第5話:遅れてきたプロローグ

 僕はなぜ勉強をするのだろう?

 数学が何の役に立つか?

 特に円の面積なんて求める必要なんてない。


 この問いは、思春期であるならば誰でも抱くだろうし、考えた末の結論は大抵二つ。一つはそういうものだと思って打ち込むか、もう一つはまったくやらずに別の道を目指すかだ。


 僕は前者だった。


 僕の両親は医者であり、開業医。それに僕は高齢結婚からくる、一粒種なため、両親からの期待は大きい。つまり、病院を継ぐためには最低限医学部に入らざるを得ず、そのためには目が回るほどの勉強をしなければならない。

 医学部に入るための勉強はむろん中学校から始まっており、有名私立の中学校に入って、有名私立の高校に入り、最低限有名私立の医学部に入らざるを得ない。


 これは運命なのだろう。


 少なくとも僕は小学校の6年間の勉強を運命だと受け取った。運命は逆らえないから運命なのであり、運命だと思えば”勉強”は”勉めて強いる”物ではなくなる。いうなれば川の流れのようなものなのだ。


 少なくとも小学校を卒業するまではこの考え方で何とかなった。

 学校でできた少ない友達が、一緒に遊びに行って校則で禁止された買い食いをしていても僕はその時間、塾で勉強をしていた。女の子らしい見た目からか凄惨ないじめもあった。


 でもそれが運命だと思えば不思議と苦ではなかった。


 両親は

「12年間我慢すればあとは楽になる」

 と言った。


 僕はそれが絶対に正しいと信じて、疑うことを排除した。


 でも、体が徐々に大人になっていくにつれて払しょくしきれない疑問が頭をもたげるようになった。


 中学以降の6年間を”勉強”に使ってもいいのだろうか?

 少年が故の楽しみは感じなくてもいいのだろうか?

 大人になっての楽しみといえる、性欲や、金欲といった俗なものではなく、少年だからこそ楽しめる”純粋”なものがこの世にあるかもしれない。


 本当はズボンを脱がされるのも嫌だ。

 お金だって取られたくない。

 医者にならなくても普通に生きてる人なんてたくさんいる。

 極論を言えば大学に行こうが行くまいが生活はできる。


 でも両親は医者だ。そのため自分の後を継いでほしいという思いはわかっているし、この恵まれた環境を用意してくれる両親に感謝もしている。


 でも、少しだけこの列車から降りてみたい。

 両親が引いてくれた真っすぐで錆一つないレールから、身を投げ出してみたい。

 この川の流れを出てみたい。

 でもどん詰まりにはいきたくない。

 乗り遅れもしたくない。

 でも......


 ぐるぐると回る思考は夢に似ていて、結局僕が言うところの運命からは逃れられないということを自分で立証してしまった。


 一年がたっても僕は列車の特等席から一時でさえ、下車することができなかった。

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