さよなら風たちの日々 第7章ー3 (連載20)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

さよなら風たちの日々 第7章-3 (連載20)


              【5】


「びっくりしたよ。突然だったから」

「どうしたの。何かあったの」

 そんなぼくの言葉に答えようとはせず、ヒロミは静かに首を振り続けるばかりだった。そうしてときどき、無理に笑顔を見せようとするのだった。

「去年の十一月だったっけ。そのとき上野公園を歩いたっきりだったもんな」

 ヒロミは固い表情のまま小さくうなずき、ぼくの顔に目を泳がせる。

「あれからおれも、少しはヒロミのこと考えていたんだぜ」

 頭をかきながらぼくが言うと、ヒロミの目がかすかに動いた。それはぼくの言葉の、真意を探ろうとでもするかのようだった。

「だから、こうして会えたの。嬉しいよ」

 そう言ってぼくが笑顔を見せると、ヒロミはようやく安心したかのように微笑むのだった。

 そうなのだ。いつでもヒロミはそうなのだ。いつもヒロミは何か思い詰めたような顔をしていて、ぼくが声をかけてやると、ようやく静かに笑ったり、言葉を返したりするのだ。

 少し沈黙があった。遠くで子供たちの遊ぶ声が聞こえ、それがやむと部屋にまた静寂が訪れる。

「そうだ。卒業式のとき、いなかったよね。どうしてたの」

 ぼくが思い出したように言うとヒロミは小さく息を吞み、意外そうな表情をみせた。そしてひとり言を言うように、

「遠くから、見てました。そばに行くと、泣き出しそうで」

「だからわたし、歯をくいしばって、遠くから先輩たちを、見てたんです」。

 ぼくは天井を仰ぎながら、卒業式のことを思った。

 東京都教育委員会からの祝辞。PTA会長からの挨拶。校長先生からの訓示。在校生からのメッセージ。

 そのあと、仰げば尊しと、蛍の光の合唱。卒業証の授与。

 それが終わってぼくたちが体育館から出ると、在校生たちが通路の両サイドに並んで、一斉に拍手した。今までありがとうございました。これからも新天地で頑張ってください。あとはぼくたちが、この学校を守ります。

 そんな在校生たちの思いの中を、ぼくたちは、ひとりひとり歩いていく。

 笑っている顔。泣きだしそうな顔。照れくさそうな顔。今日で最後なんだと、感慨深げな顔。

 けれどもその中に、ヒロミの姿はなかった。ぼくは注意深くその在校生の中からヒロミを捜したのだけれど、ぼくはついぞヒロミの姿を見つけることはできなかったのだ。

 今日で最後なんだから。これでもう会えないんだから。

 ぼくたちは上野公園で、ああいう形で別れたのだけれど、せめて最後のさよならは、直接言葉で伝えたかった。

 それがあの日のぼくの、切なる気持ちだったのだ。


               【6】


 しばらく黙り込んだあと、ヒロミは記憶の糸をたぐり寄せるかのように、ここに来た訳を話し始めた。

「上野で付き合えないって言われたあと、わたしも先輩殿のこと、忘れようと思いました。どうせ片思いなんだから、諦めようと思いました。だから放課後、屋上から校庭を見ていることもやめたし、帰りの電車だって」

「待ち伏せしてたんだろう」

 ぼくが笑いながら言うとヒロミは少し驚いてから赤面し、恥ずかしそうに笑った。

「知ってたんですか」

 ぼくはそのことを思い出して破顔。ヒロミは照れくさそうな表情を浮かべて髪をかき上げた。それからややあって、ヒロミは言葉を続ける。

「会いたくて、会いたくて、どうしようもなかったんです。ずうっと我慢してたんですけど、やっぱりダメで、会いたくて」

「ときどき、ここに来ていいですか」

 そこまでをたどたどしく話すヒロミにぼくは、ダメじゃないかとは言えなかった。

「おれ、構わないよ」

 そう言葉にしてから、ぼくにある考えが浮かんだ。

「そうだ。毎週土曜日の午後、遊びに来いよ。そうすればおれも、いい気分転換になるからさ」

 するとヒロミは急に明るい顔になった。

 そうしてヒロミは両手を口元まで持っていき、小さく拍手の真似をしながら言う。

「嬉しいです。ほんとうに嬉しいです。ありがとうございます」

 それからヒロミは、再び話を続けた。

「朝、花屋さんの前で偶然黄色いバラを見つけて衝動買いしたんです」

 ヒロミは牛乳瓶に生けたバラを、愛おしそうに眺めながら言う。

「そうしたら急に会いたくなっちゃって、学校なんかもうどうでもよくなってきちゃって、途中で電車を降りて、先輩殿の家を捜したんです」

「家はすぐ分かりました。でも断わられたらどうしようって考えたら、チャイムを鳴らす勇気がなくて」

「それで、何度も何度も家の前を行ったり来たりして、そのたび心臓がドキドキしちゃって」

「近くの公園で、ぼんやりしてたりして」

「お昼食べるのも忘れて。でも勇気を出してチャイムを鳴らしたら、いたんで、また何も言えなくなっちゃって」

「もし迷惑がられたら、どうしょう。叱られたらどうしよう。それを考えたら、もう何も言えませんでした」

 ヒロミはそこまでを断片的に話すと、改めてぼくに視線を移した。

 黙って話を訊いていたぼくは、少し考えるふりをしてから言った。

「でもこの時間でよかったよ。おれ、午前中予備校に行ってるから家にいないんだ」

 ぼくは続けた。

「お昼食べてないの。ならば何か買ってこようか。いや、待てよ。家に何かあるかもしれない」

 ぼくがそう言って立ち上がるとヒロミはあわてて手を振り、お腹は空いてないんです、とだけ答えた。

 そこまで話すと、ようやく落ち着いたのだろうか。ヒロミはぼくの部屋をゆっくり眺めはじめた。そしてオートバイのポスターに気づき、ぼくに訊ねる。

「もう乗ってるんですか。オートバイ」

 ぼくが静かに首を振ると、ヒロミは言葉を続けた。

「わたし、校舎の屋上で風を感じるとき、ああ、先輩殿は今頃、あの風の中を走ってるんだなって、想像していたんですよ」

 ヒロミはぼくを見た。

 その目だ。その目にぼくは、懐かしさと愛しさを感じてしまったのた。




                           《この物語 続きます》








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