終幕 ―灯里― 友達


 灯里が再び学校に登校したのは、三木島に誘拐されたあの夜から一週間が過ぎた六月一日のことだった。


「灯里ちゃん! 大丈夫、怪我とかしてないの?」


 数日ぶりに教室の扉を開けると、よく一緒に昼食を食べている女子グループのうちの一人が彼女のもとに駆け寄ってきた。


「本当びっくりしたよ。朝学校に今まで以上に警察たくさんいるし。臨時休校だって言われるし。敷地内の建物が一つ倒壊してるし。灯里ちゃんがそれに巻き込まれて入院したって言われるし!」

「入院って言っても、検査のためで怪我はほとんどなかったんだけどね」

「そうなの? よかった。でも、一番驚いたのは連続襲撃事件の犯人が三木島先生だったってところだよね」

「……うん、そう。だね」


 霧泉市立の市民病院で意識を取り戻した灯里は、あの夜、何があったのかさっぱりわからないまま、入院生活を強いられることとなった。


 入院中、警察を名乗る大人達が彼女の病室を訪れ、その時に温室棟の倒壊のこと、自分がそこで意識を失っている状態で見つかったことを聞かされた。

 彼らとしては、現場にいた灯里なら何か知っているのでは、と話を聞きに来たらしいが、灯里は結局「三木島に突然襲われて意識を失っていた」ことだけを伝え、それ以外は「覚えていない」と答えることにした。


――何も覚えてないのは本当だしね――


 悪魔がどうとか、そういうことを言っても信じてもらえないことはわかっていたし、何より灯里本人があの日、温室棟で何が起こったのか、その詳細を把握していなかった。

 つまり、警察にこれ以上言えることが何もないのも、また事実だったからだ。


 ただ、着替える時に二の腕のあたりにロープで縛られたような痕を見つけ、一連の出来事が夢ではなかったということだけは理解していた。

 その痕も、一週間経った今は薄くなってほとんどわからなくなっている。


「しっかし、本当に無事でよかったよ。和道君も灯里ちゃんのこと心配してたよ?」


 そう言って彼女が指差した先には、中学時代からの補習友達である和道直樹の姿。


「でさ、今度ヒナちゃんに、一緒に昼飯を食おうって誘いたいと思ってるんだけど」

「止めはしないけどさ、色々と厳しいと思うよ?」

「でもそう簡単に諦めたくないしなぁ……あ、宮下! 久しぶり!」


 彼はクラスメイトの男子生徒と何かを話している様子だったが、灯里が教室に現れたことに気づいたのか、こちらの方に顔を向けた。


――久しぶり、って言っても、一週間だけなんだけどなぁ――


 となんとなく思いながら、遠巻きにこちらに手を振っている彼の方に歩み寄り、挨拶をかわす。


「おはよう、和道くん」

「おう、おはよ。元気そうで安心した。それにしても、マジでビビったぜ。神崎がトンネル事故にあったと思ったら、今度は宮下が温室棟の倒壊に巻き込まれるとか」


 神崎と呼ばれた男子生徒は、まさか二人の会話に自分の名前が出てくると思っていなかったらしく、席に座ったまま灯里の方を見上げ、無言で会釈だけをした。

 灯里も思わずそれに釣られて「どうも」と口には出さずにわずかに頭を下げる。


――確か、和道くんのお友達……だよね。一か月くらい遅れて入学してきた――


 和道以外の男子生徒とはあまり関わりの多くない灯里にとって、神崎深夜は失礼ながら三月末のトンネル事故の被害者として校内で有名なクラスメイト。という程度の認識だった。


――ちょっと、不愛想……な人?――


 それがすぐにこちらから目を離し、頬杖をついて眠そうに虚空を見つめる少年に対して、宮下灯里が漠然と抱いた第一印象だった。



 ◇



『ラウム』


 ソロモン王が使役したとされているソロモン七十二柱の悪魔のうちの一体であり、序列は第四十位。

 その真なる姿は巨大なカラスの怪物であるが、現世に呼び出されたラウムは召喚者の望み通りの姿に変わることもできる。

 彼の悪魔が持つ能力、それは『万物の破壊』

 その規模や大きさ、複雑さに関わらず。直接触れ、魔力を流し込めるのならば、形ある全てのものを破壊することができる最強の破壊者。

 しかし、その力には代償が伴う。

 ラウムの力を求める召喚者は、その者の社会的な地位を代償に捧げなければならない。

 地位と書くと大仰しいもののようだが、言ってしまえばそれは「他人との関係性」のことである。


 友との関係を失えば、互いを忘れ最初から知り合わなかった事となり。家族との関係を失えば、名を失い、自らが何者かもわからなくなる。

 そして、全ての繋がりを失えば、その人間はもはや誰の記憶にも記録にも残らず、最初からのこの世界に存在しなかったことになるだろう。


 つまるところ、ラウムが破壊できるのは形あるものだけではなく、契約者の尊厳や人との繋がり、その存在という形のないものすら破壊する恐るべき悪魔なのである。



「なんか、色々と凄いこと書いてるなあ……」


 入院中、とはいっても灯里の体は健康そのもの。

 なので、持て余した暇を潰すため、三木島大地に止められて捨て損ねたUSBメモリを病院内の患者の共有パソコンにて開き、その中のラウムに関する記述を探してみた結果がこれだった。


 原語は灯里にはアルファベットだということしかわからなかったが、親切に現代語の和訳が後付けされており、そちらを見れば内容の理解には困らなかった。


「ものを破壊する力……ってことは、温室棟を壊したのはラウムさん、ってことだよね」


 その記述を読んで、真っ先に思い至ったのがそれだった。

 灯里は、その真相を本人に確かめようとしたのだが、退院し家に戻ったころには自室に匿っていた悪魔の少女の姿はどこにもなく。

 代わりに彼女がつけていた羽の形をした髪飾りが、ベッドの上に残されていた。


「どこに行ったんだろう、ラウムさん」


 自分が巻き込まれた事件の現場ならもしかしたらと思い、学校に復帰したその日の放課後に灯里は温室棟の方に向かってみた。

 だが、かつて温室棟があったその場所には、工事現場のようなブルーシートで覆われていた。

 そのうえ、その周辺は黄色いビニールテープで封鎖されるという、完全な立ち入り禁止状態。これでは近づくどころか倒壊した残骸を見ることすら叶わない。


「ですよねぇ……」


 警察やクラスメイトの話を聞く限り、建物は完全に倒壊していたらしい。ということは、その中にいた花や草木達は皆一様にダメになってしまったのだろう。

 今更ながら、とんでもないことに巻き込まれたんだなという気持ちと、もの言わぬ命が失われた喪失感が灯里の胸を襲った。


「……帰ろう」


 これ以上ここにいても得られるものは何もない。

 そう考えて灯里はまっすぐ帰路についた。


 ◇


「ただいま」


――って言っても、今日も誰もいないけど――


 入院中は両親も心配して一緒にいてくれたが、元々大した怪我ではなかったこともあり、灯里の退院と同時に二人もまた仕事に復帰した。

 なので、今、家には灯里しかいない。はずだったのだが。


「おかえりー」

「え?」


 玄関で靴を脱ぐ手が止まり、灯里は自分の部屋の扉を見つめる。

 今、確かに声が聞こえた。

 幻聴だろうかという不安を覚えつつ、自分の家なのになぜか忍び足で廊下を歩き。やはりなぜか、こそこそと音を立てないように灯里は自分の部屋の扉を開いた。


「あ、灯里! 私の髪飾り知らない?! この部屋に忘れてったと思うんだけど、全然見つからなくて!」


 ラウムは今にも泣きそうな顔で灯里の部屋のぬいぐるみを動かしたり、ベッドの下を覗き込んだりしている。


――ああ、あの髪飾りは置いていったんじゃなくて、忘れていったんだ――


 と灯里はぼんやりと思いながら、灯里は学校に持って行っていたカバンから、白い羽根を模した髪飾りを取り出す。


「これですよね? ラウムさんを見つけたら返そうと思って、持ってたんですけど」

「それっ! 大事なものなの! ありがと、灯里!」


 その髪飾りはよほど大切なものだったのか、灯里から受け取るとぎゅっと胸に抱きよせてから、パチッと小気味よい音を立ててラウムの前髪へと留められた。


「アレ? どうしたの灯里、ぼーっとして」

「まさか、また会えると思ってなかったので……」


 灯里からしてみれば、もう二度と会えないと思っていた相手だ。

 聞きたいことは山ほどあったが、それを言葉にまとめるまでしばらくの時間を要することになった。


「あ、左眼……治ったんですね」


 それは聞きたかったことのうちに入っていなかったが、ラウムの顔に左右揃った琥珀色の目に気づいた灯里は、ほとんど脳を働かせずに口が動いていた。


「うん! 契約者から魔力をもらったからね。ラウムちゃん、完全復活! きらりん!」

「契約者、ですか」

「あー。そこについてはあんまり聞かないでほしいかなー。喋ると怒られちゃう……」


――怒られるって、怖い人なのかな。悪魔と契約しているくらいだし――


「それで、今日は髪飾りを探しにうちに?」


 玄関のカギは掛かっていたはずなのだが、どこから入ってきたのかは聞かないでおくことにした。


「それと、この前借りた服を返しに来たのと、漫画の続きを読みに来たのと……ゴメンなさい! 危ないことに巻き込んじゃって! それを謝りに来たの」

「いやいや! 頭をあげて! むしろ私の方こそ、助けてくれてありがとうございます!」


 すん! と勢いよく非常に美しい角度でラウムが頭を下げ、それを受けた灯里もまた、慌ててラウムと同じように頭を下げる。

 すると、ラウムは顔をあげて鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。

 ラウムはカラスの悪魔らしいので鳩というのは語弊があるが。


「……ん?」

「……私、何か変なこと言った?」

「うん」


 ラウムは短く頷く。

 ただ、お礼を言っただけなのに、どこに変な要素があったのだろうかと、今度は灯里が不思議に思う番になってしまった。


「その……何がおかしかったかな?」

「いやぁ。悪魔ってさ、人間の願いを叶えるのが当たり前すぎて、感謝なんてされると思ってなかったんだよね」

「そういうもの……なんですか?」


 灯里としては、助けられたからにはお礼を言うのは当たり前のことなのだが、ラウムにとってはその当たり前が不思議に思えてしまうらしい。


「よっぽど変な契約者じゃないと、悪魔に感謝の言葉なんて言わないかな」


――悪魔も大変なんだな――


 なんて他人事のような感想が灯里の脳裏に浮かんだ。


「あれ? でも、私、灯里とは契約してないし、助けてってお願いされてもない。むしろ匿ってってお願いしたのは私の方で……アレ?」


 ラウムは途中から、自分で自分が何を言っているのかわからなくなってきたのか、おもむろに腕を組んで、何かに落ちないという風にうーんと唸り始めてしまう。


「……ねえ、灯里」

「は、はい。なんでしょうか」


 ひとしきり悩み終えたラウムは、自分で答えを出すことは諦めたようで、まっすぐ灯里の目を見て問いかけた。


「私と灯里って、どういう関係だっけ?」

「え? えっと……」


 突然の問いかけに思わず、灯里もラウムと同じ腕を組むポーズになって考えて。


「今は……友達、じゃないかな?」


 それが正しい言葉ではないとわかっていても、それでもあえてその言葉を選んでみた。

 その答えを聞いたラウムは顎に指をあて、んー、と考える仕草をした後。満足そうに。


「そっか!」


 と笑った。

 その日、宮下灯里の友達が一人増えた。


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