第六話 白と黒



「ここ! どーよ、一気に逆転! ドヤァ!」

「はい」

「あっ! 角とられた!」


 ラウムの一挙手一投足は騒々しく。対する雪代は少々投げやり気味に。

 兄は高校、妹は中学校に向かった神崎家に残された二人は、ダイニングの食卓にてラウムが見つけたリバーシに明け暮れていた。ちなみに現在の盤面は雪代の白が七割、ラウムの黒が三割。


「くっそぉ……まだ勝負はわからないからね!」

「いや、既に三回負けているでしょう。いつまで続けさせる気ですか」


 文句を言いながらも雪代は白面の駒を盤面に置き、黒い駒を裏返していく。これで比率は八対二になった。


「んー。深夜の学校が終わるまで?」

「そこまであなたに付き合う義理はありません。蒐集家コレクターに魔導書の写本。調べることは山積みなんですから」

「でも紗々さしゃ、この前の怪我。まだ治ってないでしょ?」


 ラウムの一手で、白い駒の半数が黒く変わり、戦局が逆転する


「……悪魔に心配される筋合いはありません」

「私にはあるけどね、心配する理由」

「むしろ、いなくなって清々するのでは?」


 雪代の一打の勢いが強くなる。しかし、試合が進むほどに盤面の情勢は黒が優勢になっていく。


「えぇー、ひっどーい。私、結構紗々と仲良くなったつもりなのになぁ。ラウムちゃん悲しい、ションボリ」


 器用に眉だけを寄せて、全く濡れていない目じりを手の甲でこするラウム。


「白々しすぎますよ……」

「でも、紗々に死なれたくないのは本当だよ?」


 ラウムが懸念しているのはむしろ、自分が死ねばすぐに別の悪魔はらいがこの霧泉市に派遣される事だろうと、雪代は推測する。彼女の知る限り、他の悪魔祓いが深夜とラウムの関係を容認するとは思えず、もしこの二人の存在が協会に露呈ろていすれば戦闘は避けられないだろう。


「それは神崎さんのために、ですか?」

「うん。深夜、そう言う面倒くさいの大嫌いだろうからね」


 あからさまな嘘泣きの演技から一転してペロリと舌を出すラウム。


「……良いでしょう。なら、今日は神崎さんが戻るまで、トコトンお話に付き合ってもらいますよ」

「お、いいね。こういう女子トークって私好き! でもでも、私の体重はヒミツだから」

「それはどうでもいいです! ……聞きたいのは、貴方の代償だいしょうについてですよ」

「それなら前にも話したでしょー。私の代償は『他人との関係性』だって」


 ラウムはこの話題はお気に召さなかったのか、頬杖をついて露骨に詰まらなさそうな表情になった。実際、ラウムの言う通り、雪代は深夜達と同盟を結ぶ際、既に一通りその代償についての説明は受けている。


「あなたに代償を奪われる度に神崎さんは特定個人に対しての記憶を失い、同時に相手を含めた周囲の人間もそのことに違和感を覚えなくなる」

「そ、最初から『全然知らない赤の他人だった』ことになる」


 何度聞いても、雪代には要領を得ない話だった。

 異能の代償に契約者の記憶が無くなる、というのならイメージはできるのだが、第三者にまで影響を与える代償など、今まで捕らえてきた悪魔憑きからも聞いたことが無かった。そして、何よりも異質なのは、当の本人である深夜すら『いつ、誰との関わり』が奪われたのかを全く認識できていない事だ。


――少なくとも、神崎さんは連続襲撃事件と三木島との戦いで既に何度かラウムの異能を使っている――


 もしかしたら、その中に、既に深夜にとっての大切な人との関係を奪われているのかもしれないと思うと、やるせない気分になる。


「代償の内容については表面的には理解しているつもりです。今回、私が聞きたいのは、その末路についてですよ」

「末路って、なんか怖い言い回しをするね」

「ラウム。単刀直入に聞きます。貴方の『』は今、どうなっているのですか?」

「どうって……わかんない」

「はぁ?」


 まっすぐにラウムの眼をにらみ、雪代がぶつけた問い。しかし、返ってきたのはとても納得いくものではなかった。


「わからないって……今更はぐらかさないでください!」

「いや、それが本当なんだって。そもそも、紗々達協会がどう思っているのか知らないけど、悪魔の代償っていうのは、私達自身にも制御できないみたいなものなんだよ」

「呪い、ですか?」

「そ、


 そう言ってラウムはテーブル上にある牛乳が入った飲みかけのグラスと牛乳パックを手に取る。


「じゃあ、たとえ話。このグラスが悪魔で、牛乳が魔力、この牛乳パックが契約者だとしたら……」


 ラウムはそう言いながら、半分だけ残っていたグラスの中身を一気飲みし、空いたグラスに再度なみなみと牛乳を注ぎ入れ。


「異能を使ったり、攻撃されて中身の魔力が減ると、私達の存在は不安定になる。その状況で武装化なんかして契約者とのパスを繋げれば、私達の意思とは関係なく契約者から代償を引きずり出して、それを魔力へと変換して中身を満たそうとしてしまう。たとえ……」


 ラウムは牛乳パックのひっくり返し、その中身が空になったことを示す。


「契約者の中身が空っぽになると分かっていても。ね」


 そして、ラウムは再び腰に手を当てて牛乳を一気飲みすると、空になった紙パックをキッチンの隅にあるゴミ箱にポイと放物線を描いて投げ入れた。


「で、ここからが本題なんだけど、私の代償ってのが、どうも人間同士の関係限定、ってわけじゃないみたいなんだよねぇ」

「人間同士に限らない。と言うと、動物にも影響がある?」

「それと、にも。ね。きゃるん☆」


 ラウムは両手の人差し指を自身の頬に当てる。つまり、彼女が言いたいのはこういう事。


「ラウム自身とその召喚者との間の関係性が既に失われている。ということですか」

「イグザクトリー! ってなわけで、私、深夜と出会う前の記憶がほっとんど無いんだよね」

「なるほど、一応理解はしました。ちなみに、そのことは神崎さんも知っているんですか?」

「うん。そりゃね。深夜にはもう私の恥ずかしいところとか、あんなことやこんなことまで全部さらけ出してるからね。きゃ、恥ずかしーいー」


――どこまで本当かははなはだ疑わしい態度ですが……逆を返せば、神崎さんと出会う以前の事を話すつもりは全く無い、と言う意味にも取れますね――


 悪魔である以上、ラウムの言葉を鵜呑みにはできない雪代だが、これ以上問い詰めても意味は無いと言う事も理解した。


「ですが、もし仮に全ての関係性を失っていたとして、その人間はどうなるんですか?」


 これが友人や恋人ならば、確かに重い代償ではあるが、まだいい。しかし、例えば、名付け親のような存在との関係性を失えばおそらくその「名前」を失いかねない、ましてや、生みの親との関わりが失われれば、それはもう……。


「最初からこの世に存在しなかったことになる、のかな?」

「…………」


 実体化した悪魔の召喚。それを成し遂げるために必要な代償は人間一人の存在を容易に凌駕りょうがする。ラウムと言う悪魔がこの世に姿を手に入れた代償に、おそらく、一人の人間が「消滅」したのだろう。


「まあ、私と深夜の契約はちょっと特別なんだけどね……」

「え? それはどういう……」


 意味深なラウムの呟き。その意味を問いただそうと身を乗り出した雪代のポケットから初期設定のままのスマホの着信音が鳴った。


「誰だれ? もしかして、深夜!?」

「いえ、協会の情報部です」

「なーんだ、つまんなーい」


――蒐集家については昨夜の定期連絡で報告済み。向こうから連絡というと、何か進展が?――


 僅かばかりの嫌な予感が雪代の胸に去来するが、かといって出ないわけにもいかない。


「今から電話に出ますが、通話中は静かにしていてくださいね」

「オッケー。お口チャック!」


 子供のように指先で口を閉めるジェスチャーをするラウムを尻目に一応、ダイニングから離れて、リビングに移動する。


「はい、雪代です。蒐集家について、何かわかりましたか?」

『いえ、今回はそちらではなく、例の魔導書の写本についてなのですが』


――魔導書の写本、と言うことは新たな悪魔憑き……――


 蒐集家と言う一級警戒対象に加えて、更に敵対することになる存在が増える。と言うのは雪代にとっては酷く悪い知らせだった。


「悪魔憑きの目撃情報でしょうか?」

『……なんて言うんですかね。確かに悪魔憑きの情報……になるのかな』

「珍しいですね。そんなに歯切れの悪い言い回しをするなんて」


 電話先の青年とはこの仕事を始めて数年来の付き合いだが、普段なら必要な情報を淡々と述べるタイプのはず、それが今回はどうもいつもと雰囲気が違う。


『結論だけ先に言いますね。見つかったのは魔導書の写本そのものです。警察が別件で家宅捜査した家で発見されたそうで』

「その魔導書はやはり……」

『はい、三木島大地の自宅から押収したものと全く同じものでした』


 やはりこの街には三木島がやっていたように、魔導書を人々に与えている何者かがいるらしい。


「それで、その家宅捜査と言うのはどういった理由で?」

『それがですね、その家主が自宅で全身の血が無くなったミイラ状態で死んでいたそうなんです』



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