ウィズバイラス・インジュピター

加藤ゆたか

ウィズバイラス・インジュピター

 木星というのは地球からはおよそ七億キロメートル、木星間ロケットで行くと一年半かかる惑星である。

 木星に移住しようと考える人間は地球にはなかなかいない。今の時代、光を超えた超光速通信規格ミリオンジーの仮想技術のおかげでどこに住んでいようが家の中にいてどこにでも行けるし、在宅用仮想オフィスもラグ無しで隣のデスクで仕事をするのと変わらない。どこで生活しようが関係無い。

 ではなぜ僕——星野シンイチは木星に移住しようとしているのか?

 きっかけは就職したシステム設計会社の社長がひどい木星びいきだということ。そのため取引企業は木星の会社がほとんどで木星に支社も作った。僕は事業拡大のためプロジェクトのリーダーとして地球から支社に転属となったのだ。

 もちろん木星支社転属を断るという選択肢もあった。実際に、最初から僕に白羽の矢が立っていたわけではないらしい。断られて断られて、僕は三人目として声をかけられた。僕が木星支社転属を了承した時、社長は逆に

「なんでオーケーしたの?」

と聞いたくらいだった。

 僕が木星支社転属を了承した理由、それは、地球での生活に嫌気がさしていたのかもしれない。地球では『外に出る理由』が無ければほとんど外出することはない。僕も毎日ウォーキングの時間を作って『外に出る理由』を用意していた。僕は家族とも一緒に住んでいないし、地球だろうが木星だろうが生活するならばどこでも変わらない。それなら木星でもいい。僕はいずれは地球に帰ってくる前提で今回の話を受けた。期間限定の非日常に自分の身を置くことのちょっとした好奇心、気分転換くらいの気持ちでいたのだ。



「星野君が木星に到着するのは明日だったかね。」

「ええ、明日到着します。直接お会いできることを楽しみにしております。」

「こちらこそ。明日は支社から迎えを行かせるからね。空港で待っていてくれたまえ。」

「はい。よろしくお願いします。」

 今話していたのは木星支社のハリー支社長だ。木星間ロケットでの長い航行中でも通常通りに業務は進む。なにせどこに居ても仮想オフィスに出社可能だからだ。

 それでもいよいよ明日は木星に到着し、そして木星支社への初出社になる。木星支社では仮想オフィスを使わず物理オフィスを構えていて、木星ではそれが一般的らしい。

「直接人と会うなんてもう五年ぶりくらいかもしれないなあ。」

 僕はロボットが客室に運んでくれた夕食を食べながら考えていた。窓の外は深く暗い宇宙だ。まだ木星は月ほどの大きさにしか見えない。



 翌日無事にロケットは木星に着き、木星の宇宙空港でロケットを降りて入星手続きを終えた。地球の日本から木星の日本への移動なので入国手続きは必要ない。

 大きく息を吸い込んだ。これが木星の空気か。地球と変わらないように大気成分を調整されているはずだがなぜか新鮮な感じがする。

 あまり人のいない空港ロビーを出ると一台の車が止まっていてその前に若い女性が立っていた。女性は僕の会社の社名を書いた紙を持っていた。

「星野さんですか!?」

「あ、はい。お迎えの?」

「そうです! これから車で直接オフィスに向かいますけどよろしいですか!?」

「大丈夫です。ありがとうございます。」

「ではこちらへ!」

 女性が手をかざすと車の後部座席のドアが開く。迎えに来てくれた女性は笑顔でハキハキと元気よく喋り好印象だった。というか全体的に健康的な雰囲気を纏っていてとても可愛い。可愛いが……、顔の色が緑色だった。

「あの、失礼ですが、支社の……?」

「私ですか!? 申し遅れました、私、シタラです! シタラレイです!」

「あ、あーシタラさん? あのシタラさんですか。」

 シタラさんはプロジェクトの中心的なメンバーでよく資料の中に名前が出てくる。仮想オフィスではお目にかかることはなかったが……。

「そうです。やっとお会いできましたね!」

「お会いできて光栄です。いつもお世話になっていたのに全然ご挨拶できなくて。」

「いえいえ、そんな私なんてまだまだですよ!」

 自動運転車は何もない専用道路を走る。隣に座っているシタラさんは僕に車から見える外の風景について教えてくれた。時折現れる建物に掲げられた旗の意味、通過した大きな川の名前、空に見える四つの月。支社までは一時間くらいかかるらしい。



「ハクション!」

「ん? 星野さん、大丈夫ですか?」

 僕は急に鼻の奥がムズムズしてクシャミをしてしまった。

「いや、なんだろう? 鼻炎かな?」

 とは言ったものの、クシャミなんて本当に久しぶりだ。子供の頃以来だろうか。それも風呂から出てずっと体を拭かずにいたので湯冷めしたのが原因だ。

 クシャミというと、近世に書かれた本や映画では『風邪』という病気を表す動作として描かれる。前時代には『風邪』という病気がこの世に存在した。『風邪』はウイルスに感染することで発症する病気のひとつだった。しかし、人間がウイルスに打ち勝ってから百年、『風邪』という病気は根絶された。今の地球の生き物は体にウイルスに打ち勝てる強い免疫を持った状態で生まれてくるようになっている。だからそもそもウイルス自体がこの世界からほとんど姿を消してしまったのだ。

「……風邪じゃないですか?」

「え? 風邪?」

 だから、シタラさんの口からその『風邪』という言葉が出たのを聞いた時、僕は奇妙な感覚になった。

「シタラさん、昔の映画とか好きなんですか?」

「どうしたんですか、急に? 昔の映画っていうと……『ゴジラ』好きでしたねえ。」

「ゴジラですか!? シタラさん、意外なの見ますね!?」

「うち、弟いるんで。ゴジラ、モスラ、ガメラ、コンプリートです! ウルトラマンも子供の時見たし、仮面ライダーも平成ライダーはこの間全部見ました!」

「本当ですか! それはすごいな!」

 そうして映画の話で時間も忘れて盛り上がっているうちに僕らは支社に到着した。



 木星支社は、オフィスビルが建ち並ぶ木星日本のオフィス都市の一画にあった。

「ようこそ、木星へ。そして木星支社へ。」

 招かれてオフィスに足を踏み入れると、ハリー支社長が迎え入れてくれて、主任のアーロンさんを紹介してくれた。アーロンさんはサングラスをした中年男性で頼りになりそうな雰囲気だ。僕はアーロンさんの後について歩く。木星支社はビルのワンフロアを借りていて他のチームも含めてデスクを持っているのは二十人だということだった。

 仮想ではなく物理的な広い空間にいくつかのデスクが固まって配置され、それぞれは背の低いパーティションで区切られている。これは『島』というオフィスレイアウトだと思う。映画や歴史的映像の中でしか見たことがないような風景だ。本当にここに集まって仕事してるんだな。僕は物珍しくてキョロキョロとしてしまった。

「星野君のデスクはここになるよ。」

 アーロンさんにデスクに案内された後、僕は同じ『島』のプロジェクトのメンバーに紹介された。一年以上もロケットの中で同じプロジェクトの仕事をしてきた仲間だ。こうやって顔を合わすのは初めてだけど。というのは、シタラさんもそうだったが、木星支社の人たちはあまり仮想オフィスには出てこないからだ。プロジェクトのメンバーで仮想オフィスで一緒に仕事をする機会が多かったのは先輩アーキテクトのラチェットさんだ。……実際に会ってみると、この人は背中にロボットアームが付いていた。初めて顔を合わす新人エンジニアのマリアさんは、見間違いではない、頭に猫の耳がついている。隣の席に座ったシタラさんがペコリとお辞儀をしてくれた。噂には聞いていたが木星の人たちは個性的だ。シタラさんの顔が緑色だったのもここでは普通のことなのだ。

「今日は簡単に端末のログイン手続きだけやって、その後は星野君の歓迎会やるからな。」

 アーロンさんが端末の認証をしてくれて僕はセットアップ作業に入った。

「星野さんは木星料理食べたことあります?」

 シタラさんが僕に今日の歓迎会のお店の紹介サイトを見せてくれる。そこには色とりどりの美味しそうに盛り付けられた料理の写真が掲載されていた。

「いや、食べたことないです。」

「地球の人は好き嫌いが分かれるんですけどね。気に入ってくれるといいなあ。」

「はい。楽しみにしてます。」

 実際に木星料理は僕が木星に来る時の楽しみのひとつだった。地球では手に入らない食材が多いので木星以外ではなかなか食べる機会がない。

 その日の業務は定時前に終了してフロアの全員で僕の歓迎会のお店に移動した。

「かんぱーい!」

 テーブルの上にどんどん料理が運ばれてきて、僕は周りの人たちが食べている様子を見て見よう見まねで初めて見る木星料理を食べ始める。

「ああ、これは美味しいです。うん、これは好きな味ですよ。」

「気に入りました? こっちのは木星名物で、木星ではこのタレに付けて食べます。」

「あ、これはちょっと舌が痺れる感じがするけど美味しいです。」

「こっちのお酒も、木星の水で作ったお酒で珍しいですよ。」

 隣にシタラさんが座ってくれて料理の説明をしてくれる。木星の人たちはこうやって会食をして料理を囲んで盛り上がるのが好きらしい。地球では会食というともっと厳かな雰囲気がある。一般人の会食は冠婚葬祭などの行事の時がほとんどだ。普通は家族以外と同じ空間で食事はしない。だから、木星のこの雰囲気は何か家族に迎え入れられたような気がして、お酒のせいもあってか僕の緊張はすっかりほどけていた。



「ハクション!」

 料理も食べ尽くして、会も終わりかという頃、僕はまたクシャミをしてしまった。

「……星野さん、大丈夫ですか?」

「いや、どうしちゃったのかな……。」

 僕は鼻を擦る。一日のうちに二度もクシャミをしてしまうなんて本当にどうしたんだろうか。

「おや、星野君、さっそく風邪かな? それなら、今日は二次会は無しにして早く帰った方がいいな。」

 アーロンさんが声をかけてくれた。

「今空港のあたりだとあれかな?」

「どうでしょう? 最近見ないから。」

 ラチェットさんとマリアさんも心配してくれているようだ。

「まあ、明日だな。」

「明日ですね。」

 アーロンさんが自動運転車のタクシーを呼んでくれて僕は帰宅することになった。

「今日はどうもありがとうございました。」

「おう、じゃあ星野君、また明日な。今日はゆっくり休みな。」

 チームのみんなが見送りをしてくれる。

「星野さん、無理しないでくださいね。おやすみなさい。」

「はい、シタラさんも今日はありがとうございました。おやすみなさい。」

 シタラさん本当に可愛いな。木星に来てよかったと僕は思った。



 僕は会社が用意してくれた社宅に着くとすぐに横になった。少し食べ過ぎたかな。お腹が苦しい。僕は横になるとそのまま寝てしまった。



 翌朝、というかまだ日が昇っていないから深夜のうちに僕は目を覚ました。時計は木星日本時間で三時だ。僕は重い頭を抱えて洗面所に向かう。何か違和感がある。

「な、なんだこれは!?」

 鏡に写った僕の顔は鳥のようなクチバシがあって、頭には赤いトサカが生えていた。頬に生えているのはヒゲじゃない羽毛だ。鳥のようなじゃない、完全に鳥である。

「ど、どうしてこれは、なんで!?」

 僕は慌てて端末で検索をする。顔がニワトリになる病気……。病気? 病院に行くべきなのか? 医療AIに体調チェックを依頼するが、医療AIは解析不能で異常無しの診断をくだした。異常なしのわけないだろう!? 地球の医療AIだから木星では役に立たないのか? それなら大問題だ!

 何もわからないまま時間が過ぎて窓の外はすっかり日が昇り、そろそろ出社の時間が近づく……。このままではまずい。まずは会社に連絡しなければ。

「あ、あの、実は今日、信じられないことが起こりまして、出社じゃなくて出来れば今日は仮想オフィスで仕事したいのですが……。」

 通信に応答したのはアーロンさんだった。

「おはよう星野君。信じられないことって何かな? まさか、顔がニワトリになってしまったとか?」

「え? ど、どうして知ってるんですか?」

「やっぱりそれか。まあ、大丈夫だから出社しておいで。一週間くらいで治るから。」



 僕が恐る恐るニワトリの顔のままでオフィスに出社すると、僕の顔を見てラチェットさんとマリアさんが

「ほら、やっぱりあれだよ。」

「いやー、空港はまだあれでしたかー。」

と話していた。

「あの、これ、皆さん知ってるんですか?」

「ああ、去年流行ったやつなんだよ、それ。」

「流行る?」

「そう、去年流行ったニワトリ顔面ウイルス。」

「はあ?」

「木星ではそういう無害なウイルスがよく作られるんだよ。」

「いや、無害って……、無害ではないでしょう!?」

 みんなが昨日言っていたのはこれだったのか。みんなは空港でニワトリ顔面ウイルスに感染する可能性があることを知っていたのだ。

 デスクに座るとシタラさんが僕を見て笑う。

「ふふ、元気そうでよかったです。そこまでキレイにニワトリになれる人珍しいですよ!」

 それから一週間、僕はニワトリとして過ごした。僕の顔がニワトリでも木星の人は誰も気にしないのだから凄い。



 言われたとおり一週間後に僕の顔はニワトリから元に戻り、プロジェクトは順調に動き出していた。

「ハクション!」

 ……ところが、ミーティング中に僕はまたクシャミをしてしまった。

「お、星野君、今度はなんだ?」

 アーロンさんがニヤニヤと僕を見て言う。

「わからないですよ。でも、もしかして、このクシャミも木星のウイルスですか?」

「可能性が高い。」

「そんなまさか!?」

 悪夢だ……。やっとニワトリが治ったばかりなのに。

 ふと、ラチェットさんが何かの小瓶を持ってこちらに見えるように振っている様子が目についた。

「これ、俺のお手製ウイルス。今朝、星野君に付けた。」

 最初は何を言われたのかわからなかったが、少し遅れてやっと状況を理解した。

「な、なんてことしてくれるんですか!?」

「いやいや、ただ陽気になるだけだから。一週間で治るし。」

「一週間って、結構長いですよ!?」

「まあまあ。みんな自分の自慢のウイルスを流行らせたいんだよ。ウイルスは感染させてなんぼなところあるからさ……。」

 それから僕は一週間、箸が転げても笑ってしまうようになる。笑いすぎて顔の筋肉が痛くなった。



「はあ、酷い目にあいました。」

「一週間、お疲れ様でした。」

 僕はこの頃、シタラさんとお昼を一緒にすることが多くなっていた。

「いや、本当に驚くことばかりですよ。」

「木星の人たち、ちょっと遠慮がないから……。」

 木星支社のオフィスには食事スペースがあって僕はシタラさんが教えてくれたロボット宅配サービスのお弁当を食べている。日替わり弁当がいつも美味しい。

「……木星、嫌になっちゃいました?」

「いや、嫌にはなってないですけど……って、ハクション!」

「あ、またクシャミですか?」

「これってまさか……。」



「あ、今度は私のウイルスです。」

 マリアさんが何でもないという顔をして僕らと同じテーブルに座る。マリアさんは家から自作のお弁当を持ってきているらしい。

「マリアさん……。今度はいったい、どんなウイルスなんですか?」

「いや、たいしたことないです。歩くときに動作が阿波踊りになるだけです。」

「それは……、たいしたことありますよね!? ウイルスってそんな、歩き方も変えられるんだ、知らなかったな!」

「へへへ。作るの大変でした。」

 マリアさんは褒められて照れるとでもいうのように笑って答えた。



 それから僕は毎週誰かが作ったウイルスに感染し続けた。地球から来て木星ウイルスに抗体を持たない面白い人間がいると広まったのだ。みんな自分の特性ウイルスを誰かに感染させたくてウズウズしていたらしい。

「大丈夫ですか? 星野さん。」

「シタラさん。いや大丈夫です。一週間で治るし仕事には影響ないので。」

 その日、僕は仕事の帰りにシタラさんに食事に誘われていた。僕を心配してくれてのことだろうと思った。ちなみに僕が今感染しているのは耳が兎のように長くなるウイルスだ。

「仕事に影響……、無いかどうかはわからないですけど、もしも星野さんが辛いなら、実は方法がひとつだけあるんです……。」

「方法? なんですか!?」

 僕はシタラさんの思いがけない話に飛びついた。

「木星混合ワクチンの接種です。それでもう既知の木星ウイルスには感染しなくなります。」

「木星混合ワクチン、そんなものがあったなんて……。なんで誰も教えてくれないんですか?」

「まあ、木星ウイルスに感染するのとワクチンを打つのとでは、木星の人たちは感染する方がいいと思っているからだと思っています。」

「それはなぜです?」

「ワクチンを打つと……副反応で顔が緑色になります。」

「……顔が緑色? あ、シタラさんもしかして?」

「はい、私も元々は地球の出身なんです。この木星に両親の都合で引っ越して来た時によく知らなくて、ワクチンを接種して家族みんな顔が緑色になりました。」

「そうだったんですか。」

 シタラさんのこの顔の色は生まれつきではなかったのか。僕と目があってシタラさんは目を逸らした。シタラさんの緑色の頬が赤くなっている。しまった。シタラさんの顔をジロジロと見過ぎてしまった。でもそれならば……。

「わかりました。僕もワクチンを打ちます。」

「いいんですか? ワクチンを打ったら私みたいに変な緑色の顔になっちゃうんですよ!?」

「シタラさんは変じゃないです。可愛いです。それになんだか僕も緑色の顔になりたくなったんです。」

「星野さん……。」

 僕は決めた。ワクチンを打つと。



 僕がワクチンを打ってから数ヶ月後、プロジェクトはついに完成を向かえた。

「よっし、製造AIの承認下りたぞ! 納品完了だ!」

 アーロンさんがチームのみんなに製造AIの審査結果を持ってきた。それは嬉しい報告だった。僕は思わず立ち上がってチームのみんなにお礼を言った。

「みなさん、今までお疲れ様でした。」

 このプロジェクトは二年以上にも及んだ。それもこれで完成となると感慨深い。

「何言ってるんですか。リーダーの星野さんがいたからここまで来れたんですよ。」

「いやあ、しかし星野君ワクチン打っちゃうんだもんなー。途中から生産性爆上がりだったな!」

 ラチェットさんとマリアさんが拍手をしてくれた。もちろんシタラさんも笑顔で拍手をしてくれる。

「次のプロジェクトの案件の話は連休明けだな。俺、店に打ち上げの予約入れてくるわ。」

 アーロンさんが慌ただしくオフィスを出ていった。

「いやあ、緊急事態宣言前に終わってよかったですね。」

「緊急事態宣言?」

「あれ、星野君知らないの? 木星のお祭りだよ。毎年この時期に新しい木星ウイルスが流行するんだ。」

 ラチェットさんはんーっと伸びをして言った。もう心は休暇になっているようだ。

「ええ? ワクチンは……?」

「ワクチンはまだ無い。だからみんな家に籠もる。ステイホームって言うんだ。もちろん仕事は休みだよ。」

 僕は力が抜けた。木星、ウイルスと共に生きすぎも程があるだろ!?

「まあ、その前に打ち上げだ! 飲むぞー!」



 緊急事態宣言の日、僕は暗いガランとしたオフィスで木星のテレビのニュースを見ていた。みんな早めに休暇を取っていたので出社している人は少ない。

「ハッピー! パンデミッーク!」

 木星の空に花火が上がる。花火はオフィスの窓からも見ることができた。年に一度の木星のお祭りだ。それは壮大で静かな二週間の始まりの合図なのだ。

「緊急事態宣言の開始されましたね。これから二週間、みんな家に籠もって生活します。今年の流行の木星ウイルスは目から光が出るらしいです。」

「シタラさん。」

 浴衣を着て、花火の光に照らされたシタラさんはとても美しく見えた。

「あの、星野さんはどうしますか? 何も準備してないですよね? 私、家に二週間の蓄えがあって、……二人分なんですけど。あ、あの! 私の勝手な勘違いだったら忘れてください!」

「いや、お言葉に甘えさせてもらえるなら、ぜひ。」

「令和仮面ライダー全四十作品のビデオも用意していますから!」

「それはいいですね。」

 ドキドキするような木星の長い休みは始まったばかりだ。

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