失恋
焦り男
失恋
君の瞳が好きだった。
度の強い眼鏡の奥に見える、伏し目がちで、けれど気高い藍色。
交わされた瞬間に眩暈がした。
初めて話した日のことを君は覚えているだろうか。
僕はあの日を鮮明に覚えている。
一年前の今日、君は僕にこう名乗った。
「初めまして、私〇〇と言います」
名前──君の名前は平凡で、外見もこれといった特徴のない、寧ろ野暮ったいくらいの恰好だった。誰しもが同じ制服に身を包んでいるのに、君だけは違うように思えた。
きっと校則通りの長いスカートや黒い三つ編み、度の強い眼鏡が、君という存在に霞をかけていたのだと思う。
他の女生徒は校則の範疇を優に超えた短いスカート、派手な髪色、鼻腔を刺激する香水……君はある意味で異質だった。
着飾っていない君が好きだった。着飾っている奴らが大嫌いだった。
「隣の席同士、今日からよろしくお願いします」
僕も彼女も友人がいなかった。それは今も変わらない。
君の声は少し高くて、緊張のせいか震えていた。僕の返答もきっと同様にだ。
それからの一年、君だけを見ていた。
言葉を交わす機会は少ない。けれど瞳は一日十回、必ず交わされる。
名前で呼び合ったことはない。互いの趣味も知らない。
それでも僕は君に惹かれた。
名も言葉も飾りだ。瞳だけが互いを映す。
僕の目に映る君は汚れていたかもしれない。君の目に映る僕は汚れていなかった。
それは君の藍色の瞳がもたらした奇跡だ。
今日も君は綺麗だ。
溜息混じりのアリアのようで。
白色透明な徒花のようで。
幽かな残光のようで。
君の瞳の奥でのみ時は移ろわない。そう信じて疑わなかった。
しかし、そんな信仰染みた想いはいとも容易く砕かれた。
翌日、君は短いスカートで茶の髪を靡かせた。
そこいらの女生徒と昨晩の恋愛ドラマについて語っていた。
僕に気づき、君は着飾った姿で歩み寄る。
度の強い眼鏡はもうない。コンタクトに覆われた藍色は寒気がするほど汚れていた。
言葉が出ない。
僕の好きだった彼女は一夜にして姿を消した。
誰だお前は、彼女をどこにやった。
喉がつっかえている。失望のあまり声すら出ない。
呆然とした僕に君は、「おはよう」と声を掛けた。
さよなら、旧態依然とした君だけが、僕の愛だった。
失恋 焦り男 @otoko
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