第十三話 お人好しと悪魔1



「何やってんの? 神崎」

「……修学旅行のしおり作り」


 夕焼けに赤く染まった放課後の教室に大量のプリント用紙の山に囲まれた深夜は、またか、と言うような気だるげな表情を隠そうともせずに答えた。


「一人で?」

「見ての通りだよ……っていうか、和道は他のクラスでしょ。こんな時間に何しに来たのさ?」


 深夜の言う通り、時刻は午後五時半。最終下校時間が六時なので、教室どころか、校内にも他の生徒はほとんどいない。


「部活終わりにたまたま通りかかってさ」

「あぁ……また一人でグラウンド整備とかしてたんでしょ?」


 深夜は視線を手元のプリントに落としたまま、一つ一つ丁寧ていねいに冊子を作る手を止めずに和道がこんなにも遅くなった理由を言い当てる。


「よくわかったな。もしかして、神崎って超能力者?」


 当時はまだ『左眼』の事を知らなかった和道の軽口。深夜はそれを無視して自身の発言の根拠を述べる。


「他の陸上部は一時間前に帰ってたから」

「ああ、なるほど」


 和道はそこが自分の席というくらい自然な流れで、淡々と作業を続ける深夜に向かい合う形で彼の一つ前の座席に座わり、プリントの山に手を伸ばす。


「えっと、右下のページ順に並べりゃいいのか?」

「……帰れ」

「言い方、雑じゃね?!」

「去年の一年間、ちょっかい掛けて来るのを丁寧に断っても無視され続けてきたからね」

「えー? そだっけ?」


 深夜はじっと片目で目の前の少年を睨みつけるが、対する和道があっけからんと適当な態度なので、すぐに諦めのため息を漏らすことになるのだった。


「前から思ってたんだけど、和道のソレ」

「ソレってなんだよ」

「……人助け? わざわざ面倒なことをなんでやってるのさ?」

「なんでって言われてもなぁ……理由っているもんか? 神崎のコレだって、人助けみたいなもんだろ」


 と和道は隣の机に積まれた、完成済みの修学旅行のしおりの束を指さす。


「俺は居残り作業を何日もしたくないからやってるんだよ。だからこれは、自分のため」

「自分のためか……なるほど、じゃあ多分、俺も自分のためだな」

「……どこが?」


 他のクラスの和道が深夜の作業を手伝ったところで何の利点も無いはずなので、深夜は作業する手を止めて呆れた顔を彼に向ける。


「困っている人を放置したりとか、見ないふりとかするとさ、『あの人どうなったんだろう』とか『ちゃんと解決したのかな』とか気になるんだよ。んで、俺にはそれがすっげぇ気持ち悪いんだわ。寝つきは悪くなるし、飯の味も分かんなくなる。だから、とりあえず助けることにしてんだよ」

「そっか……共感はしないけど、理解はした」


 そう言うと深夜はまた視線を手元に戻し、しおり作りの作業を再開した。


「丁寧にやってよね」

「おう、任せろ! こう見えても細かい作業は結構得意なんだぜ」

「嘘でしょ」


 全く信用していない顔だった。


「いや、本当だって!」

「普段の態度で信じられる気がしないんだけど」

「よっし、じゃあ、どっちが綺麗に多く作れるか勝負な!」

「それは面倒くさいから、嫌だ」

「相変わらずノリ悪いなぁ」


 そんな風に二人はダラダラと喋りながら、日が暮れるまで作業を進め、最終下校時刻までに何とか終わらせることができた。

 ちなみに、本当に和道の作ったしおりは深夜よりも綺麗に作られていた。



   ――――――――――――――――――――――――――――――



「ん……ハックシュン! げほっ、ごほっ……どこだここ?」


 和道は風邪の病み上がりのように重い頭を持ち上げ、周囲を見回すがあまりにも暗く上手く見通しがつかない。辛うじて、体を支える手の触れた床の手触りから、ここがコンクリート建ての屋内であること、そして酷く埃っぽいことだけは分かった。


「あ、そうだ。スマホ……は、充電切れてる……」


 照明の代わりにでもなればと思ったが、電源ボタンを押しても一切反応しない。そんな彼に向けて、闇の中から、途切れ途切れのか細い少女の声がゆっくりと投げかけられた。


「あ、和道様。お目覚めに、なりましたか。申し訳ございません、咄嗟とっさでしたのでこのような場所にしか跳べず」

「あ、セエレちゃん!」


 和道は聞き覚えのあるその声がする方向に向けて首を回し、暗闇に目を凝らす。わずかに彼の目が慣れたのか、黒い闇の中に火が灯ったかのように、鮮明な赤い髪のシルエットが浮かび上がってきた。


「ご無礼な体勢のままお話しすること、ご容赦ください。魔力が残り少なく、肉体の維持がやっとの有様でして……」


 赤い髪の悪魔、セエレはその幼い体には全く似つかわしくない慇懃いんぎんな言葉遣いで地に倒れ伏した姿勢のまま謝罪を述べる。


「もしかして、怪我してる!? まさか、神崎に……」

「いえ、これは……あの場から逃走するのに、異能を使ったためで……」


 そう言うと、セエレは息も絶え絶えの状態で自身下半身をチラリと見る。足に何かあるのか、と思った和道はその視線の先を目で追って、絶句した。


「……っ!」


 彼女の腰から下、そこには文字通り、先ほどまで、確かに存在したはずのセエレの両足も含めて、何も。


「ご覧の通り、この距離すら自力では動けません故、和道様が起きるのを待つしかできず、申し訳ありません」

「……そっか、うん。わかった。じゃあ、ちょっと抱き起させてもらうぞ」

「ハイ。ですので、和道様はそのまま逃げていただければ……って、え?!」


 暗闇の中、一応天井の高さを確認し、立ち上がっても問題なさそうと判断した和道は、そのままセエレを自身の背に乗せて立ち上がった。


「わ、和道様? なにをしてらっしゃるんですか!」

「何って、足が無くなったから自分じゃ動けないんだろ?」

「ですから、私を放置して他の場所に身を潜めていただきたいのですが……」

「……なんで?」


 皮肉などではなく、本気で理解できていない様子の和道にセエレは思わず閉口せざるをえなかった。

 その時、セエレの脳内で召喚者、秋枡円香から引き継いだ記憶が告げる。『彼はそう言う人間だ』と。

 セエレは、数時間前の自分の判断を後悔した。


――元はと言えば、彼にはただ一つの情報を聞くためだけに、召喚者の記憶を頼りにバイト先で待ち伏せて接触したはずなのに……――


 それがどういうわけか、蒐集家から何度も逃れているうちに肌も服もボロボロになっていたセエレを見た和道が、逆にセエレから事情を聞き出そうとし始めたのだ。


「……あのですね。再度申し上げますが、私は悪魔でして、人間では無いのです」

「うん、ファミレスで聞いた。だから、由仁ちゃんとそっくりの顔なんだよな」

「他の悪魔憑き、それも人を躊躇なく襲うような危険人物に追われておりまして……」

「それも聞いた。聞いたからには放ってはおけないだろ?」


 本当に、この少年は『そういう人間』なのだろう。セエレにとって、彼の底抜けの「お人好しさ」は完全に想定外だった。


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