第三話 お前は誰だ
「え?」
突如として左眼が視せた鮮血色の未来に思わず足が止まる。
【噴水のように勢いよく吹き出す血液が手に持つスマホを赤く染め挙げている。そこからさらに目線を下に向け、深夜は自身の胸を貫いて現れる赤黒い血に濡れたナニカを見た。】
――なんだ、コレ?――
【そのナニカには深夜の体内から噴き出す血だけでなくミンチ上の肉の繊維がべったりとこびりついて――】
「……っ!」
深夜はその場で身を
「誰だ……お前?」
夕焼けの逆光を受けるその何者かは、野球キャップを深く被りマスクで顔の下半分を覆っていて、その相貌は窺い知ることはできない。
わかることといえば、深夜と同じ黒陽高校の男子用学生服を着ていることくらいだ。
だが、深夜の視線は自然とその男の顔や服装ではなく、その男の右肩から伸びるソレへと引き寄せられていた。
――黒い……腕?――
ソレはだらりと左右に垂れた学ランの袖から見える人間の両腕とは別に、その男の右肩に後付けされたように存在する、第三の腕と呼ぶべき異質な右腕だった。
腕の形状自体は人間のものに類似しているが、黒く塗りつぶされた表面に体毛はなく柔らかさを感じさせない。そのゴツゴツとした質感は哺乳類というよりも爬虫類、あるいは金属質にすら見える異形の腕。指の一本一本が電柱の太さに等しく、腕部にいたっては人一人の胴体よりも分厚く強靭だ。
あまりにも現実離れしたその姿に、深夜の脳裏に数刻前に三木島から聞いた言葉がよぎる。
「……悪魔」
そして、数秒の観察の後に気付く。
あの腕の指先で鋭利に光る爪こそが、つい先ほど視た未来で自身の胸を刺し貫いていた凶器であることを。
「……まずいっ!」
残された
「あっ! ぐっ……!」
深夜はその爪の一撃を避けることだけを考え、倒れこむように横に大きく跳んだ。
その直後、背後でビシッ! と繊維を引き裂く音が聞こえ、背負っていたリュックに入れていた教科書やノートがアスファルトの上にバラ撒かれる。
――何とか避けられた! けど……――
ギリギリのところで異形の腕による攻撃を回避した深夜は地面に転がった体勢のまま、自身を狙う襲撃者に再び視線を向ける。
【深夜が回避した異形の腕は一度その持ち主の元に引き戻され、鞭のように大きくしなりながら再び深夜を狙って伸ばされた】
――マズい、起き上がって逃げるのは、間に合わない――
キャップの男――確証はないが体格と服装から男と仮定する――が明確な敵意を持って自分を襲ってきている。
そのことを理解しつつも、深夜には最初の一撃を避けるのが精いっぱい、その一撃も左眼の未来視があって辛うじて避けられたにすぎない。
――あぁ……最悪――
深夜の心臓が暴れ狂うように激しく脈動している。
その理由が先ほどの急激な回避行動のせいなのか、生命の危機を実感した恐怖からなのか判別はつかない。
しかし、事実として襲撃者は今まさに深夜に向けて次の攻撃を放とうとしている。
その正体はわからない、わかるのはこの男が明確に深夜の命を狙っているということ。そして――
深夜の脳裏に最初に視た、異形の魔手に胸を刺し貫かれた自分の姿がよぎる。
――この男は、深夜を確実に殺すことができる力を持っているということ。
ところが、最後のあがきも込めて襲撃者に向けられたその左眼が視せた未来は、彼が予想もしていないものだった。
「神崎さん! 伏せてください!」
夜の通しに響き渡ったのは、深夜とも襲撃者とも違う甲高くも力強い女性の声と三発の乾いた銃声。
疑いや
そして、深夜に狙いを定めていた異形の黒腕は銃声に反応し、とぐろを巻くようにキャップの男を守る構えに変わった。
「っく! 誰だ、お前は!」
キャップの襲撃者が異形の腕越しに叫ぶ、だが返ってきたのは言葉ではなく防御のために身に寄せた腕を踏み台にした少女の跳躍、その衝撃。
「ふっ!」
深夜は藍色の空に高く飛び上がったその姿を目で追う。
黒い季節外れのロングコートに身を包み、頭部のキャスケットを片手で押さえながら、その隙間から漏れる金糸のような髪を揺らす年若い女性の姿がそこにあった。
タンッ! と編み上げブーツがアスファルトを叩く音を鳴らし、黒衣の少女は深夜の眼前に着地する。
「先ほどはいい反応でした。お怪我はありませんか?」
「え? あ、あぁ……」
突如として目の前に文字通り降って現れた美少女に微笑みかけられ、深夜は戸惑いを隠しきれず思わず生返事を返す。
「それはよかったです。申しわけありませんが、あと少しだけ大人しくしていてください」
深夜の答えを聞くと、金髪の少女はコートの裾をたなびかせながら、その手に持った白銀色の自動拳銃を襲撃者に突きつけた。
「さて。まさかこんな形で尻尾を出してくれるとは思っていませんでしたが。ようやく会えましたね、
「そうか。お前が……『
金髪の少女に『悪魔憑き』と呼ばれたキャップの襲撃者は、その少女の正体に心当たりがあるのか露骨に警戒心を露わにする。
「そこまでわかっているのなら、素直に投降をしていただけると助かるのですが」
金髪の少女は白銀の拳銃。襲撃者は漆黒の魔手。
それぞれの得物を構えて互いに
「ハハハッ。そんな豆鉄砲で僕のフラウロスに勝てると思ってるのかよ!」
「では、試してみましょうか?」
「……舐めた口をききやがって!」
その挑発に乗るように先に動いたのは襲撃者。
その右肩から生える黒い魔手が金髪の少女を押し潰さんと、張手の要領で五指を広げたまままっすぐに迫る。それはまさに押し迫る壁のごとく、攻防一体の一手だった。
「っ……!」
ダンッ、ダンッ、ダンッと再び三度の銃声が響き、少女の握る拳銃が跳ねて銃口から一条の白煙が上る。
しかし、放たれた銃弾を受けても迫る魔手の速度は変わらない。
「ハハハハッ! 無駄無駄ぁ!」
「あの腕に痛覚は存在しない、か。なるほど。やはり通常弾ではダメみたいですね」
少女は吐き捨てるように呟くと、即座に反撃の手を止めて地面にへたり込んだままの深夜の腰に銃の持っていない左腕を回して、大雑把に抱きかかえる。
「ちょっと跳びますので、舌を噛まないように気を付けてくださいね」
「うぇ?」
少女は有無を言わさず、深夜を脇に抱えたまま、驚異的な身体能力で通りの横道に向かって跳躍し、迫る魔手の握撃を
それは未来予知のできる深夜でなければ、忠告もロクに意味がなかったであろう、数秒にも満たない目まぐるしいやり取りだった。
「ちょこまか動くなよ!」
襲撃者の苛立ちの声を耳にしながら、少女は深夜をポイっと地面に投げ捨てると、流れるような慣れた手つきで自動拳銃のリロードをこなす。
グリップから弾倉を抜き取り、コートの内側から取り出した新たな弾倉に差し替えて、遊底をスライドさせて、初弾を装填し、拳銃を再び構える。その一連の動きには一切の淀みはなかった。
「逃がすかよ……お前も、神崎も!」
「ご心配なく、逃げませんので」
襲撃者が語気を荒げ、深夜達が逃げ込んだ路地に飛び込んでくる。
対する少女は冷静に、射線上に敵が自ら身を晒すその一瞬を見計らって、今度は一度だけその引き金を引いた。
「だから、そんなの無駄だって言って――ッ!」
襲撃者は先ほどと同じく、肩から生える黒い第三の腕を伸ばし、その手のひらで銃弾を防ごうとする。
しかし、少女の拳銃から放たれた銃弾に触れたその異形の黒い腕は、針が刺さった風船のように弾けて消えた。
「なっ? あ、がぁ!」
漆黒の魔手は一瞬にして黒い飛沫となって
「うぐぅ……なんで? どうして……僕の……フラウロスの腕が!」
「それに関しては企業秘密です。さて、今一度言いますが、大人しく投降していただけませんか?」
「クソっ……ふざけるな……」
その場に膝をついて肩を押さえる襲撃者の頭に、少女は銃口を突きつけて歩み寄る。
勝敗は決したかのように見えた。
だが、その一部始終を一歩引いて眺める深夜は、そのさらに先を予見する。
【金髪の少女が襲撃者に触れられる距離まで近づき、その身柄を拘束しようとした瞬間。襲撃者が左手で押さえる肩から黒い霧が噴き出し、それは一瞬にして異形な怪物の腕を復活させ――】
「おい、あんた! 止まれ!」
「えっ?」
深夜の叫びが少女の耳に届き、その足がピタリと止まる。
「……僕を見下ろすな!」
襲撃者の絶叫と共にその右肩から黒い霧が噴出し、それは圧縮されるように一点に収束すると、再び異形の魔手へと姿を変える。
「再形成……しまっ!」
深夜の呼び止めもあり、その魔手の一撃が少女を
しかし、その腕はそのまま空に向けて高く伸ばされ、深夜達を囲うブロック塀の奥に立つ二階建ての民家の屋根にその爪を食い込ませる。
「あなた、何を……」
「くそがぁ!」
そして、異形の腕は屋根の上の爪先を基点にしてゴムのように縮み、そのまま襲撃者の肉体をその屋根の上へと引き上げた。
「はぁ、はぁ……神崎ぃ……お前も……そっちの女も、絶対に殺してやる!」
「待ちなさい!」
少女は即座に民家の屋上に逃げた襲撃者に追撃を放とうと拳銃を構える。
だが、双方の位置関係が悪く、その狙いが定まるより先に襲撃者は民家の奥に隠れるように飛び降りて深夜と少女の前からその姿を消した。
「逃げられましたか……」
金髪の少女は頭に乗せたキャスケットのツバを目深に引き下ろし、自らの失態に苛立つような声を漏らす。
「なあ、あんたはいったい……」
「ですが、あちらに逃げられたのなら仕方ありません。先にこちらの方を取り掛かるとしましょうか」
しかし、その少女はすぐに感情を切り替えたのか。短く息を吐き、それが当たり前のような自然な動きで、右手に握る拳銃を今度は地面にへたり込んだ深夜の眉間に突きつけた。
――……なんだよ、コレ――
正体もわからない襲撃者に殺されかけたかと思えば、今度はその襲撃者から救ってくれた謎の少女に拳銃を突きつけられている。そんな感想が出るのも当然だった。
「さて、お待たせしました」
太陽はもう完全に月に空の主役の座を明け渡しており、気温は上着を着ていても肌寒さすら感じるほどに下がっていた。
そのはずなのに、深夜のこめからぬるりとした一筋の冷や汗が垂れる。
「それでは少々お話よろしいでしょうか? 神崎さん」
汗の原因は恐怖だろうか、焦りだろうか。どちらにせよ、今の深夜にはこの状況を変える手段はまったく思い浮かばない。
逃げようにも深夜がいるのは路地の行き止まり。三方をブロック塀に囲まれて正面には拳銃を構えた少女が立ちふさがっている
とてもじゃないが逃走は無理。では戦って少女に打ち勝てるかと言われれば。
――そっちはもっと無理――
先ほどの襲撃者との戦いで見せた、明らかに荒事に慣れた身のこなし。そして、躊躇いなく人間に向けて発砲できるその精神。
少々未来が視えるからといって、運動嫌いなただの高校生が一人でどうにかできる相手ではない。
「……あんたはいったい、なんなのさ」
それは答えを求めての問いというよりも、あまりに突然の出来事の連続に対する諦観のぼやきのようなもののつもりだった。
だが、それを聞いた金髪の少女はハッとしたような表情を浮かべた。
「失礼しました。そういえば、自己紹介がまだでしたね」
少女は、まだ微かに火薬の匂いを発する銃口を深夜の眉間に向けたまま、物騒な状況とはひどく不釣り合いな穏やかな声色で自らの名を名乗る。
「はじめまして。私の名は
明滅する古い街灯の光はスポットライトのように少女を照らし、キャスケットから漏れた金糸のような細い髪が光を受けて淡い輝きを放っている。
「『協会』の悪魔
季節外れの黒いロングコートを身に纏った金髪の少女。雪代紗々はニコリと親しげな笑みを浮かべてそう言った。
「……その悪魔祓いが俺に何の用?」
「それはですね。神崎さんにちょっとした取引を持ち掛けようと思いまして」
「取引……」
深夜は思わず、脅迫の間違いじゃないのかと言いかけるが、雪代にはまったく後ろめたいといった様子がない。
「あなたには、この街に潜む悪魔を探すお手伝いをしていただきたいんです」
地面にへたり込んで、拳銃を突きつけられたままの深夜は、自らの置かれた状況を短くこんな言葉で総評した
――あぁ……面倒くさいことになった――
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