第七話 秋枡円香



 霧泉市、という街はYの字型に街を分断する二級河川を境界にして三つの区画に分かれている。


 一つは街の北部、二つの川に挟まれる場所に位置する『開発地区』

 建設途中のビル、客足が悪く潰れた商店の廃墟、放置され雑草の生い茂る空き地ばかりがあり、定期的に何かしらの開発計画が立っては頓挫とんざするような場所。


 次に、川の西側に位置するのが住人達は『市街』と呼ぶ地域。こちらは深夜達の通う黒陽高校のような学校施設から、スーパー、コンビニ、役所や駅と言った生活の基盤となりえる施設が極端に偏っている地区。そのため、こちらにも住んでいる人間はいるのだが、主にマンションやアパートと言った集合住宅が主で一軒家はほとんど存在しない。


 最期に市街地の逆、川を挟んで街の東側に位置するのが、住人たちが主に「住宅街」と呼ぶ地域。

 この一帯はその呼称通り、市街と反対に、存在する建築物のおよそ九割が一軒家の民家であり、残りの一割も高齢者向けの整骨院だったり、未就学児の為の小さな公園だったりと、高層建築物は一切存在せず、生活基盤と呼べるものもほとんどない。

 深夜や和道が住んでいるのはこちらの住宅地側であり、そして、学校を終えた深夜が雪代に呼び出されたのもまた、この住宅地の一画だった。


秋枡あきます……円香まどか、か」


 深夜のスマホには昼過ぎに雪代から送られた今回の被害者に関するデータが表示されている。だが、その視線は漫然まんぜんと画面の上を通り過ぎていくだけだった。

 被害者の年齢だとか、遺体発見時の状況だとか、違法薬物取引の逮捕歴だとか。そんな興味の湧かない情報の羅列られつの中、一つの名前が深夜の意識に引っ掛かる。

 秋枡由仁。被害者との関係性、親娘。三年前の被害者の逮捕以後、峰山グループが運営する児童養護施設『ひまわりの家』にて保護されている。


――『お父さんは悪い人』……か――


 そして、その文章の下には今朝深夜が出会った少女の画像データが張り付けられていた。


「他所の家庭の事情に首を突っ込むのは面倒くさくて嫌なんだってば……」


 今朝、友人に向けて発した言葉を、今度は誰に聞かせるでもなく呟きながら、深夜は雪代が指定した事件現場に向けて歩みを進めていった。


  ――――――――――――――――――――――――



「あ! やっほー! 深夜、こっちこっち!」

「静かにしてください! 学校から直接呼び出す形になってしまい申し訳ありません、神崎さん。お送りしたデータは、目を通していただけましたか?」

「まあ、ここに来る途中に。軽くだけど」


 現場で既に待っていた雪代はいつもの分厚い黒のロングコートにキャスケットの不審者ファッション。既に学ランをクローゼットの奥にしまい込んだ深夜にしてみれば、なぜ汗一つかかない涼し気な態度を取れるのか理解に苦しむ。


「なるほど、では、一応軽く説明をさせていただきます。数日前、この家の家主が全身の血を失い、ミイラ化した遺体で発見されました」

「それって、三木島の時と同じ……」


 その説明を聞いた深夜が思い出したのは先月に戦った悪魔憑きの末路。契約した悪魔の代償によって右腕が風化するほどに肉体の「水分」を奪われた光景は記憶に新しい。


「ええ、普通の殺人や事故ではそんな死に方はしません。被害者の遺品から三木島の所持していたものと同じ魔導書の写本が発見されていることから、協会は今回の犠牲者である秋枡円香が悪魔憑きであったと考え、私に調査命令が下りました」


 雪代は説明しながら、コートの内側からガチャガチャと金属同士のれる音をさせつつ、一本のディスクシリンダー型の鍵を取り出す。そして、当然のように目の前の玄関にある鍵穴にすっと差し込み、ガチャリと大きめな音が鳴った。


「さて、と。それでは調査を始めますが、不法侵入なのであまり痕跡を残したり、証拠品を持ち出したりはやめてくださいね」

「事情は大体わかったけど……なんで当たり前みたいに鍵持ってんの?」

「警察内部の協力者から借りました」

「まさか、ウチの合い鍵も持ってたりしないよね……?」

「はははっ、持ってるわけないじゃないですか」


 笑ってノブを回す雪代の背中に疑惑の視線を向けながら、深夜もその後について、秋枡円香の家の敷居をまたぐのだった。


「どう? ラウム」


 家主を失い一週間放置されていたその建物は、元々の年季も相まって、肝試しを想起させるような不気味な雰囲気を放っていた。


「ん……あ、内側はだいぶ魔力の匂いがするなぁ……これはビンゴかも」


 ラウムは脱いだスニーカーを律儀に三和土たたきで揃えながらそう呟き、その言葉を受けて雪代と深夜の警戒レベルが跳ね上がる。


「魔導書の件もあるので九分九厘そうだとは思っていましたが……秋枡円香の死は悪魔が原因のようですね。それで、匂いはどの部屋から?」

「んーっと……匂いは奥の方が濃いね……よっと、すんすん……」


 ラウムはたったった、と跳ねるようにして先に上がっていた二人を追い越し、廊下に並ぶ三つの扉の内の一つの木製の洋扉を指し示した。


「出所は、ここ」

「書斎……ですね。警察の調査記録からしても間違いありません。秋枡円香の遺体が発見されたのもこの部屋だそうです」

「中に誰かいる気配はある?」

「いないよ、あるのは残り香だけ」


 深夜は雪代を軽く一瞥いちべつして判断を仰ぐ。


「警察もある程度は調べていますから誰かが潜んでいたり、奇襲されたりする心配はないでしょう。今回の目的は荒事ではなく、あくまで調査です」

「おっけー! じゃあ突入!」


 ラウムは乱暴に書斎の扉を開け放ち、それに続いて雪代、深夜の順で中に入っていく。最後に書斎に入った深夜はその内部の光景の異様さに一瞬言葉を失い、ほとんど無意識に口元を手で押さえていた。


「あ、そういえば。深夜はコレを見るの、初めてか」


 いち早く深夜のその態度に気付いたラウムが地面に彫り刻まれた模様を指し示す。それは真円の内側に上下左右が非対称に描かれており、赤黒く血糊ちのりが固まったような不気味な色をしていた。それはなんでもないただの不規則な模様のはずなのに、視界に入るだけで、車にかれた猫の死体を見た時のような言いようもない不快感を覚える程に異様な雰囲気を纏っていた。


「……これは?」

「悪魔の召喚陣。この残っている魔力の濃さ的にも一回使われてるね、コレ」


 ラウムは屈みこんで魔法陣を描いている赤黒い痕跡を指でなぞり、そう断言する。


「ああ、やはりそうですか」

「この術式の模様は……たしか、セエレだったかな」

「そいつ、ラウムの知り合い?」

「知り合いって言うか……大昔に私達七十二柱の悪魔全員と契約しようとしたイカれた王様がいてね。その時にちょっと面識があるって感じ。異能は確か、瞬間移動だったかな」

「私も聞いたことはあります。あらゆる人とモノを瞬時に移動させることができる『地獄の駿馬しゅんめ』の二つ名を持つ悪魔ですね」

「瞬間移動って随分シンプルって言うか。便利そうな力だね」


 任意の場所に自在にワープできるとなれば、応用の幅は広いだろう。盗みを働くにしても、密室殺人をするにしても、人間相手ならば、深く考えるまでも無く好き放題できる異能の一つだろう。


「被害者の遺体はこの召喚陣の上で横たわっていたそうですが……」

「つまり、この秋枡ってやつは、そのセエレって悪魔を呼びだそうとしたけど、代償が足りなくて死んだってこと?」

「そう考えるのが妥当、ですが。蒐集家の件もあります、第三者、別の悪魔憑きに殺害された可能性も捨てきれません」

「はいはーい! じゃあ、私他の部屋に悪魔の匂いしないか探してくる!」


 そう言って、書斎から飛び出したラウム。見張りの意味も込めて深夜もその後を追おうとするが、それを引き留めるように雪代が声をかける。


「あ、神崎さん。少しだけ、お話よろしいですか?」

「ん? なに?」


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