第四話 キヲの隻腕

第四話 キヲのせきわん


「とはいえ、すぎったごとを本当に知るのは何をしてもかないません」

 今に残る欠片かけらを手探りでひろいあつめておもいえがくしかない……と語って先生は歴史資料館の事務所に蔵書の閲覧をもうしいれた。私は言われて、正史『ジツ』王統五代一巻のほんこくぼんと『コウセン稿カウ』のほんこくぼん、当館ようのうちムロ家所蔵『シロヤマジツロク』のほんこくを分載したひとそろいを閲覧用の貸部屋のふづくえまで運んだ。先生にれば古い文献の整理がこれほどに進んだのもアオタマとの文化交流がもとという。

「戦後にタヰ=ゲツはくりかえいとまを願ってヰト=キヲの事を調べたようです」

 先生のこうずるところれば、タヰ本家のくらから出たかみたばの調査のてびかえもくされる。内容のあらかたは『コウセン稿カウ』またはもとの書面からかきうつしたとみえて、他はせいふうぶん、及び自身の体験のおぼえがきという。

 先生は写真一枚を出して、撮られたかみたばの頁の一節をそらんじた。


 りようげつ二十四日ゆふこくさんさくれつののちくぼのきわあかきかぶとありかたうでのをとこありのちのひにきくこれなりと


たとえばは『セン』に収まるみずからの報告をかきうつしながらおもいかえした事柄をかきえたと思われます」

 教えてもらいながら探すと当該の一行が有った。なるほどくぼのきわあかきかぶとありかたうでのをとこあり……は『コウセン稿カウ』の通りだ。のちのひにきくこれなりと……は『セン』に無いからおもいかえしてかきえたとみえる。

モリヌシの遺産の成したくぼふちにヰト=キヲを見た……というのですね」

 先生はゆっくりかぶりを振ってさとした。

「タヰ=ゲツは、た誰か知れぬ男が実はキヲだったとのちに聞いた、と記しているのです」

 迫東ハヅマハラの南東の山のかくしとりでの斥候がサトムラ隊の名や顔やひとわんを欠くのを知らぬも道理か……と得心してうなずく私の前に、先生は別の写真を出した。

「出陣前の四人の肖像……ですか」

 簡素な具足を着けた若い男女四人のそびようだ。女子二名は並んでしようぎに腰掛けて、男子二名はの両隣に女子らを護るがごとく立っている。

「タヰ本家のくらくだんながもちちからてびかえと共に出たです」

 状況をおもいえがいてみた。

「志願兵タヰ=ゲツが迫東ハヅマセキに至った際にたまたまに四人がわせて……せきの代官が王城に四人の事をしらせるのに添えたいとそびようを求めた……といったところでしょうか」

「戦後にタヰ=ゲツは『コウシフライ』を描くために戦中のそびようまとめてかりして、でもけつきよくの一枚からは描かなかったとみえます」

「そしてもどしもれたのですね」

 さて、とすればが肖像を描いた相手に数日後にかいしてはんねた次第と成る。なるほど妙だと思いながら、写真のを改めて見た。向かって右の男子は大柄でいかつい。左の男子は比べて痩身で常設展の肖像画に見た細面のムロ=タヲを思わせる。

「大柄な方がヰト=キヲでしょうか」

 私は小首をかしげた。先生はニコリと笑った。

は正確でない、あるいは四人の肖像にあらずと断ずる研究者もます」

 言われてようやく気付いて、がくぜんとした。

……みぎうでが有るのですか」

 男子のいずれも両腕が描いてあって腰の左に刀をげている。

まさしく四人の肖像としたら、タヰ=ゲツがくぼきわせきわんの男の素性を即座にはんねた由縁が知れます」

 そしてヰト=キヲは生まれながらのせきわんでなかった事に成る。

「『ジツロク』は何と書いているのでしょうか」

 私は『ニイサト歴史資料館紀要』の一冊を手に取った。教えてもらいながら現存最古の『シロヤマジツロク』のの一文に至った。


 あかうまれながらわんかく


のち迫東ハヅマセキで四人の才を確かめた学者もせきわんげんきゆうします」

 私は探した。


 学者おもふうつはけふせふわんかくゆえなるかな


みぎうで一本分だけうつわが狭いというのは……何ともちんみような理屈ですね」

 仮に腕二本分のかさが脚一本と同じとみて、四肢のかさが頭と胴と同じとみて、右腕は人いちにんの十二分の一相当。かたが六十きろとして五きろの程度。大柄なヰト=キヲが痩身のムロ=タヲやきやしやな女子らにうつわで劣る由縁とは思われない。

 黒眼鏡の縁の向こうに先生の眉がぴくりとたちがった。余計な事をつぶやいたのを謝ろうと口を開き掛けたところで、先生はぞんがいたのれた方へと話を向けた。

「三百年前の人もな理屈と感じたようです」

 教えられて脚注に目をると、他本はを以下のごとく改む……として、王都旧本系のなにがしの蔵書からぬきがきしてあった。


 おもふうつはけふせふわんかくゆえしんこんひがみあるゆえなるかな


かきうつした人が勝手に手を入れたのですね」

「根拠は有ったようです」

 教えられて四人のおいたちを語る頁に戻って脚注を見ると、他本はコウえきより二年昔のヰト家騒動のいつを挿む……としてこれぬきがきしてあった。


 王統五代三年秋。ある商人ヒガシサト領不作とききサトムラぬしおとなふところ家内騒動ありのぞきみるに庭の井戸はたわかき男女もつれて娘ころもに血にじむ。男ののしりのがさぬ女は子孕むがつとめなりなんどゝいひひきずるやう。のちききあれうわさしるよし


「王都でちらかの商人が、コウえきの二年前にヰト=キヲが女子に蛮行を働くのを見た、と語ったのですね」

たまたまに聞いた人がたまたまあかつき本をかきうつしていつを足して、うつわの小さい由縁をわんさわり自体でなくそれこころねひがみと断じて筆を加えたのです」

 シロヤマの碑文を二代目の碑に合わせたのも同じ人だろう。そしてしやほんの方がげんぽんより正確でいとされて世に広まったのだ。

「四人のいさかいのしよは何と述べてあるでしょうか」

 期待して私は探したのだが、見つけた記述はなかった。


 のち山野ヤマノの兵どもののしりこゑきくやう。やらサトムラ隊の陣のかたなりさいれず。めぐまれしものいへども若き男女なればよしなくるもあらむとおぼへしが、よもやいさかひありて三人みかぎりめぐみにてとめてしばりばこおさむまでおもはず。


 落胆する私に、先生はニコリと笑った。

の描写が良く知る形を取るのは芝居の『コウタウバツ』からです」

「一番に古い『実録』でも知れないのですね」

そもそも知れるはずが無いのです」

 わからないでまどう私に先生はさとした。

「『ジツロク』のげんぽんあらわしたのは、なる人と思われますか」

コウえきさいに興味を抱いたせいなたかゞ調べて書いた、のですよね」

の人はからヰト=キヲのおいたちを知ったと思われますか」

「……にげびた同郷の人に尋ねたなら知れたのでは有りませんか」

サトムラいきのこりは知られる限りにんのみです」

 ヒガシサト領の東部は住民の大半が犠牲に成った。シロヤマ城下に近いサトムラいきびたのはムロ=タヲとヰト=カナのみで、ふたは戦後にヒガシサト領の東の一角を拝領して当地に留まって、モリヌシめぐみを地理条件の激変した郷里と周辺地域の復興に活かした。戦後しばらく東領の全域は王軍が管理して、帰郷も自由に成らなかった。呼ばれたか許しを得た商人・職人は出入りしたろうが、新領主からうちまつかかわるさいききすのまでかなったかといえばはなはだ疑問だ。

「知ろうにも手立てが無かったのですね」

 先生はうなずいた。

「タヰ=ゲツのてびかえも、四人について『セン』以上のことがらを記しません」

 教えを受けて『コウセン稿カウ』の頁をって迫東ハヅマセキから王城に送った書状を確かめた。

 主題は四人からききとりした事項すなわモリヌシが翼を欠いてちてめぐみさずけたのちに消えたいきさつコウの侵攻の模様で、四人については素性をサトムラぬしちやくなんと妹、ちやくなん許婚いいなずけにしてサトムラしんの分家の女子、ぬし家下男の子と記して、あわせて一同のめぐみを述べる程度だ。

「当時の王都の人が何かを頼ったとして、先生の御先祖様と同じほどにしか知り得ぬはず、というおはなしですね」

すなわち『ジツロク』の記載のうち他史料のうらづけの無いすべては著者の創作を疑わねばなりません」

「生まれながらのせきわんもですか」

つまるところ……村の仕事は人手頼りです」

 だってうだ。思うに私は女学校を出て何年かしたら、たとえばコウ屋旅館の三男坊あたりを婿に迎えてやがて共に家業を継ぐ。おもいえがく将来に腕にさわり有る婿をもらは浮かばない。感情や倫理よりも以前の話として、山林の管理に炭焼きに山菜・山芋・茸採り……日々の作業がたちかない。もちろん、祖父のごとき人、左に義手をしながら何不自由な様子も無しに、幼い私を連れて山林をかつして山の幸をかごいつぱいに採るの人ほどはずれた男なら別だが、あれほどの人に運良く出会うはずもなかろうし……ともあれ、くして思えば三百年前の農家がわんを欠く子を跡継ぎにえたというのはいささか疑わしい。ひるがえってせいらいせきわんというのはあとづけの創作のように思われてくる。

 だとすればヰト=キヲはいくさばわんを無くした事に成るが……。

「人はみぎうでを欠くほどの傷をこらえて動けるものでしょうか」

「私が膝をした時、いのちびろいしたのはアオタマ欠片かけらかげでした」

 アオタマの才の本質は現実うつつへんようこれが先生のいためた脚から血のながれでるのをおさえて激痛をしずめる役に立って、安全なところへ逃れるのがかなったという。とすれば、キヲも腕を欠いてなおあるていなら動けたかもしれない。

「ヰト=キヲは闘ってみぎうでに重傷を負って、でも退かぬとねていさかいになって、だから三人はに後方に送ったのかもしれません……」とすればカナのふみの意も通る。とはいえ性情のよろしからぬはずのキヲに三人がまで尽くすのはちない。ならばとを疑い出すと途端に思索はひるがえさかのぼって再びせきわんの由縁へと帰着する。「そもそもジツロク』を書いた人は何を根拠にヰト=キヲを生まれながらのせきわんと記したのでしょうか」

 先生は良い質問だとばかりにニコリと笑った。

「じつは『セン』をこんく探すと一しよ、腕のさわりの記述が見つかるのです」

 教えられて『コウセン稿カウ』を開いて、迫東ハヅマセキの人事のおぼえがきから当該の一行をさがしあてた。


 ようにんいはくめぐまれしものいちにんうでにさわりありにふじやうのときぢよちゆうをつかはす


迫東ハヅマセキの城に入った時、ヰト=キヲはみぎうでを欠いていたというのでしょうか」

 なるほどシロヤマジツロク』の著者はを見てキヲをせいらいせきわんと断じたのだ。でも、とすればけつきよくタヰ=ゲツのを誤りとす事に成る。悩む私を前に、先生はゆっくりかぶりを振ってさとした。

「正確に読まねば成りません。は……めぐまれしものひとの腕にさわりが有る、と述べているのです」

 先生は四人の肖像の写真を改めて示した。じっと見てようやくキヲのがわに座る女子の左のそでの具合が妙なのに気付いた。膝の上に重ねて見える手はよくよく見れば右しか描いていない。

「カナ……キア……いずれでしょうか」

 ぼうぜんとしてつぶやく私に、先生はした。

コウえきの二年前のサトムラぬしの家に、ころもに血をにじませた娘がました」

 の血痕が蛮行の結果でないとしたなら……。

「もしかしたら何か事故でも有ったのでしょうか」

の商人がサトムラを訪ねたのはなにゆえでしたか」

「……ヒガシサト領不作とききて、です」

「『ジツロク』は冒頭を『ヒガシサト』のぬきがきとりつくろって、以後の領主の系譜・領内のつぎします」

 私は紀要の頁をって当該の条を見つけた。


 王統五代三年りようげつつきはじめ東領連日豪雨。十日ヤトムラ埋没。ほか一村流失。


ヤトムラ……」

 思い掛けず自分に所縁ゆかりの地名が出たのに驚いた。

「昨晩、ヰト=キヲ荘の御先祖はヤトムラの農家のすえでヤト姓を称したのをシロヤマ南麓に暮らしてタセマと改姓されたとうかがいました」

「村がしやくずれっていきのびびて……だから猟して暮らしていたのですね」

ほか一村の名を記さぬのはと思われますか」

 問うからにはただ略したのと違うのだろう。

「正式な名がだ無い……ですか」

 先生はうなずいた。

「『ジツ』にもの災難の記事がります」

 どうねんどうげつヒガシサト領にかかわる事項を探していくと、りようげつ十二日に東領豪雨のちゆうしんが有ってじゆんさつめいされている。さらに探すと月末のこれさんを記した箇所に東領を巡って調べた事項が列記してあった。すなわち豪雨はりようげつ三日から八日間続いてナカサト川辺カワベ山野ヤマノヒガシサト共に田畑が広く水にかった。最後二日はしやくずれたてつづけに起きて、ヤトムラは谷奧の全十二戸が田畑も含めて埋没して生存者は不明とある。そして雨の上がった翌十一日……。


 ヒガシサトりやうげんりうてつぱうみづたにあひ十戸ぜんりうしつ生存いちにん


川の源流、というのはでしょうか」

「王制初期のシロヤマの絵図にれば、山塊が失せてくぼと化すより以前、シロヤマヲカはざまといって山腹を下った水がつどって平坦なところいづる口でした」

 おそらく山のように富む水に恵まれてよくで、同時に水害のくりかえした土地だった。今朝来る途上で先生があたりの畑を何枚も写真に収めた由縁を私はようやさとった。写真機を構える先生のアオタマの眼はじつ川源流の村落の滅びた跡をめていたのだ。

「当家に宿を望まれたのは……ヰセ=キアの故地を訪ねる意が有ったのですね」

「ヰト=キヲ荘が建つのは山裾のわずかに高いところです」

たとえば……むらおさが屋敷を建てたでしょうか」

「土台の下は遺構がいくそうも重なって、の最上層の一角にへし折れた柱の跡がうかがえます」

 三百年前、ヰト家の分家のヰセ家は他九戸を連れてしんひらいて、ようやく落ち着いた頃、何十年に一度のさいに見舞われた。連日の豪雨で山腹のいずかゞ崩れて水が溜まって、雨がんだ翌日に人々が荒れた田畑の始末に取り掛かった頃に決壊して突然の激流が集落を撃って大半をおしながした。ただ一段高いところに建つむらおさの屋敷一軒がつぶれてなおいくらかながれのこって、たまたまに屋敷に在った娘ひといきのびびた。

「でも、キアは一生を左右する大を負ったのですね」

つまるところ、村の仕事は人手頼りです」

 感情や倫理よりも以前の話、片腕の娘を嫁に迎えても家業は助からない。

めて負担に成らぬようにと、井戸に身を投げようとしたでしょうか」

たまたまたまたまが重なった結果、三百年後の今も、ばたで娘をとどめた許婚いいなずけの男が何と叫んだか知るのがかないます」


 のがさぬ。女は子孕むがつとめなり


 好いた娘がさいって村も家族も左手も無くしておもいつめたのをすんでところひきめて、なおあらがうのをだきめて告げたと知ったからには、乱暴極まるの言葉はまつたく違う意をともなって心に響く。

 ただの平和な時代に生まれ育った子らではなかった。キヲとキアは身近な人、大勢の人の命をじんに奪うさいのりえて共にた。突然にいくさまきまれた日も、コウ兵に囲まれた時も、最後の最後まで共にた。重い期待を負わされて、気を張っておののいてくたれて、でも両名が今も誰もが知るごとののしりあったとはもう思われない。

 すぎったごとを本当に知るのは何をしてもかなわない。でも今に残る欠片かけらを手探りでひろいあつめればいくらかでもおもいえがくのがかなう事も有るのだと、私ははじめて知った。

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