第一話 蒐集家



 六月七日、梅雨入り宣言前にも関わらず、その日は酷い雨だった。


『「――さかしまに沈め 星の天蓋!」』


 時刻は夕刻ながらも、雨のせいで人気の全くない住宅街の通りに、二つの声が重なり、深夜の左腕に絡みついていた黒い霧は彼の身の丈ほどある大剣に姿を変わる。


「はぁあ!」


 掛け声と共に真下から斬り上げられたその一太刀が、深夜に向かって飛来するポリ製のゴミ箱を上空高くに打ち上げた。


「あらあらあら、すごいのね。それが実体化した悪魔の武器……私も欲しいわ」


 深夜と対峙するのは二十代前半ほどの女性。ゆるりと結び目の大きな三つ編み、深夜の鋭い目つきとは対照的な余裕を帯びた垂れ目がちの目つき、そして何よりも、この豪雨の中では異質な、全く濡れていない裾広すそひろのエスニック調の服装。その女を一言で表すのならば『飄々ひょうひょうとした女』と言うのが最もふさわしいだろう。

 彼女の手に握られているのは三十センチほどの細く鋭い指揮棒タクトのみ、だというのに、その女が雨に濡れていないのは、彼女の頭上数メートルに五本の傘が円盤のように浮遊し、一人でに雨風をさえぎっているからに他ならない。


『あのタクトから悪魔の匂いがするよ! 多分、遠隔操作の異能!』

「なるほどね……」


【ラウムの忠告の直後、女がタクトを魔法の杖のように振るった。すると、その切っ先の動きに連動するように空中を浮遊していた幾本もの傘が一つを残して閉じられ、深夜にその先端を向けて飛来した】


――来るのは、三本!――


 深夜の左眼が映す十五秒先の未来。その予知を頼りに体を動かし、矢のような速さで飛ぶ傘をかわす。


「邪魔!」


 深夜は一つ、また一つと攻撃を避けつつ、その度にカウンターの要領で傘の横っ面を大剣で叩き、へし折っていく。そして、最後の一本を破壊した深夜はそのまま、水溜まりの張った地面をスニーカーで踏みしめ、体を引き絞りタクトを持つ女に向けて肉薄にくはくした。


「っち……! 外した」

「おっと、危ない」


 ラウムの魔力のサポートを受け、深夜の身体能力は大幅に強化されている、だが、それでもその大剣の一撃は避けられた。


「その剣は見た目ほど重くないのかしら、結構機敏きびんな動きね」


――こいつ……今まで戦ったどの悪魔憑きよりも、戦い慣れしてる――


「そうね……じゃあ、コレはどうかしら」


 女はおどるように深夜から距離を取り、ちょうど、路上駐車されていた一台の乗用車の隣に移動する。


『あいつ、何をする気だろ?』

「まっず……」


 大剣から聞こえるラウムの疑問、一方の深夜はその答えを先に左眼で視てしまった。

 女は指揮棒の先端で乗用車の側面を引っき、薄い傷を一本入れると、先ほどとは違うダイナミックな動きで車を操り深夜に向かって突進させる。


『うっそ、あのサイズも操れるの!?』


――面倒くさいけど、仕方ないか――


 深夜は腰を落とし、大剣を両手に持ち直してわきに深く構え、迫る車を正面から迎え撃つ。


「ラウム……やるよ」

『ん、おっけおっけ』


 その声と共に、頭上の雨雲よりもなお黒い雷雲が大剣を包みこむ。女が操る車との距離は三メートルを切り、もはや回避は間に合わない。故に深夜は自らの握る悪魔の剣にてその車に立ち向かう。


「ぶっ壊せ!」


 そのボンネットに打ち据えられた刀身、そこから流れるように車の全身に亀裂が走り、車は砕け散った。


「うそっ!」


 遂に女の顔から余裕の笑みが消える。もはや何がどの部品なのかも判別できないほどに、バラバラに破壊された鉄屑てつくずが辺りに飛散し、当の深夜本人は無傷というこの現状は女の予想を大きく上回ってきたのだろう。


「なるほど、それがその悪魔の異能ってことね」


 だが、その驚愕もあくまで一瞬の事、すぐにその目つきは深夜とその手に握られた剣を値踏みするようなものに変わり、薄くリップの塗られた唇をぺろりと舐めて口角を上げる。


「物を壊す力、って所かしら……ますます、欲しくなっちゃったじゃない」

『うげぇ……紗々から話は聞いてたけど、あの女、見境なさすぎじゃない?』

「だって、私『蒐集家コレクター』だもの、実体化した悪魔なんて最上級のレアもの。見過ごせるはずないじゃない? ねえ、坊や。その悪魔、私に頂戴ちょうだい?」


 と、子供が玩具おもちゃをねだるように両手を開いて深夜に突き出す姿は、その大人びた見た目からは酷くミスマッチであり、同時にある種の狂気を宿しているようにすら見えた。


「ヤダよ。あんたにあげても俺にメリット何も無いし」

「あらそう、じゃあ、くれたら私が坊やをいっぱい可愛がってあげるわよ?」

『なっ! 深夜を誘惑ゆうわくしようなんて、そんなこと私が許さないんだから! っていうか、私がどれだけアピールしても効果ないんだからね!』


――それは今関係ないでしょ――


 その突っ込みは口に出すと更にラウムがうるさくなりそうなので、心の内に留めておく。


「別にあんたにも興味ないから、交渉決裂けつれつ

「あら、残念……それじゃあ、いつも通り、奪っていくことにしましょうか」


 言葉の内容とは裏腹に、全く残念そうに聞こえない声色。そして、その女は深夜によって周囲に散らばった車だった鉄くずに次々とタクトでひっかき傷を作っていく。


――まただ……ってことは!――


 深夜の予測通り、地面に転がっていた金属片達が浮遊し、深夜の周囲を取り囲む。


「遠隔操作の条件はタクトで傷つけた物……か。だったら、まずはそのタクトをぶっ壊す!」


 周りを飛び交う金属片の間を抜けようと身を屈め、視線を悪魔憑きの女、その右手の指揮棒と詳細に狙いを定め、深夜は駆ける。


「ごめんなさいね、近接戦はあんまり好きじゃないの。この子達ともっと遊んであげて」


 女の言葉に合わせてタクトが踊り、鉄くずが舞う。あるものは早く、あるものは遅く、あるものは頭を狙い、あるものは足を狙う。そんな巧みな波状攻撃に晒された深夜はそれ以上その女には近づくことはできなかった。


――相手の手数の上限が分かる前に、車を砕いたのは失敗だったかな――


 深夜が防御に専念すればするほど、自由になった女は足元の鉄くずにマーキングをしてタクトの操作対象を増やしていく。


――あ、なるほど……じゃあ、うまく誤魔化すか――


『深夜、これ以上はちょっと、不味いんじゃないかな!?』

「分かってる、けど、もうちょい耐えて」


 気分は虫に群がられているような感じだ。一つ二つを叩き落としても深夜を取り囲む鉄屑は一向に減る気配がない。


『もうちょいってどれくらい?』

「あと……三秒」

『え?』


――二、一……――


 十五秒先の未来が視えていた深夜は、その声が聞こえるよりも先にその身を屈めた。


「神崎さん、伏せてください」


 深夜の背後から響く、雪代紗々の声と十発の銃声。恐ろしいまでに的確な精度の射撃によって、空中に浮遊する鉄屑達は次々と弾き飛ばされていき、深夜とタクトの悪魔憑きの間に道が開かれた。


『こういうことね! 紗々さしゃ、ナイスアシスト!』

「悪魔に褒められても嬉しくありません!」

「ラウム、魔力をこっちに回せ、ここで仕留める」


 大剣を通して注ぎ込まれる魔力、筋肉が悲鳴を上げるギリギリの濃度のそれを両足に循環じゅんかんさせ、まさに目にも止まらぬ速さの一足飛びで深夜は女に斬りかかる。だが。


【そんな深夜と女の間を遮るように、直径二メートルはある大樹がアスファルトの地面の上に現れた】


――この、異能は?!――


「あら、悪魔祓いが来ちゃあ、もうダメね。ここは引きましょう」


 女のポケットから放り投げられた種子が水溜りに触れた瞬間、その種子は一瞬にして芽吹き、大樹へと成長を遂げた。


「クソっ! ラウム!」


 深夜は急制動を掛けつつ、大剣を大樹の幹に突き立て、異能によってその大樹を破壊する。しかし、その大樹の奥にいたはずの悪魔憑きの女の姿は、もうそこには残っていなかった。


「っ……逃げられた……」


 深夜は周囲を見回し、先ほどまで宙を浮いていた鉄くずたちが全て地面に転がっていることを改めて確認すると、深いため息を漏らしながらラウムの武装化を解除した。


「やはり、一筋縄では行きませんね……」


 剣は糸状にほぐれ、濡羽色ぬればいろのボブヘアの少女の姿に戻り、それと同じタイミングで黒いロングコートに、黒いキャスケットと言う明らかに怪しい出で立ちに天然金髪の美少女、雪代紗々が白銀色の拳銃をコートの内側におさめながら、深夜の隣に歩み寄ってきた。


「『蒐集家』……あれが雪代の言っていた、ベテランの悪魔憑き、ってやつか」

「ええ、いつか、この街に来るのでは、と予想はしていましたが、まさかここまで早く遭遇することになるとは思っていませんでした」

「ちょ、ちょっと深夜! せめて物陰ものかげとか雨の当たらないところで武装化の解除してくれない?! いきなりびしょ濡れなんだけど!」

「面倒くさかったから……」

「その理由、酷くない?!」


 ラウムは雨水を大量に吸った文字通りの濡羽色の髪をペタリと顔に張り付かせながら抗議の声を上げるが、深夜の返事はいつも通りのぬかに釘、暖簾のれんに腕押しと言った具合。


「ですが、これ以上ここに留まっていても体を冷やすだけなのは事実です。今日の所は一度解散し、改めて彼女……蒐集家について話し合いましょう。風邪をひいてしまっては元も子もありません」

「紗々にさんせー、私シャワー浴びたい! ねえ、今日は深夜の家に泊ってもいいでしょ?」

「……まあ、いいけど……雪代はどうする?」

「え? 私ですか?」


 自分に話が振られるとは思っていなかったらしい雪代は、普段の肩肘かたひじ張った声色ではなく、深夜とそう変わらなさそうな年相応の雰囲気で返事をしてしまった。


「いや、前から気になってたんだけどさ。雪代ってどこで寝泊まりしているの?」


 その雰囲気のおかげか、深夜は彼女に出会ってから今までずっと聞くタイミングを逃していた質問をようやくぶつけることができた。


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