枚を出して、左右一列にふちを重ねて並べてみせた。

 迫東ハヅマセキ城のあとから東を見た風景だ。かつての湿原は三百年前に成ったくぼかげで水がけて人の暮らせるところと成った。盆地は広く開墾が進んで、鉄道と街道が走るあたりは街区も見える。

「地中や地面で炸裂したならねた土砂はしんから等距離にぐるりと山を築くはずです」

 でも写真のくぼは、たまじやくしすくった跡のごとれいふちをしている。

「炸裂でなくて……とりった感じでしょうか」

 いつたい何をすればこれほどの土砂がえぐれて消えるのか、まどう私に先生はした。

「『ジツロク』にれば、モリヌシヤマコウの城の半分を削りました」

 裏付けを『コウセン稿カウ』に求めると、はじヒガシサトの急使はヤマの城をまるいと述べるが、のちヒガシサト入りした王軍の斥候は欠けた月と形容していた。

「特定の範囲の……もしかしたら現実うつつれ自体をけしる才が有ったのですね」

おそらくは」と先生はうなずいた。「ですが相応の代償がったと思われます」

 私は昨日に聞いた話をおもいかえして考えた。別の現実うつつの何者かの手が当方の現実うつつねてモリヌシかたちあらわした。とすれば同じ仕方で当方の現実うつつの一部をけしるのもかなうと思われる。とはいえねられた現実うつつであるところモリヌシこれさんとすれば所要のげんりよくは自身をかたちところに求めるより他は無い。すなわ現実うつつれ自体を消すにはモリヌシの自身の相応のかさを費やす理屈で……した結果はさいぜんコウセン稿カウ』に見た。

モリヌシは翼を欠いた姿でヒガシサト領の西にしぎわに墜ちて……消えました」

 先生はうなずいて、六枚の写真を示した。

「もういくとせも前ですが、迫東ハヅマハラクボイケの周囲をぐるりと巡って、アオタマの眼をもつくぼの形を測量しました」

 三百年間の堆積や侵食に配慮しておもいえがくなら、当時に生じたくぼまつしんが一番に深くておよそ五十めえとるからおおむね全方位にゆるく上向く曲面を描くという。

「丸いわんの底のような感じでしょうか」

 先生はうなずいた。

さしわたしおよそ四きろの球体のたんと思うと形が見合います」

 大きさを思って眩暈めまいがした。

「何かを高さ一千九百五十めえとるまでうちげて点火したのですね」

 ように思えば理屈は合う。

「とはいえそれを記した史料もり無いのです」

 他に何か探る手立ては無いだろうか。

「……老将のそくせきを追えば、何か知れるかもしれません」

 おもいついて口に出すと、先生は、ほゝう、という顔をした。

「ならばず『ジツ』の王統五代五年りようげつ十八日を調べてみて下さい」


 ○十八日めいに王軍将は征コウ大将となり。オヤヲカまゐるべしとていとまたまふ。


「老将は迫東ハヅマセキより先にオヤヲカへ向かわれたのですね」

 のち、他の事項が連ねてあって同日の最後にの一文がる。


 夜半西方オヤヲカへきくわう立つ。


り老将がオヤヲカからモリヌシの遺産を運ばれたように思われます」

のみをっての通り主張する研究者もます」

「……違うのでしょうか」

コウえきかかわる記事をさらって生起順に並べるとおのずと知れる事が有るのです」


 ○十六日ヒガシサトりやうヤマ一昨日ゆふこくあかきしろくだるよしちゆうしんあるにより迫東ハヅマセキ代に東領巡察命ぜらる。

 ○十七日ヒガシサトりやうシロヤマ昨日めいに落城のよしちゆうしんあり……。


 始めてすぐなんさとった。くまで王城の記録をんだ史書だから、起きた順に追うにはよみいてならびかえてを只管ひたすらくりかえす根気がる。先生の筆記具を借りて頁を行きつ戻りつしてようやまとめた事の推移は、思ったのと丸で違っていた。


 十四日夕刻、ヤマコウの城が降りた。

 十六日、王城に第一報が届いた。今なら電信が通るが当時は書状を運ぶのに丸一日を要して……かんシロヤマは滅びた。

 十七日、王城はようやヒガシサトきゆうじようを知ってコウを深刻な脅威と認めた。ひようじようが持たれて、とりいそ迫東ハヅマセキに防戦のたくと難民の救済について指示が出されて、西領の諸領主に参陣がめいされる。ひようじようは翌めいまで続いた。

 十八日めい、老将コヲカ=ロヲは征コウ大将に任ぜられてオヤヲカしゆつたつした。夜が明けて王軍の諸隊が順次迫東ハヅマセキへ向かった。夜半、オヤヲカへきくわうが立った。

 十九日、王軍の第一隊が迫東ハヅマセキに布陣した。以後二十二日まで続々と王軍の諸隊や西領の諸軍がせきに至って護りを固めた。

 二十日朝、老将がオヤヲカからさんして王城でまたひようじようが持たれた。夕刻、サトムラの四人が迫東ハヅマセキに至って、去る十八日深夜にモリヌシってこれが消えたのを見たとしらせた。

 二十一日、老将は王軍の最後の隊と共に王城をしゆつたつして迫東ハヅマセキへ向かった。夜半、サトムラ隊は迫東ハヅマセキを出立した。

 二十二日、老将は迫東ハヅマセキに至った……。


「順序が……合いません」

 なるほど十八日夜半にモリヌシが老将に何かさずける機会は有った。でもくなるいきさつの中、の時点で遺産を託すのは妙だ。十七日のひようじようモリヌシあらわれる以前で、二十日のひようじようモリヌシの消滅の知られる以前で、遺産をうんぬんしたとは思われない。サトムラ隊についても日程からして老将の策の一環というより、十七日のめいもとづいて迫東ハヅマセキの代官の判断でおくりだしたとみるのが妥当だろう。

 今も誰もが知る物語はまつたくの創作なのだと改めておもいしって困惑する私に、先生は尋ねた。

りようげつ十八日、老将は何のためオヤヲカおもむいたと思われますか」

 知る事からくみて得るすじの通る解釈は……。

「コヲカ家が伝えたのは兵器でなくて、モリヌシに危機を訴える手立てだったのですね」

モリヌシは戦乱初期に万一の人類危急の際に自分を呼ぶすべオヤヲカの一族にさずけて身を隠した、と思うとつじつまが合います」

 ききるようなモリヌシの遺産はおそらく本当に無かったのだ。

「……だとしたら、老将が伝令した御遺産とは何でしょうか」

 先生はナカサトの乱の頃の絵図、えぐれる前の迫東ハヅマハラを再び示して、三百年前のの日をおもいえがくとしましょうか、と語り出した。

りようげつ二十四日朝、迫東ハヅマハラコウ・推定十五万の先陣がはらの西端のせきおそいかかりました……」

 の人類の命運をしたいくさだった。だから王城に仕えるも参陣をねがいでた。めぐみを得たばかりの農家の子ら四人を敵地に送った。いつかいの猟師の腕すら頼みにした。

コウ兵が迫東ハヅマセキ城を焼いたのは史実でしょうか」

しろあとやけちた跡が見えます」

せきもちこたえたでしょうか」

ほりるいの内にも交戦のあとが見えます」

「でも、夕刻までたえしのいだのですね」

 あとが無いから退くのもかなわず闘い通した。とはいえ、終わりは見えていた。

の時、迫東ハヅマハラに光がひらめいたのです」

「地面がえぐれて敵の主力がきえせて、残る敵兵も退しりぞき始めて……」

おもんぱかるに、老将コヲカ=ロヲは何が起きたとも知れぬまま、でもいきのびびた兵をふるいたたせて軍を進めるために、おもいつきのまかせを全軍に伝令したのでしょう」


 モリヌシさんさくれつ。敵陣かいめつして残敵かいそう……。


「……でもだとしたら、迫東ハヅマハラえぐったのはいつたい何でしょうか」

 先生はしろあとから迫東ハヅマハラを一望する写真六枚を改めて示した。

コウえきより前の川は右の山裾に沿って奧から手前へ流れました」

「今は右端沿いにいくらか走って、向きを転じてクボイケに注ぎます」

クボイケに注ぐのはでしょうか」

「三百年前に盆地の南東で……川筋を変える何かゞ起きたのですね」

 先生は写真一枚をさしした。私はうけってそれを見た。

「タヰ=ゲツがせきわんの男を見たとしらせるのに添えたです」

 有名な『くぼきわのヰト=キヲ』のもとそびようだ。なるほどにも夕刻に遠目に見た光景で、コウの将も隣の男も墨色にぬりつぶれている。でも男が片腕を欠く様子やコウの将のかぶとに尖った二本角がそりがるのはむしろくっきり知れる。両名のあしもとくさむらはすぐ左ですっぱりえぐれてくぼんでいる。

 そして私はようやくにして気付いた。写真を持つ手が震えた。

「ヰト=キヲがたのは、迫東ハヅマハラの南東の山裾の河岸に近いあたりでした」

タヰ=ゲツの報告自体を疑う研究者もます」

 違う……と私はかぶりを振った。史料というのはなりたちまで含めてよみくならすべて相応に真実なのだと、私は今日見た史料すべてから学んだ。

 改めて六枚並べた写真に眼を向けた。池の南東が尖って見えるのは三百年を掛けて流れが削ったのももちろん有ろうが……そもそもは三百年前のの日の夕刻、南東の山裾までが細長くえぐれたゆえなのだ。

おおむね直径四きろの球と言われたのは、実は迫東ハヅマハラの南東端の河岸に向けて鋭く尖った……しずくの形をしていたでしょうか」

「かもしれません」

 しずくしたたったおおもとが何かはもはや語るまでもない。

うかがいます」

「どうぞ、何なりと」

アオタマは自身の小さな欠片かけらを人の身といううつわに盛って才をさずける時……かさを減らすでしょうか」

こんにちまで三十七名がアオタマから才をさずかりましたが、目に見えて縮んだとの話はききおよびません」

 モリヌシも二千年の昔には幾千という人にめぐみさずけたはずで、でもさずけた分だけ縮んだとの伝承は聞かない。まりそれほどの身の現実うつつそもそも濃い。だというのに三百年前のモリヌシは四人の前で消えた。当時のモリヌシは翼を欠いてなお人に似たかたちを保っていた。それほどかさそれほどに濃い欠片かけら、と問うならすじの通った解は一つだ。

「仮にもしアオタマ一体のすべてを盛られた人がたとして、先生はの人を正しくはかる事がかなうでしょうか」

 昨日に聞いた。小さなかけの薄い現実うつつで手探りしても、大きなかけの濃い現実うつつは動じない。ゆえかんとくかなわない。

あるいはの身中にアオタマの在るのを感じたとして、むしろ認め得ぬほどに小さなかけかんちがいするかもしれません」

 だから三人はしばらく気付かなかった。覚のめぐみに秀でたカナでさえヒガシサト領に入る手前でようやく察した。

コウは兵が人をあやめて人が兵をあやめるのをかたらいと誤解していた、とのおはなしでした」

ゆえコウの将は十万の兵をけしった男を対等と認めた、と思うとおぼろげながら筋道の立つ解釈がかないます」

 すなわコウの将はの対決をもつようやコウの仕方をおしとおせば語らう相手の人類がきえるのを悟って、ほんしてヰト=キヲと結んでほんかいすのに助力した。さかのぼればモリヌシコウの本体とひとたび対しての原理を察したがゆえに自身ののこし得るすべてをいちにんの人に託したとさえ思われてくる。

 私は目をつむって一呼吸して、尋ねた。

山塊をコウの城ともろともえぐってくぼと化した球のさしわたしほどと見積もられますか」

 先生はまちかまえたかのごとよどみなく応じた。

おおむね九きろです」

 しんちゆうそろばんを弾いた。おおむね同形の立体のかさを比べるにはおのおのさしわたしを三乗して一方を他方で割れば良い。九掛ける九掛ける九は七百二十九……四掛ける四掛ける四は六十四……七百二十九割る六十四は十一と少し。仮に人の右腕が全身の十二分の一とするなら……。

 十二分の十一は、残る全部だ。


 歴史資料館を出て先生と駅前で遅めのひるった。三百年前に失せた川源流の代わりにムロ=タヲとカナが築いたニイサト用水を見てから、シロヤマに登った。かつては難攻不落でも、今は道が整えてあって登るのに難はない。陽が傾き始めて涼風がふきける山頂に先生と私の他に人は無かった。東端のきりつ崖の先に立てば新緑の山並みが囲むオオクボが一望に成る。

 先生はに立つ碑の前でといけた。

「三百年前、四人に何が起きたと思われますか」

「ヰト=キヲは、ただ護ろうとしたのだと思います」

 コウさしちがう覚悟を悟られぬように意を交わすのもなんな振りをした。でも気付かれてに後方へ送られて、でも追って三人をおし退けてコウの城へ向かおうとした。

「ヰセ=キアの事は何と思われますか」

「ヰト=キヲを、ただ護ろうとしたのだと思います」

 キアのとする止のめぐみは大昔にさいを止めて人を護った。二年前に多くを無くしたキアはあるいは今以上に何一つ無くさぬようにと願うがゆえこれけるに至った。対してキヲは人類が、三人が、キアが暮らせる世を築いてのこために戻った。ふたの思いはあいれずに、でもいきところは一つだった。

 ムロ=タヲがカナとに建てた碑は墓標だ。コウえきの若武者は真の英傑に感謝して詫びて、四人の故地の再建に生涯を捧げた。


 ひむかしに立つあかつきわればんしやささぐ。


 すぎったごとを本当に知るのは何をしたってかなわない。今に残る欠片かけらを手探りで拾い集めておもいえがくしかない。

 三百年前に人類を救った男は、きようしようこころねゆえに下男にも妹にも許嫁にもかぎられたあげ、人類の敵と手を結んで許婚いいなずけしんじゆうを遂げたにんとして、今の世に知られている。

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