第6話:恵まれたホームレス

 長い山道を出ると、そこには荒れ果てた旧道が通っていた。

 誰も通らないのか、道端にごみはなく、代わりに先年の秋に落ちたであろう色褪せた落ち葉が路肩に積もっていた。そしてその道の下には美しい川が流れている。

 僕らの学校の前を流れる川と同じ川かもしれない。しかし、透明度は段違いで、川の中で泳ぐ美しい魚がはっきりと見えるほどであった。義家君の進むように、川沿いを歩いていくと、旧道同士の交差点に到着した。


 右を見ると土砂崩れで通れなくなっており、何年も放置されたままのようで、苔が生えて、さらには小さな木の苗が力強く成長していた。左は橋に続いており、その先は先の見えないトンネルに続いていた。


 トンネルの先が気になり、義家君に聞いてみると、こう答えた。


「この先は県外に続いてるそうだ。ただ、十数年前に閉鎖された。理由は知らん」


 何ともそっけない回答である。

 つまり、この秘境にたどり着くためにはあの山道を進むしかないということである。


 僕は恐怖と興奮の板挟みになりながら、彼の後ろをついていった。

 姫花も足取りから楽しそうなのが伝わってくる。

 すると、交差点をすぐすぎたところに草だらけの広場が現れ、川に降りていけるであろう道も見て取れた。

 義家君はその道を迷いなく降りようとしていた。

 僕は一応彼に聞いてみる。


「ここを降りるの?」

「そうだ」


 姫花も口を開いた。


「ここが家?」

「家といえば家だな」

「なるほど」


 僕らは彼に、刷り込みを受けたアヒルのようについていく。

 しばらくの獣道ともいえない、背の高い雑草が生い茂る道を抜けると、そこには真っ白な砂浜が広がっていた。


 川なのだから砂浜というのはおかしいかもしれないが、ハワイの砂浜のような真っ白な砂でできた10畳ほどの川辺は、砂浜以外に形容する言葉がなかった。

 その砂浜には、焚火のための石窯や、木と木の間にかけられたハンモック。そして、生活必需品だろうか? 砂浜の片隅には積み上げられた空の缶詰や、使い古された金網、多量の薪などが置かれている。

 最も目を見張るのは、ハンモックの隣にそびえたつ古本であり、数十冊はくだらないだろう本が積まれていた。


 川は、浅いところは透明で、深瀬に行くほどに徐々に緑色になっていくグラデーションが美しかった。あまりにも神聖で、人間が侵してはならないような気がする場所でもあった。


 僕もできるものならここで住んでみたいと思うほど、美しい光景だ。そして、僕はこの光景を見て、少し気になることがあった。


「ここも万歳町なの?」

「そうだよ」


 そうか、たぶん後醍醐天皇はここで水を飲んで「万歳!」と叫んだのだろう。

 そう思わせてくれる場所だった。


「ちょっと待ってろ」


 義家君はそう言うと、先ほどの生活必需品が積み上げられた場所へと歩いて行った。すると姫花が、この景色に見とれている僕の裾を引っ張り、僕を現実に戻すと耳打ちした。目には明らかに不純な色があふれている。


「なによあいつ。結構イケメンじゃない」

「悪かったね。僕がイケメンじゃなくて」

「そういう意味じゃないわよ!」


 その目からは不純な色が抜けていた。そしてこう続けた。


「まあ、確かに顔もイケメンだけど、それ以上に心がきれいそうじゃない?」

「なんでわかるのさ?」

「なんとなくよ」


 まるで根拠がない姫花の分析に少しあきれたが、女性の勘にはある種の信ぴょう性があるかもしれない。事実、足利様は実在したわけだし。


「何話してんだ?」


 そこに義家君の言葉がかかった。その声を聴くと、少しだけ姫花の言うことが納得できた。どこか、純粋な透き通った声だ。でも、僕だって彼ほどじゃないにしろ純粋だと思う。まあ、根拠はないけれど。


 彼の手にはきれいな色をした川魚が3匹糸でつながれており、それらを砂浜に置いた。そして義家君は新品同様の藁でできた座布団を石窯の周りに置くと、その石窯に薪と針葉樹の枝? を置き、その枝にライターで火をつけた。そうか、ライターはこのためだったのか。


 僕らはその義家君のてきぱきとした動きを眺めながら、真水と思わしき空き缶に入った水を飲んだ。僕は後醍醐天皇が飲んで大丈夫なら、たぶん大丈夫だろうという考えであった。


 義家君はひとしきり着火作業を終えると、火種に向けて優しく息を吹きかけた。ふーっという彼の呼吸と、火の勢いが連動し、ついに小さな火種は、命が彼から乗り移ったかのように燃え始めた。


 着火作業がひと段落した折を見て、姫花が話しかける。


「あんた、ここで生活してるの?」

「そう言っただろ?」

「この座布団は買ってきたの? 拾ってきたにしてはきれいだけど」

「作ったんだよ」

「作れるの......?」

「ホームレスやってるならこのぐらいできなきゃやってられん。特にこの辺は冬は特に冷える」


 その言葉に僕は驚いた。

 彼はこのレベルの装備で、この山の極寒の冬を生き抜いてきたのだ。

 すさまじい生命力だ。

 その生命力が乗り移った炎に、先ほどの川魚をくしで刺したものを、ちょうどきりたんぽを焼く時のように立てた。

 ぱちぱちという木の筋が跳ねる音に乗せて、魚のしっぽが躍っている。


「あんたはなんでここで生活してるの?」

「住みやすいからだよ」

「なんで?」

「水はタダだし、飯もタダ。それに食ってる魚で商売もできる。いい環境だろ?」

「冬は寒くない?」

「寒いけど、それが冬だろ?」


 何ともそっけない。

 それはそうか、初対面だしな。むこうだってある程度距離感というものがあるだろう。でも、こちらに興味がないなら何でここに通したのか不明である。もし、案内しなければ僕らは一生こんなところに来ることはなかっただろう。

 しかし、あきらめない姫花が一計を案じた。


「そうだ! こいつのこと助けてくれてありがとね!」


 そういえば礼を言ってなかった。


「別に礼ならいらん。対価はもらってる」


 しかし、言う間もなく否定されてしまった。

 会話の糸口のために姫花は必死だ。


「そうだ! こいつ弱くてね。良ければどうやったら強くなれるのかとか教えてくれない?」


 義家君は僕を下から上まで一通り見た後、こう言い放った。


「......確かに弱そうだ。女にしか見えない」


 ......前言撤回。この人は距離感とか気にしない人だ。

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