第十話 結界、展開
「あの……お客様?」
そんな深夜達のあからさまに怪しい態度に業を煮やしたらしいウェイターの青年が入り口で揉めている一行に声を掛ける。
「神崎さん、心情は察しますが、呆けていても仕方ありません。とにかく、今は不用意に事を荒立てないように立ち振る舞うべきです」
一歩引いた視点から深夜に耳打ちする雪代。しかし、深夜にはそんな彼女の声が耳に届かないほど冷静さを欠いていた。
――和道が……悪魔と……――
「神崎さん!」
「あ、悪い……」
「とりあえず。大人三名、禁煙席でお願いします」
いまだに脳内でぐるぐると言葉にならない混乱が渦巻く深夜は、ウェイターへの対応を雪代に委ね、落ち着くためにも左眼を手で覆い、深く深呼吸をする。
「あ、はい。かしこまりま――」
「ッ!?」
しかし、その直後、重い重圧のような不快感が深夜の背中を駆けたかと思うと、気づけば三人の前にいたウェイターの青年は昏倒し、フローリングの床に倒れ伏していた。
「なっ!」
いや、ウェイターだけではない。店内を見渡せば、既に席に座っていた客、ホールを歩いていたウェイトレス、レジ前で会計待ちに並んでいた親子連れ、そのすべての人々が、意識の糸が切れたようにバタバタと鈍い音を立ててその場に崩れ落ちていく。
――あの悪魔がやったのか? いや、でもそれにしては様子もおかしい……――
咄嗟に和道達のいるテーブルに目を向けるが、赤髪の少女もまた深夜と同じように周囲をきょろきょろと怪訝そうに見渡し、眠るように机に顔を突っ伏している和道の肩を揺すり始めた。
――あいつや和道じゃない……なら!――
振り返った深夜が視たのは、【一メートルをゆうに上回る巨大な火柱】
「雪代! 避けろ!」
深夜は大声を上げて、まだ背後に迫るその脅威に気づいていない雪代をラウムに向かって突き飛ばす。急いで手を引き戻した直後、両者の間を火焔の帯が弧を描いて通過した。
「あらあら。いつ気づいたのかしら? 残念ねぇ」
「
ラウムに支えられて体勢を立て直した雪代は、すぐさま振り返り、入口の硝子戸の前に立つ見覚えの姿を見つける。
昨夜と同じように、敵対者である深夜達を前にしても
「うふふふ。一石二鳥。ってこういうことを言うのかしら。お目当てのものがまとめて見つかるなんて、ラッキーね」
一方で、その視線を向けられた赤髪の少女はヘビに睨まれたカエルのように身を強張らせていた。
「あら、あらあらあら。頼りの坊やはお休みかしら。セエレちゃん」
「ッ……!」
セエレと呼ばれたその赤髪の少女は一瞬、深夜をちらりと見たが。すぐに小刻みに
「……やっぱり、この『結界』じゃあ閉じ込められないのね。まあいいわ、まだ獲物は残っているわけだし」
蒐集家の視線がラウム、そして深夜の二人に向けられる。
「結界……店の人に何かしたのも、あんたってわけだ」
「ええ、そう。これ、私の集めた魔道具の一つで、ベリトって悪魔の異能が込められているんだけれど」
そういって、蒐集家は人の手のひらほどの長さを持つ、一般的に五寸釘と呼ばれる長い金属釘を取り出して得意げに見せつける。
「この釘を打ち付けた点で囲んだ四方の内側は外部からは認識できなくなるの。私は『結界の異能』って呼んでいるけれど、この釘はそれを作れる魔道具なの。しかも、結界の内側の一般人は魔力の負荷に耐えられずに意識も失うって言うおまけ付き。とっても便利でしょう?」
――さっきの気持ち悪い重圧がそれってことか……ラウムとの契約でできた魔力のパスが無かったら俺もあんな風にぶっ倒れていたってわけだ――
「まあ、流石に悪魔やその契約者、あと、退魔銀、だったかしら? アレを持っている悪魔祓いには効かないのがネックなのよねぇ」
蒐集家は残念そうな態度を取っているが、その声色はあまりセエレと和道に逃げられたことを深刻に捉えているようには見えない。
「ちょっとちょっと! 随分とヨユーそうな態度してるけど、私達にそんなあっさり手の内を
「ふふっ、だって。私、『蒐集家』だもの。集めたものは誰かに自慢したいじゃない? 例えば、このライターは……ほら!」
「くっ!」
蒐集家が右手に収まっていたライターをぐっと握りしめ、点火すると。その手から煌々と燃える赤い火柱が上がり、さながら、焔の剣に見立てられたそれを大きく振りかぶり深夜に斬りかかってきた。
「神崎さん!」
深夜は大きく一足跳びにその焔の剣の軌跡を
「その炎……火炎の悪魔、アイムの魔道具ね」
「その通り。流石、悪魔は一目でお見通しね。とっても自慢のしがいがあるわ。他にも色々あるの。たっぷり付き合ってくれるかしら?」
「上等だ……今度は逃がさない」
深夜は半ば無理やりに和道とセエレにかき乱された意識を抑え込み、ラウムに左手を差し出す。
「深夜……大丈夫? 戦える?」
「どっちにしろ、コイツをここに放って和道を探しに行くわけにもいかないでしょ」
「そりゃ、そうかもだけど……」
先ほどの会話から察するにどっちにしろこの女は深夜達の後はセエレと和道を追うつもりだろう。ならば、今ここで雪代と共に倒してしまう方が得策だ。それに加えて――
「逃がさない? うふふ、奇遇ね。私も、今日はあなた達を逃がすつもりはないの」
蒐集家は炎の剣の切っ先を地面に横たわるウェイターの青年に向け、深夜達を挑発する。現状、この店内にいる人たち全員が実質人質のような状況。雪代もまた、目の前で一般人に危害が加えられるのを黙って見過ごすわけにはいかない。
「神崎さん、私が店内の人々の安全を確保します、その間、蒐集家を引き付けてください。ただ、白兵戦に集中を。くれぐれも、異能は使わないでください」
「ああ、わかった……行くよ、ラウム!」
「おっけ、オッケー! ……小夜啼き鳥の伽紡ぎ――」
「あらあら、怖いわ……ねっ!」
深夜に促され、ラウムが武装化の詠唱を始める。その隙を突くように蒐集家は炎の剣を構えて深夜達に肉薄するが、それは両者の間に割り込んだ雪代によって手首を抑え込まれた。
「させませんよ!」
「っく……随分な腕力ね。お嬢ちゃん」
剣の軌跡は振るわれず、天井を焦がし、高熱が雪代の肌を照らし玉の汗を浮かび上がらせる。
『――さかしまに沈め 星の天蓋!』
「雪代! どいて!」
「ハイ!」
ばっ、と拘束を解き、地面に転がるウェイターを庇うように身を躱した雪代に代わり、深夜が黒鉄の大剣で斬りこむ。だが、雪代への合図を共に聞いていた蒐集家も難なくその一振りを避け、二、三度跳ねて、深夜の剣の間合いから距離を取る。
「いったた……痕ができるかと思ったわ。見た目に似合わず、ゴリゴリ系なのね、悪魔祓いのお嬢ちゃん」
――雪代に力負けしてる、ってことは魔力の身体強化は無いのか――
以前に蒐集家は四つの魔道具を奪っていると雪代は言っていた。そして、今現在、彼女が見せた魔道具も
『物体を遠隔操作する指揮棒』
『瞬時に急成長する植物の種』
『結界を作る釘』
そして、今あの女が持っている『炎の剣を生み出すライター』の四つ。まだ隠し玉がある可能性は否定できないが、とにかく分かっている分の異能には警戒を払わなければならない。
――だけど、攻め手に回らないとアイツの意識を雪代から逸らせない……か――
「面倒くさい、なぁ!」
「おっと!」
視線をこちらに集中させるため、敢えて踏み込みの音を強く響かせて上段から斬りかかる、大振りのそれはまたしても躱されるが、そこまでは深夜の予視通り。
――このまま、人のいない奥の方に追いこむ――
【深夜の追撃から逃げるように入り口から、店の奥に移動しつつ、蒐集家はポケットからゴルフボールサイズの種子を深夜に向かって投擲する】
「っち、炎の次は樹か!」
深夜は追撃の足を止め、手前のボックス席で意識を失っているサラリーマンに駆け寄り、そのスーツの襟元を乱暴に掴む。
「雪代! コイツもお願い!」
「はい!」
合図の後、魔力で強化された腕力によってサラリーマンを無理やり片手で持ち上げ、レジ裏に人々を運び込んでいる雪代に向けて投げつける。
『深夜、来たよ!』
「悪いけど、それは、もう。見飽きてるんだよ!」
ファミレス店内を削り取るように進む樹木の触手。その先端を両手持ちの大剣で下から打ち上げて軌道を逸らす。
三木島の触手より軽く、動きも雑だ。おそらく、この魔道具は決まった形にしか成長させられないのだろう。この程度ならば左眼の未来視を使えば容易に対処できる。
【深夜の視界を妨げた樹木の触手、その壁面が僅かに黒く染まったかと思った次の瞬間、その表面が火を噴いた】
「……ラウム、その状態って、痛覚ある?」
一応、大剣に姿を変えている相棒に確認だけは取っておく。発声器官は無いはずなのだが、空気の代わりに魔力を媒介してラウムの声はくっきりと深夜の耳に届く。
『武装化している間はほとんど無いけど、どうして?』
「よし、じゃあ。防御は任せた」
『え? はぁっ?!』
確認よし。深夜は大剣をフローリングの床に突き立て、その刀身を壁にするように身を屈めることで、触手を貫いて襲い来た火球を
『うぉぅっ! ねえ深夜、私の体、溶けてない? 溶けてないよね?!』
「多分大丈夫。っていうか、痛覚ないんじゃなかったの」
剣を抜き取り、炎を受けた所を確認するが、特に問題はなさそうだ。
『痛くは無いけど、折れたり壊れちゃったりしたら消滅するからもっと大事にして欲しいです!』
「それ、初めて聞いたな……」
今までも分厚い刀身を何度か盾代わりにして相手の攻撃を受けていたから気にしていなかったが、この大剣はラウムの肉体が変形したものだと言う事を今更になって思い出す。
「……うん、これからは気を付ける」
『ホント、お願いだよ?!』
それはそれとして武器として使う分には強度は申し分ない。深夜は黒く焦げ付いた大穴によってグラグラと不安定に揺れる大樹の触手を一振りで斬り倒し、いつの間にか店の奥の壁を背にするところまで移動していた蒐集家を再度視界に納める。
――あの距離から……炎を、飛ばしたのか――
「あら、あらあら。完璧に奇襲したつもりだったのに、火傷一つ無いの? 自信失くしちゃうわ。でも、良い感じに距離が取れたかしら」
そう言って、蒐集家は先ほどまでは剣の柄のように握りしめていたライターの噴出口を深夜に真っすぐ突きつけて、引き金を引いた。
「くそっ!」
放たれるのはバレーボールサイズの火球の弾丸。初弾はやむなく大剣の側面で横払いに受け流し、次弾は横跳びで躱す。
『えー! あんなことまでできるの!? タダの魔道具の癖にズルい!』
「ラウム、遠距離戦はからっきしだもんね」
『くっそぉ。こうなったら、このファミレス倒壊させてアイツ、生き埋めにする?』
「却下に決まってんでしょ……」
まだ一般人の保護も完了していないうえ、ガスの通っている飲食店を倒壊させて火事になったら大惨事だ。
「……火事か……」
『おっ? その顔は、何か思いついた感じ?』
「んー、思いついたには思いついたんだけど……俺一人だと手数が足りないかな」
深夜は地面を焦がす火球の砲撃をテーブルの上を飛び回って躱しながら、チラリと視線を自身の頭上に向ける。
「よそ見はダメじゃないかしら?」
その僅かな隙を見逃さず、蒐集家は最大火力の火球を放つ。着地直後で回避行動を取る余裕の無い深夜に、ソレを避けることは出来ない。
『深夜?!』
「大丈夫だよ」
ラウムの悲鳴とは裏腹に、冷めきった声で自身に迫る火球を見据える深夜。そして、その火球は深夜の眼前で破裂音と共に掻き消える。
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