第二話 湯気立ち上がるひと時



「サイズが合うかはわかりませんけど、着替えはここに置いておきますね」

「突然押し掛けた身でお風呂までお借りして、申し訳ありません」

「真昼も一緒に入る? 紗々の体すごいよ! ……ホント何食べたらこうなるの? ツンツン」

「ひゃ! 突っつかないでください!」

「私は遠慮えんりょしときますねー」


 風呂場から聞こえるそんなかしましい女性三人の会話を聞き流しながら、ずぶ濡れだった制服から私服のジャージ姿に着替えた深夜は一人、リビングのソファに座り、バスタオルで濡れた髪の水気を拭き取っていた。


「なんでアイツらが風呂を使ってて、俺はバスタオルだけなのさ……」

「そりゃ、お客様の女の子の方が優先に決まってるじゃん。っていうか、兄さん、今まで風邪とか引いたことないし、それで十分でしょ?」

「そうだけどさ……」


 深夜のぼやきを聞いていたらしい両親不在の神崎家のもう一人の家主であり、深夜の溺愛できあいする妹、神崎真昼。インドア派で色白な深夜と違い、中学校でテニス部の部長として日夜運動に精を出している彼女は血色の良い健康的な肌色。しかし、同時に後ろで一つ結びにしている髪は兄と同じく母親ゆずりの色素の薄い特徴的な色であり、雪代もラウムも一目で二人が兄妹であると察したほどに二人はよく似た兄妹だった。


「でも、悪いね。俺の知り合いなのに真昼に色々と手伝わせて」

「服の用意とかは兄さんにさせるわけにもいかないし、気にしなくていいよ。まあ、流石に三人そろって濡れネズミ状態で帰ってきた時は、『なにやってんだコイツら』って思ったけど」

「それは……その、色々あって」


 と水を吸って重くなったバスタオルを折りたたみながら、リビングに入って来た妹から目線を逸らす。


「それにラウムさんは事故の後に何度か会ったことあったけどさ、なんかすごい美人の人まで新しく連れ込んできたのも驚き」


 ――そっちに関しては、まさか、雪代がネットカフェで生活してるとは思わなかったんだよ――


 確かに観光地でも無ければ、出張で来る理由もないであろう典型的なベッドタウンの霧泉市にはビジネスホテルのような宿泊施設が無い、というのは深夜も知っていたが、流石にこの街に来てからの一か月近くを駅前のネットカフェの個室で生活していたとは予想できず。とりあえず洗濯とシャワーくらいは神崎家に来てやっていけばどうかと誘ったのだった。


「雪代さん……だっけ? どういう関係なのかは聞かない方がいいんでしょ? ラウムさんの時みたいに」

「そうしてくれると嬉しい。真昼を危険な目には遭わせたくないし」


 今年の三月末に未曽有みぞうのトンネル崩落事故に巻き込まれた深夜は、家族を助けるためにラウムと契約を結んだ。その関係で真昼をはじめとした神崎家の面々は一応ラウムとの面識もある。しかし、同時に彼女の正体や二人が結んでいる『契約』についてはラウムと口裏を合わせて表面上は秘密として口をつぐんでいた。


「……はあ」

「ため息つくと幸せが逃げるって言うよ?」

「兄さんにだけはソレ言われたくない」


 真昼はそんな兄の態度に理解を示しつつも、それでも納得はしてはいないという意味を込めて、わざとらしく大きなため息をつくのだが、当の兄がその意図を全く理解していないので、ますます真昼は気持ちのぶつけどころを失ってしまうのだった。


「じゃあ、私は二階で勉強してるから。話が終わって、夕飯が出来たら呼んで」

「あぁ……うん。わかった」


 そう言ってリビングから出て行った真昼と入れ替わるように、少しだけオーバーサイズの深夜のTシャツを着た雪代と、こちらはぴったりサイズの真昼のパジャマを着たラウムが揃ってリビングに現れる。


「この家のお風呂おっきいねぇ。今度一緒に入ろーよ深夜!」

「なっ!? か、神崎さん、まさか! 不埒ふらちですよ」

「いや、そう言うの、無いから……」


 ラウムの妄言もうげんに触発された雪代があらぬ妄想をふくらませ、湯上りで上気した……だけではないであろう理由で色白な肌を赤らめ始める。深夜はその誤解を否定しつつ立ち上がってキッチンの方に向かい電気ケトルに水を貯める。


「雪代はコーヒーだよね?」

「ホットでお願いします」


 ――猫舌なのに……――


「私はココア! 砂糖入り!」


 ――ココアにわざわざ砂糖入れるのか……――


 それぞれの注文に対する突っ込みは心のうちに飲み込んで、しばらく使われてなかった両親用のマグカップを用意し、注文通りの飲み物を準備する。本格的な奴ではなく、お湯で溶かすだけのインスタントだが。


「じゃあ、さっさと話の続きをしようか。真昼を待たせてるんだ」


 そうして、ダイニングの四人掛けテーブルにコーヒーとココアとレモネード、三者三様の中身を伴ったマグカップを並べて、深夜は雪代の正面の席に腰掛ける。


「それで、改めて聞くけど、アイツ何者なの?」

「彼女は協会が追っている悪魔憑きの中でも、極めて危険度が高いとされている一級警戒対象の一人です」

「そこまでは、アイツを探す前に聞いた」

「なんか凄そうな肩書きだよねぇ……あ、お代わり!」


 ラウムはアツアツのココアを一気飲みし、マグカップを深夜に差し出す。


「二杯目は自分で入れろ……雪代は話を続けてていいよ」

「協会が彼女の存在を確認したのは三年前。既に何名もの悪魔憑き、悪魔祓いが彼女の手に掛かっています。戦闘経験とその能力に関して言えば、三木島大地よりも遥かに上でしょう」

「ああ、そうだ。三木島で思い出しけど、アイツ、三木島が契約してた悪魔と同じ異能を使ったんだけど、どういう事?」


『樹木を成長させる異能』

 あの女が逃亡する直前に生み出した大樹。それは半月前に深夜が雪代と密約を結ぶ契機となった事件の首謀者しゅぼうしゃである元担任教師、三木島大地の契約していた悪魔、アムドゥシアスの異能に違いなかった。


「それこそが協会が彼女に『蒐集家』という通り名を付けた所以なのですが……少し、話は変わってしまいますが、悪魔の召喚深度についての説明を覚えていますか?」

「えっと、『一度きり』、『魔道具作成』、『肉体に憑依』、『実体化』だっけ」

「アバウトですが、まあその通りですね。例を挙げるなら三木島はフェーズ3の『憑依』、神崎さんがフェーズ4の『実体化』」


 雪代はいつものようにマグカップを両手で持ちながら口を付けずに、流し場で電気ケトルに水を注いでいるラウムを一瞥いちべつする。

 段階が上がれば悪魔の能力は高くなる一方で全体から見た割合は激減し、第三段階で全悪魔の一割、第四段階にもなれば協会の今までの記録の中でも数件レベルに稀少だという。


「あいつは、どれなの? そのフェーズってヤツ」

「あの女が持ってたタクト。悪魔の匂いが薄かったから、多分、魔道具だよ?」


 ケトルの覗き穴を眺めながらラウムが会話に割り込んでくる。


「え? でも、三木島より強かったよアイツ」

「そうですね、単純な異能の質や性能で言えば三木島より下でしょう。ですが、フェーズ2にはフェーズ3に無い、厄介な要素があるんです」

「厄介な要素?」


 深夜は自分用のマグカップに入れたレモネードで唇を湿しめらせて、問い直す。


「はい。フェーズ2の悪魔、つまり魔道具はそれを作った時点で悪魔との契約が完了する。つまり、その道具は契約者にしか使えない、というわけではなく本来適性が無い人間や相性の悪い人間含めて誰でも使えるんですよ」

「ああ、なるほど理解した。だから、『蒐集家』ってわけだ」


 彼女が蒐集しゅうしゅうしているもの、それは悪魔の異能を宿した魔道具と言う事か。


「現在、協会が把握はあくしているだけで彼女が他の悪魔憑きから奪った魔道具は四つ。アムドゥシアスの異能を宿した種子も、おそらく三木島が召喚する以前に契約していた悪魔憑きから奪ったのでしょう」

「四つ……本人も悪魔と契約しているなら、五個も異能が使えるのか」


 先ほどの戦いで認識しただけでも『遠隔操作』と『植物の生長』そのどちらも人の常識を超えた厄介な力だが、そんな力を五つも使えるとなれば協会が警戒を強めるのも納得がいった。


「あー、だからかな。あの女からする匂い、どの悪魔の匂いなのか全然、分からなかったんだよねぇ」

「その匂いで探せそう?」

「匂いが混ざってて変な感じだった上に雨の中だったから薄まっててさっぱり……」

「今回も、ラウムは役に立たないか」

「ひどい! ショボーン」


 ラウムはココアパウダーとほぼ同量の砂糖を入れたマグカップに沸騰ふっとうしたてのお湯を注ぎ込むという邪道もいい所の作り方で淹れたココアと共に、いじけた様にリビングのソファに移動するのだった。


「悪魔祓いの雪代に見つかったわけだし、霧泉市から離れてくれないかな。そっちの方が俺は楽で助かるんだけど」

「断言はできませんが、その可能性は少ないでしょう。今の霧泉市ほど、次から次に悪魔憑きが生まれる街はそうありません」

「そんな、人の住んでる場所を良い狩場みたいに言わないでよ」


 だが、雪代の言っている理屈はもっともだ。何者かが魔導書をバラまいているとなればまだまだこの街では悪魔憑きは増えるだろう。そして、悪魔の異能を集めることが目的ならば、こんなに絶好の狩場は無い。


「それに神崎さん、というよりはラウムを狙ってくると言う事も考えられますからね」

「……面倒くさい話だな」


 深夜は改めて自身が厄介な状況に巻き込まれたことを自覚し、頬杖をついたままため息を漏らし、会話が途切れて一瞬場が静まり返った。

 その結果、ぐぎゅるるという腹の虫の音がダイニングからリビングまで見事に響き渡った。


「…………」

「…………」

「紗々、顔赤いよ」

「あなたは! 分かってて! 言っていますよね!」


 ――あーあ。せっかく黙ってたのに――


 なんというか、もう真剣な話し合いと言う空気ではなくなってしまった。それに、情報が少ない現状でこれ以上あれこれ予測しても仕方ないと思った深夜は席を立ち。


「ついでだし、雪代も飯食ってく? 味は……保証する」


 キッチンの戸棚に大量に買い込んであるレトルトカレーとパックご飯を取り出してそう言ってみた。




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