第四話 探し物は何ですか?



「ふわぁ……ねむ……」



 たかが三十分、されど三十分。ただでさえ最近は悪魔絡みの問題で寝不足気味の深夜にとって、今回の二度寝の失敗は死活問題と言ってよかった。


「昨日の雨が無かったら……放課後に公園とか屋上で寝るんだけどな」


 今は降ってはいないが、足元には昨夜の豪雨が作った水たまりが至る所にあり、空も爽やかな朝とはとても言えないような曇天。心なしか空気も湿っており、五月の陽気から一転してまた肌寒さを感じる気温となっていた。


「……ん?」


 寝ぼけ眼でフラフラと歩く深夜の視界の端に見覚えのある背中が映り込む。普段なら遅刻ギリギリのスケジュールで行動している深夜には通学途中に寄り道をする余裕などないのだが。今日に限っては図らずも三十分も猶予ゆうよがある。そして何より、その見えた相手が問題なのだ。

 深夜は軽い気持ちでその影の後を追い、小さな公園の中に入った。


「代わりに報告しろって言うなら、場所と内容の連絡もしてよ。和道」

「え? 神崎?! もうそんな時間……じゃない、だと?!」

「早起きしただけでそんなに驚かれるのか」


 ポケットから取り出したスマホの時間と深夜の顔、その二つを行き来するように和道の目線が上下に動く。もっとも、その早起きは本人の意思ではないので、彼のリアクションは正しいのだが。


「別にいいけどさ。それで、今日は何やってんの」

「ん? ああ、探し物」

「探し物って、何を?」


 学校を遅れる前提でわざわざ早朝の公園で探すものがいったい何なのか、深夜にはさっぱり想像がつかない。


「えっと、写真が入ってるペンダント」

「ロケットってやつ?」

「ああ、それそれ」

「誰の?」


 いままで和道がそんなものを持っているのを見たことはない。となれば、そのペンダントは別の人の持ち物だろう。


「あの、お兄さんも……和道さん……のお知り合いの方、です?」


 そして、控えめな声がおずおずと下方から投げかけられ、深夜の視線がそちらに向く。

 そこにいたのは和道の腰元ほどの小さな体躯たいくで長い髪を二つ結びにした少女、年恰好としかっこうは小学生の低学年だろうか。


「あ、コイツは神崎っていう俺の友達。っで、この子が……」

「秋枡由仁ゆにと言います。はじめまして、よろしくおねがいします。です」

「……どうも」


 少し奇妙な敬語ではあるが年齢からすれば礼儀正しい方だろう。一言で言えば和道とは逆のタイプ。


「探し物の持ち主はこの子?」

「そゆこと。まあ、もう小一時間探してんのに全然見つからねぇんだけど……」


 更に詳しく話を聞いていると、和道と由仁の二人も知り合ったのは今朝の事だという。いつものように早めの登校の最中、この公園を通りかかった際にオロオロと泣きかけの状態の由仁を見つけた和道が事情を聴き、捜索を手伝うことにして、一時間ほど経って今に至るという話だが。


「通報されなくてよかったね」

「大丈夫、大丈夫。この辺の交番のお巡りさんとは大体顔見知りだから」

「そうだったね。あと、秋枡さんビビってるから説明してあげな」

「和道さんって……ワル、なんです?」


 先ほどまで和道の隣にいたはずの少女は、さっと、近くの遊具の影にその身を隠し、そのまま顔の半分だけをのぞかせている。


「あ、いや! 警察と知り合いなのは落とし物を届けたり、道に迷った人連れて行くからだから! 捕まったことは無いから!」

「では、良い人です?」

「なんか、それにハイって答えるのも恥ずかしいな」

「バカがつくくらいには底抜けのお人好しだから、安心して」

「それ褒めてんのか?」


 ストレートにそれを伝えるのは何となくしゃくなので、あえて迂遠うえんな言い回しはした深夜だが、彼が和道を信用しているのは事実だ。


「っていうか、それ、いつ落したの?」

「落としたと思うのは……昨日の……えーっと、そう、放課後。放課後にこの公園で遊んでいた時だと思います。です」

「放課後って、あの雨の中遊んでたの……?」

「あっ……はい。そう、です」

――嘘くさいけど、そこを掘り下げても仕方ないか――


 彼女の言葉を素直に信じるなら、少なくとも一晩は経過していることになる。雨が降っていたとはいえ、誰か他の人間に拾われるには十分な時間だ。


「交番には届いてなかったの?」

「……それ、まだ確認してなかったわ」


 ――いや、むしろ最初に確認しろよ……――



     ―――――――――――――――――――――――――――



「えっと、この用紙にお名前と住所、書けるかな?」

「はい、書けます。です」


 サイズの合わない椅子の上でピンと背筋を伸ばし、手渡された遺失物いしつぶつ受け取りに関する資料に必要事項を書いていく由仁。その姿を背後から見守る形の深夜と和道、一見するとかなり妙な絵面が出来上がっていた。


「しかし、君たちは相変わらずだね。いや、いい意味で」


 そして、応対している警察職員の青年は待っている愛想の良い笑みを浮かべて二人に声をかける。自分の事を知っているらしい青年の態度から、深夜は必死に記憶をあさり、彼が三年前に和道と出会った時に応対した警察だと思い出す。


――うん、記憶にはある。この人との関係は、まだ奪われてない――


「人間そう簡単に変わらないっすよ」

「それもそうか、でも、親切なのはいいことだけれど、最近のこの街はちょっと物騒だから、危ないことは首を突っ込まず大人を頼るべき時は頼りなさいよ。特に君らの学校は色々あったし」


 それが連続襲撃事件の事を言っていると分かり、その一件の中心にいた深夜は思わず目線を宙に彷徨さまよわせる。


「まあ、今回はちょっと特別って言うか……」


――ん?――


「書けました! です」

「お、綺麗きれいな字だね。秋枡由仁ちゃん。ね」


 視線を逸らしたが故に、和道が一瞬何かを言おうとしていた小さな呟きに気づき、逸らしていた視線を戻す深夜だったが、和道の表情はいつも通りで、会話の流れも由仁と警察の二人が主導する形に変わっていた。


「じゃあ、取ってくるからここで待っていて」


 そして、警官は交番の奥に消え、すぐにその手に銀色に光るペンダントを持って戻ってきた。


「これで間違いないかな?」

「はい、それです!」


 差し出されたものは、表面に五芒星ごぼうせいが彫り込まれたペンダント。ロケットというには少し大きいような気もする。


「なんかペンダントって言うより、懐中かいちゅう時計みたいな見た目だね」


 小学生の由仁のてのひらにギリギリ収まっているそのサイズも含めて、深夜の素直な感想をぶつけると予想外の答えが返ってきた。


「これ、中身は写真だけじゃなくて、コンパスも入ってるんです」

「丸描くあれ?」

「磁石のやつでしょ」

「ああ、あっちか」


 由仁は実際にペンダントを開いて二人に見せる。それはいわゆるアンティークコンパスと呼ばれる代物で、中心で揺れる針も高級時計の針のように洒落しゃれっ気の効いたデザイン。そして、ふたの裏面には日に焼けて彩度の下がった、少女とその父らしき男のツーショット写真が丸く切り抜かれて収められていた。


「住宅街の公園のベンチに置かれていたって昨日の夜に届いてたよ。高級品みたいだから落とし主も探しているだろうって」


 どうやら、探す場所自体は合っていたらしいが、奇しくもその届人の親切心が裏目に出た結果と言うべきだろう。


「確かに、俺が想像してたより骨董品こっとうひんって感じで高そうだな」

「お父さんにもらった大事なものなので、見つかって嬉しいです」

「……そっか、お父さん。いい人なんだな」


 まじまじと由仁の小さな手に握られたコンパスを眺める和道はやはり、どこか様子がおかしく、その言葉には長い付き合いの深夜も辛うじて気づくような妙な含みがあった。


「いえ、お父さんは悪い人、です」

「悪い人って、なんでさ?」


 由仁は少しねたような声で反論するので和道も思わず聞き返してしまう。


「悪い人は悪い人です。それに、約束を破った人です」

「その約束って?」

「海外旅行に連れて行ってくれる、と言う約束です。もう三年も待たされました。です」

「なるほど……約束を破るのはうん。悪いな」


――またか、和道が口ごもるなんて珍しい――


「で、君達。ちゃんとこれから学校に行くんだよね? 職業上、学生のサボりを見過ごすわけにはいかないんだが」


 そんな警察のやんわりとした忠告で今更になって三人は自分たちが登校前だということを思い出す。


「やっべぇ! 学校のこと忘れてた! 由仁ちゃんって、第一小の子?」

「え? あ、ハイ。そうです」

「神崎! 今何時?」

「八時二十五分だけど……」


 霧泉第一小学校ならこの交番から黒陽高校への経路の途中にある。そして、小学校も高校も遅刻のタイムリミットは八時三十分だ。


「いや、元から遅刻する気だったんでしょ? 数分くらいならもう諦めて……」

「いや、走ればギリギリ間に合う!」

「それ、マジで言ってる?」


 確かに全力で走り続ければギリギリ間に合う距離だろう、「できる」かどうかと「やりたい」かどうかは全く別問題だが。


「走れぇ!」

「は、ハイ! です」

「……あぁ……面倒くさいぃ……」


 だが、そんな深夜の心からの不満の声とは裏腹に、結局は諦めた様に由仁の手を引いて一足先に走り始めた和道の後を追いかけるのだった。



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