ストーカー

「ジュース、これでいいか?」


 近くの自動販売機から購入こうにゅうした、500mlのオレンジジュースを彼女に手渡す。一団から切り離された少女はベンチにすわりつつ、赤べこのように何度もペコペコと平謝ひらあやまりをしていた。


 俺はベンチに座り、となりうつむく少女の顔をまじまじとながめる。

 約一か月に渡り俺を苦しめ続けたストーカーの正体は、年端としはも行かない女子小学生だった。


 着信音が小学生たちの間からひびいた瞬間、俺も小学生たちも警官も、何事かと耳をうたがった。ただ一人、コール音の鳴る携帯を手にした女子小学生だけが、周りを見つつか弱く狼狽うろたえていた。

 俺は咄嗟とっさに彼女のうでつかむと、百メートルほど先にあった公園へ連れ込んだ。人目をけつつ、彼女から事の真意を聞くためだ。


「で、どうして俺のストーカーなんかしたんだ?」


 黒髪の美しい少女がちらりと目配めくばせする。犯行が明るみに出た今、俺と話すのはばつが悪いのだろう。

 俺は出来るだけリラックスするよううながす。彼女はこくりとうなずくと、オレンジジュースを一口含み、それから事の顛末てんまつについて話し始めた。



「一目惚れ、だったんです」

「えっ」

 いきなりの告白に、思わず頓狂とんきょうな声がれる。今どきの小学生は、一目惚れを自覚できるほど背伸びしているのか?


「それは、おかしいんじゃないか?」

「いえ、確実に一目惚れなんです。確かなことなんです」


 日の落ちかけた公園内に、俺と少女以外の人影はない。実質、懺悔室ざんげしつのような一対一の空間が、彼女の自白を押し流しているのかもしれないと、俺は漠然ばくぜんと考えていた。


「お兄さんは覚えてないかもしれませんが、昔、駅で女性を助けたことがあるはずです」

 少女はしんの通った声で語るが、残念なことに俺にその記憶はない。気まぐれで老人の荷物持ちや外国人への道案内をうこともあるが、毎日行っているわけでもない。俺は一々人助けの記憶など、おぼえられない人間なのだ。


「その時偶然、私はお兄さんの人助けを見て、かっこいいなって思ったんです。それから毎日毎日、しずかにあなたを見ていました」

 少女はジュースの容器をぎゅっとにぎる。夕日に照らされた彼女の頬は、サクランボのようにあざやかだった。


「でもそれだけじゃ足りなくなって。もっとお兄さんを知りたくて、それで」

「ストーカー行為に走った、と」

 俺が話をまとめると、少女は力なくうなずいた。



 告白が終わってしまったので、俺は過去の被害について質問してみた。


「俺の電話番号はいつ知ったんだ?」

「前にアルバイトの面接予約を駅でしていたのを、盗み聞きしてました」


 思い出した。俺は払いのいいバイトを見つけ気がはやり、駅を降りてそのまま面接の予約をしたのだ。その時、発したスマホの番号が聞かれていた。不注意から出た自業自得だったのだ。


「どうやって俺のアパートの部屋を割り出したんだ?」

「お兄さんの後を付けた後、夜に電話にたくさんかけました。音が鳴り続けている部屋を探したから、お兄さんの部屋はすぐ分かりました」


 たくさん、というのは九十回以上コールが届いた最初期の日だろう。あの時からストーカー行為は本格化してしまった。だまってマナーモードにするか、電源を切ればよかったものを。放置してしまったのは最悪の手だったのか。


「あと、郵便受け。どうして毎週金曜にだけ張り紙を張ったんだ?」

「金曜は学校が早くに終わるから、帰ったら急いで、昨日の夜に作った手紙を張ったんです」


 あれは手紙のつもりだったのか。黒いインクのあらい字で「大好き」や「愛してる」と書かれては、まじないに捉えられなくもない。


「SNSのアカウントはどうやって知ったんだ?……いや、まさか」

「はい。電車でスマホを使っているのを、ぬすみ見てました」


 不注意すぎた。電車ではプライバシーに配慮して、座席にすわった時のみSNSを利用していたのだが、やはり誰かにはばれたりするのか。



「……ごめんなさい。まさか、警察の方に相談してるとは思いませんでした」

 少女はからになった容器を両手で包み込みながら、何度も謝罪を口にした。正直、俺はストーカーの相手は少なくとも大人だと思い込んでいたので、まさかこんな一回りぐらい歳のはなれた相手だと知って困惑している。


 だけど、だからこそ俺はきびしくしなければいけないのだろう。恋心が暴走し相手の迷惑もかえりみずに愛を押し付けるのは、率直に言えば迷惑行為だ。それを大人になっても分からない人がいる中で、この少女は早くに自分の間違いに気づいた。内省が出来ているのなら、これ以上俺が言うべきことはない。


「取りあえず、今から君の親に連絡するよ。自分のこれまでしてきた行動は迷惑だったって、分かってるんだよね?」

「はい……」


「だったら、これ以上の追究はしない。その代わり、今後君に好きな人が出来た時に、今日まで俺におこなってきたような行為はしない。約束できる?」

「はい」

 結局、俺は少女にきびしくはできなかった。

 俺は少女のかぼそい小指と自分の小指を重ね合わせ、全ての謝罪行為を完了とした。


 ○○


「すみません! うちの子がご迷惑をおかけしていたようで」


 少女の携帯から保護者に連絡をかけて数分後、公園にあらわれたのは少女の母親だった。

 子持ちとは思えない見た目の若さ、我が子共々つややかな黒髪が夕景にかがやく姿は、人妻だという事実を忘れてうっかりれかけた。


「ほら、貴方もあやまりなさい」

「いえいえ! この子も十分に反省しているので、もう大丈夫です」


 それからしばらく、俺は少女の母親と世間話をした。俺のかよう大学近くのカフェではたらいていること、最近この町に引っ越してきたこと、そして、シングルマザーであること。


「それじゃあ、日も落ちてきましたので。このたびは本当にご迷惑をおかけしました」

 母親は深々と頭を下げる。少女もならうように腰を四十五度に曲げた。

 それから母親はごそごそと財布から何かを引き抜き、俺に手渡す。夜の暗闇に目をらすと、大学近くのカフェで利用できる優待券だった。


「よろしければ今度、私のカフェにおしください。貴方なら特別に、お安くしますので」

 せめてものつぐないなのだろう。ご厚意を無下にはできないので、俺は世辞の言葉と共に優待券の受け取った。



「さぁ、帰りましょう」

 少女はうなずくと、公園を静かな足取りで去っていく。

 そして一度だけこちらへ振り返り、二人は俺に向けて軽く会釈をする。それからは迎えの車に続いているであろう道を、手をつなぎながら歩いていった。


 かくして、俺の一か月に渡るストーカー事件は、幕を閉じたのだった。







 ○○







 日はしずみきり、辺りは夜に包まれている。暗闇をうように、一台の乗用車が住宅街を抜けていた。


「ママ、お腹いた」

 助手席に座った少女が、“ママ”に話しかける。美しい黒髪をした小学生程度の少女。


「シチューを作ってあるわ。家まで我慢ね」

 運転席の“ママ”が返答する。人妻とは判別できかねるほど若々しい見た目の彼女は、娘と同じかそれ以上の、つややかな黒髪を後部座席に枝垂しだれさせている。


 二人を乗せた乗用車が、赤信号で停車する。しばしの沈黙。


「ねぇ」

 先に沈黙をやぶったのは、運転席の母親だった。



「あの人の情報、ちゃんと入手できた?」



「うん」

 少女は今日一番のはにかみ顔を浮かべつつ、スマホで撮影した青年の画像数十枚を見せる。


 母親の顔は画像群をながめるうちに、恋する乙女のようにとろけた面持ちに変貌してゆく。

「はあぁ……やはり、ステキ……♡」


 恍惚こうこつの表情で画像を見る母親。その親の顔を認め、満足気にうなずく娘。

「駅で助けられた時と同じ……いえ、あの時以上に精悍せいかんな顔つき……、やはり貴方こそ、運命の旦那様なのねぇ……♡」


 食い入るように画面を見つめる母に、娘は素直な疑問をぶつける。

「どう? とは、仲良くできそう?」

「もちろぉん♡ 彼こそ、私と赤い糸でむすばれたフィアンセだもの♡」


「あっ。ママ、信号青になったよ」

 娘の一声で現実に引き戻された母親は、再びアクセルを踏み込む。だがそのほおには先ほどまでとは違い、ザクロに似た赤さが浮き出ていた。


「うふふ……♡」

 二人を乗せた自動車は、夜の街へと走り去った。


                                   〈了〉

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ストーカー 私誰 待文 @Tsugomori3-0

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