第四話 おはようございます、神崎さん



 薄暗い映画館の客席のような場所。深夜はそこでポツンと一人で座っている自分の存在に気が付いた。


――また、この夢か――


 眼前に広がる色せたスクリーンに映るのはオレンジ色の熱い光と、黒い冷たい影。

 それは深夜にとってはもはや見飽きてすらいる映像。けれど身体は思うように動かず、彼の意思を無視して、その映像は流れはじめる。


「真昼! 母さん! 父さん!」



 黒い影が、上下逆さまになった車の中にいる家族に向かって手を伸ばし、叫んでいる。

 意識を失った妹。頭から血を流す母。苦しそうに逃げろと呟く父。


 スクリーンが暗転する。

 今度は地面に横たわりゲホゲホとせき込む老婆の姿が映し出された。

 彼女は黒い影に「助けて」と弱々しくも懇願していたが、その影にできることなど何もなかった。


 スクリーンが暗転する。

 次は足が滅茶苦茶に折れ曲がった成人男性。

 黒い影がその肩を揺するがそれはピクリとも動かず、影は諦めるようにその場を去った。


 スクリーンが暗転する。

 黒い影、神崎深夜が炎と瓦礫だけがあるトンネルを歩き続けている。


「誰か……誰か……助け……」

 

 スクリーンが暗転する……。


 ◇


 面白げのない初期設定のスマホのアラーム音が鳴っている。

 三度目のコールでようやく、その持ち主は不愉快そうな顔を隠しもせずに枕元の音源を止めた。


「嫌な夢見た……」


 それはかつて実際に見たことのある光景だったからか、目覚めてからもその夢は鮮明に脳裏にこびりついている。

 お世辞にも気持ちが良いとは言えない目覚めだ。


「……痛っ!」


 深夜は気だるい頭に手を伸ばし、不用意に指先が触れてしまったタンコブの発する鋭い痛みによって強引に覚醒させられた。


――ああ、そういや昨日ボールで頭を打ったんだった――


 痛みから連鎖するように昨日の記憶が蘇る。

 学校で野球ボールを受け止め損ねて意識を失ったこと。遅くなった帰り道の最中に異形の黒い腕を持つ何者かの襲撃を受けたこと。そして、その襲撃犯から深夜を助けた少女に拳銃を突きつけられたこと。


「おはようございます、神崎さん」

「……え?」


 首を横に捻るとその声の主と目が合った。

 キャスケットを脱ぎ、後頭部でまとめられた金髪を晒して少し印象は変わっているが、その顔を見間違うはずがない。

 昨日、深夜を襲撃犯から救い出し、深夜に拳銃を突きつけてきた自称「悪魔祓い」の少女、雪代紗々。

 彼女はどういうわけか、深夜の勉強机に備え付けの椅子にちょこんと行儀よく両膝を揃えて座っており、目覚めたばかりの深夜に清々しい笑顔を向けている。

 それは深夜に拳銃を突き付けていた時と同じ表情でもあった。


「なんで……あんたが俺の部屋にいるの?」


 室内だというのに、昨夜と同じ季節外れの黒いロングコートを着た金髪の少女は、あっさりと深夜の疑問に答えた。


「それはですね。護衛のため、昨夜から神崎さんの家の前でずっと待機していたのですが、妹さんが登校された後も当の神崎さんが出てくる気配が一向になく、心配になったので勝手ながらお邪魔させていただきました」


 深夜としてはその説明に色々とツッコミを入れたいところではあるが、とりあえず最優先で確認するべきことが一つある。


「真昼はちゃんと家の鍵かけて行ったよね?」

「はい、しっかりと施錠していかれましたよ」

「じゃあ、あんたはどこから入ったの?」

「ピッキングで玄関の鍵をこじ開けました」

「あんたには常識ってものがないのか……」


 予想を遥かに超えた勝手が過ぎる雪代の暴挙に、深夜は思わず両手で顔を覆う。

 だが、当の本人はそれを悪いことだとすら思っていないらしく、ニコニコと顔に張り付いた笑顔を崩さない。


「悪魔憑きに常識は通用しません。ですがご安心ください。私はプロですので、神崎さんをちゃんとお守りしますから」


――一般常識が通じてないのはお前の方だよ――


 心の内で一応非難はしておくが、これ以上はおそらく言うだけ時間の無駄だ。そう判断した深夜は抗議を諦め、登校の準備に取り掛かることにする。


「ひとまず着替えて準備するから、一階のリビングにでも行っててくれる?」

「かしこまりました」


 深夜は一瞬、着替えている間もここに残る、などと言われたらどうしようかと考えたが、彼女もそこまで非常識ではなかったらしい。

 雪代は大人しく椅子から立ち上がり、膝の上に置いていたキャスケットを持って部屋から出ていった。


「本当、面倒くさいことになったなぁ」


 自らが置かれた特異な状況にうんざりとした感情を抱きつつ、ベッドから身を起こした深夜は時間を確認しようとスマホの画面を見る。


『先に行くから、朝ごはんは自分で作って食べて。今日はちゃんと早く帰ってくるように』

「……真昼はまだ、昨日のこと怒ってるな……」


 通知として表示されたそのそっけない文面を読み上げ、深夜はさらに肩を落としてうなだれるのだった。


 ◇


 一通りの準備を終えて、制服に着替えた深夜が一階のリビングに降りると、テレビの前に置かれたソファに背筋を伸ばして座っている雪代の姿がそこにあった。


「別にテレビくらいつけてもいいよ」


 そう言って深夜はリモコンを操作し、ソファの前のテレビの電源をつける。

 ちょうどやっていた朝のニュース番組の音声を背景音にし、リビングと繋がったキッチンへと向かった彼はそのまま朝食の準備に取り掛かった。


「雪代は何か飲む?」

「あ、お気遣いありがとうございます。では、ブラックコーヒーをホットで」

「ん。了解っと」


――ただでさえ暑苦しい服装なのにホットコーヒーなんだ――


 深夜はまず水をたっぷり注いだ電気ケトルの電源を入れ。食パンをトースターに放り込んでタイマーを捻り。ベーコンとタマゴを冷蔵庫から取り出し、油を引いたフライパンの上にそれらをそっと落とす。


「余計なお世話かもしれませんが、学校にはちゃんと間に合うんですか?」

「始業五分前につく計算」

「もう少し余裕を持って起きた方がいいですよ?」


――それこそ余計なお世話だよ――


 深夜にとって睡眠とは生理現象ではなく、趣味であり娯楽だ。

 ましてや朝の五分、十分の微睡みの時間は何物にも代えられない幸福。おいそれと捨てられるものではない。


「一応確認なんだけど。真昼にはあんたの姿は見られてないよね?」


 電気ケトルからゴポゴポとお湯が沸く音が聞こえ始めた。

 深夜は棚から自分用と来客用のカップを一つずつ取り出し、自分のものにはレモネードの粉末、来客用にはインスタントコーヒーをそれぞれ入れて、お湯で溶かし混ぜる。

 そうすると湯気と共に眠気が覚めるいい香りが立ち上がってきた。


「ええ、こんな怪しい格好の女が家の前をうろついているのを見られたら、通報されてしまいますからね」


 見た目が怪しい自覚はあったのか、と少し驚きつつ、深夜は白身が固まり始めたタマゴから少し目を離し、リビングで朝の占いを見ている雪代の姿を改めて観察する。

 生地のしっかりした厚手の黒いロングコートを着込んではいるが、それでも女性らしい膨らみがわかるメリハリのついた体つき。おそらく地毛であろう混じりけのないプラチナブロンド。しかしながらどこか日本人らしい目付き。そして、雪代紗々という名前。


 これらの要素から察するに外国人というわけではなく、日系のハーフだろうかと深夜は勝手な予想を立てる。


「はい。インスタントだけど」

「ありがとうございます」


 雪代は両手でコーヒーの入ったカップを受け取ると、白い湯気の立つその水面にフーフーと息を吹きかけ始める。


「それで雪代。昨日の話なんだけどさ」


 深夜は再びキッチンに戻ると、目玉焼きを焦がさないように注視しつつ、背後の雪代に問いかける。


「昨日の、というとどれのことでしょう?」

「あんたがその……『悪魔祓い』だって話だよ」



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