一途な星光 (八章読了推奨)

 ※この短編は本編八章より先の時間軸のため、八章に関連したネタバレが含まれています。


 ***


「晴成は、俺を抱きたいと思うことなどありますか?」


 暑すぎない、のどかな夏の好天。生い茂る草が葉を伸ばすひなびた道にて。志乃は世間話の続きに、普通ならはばかられる言葉を投げた。弦月げんげつの手綱を引きながら隣を歩いていた晴成も、慣れたことではあれど硬直せずにはいられない言葉を。


「……おれが相手だからというのもあるだろうが、その手の話題はなるべく隠した方が良いぞ」

「失礼しました。ですが、俺としてはあまり気にならないというか……花街で暮らしていましたから、その手の話は聞き慣れているのですよぉ。ちょうど二人きりですし」

「心躍る言葉のはずなのに、むしろ脱力してしまうなぁ」


 晴成が落ち込んだと悟ってか、前だけ見ていた弦月が視線を寄越す。今度は志乃が、克服中とはいえ動物が苦手なため固くなった。ほんの微動でしか分からない硬直だったが、見逃す晴成ではない。


「おお、分かってくれるか友よ。志乃にがっかりさせられたのだ」

「誤解です!」


 途端に悪戯めいた笑顔を浮かべ、次には大袈裟な挙動で愛馬に寄りかかる。それが猿芝居だったからか、即座に飛んできた志乃の声が必死だったからか、弦月は「なぁんだ」とでも言いたげな顔で首を戻した。

 気安いやり取りを交わしながら、二人と一頭が目指しているのは小川である。小高い丘と見分けがつかない低山のふもと、さほど深くない森に流れる浅い川。前回、晴成が弦月との散歩で見つけた川で、既に仲間内でも共有されている。

 途中から晴成と弦月が歩いて作った道を進み、間もなく川辺に出た。手綱を外された弦月が自ら水を飲み始めるのを横目に、少年少女は野草の絨毯に腰を下ろす。せせらぎや葉擦れの音が流れ行く空間の中、「先程の話だが」と晴成が口を開いた。


「抱きたいかと問われれば、それはもちろん。お前に困難な事情が無ければ、かんざしや紅や着物、柘植つげくしまでとっくに贈っている」

「豪勢ですねぇ。あ、意味は把握しておりますよ。その上で豪勢と申しております。俺がいただくには勿体無いほどに」


 本当に知っているのか疑わしくなる暢気な声と、いつも通りの話し方で応じる志乃。けれど、表情は少し暗いように見えた。さして親しくない人間なら、頭上を遮る枝の影と見間違えるかもしれないが、すぐ隣の晴成は容易く見破っている。


「恋情は理解がまるで進まないうちの一つですし、仮に理解できたとしても、妖雛に体を重ねる快楽は感じられませんから。貴方は気持ちを受け取ってくれるだけで良いと仰られましたが、やはりその……不釣り合いと言いますか」


 沈黙することなく、志乃は探り探りといった体で言葉を紡ぎ出す。つられて、常に浮かんでいる笑みが薄くなっていく。頭が少しずつ傾いて、うつむいていく。

 範囲はささやかながら、色はしっかりと濃い木陰に溶けていきそうな少女に、晴成はゆっくり手を伸ばした。手綱を引いていたのとは逆の手――いつか志乃に奪われ、作り物に変わった手が、垂れ幕と化した横髪をすくい取る。


「舞って美し華やかな蝶、つれぬ惜しさも愛おしい」


 さらりとして艶やかな黒髪には、ぎりぎり触れないまで唇を近づけて。間近に見える耳には、低く即興の歌をささやく。空虚が潜む横顔には、ほんの一瞬だけ、熱を上乗せした凝視を送った。

 体に触れるのも容易いほど近づいても、志乃は片目で不思議そうに見るだけ。晴成はそれ以上触れることなく、けれど距離はそのまま「歌はあまり上手くないが」と爽やかに笑った。


「恋というのは惚れた方が負けるし損をする。惚れられた方は顧みずとも構わん。振り向かされるまで待っていればいい」


 きょとんとした顔で見つめ返す、未だ人の心に理解が及ばぬ半人半妖に向けて。星のごとき若人はただ、己が想いを告げる。恥など微塵も感じず、堂々と。


「自由に生きるお前を好ましく、愛おしく思うし、己の元に閉じ込めようなどと考えたくはない。だが、外堀を埋めて囲いはするのでな。恋い焦がれる想いの一欠片でも理解したその時は、容赦しないものと心得よ」


 分からないものを、無理に分からせる必要はない。ただ、既に敗北した側が足掻くのみ。果たし状を叩きつけるかのように、藍色の好青年は不敵に笑い、双眸そうぼうに宿る光をいっそう強く輝かせた。


「……話題を作っておいてなのですが、どう返答すれば良いのか、分からないですねぇ」

「そういう所も好きだ」


 ついさっきの獰猛すら感じさせる雰囲気はどこへやら。晴成は爽風よろしく即答する。


「何なら常時、断ってくれても結構。己は諦めが悪い故、むしろ燃える」

「うーん、断るのも何だか違うと言うか、ええと」


 今度は俯くことなく、志乃は言葉を探し繋げる。肩が触れるほどの近さを未だ譲らない晴成は、何を言われるのか興味半分、思案する顔もまた愛らしいと思う半分、落ち着いた優しい眼差しで見守っていた。


「夜蝶街にいた時は、その手の誘いには即座に断りを入れるよう教わりましたし、何度か断ったこともあります。理解できないものには応えられませんし、断っても何ら感じるものはありませんでした」


 咄嗟に出かけた「誰だ誘った奴は」という言葉も、早急に喉奥へ処理して、無言の頷きで応じながら。


「ですが、他者の気持ちを推し量れないという欠陥の大きさは、少しは理解できたと思います。それが相手どころか、自分にも返ってきて害となることも。だから、なのでしょうか。俺に悪い感情どころか、身に余る温情をくださる晴成を、無碍むげに扱いたくないと思っているのかもしれないです」


 もちろん相手の葛藤など知らず、えへへと笑う志乃に反して、晴成は目を見開いた。直後、ゆっくり両手で顔を覆ったかと思うと、大きなため息と共に項垂れる。


「あれ!? 何か間違えましたか!? さすがにこの辺りで間違ったことを言うのは、頬に紅葉を作られるくらいの無礼だとは何となく理解してますよ。たまにそうなる山内の兄貴を指して、中谷の兄貴が教えてくださいましたから……」

「いや、何も間違っていない。間違いどころか大当たりだ。どれほど大当たりなのか分かっていないのが、愛おしいを通り越して憎らしくなってくるくらいに」


 あわあわと早口で、おそらく要らないことまで口走っている志乃に、晴成もまた早めな口調で答えた。

 恋情を理解できないどころか、そちら方面への危機感すら薄く緩い相手に無体を働くなど、絶対にしないと鉄の戒めを下している晴成だが。この時ばかりはさすがに苛立ち、内心で色々と自棄気味に叫んでいた。仮に口外したとしても、「お好きにどうぞ」だの何だのと笑って返してくるのが想像に難くないのも、また苛立ちに拍車をかける。

 しかしそこは精神を鍛えられた星永本家の男、深呼吸一つで立て直してみせる。距離の近さを全く疑問に思わず、困り顔で覗き込んでくる志乃に、悪戯っぽく微笑みかけた。


「何も間違ったことはしていない、が。己がこうなった原因は考えて欲しいものだな」

「……、俺に惚れてくださっているから、ですか?」

「合ってらんだども、ごしっぱらげる」

「ごし……?」

「すまぬ、つい訛った。腹が立ってしまってな」

「何でですかぁ!?」


 こてん、と首を傾げる素振りにまたも苛立ったが、お手上げとばかりの表情と情けない声で全て許してしまう。自分で言った通り敗北を喫するのも、振り回され掻き乱されるのも、惚れた側の定めと自嘲して。


「茉白の手を借りてもいいから、帰ってもちゃんと考えてくれ。どうして己がため息をついたり、腹を立てたりしたのか」

「うぎゅぅ……分かりました、考えます」


 とはいえ、負けてばかりは嫌だから、きっちり仕返しもするが。

 好きな相手が自分のことで頭を悩ませる、その姿を間近で眺められる。束の間の至福に満たされて、晴成はくすりと笑った。将来、手の届かない先へ飛び去ってしまうとしても、今この時、蝶は自分の元に留まっている。


 舞って美し華やかな蝶、つれぬ惜しさも愛おしい。


 本当は時おり考えていた歌を、胸中で繰り返して。藍色の星はつれないまま、美しさを増す夏の蝶を見守っている。

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友士灯―ともしび― 資料集・番外編 葉霜雁景 @skhb-3725

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