風船の国

プラナリア

風船の国

 「このあお風船ふうせんがいい!」


 可愛かわいこえにドキッとした。おじさんにつまみげられ、ぺたんこだったからだにシュウシュウとガスがはいる。ぼくむね一緒いっしょにパンパンにふくらむ。

 いよいよだ。まどこうにえる、そと世界せかい


 「はい、どうぞ」


 おじさんがぼくいとをつけ、おとこわたした。からだがふわふわとかぶ。ぼくらはうれしくて一緒いっしょにピョンピョンんだ。


 「しっかりにぎるのよ。んでいっちゃうから」


 おかあさんにわれて、おとこちいさなぼくいとにぎりしめる。

 とびらけたさき


 ……うわぁ。


 陽射ひざしがまぶしい。こぼれたキャンディみたいな、いろとりどりのはな。ざわざわと力強ちからづよかぜれる木々きぎ微笑ほほえんでとおりすぎる人々ひとびと


 はじめての世界せかい


 ぼく真上まうえひろがるあおつめた。

 あれが、そら

 ぽっかりとかぶくも。なんてしろやわらかなんだろう。不思議ふしぎ陰影いんえい雲間くもまからこぼれるひかりなんにもしばられず、どこまでも自由じゆうながれていく。ぼくこころうばわれてしまった。


 あのくもこうはどうなってるんだろう?


 ぼくおも背伸せのびをしたときだった。


 「わぁ!」


 ひときわつよかぜき、ぼくおとこつないとがプツンとれた。

 かぜぼくげていき、ぐんぐん地面じめんとおざかる。そらちかづいていく。


 大声おおごえわらいだしたくなった。

 自由じゆう。どこまでも自由じゆうだ。


 おおきなごえがした。かえると、いとにぎりしめたままのおとこぼく見上みあげている。ひとみからポロポロとなみだこぼれていた。

 おかあさんになぐさめられても、おとこまない。ぼくむねがぎゅっとなったけれど、もうもどることはできなかった。


 ねぇ、かないで。


 ぼく見上みあげたままのおとこはなける。


 ぼくたびる。このそらをどこまでもんでいくんだ。

 きみえてよかった。ありがとう。


 何度目なんどめかのチャレンジで、うまくかぜらえられた。そら見上みあげる。

 あのくもこうにはなにがあるんだろう。

 このまま、かぜってんでいこう。どこまでも。



 わくわくしながらんでいると、くろかげちかづいてきた。

 とりだ。かぜつばさ艶々つやつやかがや羽根はねうつくしさに、ぼくとれた。とりぼくくびかしげた。


 「なんだ、風船ふうせんか。べられやしない」


 とりはがっかりした様子ようすだった。すまない気持きもちになったけど、ぼくおもいきってはなしかけた。


 「こんにちは、素敵すてきつばさですね。おもいのままにぶのって、気持きもちいいでしょうね」


 とりくびってタメいきをついた。


 「なに素敵すてきなものか。毎日まいにちまわってえささがして、てきつからないかビクビクしてさ」


 「でも、自分じぶんちからぶことができるってすごいです。……ぼくくもこうへってみたいんです。あなたは、ったことありますか?」


 「あるわけないよ。くもうえなんてえささそうだ、こうともおもわないね。やれやれ、アンタみたいに呑気のんききてるやつうらやましい」


 とり力強ちからづよばたき、とおざかっていった。ぼくはゆらゆらただよいながら、その姿すがたつめた。

 

 ぼくはあんなふうに、自分じぶんちからきたい場所ばしょくことはできない。風任かぜまかせでながされていくだけだ。


 からだがスカスカになったみたい。ぼくはなんだか、しょんぼりした。


 

 うつむいたまま、どれくらいつづけただろう。気付きづけばそらいろくなって、はしには夕闇ゆうやみひろがりはじめていた。


 だれかにばれたがした。


 かえると、黄金色きんいろのおさまがしずんでいくところだった。

 あかだいだい、ピンク……。空一面そらいちめんひかりのダンスが、くもあざやかにめる。

 なんて綺麗きれいなんだろう。

 毎日まいにちたりまえにこんなことがかえされているなんて。ぼくいきんで、壮大そうだいなショーをながめた。


 今日きょう最後さいごひかりが、そらえてゆく。


 ぼくやみつつまれた。けれど見上みあげたくも隙間すきまから、一番星いちばんぼしかがやいていた。みいるような、しずかなひかり

 くもうえけば、ほしとどくだろうか。あのきらめきのなかぶのは、どんなに素敵すてきなことだろう。

 ぼくはじっとかぜった。ぼくたかみへとれていくかぜを。


 ぼくは、自分じぶんちからぶことはできない。

 けれどぼくは、自分じぶん意志いしめることができる。

 ぼくは、あのくもこうへく。そうめたんだ。


 銀色ぎんいろのお月様つきさま航路こうろらす。ふわりとかぜり、一番星いちばんぼし目指めざしてんだ。



 なが暗闇くらやみけ、くもふたたひかりのグラデーションにまりはじめた。

 夜明よあけがくるころぼく自分じぶん変化へんか気付きづいた。


 うまくかぜつかまえられない。おもうようにべない。

 ……すこしずつ、すこしずつ、からだからちからけていく。

 ぼく気付きづいた。

 ぼくは、ずっとつづけられるわけじゃないんだ。


 まえで、お日様ひさまのぼはじめた。黄金色きんいろひかりしずまりかえっていた世界せかいに、とりのさえずりがひびきだす。

 かえ世界せかいはじまっていく。だけど。


 ぼくは、ふたたびこの景色けしきることができるだろうか?


 そらた。

 かがやひかりちたそら。どこまでも、はるかにひろがっている。

 くも神様かみさまつくった彫刻ちょうこくみたいだ。刻々こくこくとそのいろえ、かたちえる。とどまらないからこそ一瞬一瞬いっしゅんいっしゅんが、かけがえのないものにおもえた。

 昨日きのう夕焼ゆうやけもうつくしかった。けれどいまこの瞬間しゅんかんつめている朝焼あさやけは、もっとうつくしくむねせまった。すべてを自分じぶんけるように、ぼくそら見渡みわたした。

 ぼくはいつかえる。それでもそらわりなくひろがり、くも悠々ゆうゆうながれる。それはさびしいことのようにも、すくわれることのようにもおもえた。

 ぼくきている。いまこの瞬間しゅんかんぼくたしかにきている。つよくそうおもった。

 懸命けんめいかぜり、かおげる。

 はるかなくも目指めざそう。けるところまでってみよう。最後さいごまで。



 がってはがり、がってはがりをかえしながら必死ひっしんだ。その最中さなかに、そらふるわす巨大きょだいおとひびはじめた。

 またたちかづいてきたのは飛行機ひこうきだった。力強ちからづよてつつばさぼくまるくした。こんなつばさがあるなら、くもこうをっているかもしれない。ぼくちからしぼってさけんだ。


 「こんにちは! すごつばさですね。あなたみたいにはやべたら、素敵すてきだろうなぁ」


 飛行機ひこうきはちらりとぼくて、あきれたようにつぶやいた。


 「なに素敵すてきなものか。毎日まいにちかされながらまわって、ヘトヘトだ。すこしはやすみがしいよ」


 「でも、あなたみたいにべたら……。ぼくくもこうへってみたいんです。あなたは、ったことありますか?」


 「くもこう? あぁ、毎日まいにちくよ。くもなかあらしみたいなもんでからだがぐらぐらするし、あめなんてってれば最悪さいあくだ。うえてしまえば一息ひといきつけるけど、どうせすぐ下降かこうだからね。あーあ、きみはいいなぁ、のんびりしていて。ぼく自由じゆうしいよ。じゃ、失礼しつれいするよ。もうすぐ着陸ちゃくりくだ」


 うがはやいか、飛行機ひこうきはエンジンをゴウゴウらしてっていった。がるかぜばされて、ぼくはくるくるまわった。


 あの飛行機ひこうきくらべて、ぼくはなんてちっぽけでうすっぺらいんだろう。飛行機ひこうきでさえぐらぐらするようなあらしなんて、ぼくにはぶことができない。ぼくは、くもこうなんてけっこないんだ……。


 からだから、きゅうちからけた。がくんと高度こうどがる。

 

 ……ぼくは、これからどうなるんだろう。


 たかがったぶんはるした地面じめんたたきつけられることをおもうとおそろしくなった。

 もう、これ以上いじょうべない。

 どんどんからだしぼんでいく。ちていくとおもえばかぜげられて、まわ視界しかいなかのぼっているのかちているのかからなくなった。


 ぼくとりだったなら、もっとながべたかな。

 ぼく飛行機ひこうきだったなら、もっとたかべたかな。


 ……ぼく最初さいしょから、そらばなければよかったのかな?


 そらかんだ。

 はじめて青空あおぞら自由じゆうくも

 黄金色きんいろのお日様ひさま空一面そらいちめん夕焼ゆうやけ。

 かがや一番星いちばんぼしと、銀色ぎんいろのお月様つきさま

 むねきざみつけた、うつくしい朝焼あさやけ。


 はるかなくも目指めざしてんだ、自分じぶんおもった。


 ぼくは、この世界せかいうつくしさをった。

 ぼくは、このそらんだ。僕自身ぼくじしんねがいのために。

 ぼくは、たしかにきた。精一杯せいいっぱいきたんだ……。


 ぼくからだにはもうなにのこっていなかった。でも、ぼくむねなかはあたたかなものがあふれていた。

 

 そらかえろう。みわたるそらけて、ぼくながれるくもになるんだ。



 気付きづくと、ぼくそらんでいた。

 まわりには、いろとりどりの風船ふうせんかんでいる。気持きもちのいいかぜかれて、みなふわふわと自由じゆうまわっていた。

 ぼくちかくを黄色きいろ風船ふうせんはなしかけた。


 「此処ここはどこ?」


 黄色きいろ風船ふうせんは、うれしそうにこたえた。


 「此処ここは、風船ふうせんくにしぼんでしまった風船ふうせん最後さいご辿たど場所ばしょよ。風船ふうせんみな大空おおぞらまわることを夢見ゆめみるの。此処ここでは、そのゆめかなうのよ。なんて素敵すてきなところかしら。こんなふうに、自由じゆうそらぶことができるなんて」


 「そうだったんだ。……此処ここまえから、ぼくそらんでいた。かぜばされて……」


 「そうなの? なんて素敵すてき! わたしはやっとそらることができたの。ねぇ、あなたがそらはなしをして」


 「いいよ、一緒いっしょぼう。ぼくたびはなしいて。……ぼくはずっと、あのくもこうへってみたかったんだ。そこにはなにがあるんだろう。一緒いっしょたしかめにこうよ」


 ふわりとかぜり、ぼくらはった。

 はるかな青空あおぞら自由じゆうながれるくも目指めざして。

 どこまでも、どこまでも。



        <終>


 



 


 

 

 

 


 

 


 


 

 


 

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風船の国 プラナリア @planaria

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