第三話 城山の暁月

第三話 シロヤマあかつき


 明くる休日、私は母のあさたくを手伝いながら、昨晩に父が先生と遅くまでさけくみわしてむかしがたりしたと聞いた。

 当家の先祖はヒガシサト領の北西のヤトムラの農家のすえで、ちようじてのちは猟師をしていた。コウが来て妻とふたで逃げて迫東ハヅマセキに至ったところで土地勘と猟の腕を見込まれてサトムラ隊に求められ、シロヤマの闘いをいきのびびたものゝ左手をして鉄砲を持てぬ体に成った。でもこうは認められて老将コヲカ=ロヲから兵四十を任されて戦後のシロヤマの南を警備した。ムロ=タヲがサトムラ跡地にやかたを構えて今のニイサトもとに成る村をひらいた時にめしかかえられてシロヤマ南麓一帯の代官を務めて、子孫は代々役目を継いだ。アオタマ来訪後の国体の変革で領主も代官も無くなったが周辺の山の権利を得た。山林にかかわるのを家業として、また立地を活かして民宿も始めた……なるほど語る事はさまざまに有ったろう。

 先生がひとりみなのもききしたよとみみうちされたが、だから何をよと言うのか。私はばんしゆうの日の夕刻、もう声の届かぬ祖父の前で祖父が築いて護ったすべてを好きもいやも無くすべて護ると誓った。の約束は何が起きてもたがえない。ひとりむすめの私はで婿を取って家業を継ぐのだ。


 あさを済ませて、私は予定通り先生につきって出た。

 先生は色が知れず標識や看板も読めぬが、アオタマの眼で一帯の地形も道筋も人の挙動もたくみにとらえる。右膝の古傷も聞いたごとく支障ない様子で、だから私の役目はりなしよるいかばんを預かって話相手に成りながら、眼に映る景色を語って撮影を助ける程度だ。

 すなわち先生は最新式の小型写真機を革紐で首に吊っていて、あたりの畑を撮影しながら、の仕掛けについてくのごとこうじた……いわく、箱の上の突起を押すと瞬間だけ内部のよろいどが開いて、豆型の硝子を抜けた光が機械の奧に像を結ぶ。えた平滑な樹脂材にはぎんえん入りのにゆうざいが薄く塗ってある。ぎんえんは光が当たると分解して銀を生ずる。あとで薬剤で処理して銀のみ残せば、樹脂材のおもてに明暗がひつくりかえった景色が写って見える。一般には樹脂材のを同じ理屈の仕掛けで紙に写したのを眺めるのだが、先生の場合は眼の才で樹脂材の面の銀の凹凸をとらえて景色を眺めるのだという。

 アオタマの眼の精度がみりよりはるかにこまかいのに驚嘆しながら、私はふとおもいついた。

かきものを読むのに使えそうですね」

 先生はうなずいた。

「手頃な値段で済まないので、たくさんは難しいですが」

 それなら畑なんて撮らないで良いのでは、と口を出掛けた言葉はすんでところんで隠した。

 先生と私はニイサトの街区に入って駅前をいきぎてほりを渡ってニイサト公園へ入った。かつてはニイサト領主のやかたで、今は役場が管理して屋敷は歴史資料館に成っている。の入口で、とくの案内役を務める女学校の級友ムロ=リンが古風な装束で深々と頭を下げて出迎えた。リンは名の通りムロ家の、それも本家の娘で、まり三百年前のコウえきの若武者ムロ=タヲと妻カナの直系のまつえいに当たる。今の世は領主も何も無いが、ムロ家はニイサトの旧家として変わらず地元の発展に寄与して、リンも休日は地域振興のためとくいそしむ……世が世なら王城かかえの学者先生を代官の娘が案内したのを領主の城で姫様が出迎えたかつこうだ。

おひさしりです、タヰ=クロヲ先生」

 学校では馬鹿丸出しのリンがきの顔ではつに応対するのは見てもきわまりない。ふたの会話から察するに先生は趣味のさがしごとために一昨年に当地へ来て、の際にムロ家を訪ねたようで、当時のリンは学校でたまたましりった私がサトムラ隊のまつえいと知った驚きをそのまま先生に語ったらしくて、なるほどそれこんぱんの当家来訪につながったわけだ……さて一通りのあいさつを終えると先生はリンに向かってあらたまって、かなうならシロヤマの碑を拝見したいのですが、ともうしいれた。戦勝碑ならシロヤマいただきに立つのに、と私は小首をかしげた。対してリンは正しく意をんで応じた。

「一昨年のシロヤマ考古学調査で発掘されたげんぶついますね」

 リンが裏手の事務所に話を通すうち先生から教えてもらったところれば、ムロ=タヲが領主に成ってすぐ建てた碑はよくとしに山頂東端の崩落でえなく失せた。よくとしに建てた二代目もふうが進んで、アオタマ来訪後少しゝて複製して三代目に替えた。今の山頂に立つ碑はこれだという。

 館長と白ひげの立派なとしかさの学芸員とついでにリンまでつれって入った非公開のくらに二枚の平たい岩が横たえてあった。共にれてけてかろうじてほりあとが知れる程度で、私にはいずれが古いか知るすべも無い。でも、先生は迷わず右側の岩に向かった。黒眼鏡を外してのぞきこんだ。薄暗い中、瞳の蒼い光が随分と激しくまたたいて見えた。岩面の凹凸をかんとくして人の眼にはとらがたい三百年前ののみの痕を心にえがいて読んだのだろう……そして先生は言った。

なるほど、ムロ家所蔵の『ジツロク』とようまでの通り同じですね」

 館長がうなずいて学芸員のくちもとほころんだ。

 何の話……思わず声を漏らした私に先生は尋ねた。

シロヤマに立つ碑に刻んである句をしようですね」

 私はの裏山に立つ碑に刻まれた句、しようかにも採られたの誰も知る句をそらんじた。

ひむかしに立つへきくわうわれかちどきぐ、です」

 先生は左の碑を示した。

それの二代目の碑から写したのです」

「という事は……右のげんぶつは違うのですね」

 先生はうなずいた。

ひむかしに立つあかつきわればんしやささぐ、と刻んであります」


 のちに先生とふたで常設展を巡った。途中、私はかかげてあるねんの前で足を止めた。若武者ムロ=タヲがモリヌシの遺産を投じてコウの城を滅ぼしたのは王統五代五年りようげつ二十六日めいとある。……聞いたのみで字が知れぬが、ひがしに立つ、のだからよりもだろう。つきずえひの前に東の空低くかる、弧を下向きに描く細い月の称だ。三百年前、若武者はコウの城の失せた東の空を見て、昇るあかつきに見立てた誰かに感謝を捧げた。あるいは何かを詫びた。

 巡り終えて出口の手前の腰掛けで一休みして、先生は言った。

「知りたいと思われますか」

 私はうなずいて尋ねた。

「『ジツロク』というのは……何でしょうか」

コウが滅びたよくとしの頃、王都に『シロヤマジツロク』なるかきものが出回りました」

 署名は無い。でどころは知れない。でも人から人へ渡りながらかきうつされて数を増して、やがて貸して金を稼ぐ者が出て広く読まれるに至ったという。

シロヤマの何を書いたのですか」

はしきには、ほろびヒガシサト領のことごとのこすべく、とたてまえを述べますが……」

 王統三代の治世にへんさんされたヒガシサト』のぬきがきで冒頭をとりつくろって、三代以後の領主の系譜・領内の天災地変のかじようがきつぎして、残る大半はコウえきいきさつと新領主ムロ家の由来を記すという。

うしたあやかきものもてはやされたのはでしょうか」

「事件をひととおりに筋立てゝ語るゆいいつかきものだったからです」

「十万あまりが亡くなった大事件なのに……ただひとつだったのですか」

「当時にコウっていきびた者はわずかで、迫東ハヅマセキから東は城も砦も村も焼かれました」

 残った物がそもそも少ないのだ。先生にれば、おおやけの記録『コウセン』も参陣した諸隊の書状やおぼえがきせきやけのこりの書面等を資料として束ねるところまでへんさんを進めたが、全容を知る老将コヲカ=ロヲが戦後すぐ体を壊してオヤヲカに隠居して歿ぼつしたために、かんじんの本篇がまとまらずついに完成を見なかったという。してやたみコウなる侵略者が滅びたとつたえきばかりで、モリヌシの消息も東の新領主の素性も定かでない。にげびた難民も生還した兵も知る事は少ない。

「誰もがまちのぞんだところへ『シロヤマジツロク』があらわれたのですね」

 中身はヰト=キヲのまつすなわち新領主ムロ家の身内のしゆうぶんかかわる。に扱えばけいの罪に問われねぬから、誰も秘かに読んで広めた。でも時をて世は変わる。

 知られるはじめはいくさから五十年後に王都にけした芝居の一座のだしものコウタウバツ』で、本筋はあくまで老将とコウいくさとして、あいに東領のなにがし村の名も知れぬ若者一同の義勇隊の奮戦をからめた。とはいえ若者らの素性はめぐみを思わすたたかいぶりや「むしたおして」「いときよく」といった台詞せりふから知る者には知れる。会話から命の恩人なる何者かの死の様子も知れる。隊長どりぼつちゃまは常に右手をふところに入れてってさしするばかりで、失敗はすべて下男や許婚いいなずけや妹のにしてかんしやくを起こす。やがて下男がたいとうしてぼつちゃまは許婚いいなずけにも妹にもかぎられて箱に詰められ隊をわれて、うらんでコウくみして許婚いいなずけの娘をさらう。最後の幕に登場して老将と共にヤマコウの城を粉砕する若武者ムロ=タオはなりこそ違うが下男と同じ役者が演ずる。

 これが大当たりして他の一座がし始めて、こうしやくする者が出てしよよみほんにしてうりさばいた。さらに時がって、領主も何も無い世に成ると名を伏せる遠慮も失せて、とうせいふうに演出もあらたまって今も誰もが知る物語が仕上がった……先生のこうじたいきさつればまり『シロヤマジツロク』こそがおおもとの原作なのだ。

「ムロ家もり気にって、探して手に入れたのでしょうか」

さいは知れません。でもかげで最古の『ジツロク』が今に残りました」

 私は首をかしげた。

「同じかきものなのにあたらしいふるいが有るのですか」

かきうつすから誤りが混ざるのです。また時としてかきうつしながら筆を加える事も有りました」

 くして成ったいくとおりもの『シロヤマジツロク』を、研究者は長く王都旧本系、王都新本系、西領系、東領系の四系統にけてきた。これいずれもじつたんシロヤマの碑文を「ひむかしに立つへきくわうわれかちどきぐ」とする。を「わればんしやささぐ」のように記す本の在ったのはおうこうの随筆から知られたが長く見つからず、五年前にムロ家所蔵のかんぽんが発見されてようやく研究が始まった。一昨年に碑のげんぶつが発掘されてムロ家所蔵本と同じく「」と刻んであるのが確かめられて、いわゆるあかつき本こそ祖型に一番に近いと知れるに至った。

 先刻の短いひとことこれほどに重ねた研究の上になりつのを聞いて、私は暫時しばしぼうぜんとして……ふと思って尋ねた。

「先生は、何を探していでなのですか」

「私は、を描いた者の血を継いでいます」

 先生は出口脇の壁を飾る複製画の一枚を指で示した。自体は見えぬはずだから解説板の点字を眼で手探りしたのだろう。表題は『くぼきわのヰト=キヲ』……夕刻の迫東ハヅマハラモリヌシの遺産が成したくぼふちくわがたたてものおおかぶとコウの将とわんを欠いた男がうしろ姿すがたで並び立つ有名な一枚だ。

 教えてもらったところれば、三百年前にタヰ=ゲツは王城に仕えた。コウの侵攻を聞いてねがいで迫東ハヅマハラの南東の山のかくしとりでに配されて斥候を務めて、東方から迫るコウ軍の模様をそびようして後方へ送った。戦後数年してそびようからえがきおこした通称『コウシフライ』二十一点を完成した。『くぼきわのヰト=キヲ』はの一作という。

 先生はしよるいかばんを取って開くと、印画紙に焼いた写真の束を取り出した。すみてつぴつで記号を刻んであるのはアオタマの眼で分別するためだろう。

「私がだ学生の頃、タヰ本家はくらさらって貴重な文化財をおおやけの機関に託しました」

 当時、本家のやつかいに成っていた先生は学友の手を借りてくらの整理に当たってアオタマの鑑定器具の誤用がもとで失明に至ったのだが、事故の直前にながもちの奧に古いかきつけたばを見つけた。それに挿まれて有ったのが……と昔語りしながら、先生は写真一枚を示した。撮られたのは毛筆でつづったおんなでふみだ。崩した旧字づかいをよみくのはいつかいの女学生の手に余りますと告げると、先生はあたかも歌い慣れたしようの一節をくちずさむかのごとそらんじた。


 あにさまあねさまことならざればなにとぞくわんようくだされたくただただおんだいねがはれたくさうらふ あにうへさま カナ


「三百年前、ヰト=カナが兄の荷箱にさしはさんだふみです」

 文面はタヲとキアが何かひどい言葉をキヲになげけたのをうらける。カナがふたの側に立ったのもうらける。でも同時に、四人のいさかいはそもそもキヲの身を案じての事だったとも思わせる。

「ヰト=キヲは……ふみを読んだでしょうか」

「タヰ=ゲツがなる状況でこれを手にしたと思われますか」

 目撃した男の素性を求めてあたりを探って、コウに襲われた荷車から落ちて開いた荷箱にゆきたって、の中に見つけたと思えば……。

「ヰト=キヲはカナの……三人の思いをうける事なしに復讐を思い定めたのですね」

 小さく唇を噛む私に、先生は疑問を投じた。

「本当に、うだったでしょうか」

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