後編


 俺は今、先程目が覚めた時以上の混乱に陥っていた。



 目の前に座っている男は間違いなく鐘城清斗、つまり俺である。


 何年も見てきた自分の顔だ、間違うわけがない。



 髪型は変わっているし、少し歳をとったのか肌の感じは変わっているが、ホクロの位置や顔のパーツは全く同じだった。



 目の前の人間が俺だとしたら、俺は俺の子として生まれてきたということか?


 それとも俺の記憶が子供に遺伝したのか?


 俺という存在は今、この世界に2人居るという事か?



「ふふ、なぁにそれ? アニメのセリフ?」



 母さんが朝食を運びながら聞いてくる。


 たしかに突然父に向かって俺!? という息子は変に映るだろう。



「な、なんでもないよ。おはようパパ」



「パパおはよー!」



「うん、おはよう」



 色々考えたいこともあるが一先ず朝食を取るために席につくことにする。



 子供用の椅子が二並び、テーブルを挟んで正面に前の俺と母さんが座っている。



 朝食は和食を中心に野菜も多く取れる栄養バランスの良い食事だった。母さんはどうやら管理栄養士の資格を持っているらしい。


 子供の知識ではカンリエイヨウシ? って感じで何のことかよくわかっていなかったようだが。



「そういえば来週に出張があるんだった」



「あら、そうなの」



「うん、福岡で講演会があるんだ」



「遠いわね。じゃあ出張セット出しておかないと」



「助かるよ。沢山お土産買ってくるから」



「ふふ、気にしなくていいのに」



 急に目の前でいちゃいちゃし始めたぞ。どうやら夫婦仲は良好のようだ。



 俺は、どうやら整形外科医をしているらしい。


 それを知った時に俺は胸からこみ上げるものがあった。



 スポーツ選手になる夢を諦めた後、俺はスポーツドクターになるという新たな夢を抱いた。


 だから整形外科医になるべく猛勉強をしていたのだが、どうやら俺は夢を一つ叶えることができたらしい。



 スポーツドクターになるには整形外科医になった後にキャリアと実績が必要なので、今はおそらく下積みをしているのだろう。



 かつてサッカーで挫折した俺。


 だが自分は夢を叶えられる人間だったという事に言い知れぬ感動が湧き上がる。


 とは言え、それは俺だがこの俺自身の実績ではないので複雑な心境ではあるのだが。



「蹴斗、どうした?」



「ん、なんでもないよ。ごちそうさま! 学校の準備してくるね!」



 立ち上がり、食器を片付け子供部屋へと戻る。


 学習机に置かれたランドセルに教科書を詰め込んでいく。



「行ってきまーす!」



「行ってらっしゃい。車に気をつけてねー」



 陽華と手を繋いで家を出る。


 


 通学路を二人で並んで歩く。


 知らないはずの道なのに体は知っているというこの不思議な感覚はしばらく続くのだろう。



 学校に着くと元気な挨拶が聞こえてくる。


 玄関で上履きに履き替えて教室に向かう。



 校舎は三階建てで二年生の自分と一年生の妹の教室は一階のようだ。



 自分の教室に入ると多くの挨拶が飛んでくる。どうやら友達は多いらしい。


 


 窓際の自分の席に座り、近くの友人とアニメやゲームの話をして先生が来るまで過ごした。



 国語算数社会と授業が行われているが、俺は黒板を見ながらも頭の中では別のことを考えていた。



 どうやら俺は俺自身の息子となってしまったらしい。


 事故で死んで生まれ変わったというわけではないので安心はしたが、それにしても自分の息子って……。自分の息子が自分って、あまりにも気の毒じゃないだろうか?


 可哀想なのでこれは誰にも言わずに墓まで持っていく事にする。



 一つ疑問なのが息子である俺が今、何もスポーツをしていないという事だ。


 前の俺は小学生になる前からサッカー少年団に入っていた。


 今は小学二年生になるのにスポーツどころか習い事さえもしていない。


 


 何かやりたいことは無いかとはよく聞かれていたが友達と遊ぶのを優先していたようだ。



 日本代表になるくらいのサッカー選手はサッカーを始めた時期が早い人が多い。


 三歳からボールに触れていたという選手もいるくらいだ。



 それなのに父となった俺は息子に何もさせていない。


 それどころか父が昔サッカーをしていた事自体教えてないらしい。



 なぜだ?



 俺は生まれてきた息子にプロサッカー選手になって欲しいと思っていたんじゃないのか?



「シュウト! グラウンドに遊びに行こうぜ!」



 給食を食べ終わると友人に遊びに誘われる。


 小学生の頃はこうやって少ない休み時間にも元気に遊んでたなーと懐かしく感じる。



「いいよ。なにする?」



「ドッジボール!」



 男子数人でグラウンドにある倉庫に向かう。そこに貸出用のボールがあるのだが、すでに多くの生徒が集まっていた。



「でおくれたー!」


「ドッジ用のボールもうないじゃん!」



 体に当てても痛くないボールは既に品切れとなっていた。残っているのはバスケットボールとサッカーボール。



「サッカーボールあんじゃん。サッカーしようぜ」


「おっけー!」



 友人たちはドッジボールを諦めてサッカーをする事にしたようだ。


 サッカーゴールも埋まっていたので空いているスペースでパス回しをすることになった。



「よっ!」



「シュウトないすパース!」



 シュートなのかパスなのか名前のせいでややこしいが友人に向かって優しくパスを出す。


 手足は短いし筋力は足りてないが、サッカーの動きは覚えているようで安心した。



「よっと」



 受け取ったボールを軽く蹴り上げてリフティングをする。


 子供用のボールなので少ない筋力でも大丈夫そうだ。


 腿とつま先でボールをコントロールし、最後は少し強めに蹴り上げて頭の上でバランスを取り静止させた。



「すげー! シュウトすげー!」


「シュウトサッカーやってたの!?」



 友人たちが盛り上がってるようなので何度かリフティングを見せる。


 すると休み時間終わりのチャイムが鳴ったので慌てて教室に戻った。





 午後の授業を終えて陽華と合流して家に帰る。



 夕食の時間、俺は自分にサッカーをさせていない理由を聞けないかそれとなく話を振ってみる事にした。



「今日昼休みに友達とサッカーをしたんだ」



 すると元俺は表情が少し強張ったような気がした。


 やはりなにかあるのだろうか。



「そうか、楽しかったか?」



「うん!」



「体育では今何をやってるんだ?」



「え? えーと跳び箱かな」



 サッカーから話を逸らされた?


 サッカーをやってみたいかとか、自分もサッカーをやっていただとか、もっと話を広げてくると思ったのに。



「へぇ、懐かしいな。シュウトは何段跳べた?」



「六段は余裕だったよ」



「凄いわね! パパに似て運動神経良いのかしら」



 母と妹も話に加わり一家団欒の時が流れる。


 しかしその後サッカーの話が上がることはなかった。



 もしかしたら記憶が途切れたあの日から今日に至るまでの間にサッカーを嫌いになったのではないか。


 どうにかして確かめる必要がありそうだ。





 翌日。


 


 学校から帰ると俺は書斎に向かった。


 ここは父の仕事で使う資料や作業デスクがある部屋で、前に覗いた時にトロフィーが飾られていた記憶があった。



 部屋に入ると正面に壁一面の本棚があり医学書やスポーツに関する本がぎゅうぎゅうに並んでいる。


 左にはデスクがありノートパソコンが閉じた状態で置かれている。


 そして右には、ガラスの戸がついた棚にトロフィーが飾ってあった。


 


 間違いなく、俺がサッカーで受賞した物だ。



 綺麗に並べてあり、ホコリも被っていない。



 大丈夫だ。俺はサッカーを嫌いになってなんかいない。


 最悪の展開ではなさそうでほっと胸をなでおろす。



「あら、どうしたの?」



「ママ……」



 俺が書斎に入っているのが珍しいのか母さんが声をかけてきた。



「パパのトロフィーを見てたの?」



「うん。あれってサッカーのトロフィーだよね?」



「そうよ。パパは昔すっごーい選手だったの」



 母さんが嬉しそうに話す。



「そうなんだ。パパはサッカーやってたんだね、はじめて聞いたよ」



「そうね……」



「パパは凄い選手だったんでしょ? なのに僕にサッカーをさせようとは思わないのかな」



「うーん……」



 母さんは少し困ったような表情で微笑んだ。



「パパはシュウくんにサッカーをして欲しいと思ってるはずよ」



「そうなの?」



「うん。でもパパは怖がりだから、シュウくんにサッカーをやって欲しいって言い出せないの」



 怖がり……?


 


「どういうこと?」



「パパはサッカーのすごい選手だったんだけど、足を怪我しちゃってね。大好きなサッカーを続けられなくなっちゃったの」



 母さんが右膝を擦る。そこは正しく俺が怪我をして選手生命を棒に振った箇所だ。



「プロの選手になるのを諦めて新しい夢を見つけるまですっごく落ち込んだんだって」



 あの時は、この世の終わりだと本気で思ったくらいだ。


 その落ち込み様は後で聞いた話だが、周りが俺が自殺しないか心配して気を配っていたくらいだ。



「そしてママと出会って結婚して、サッカーが好きなのは変わらなかったからシュウくんが産まれるまでずっと息子にサッカーをやらせるぞー! って言ってたの。名前だってサッカーのシュートからとってるのよ」



 こういうのねと言いながら右足を蹴り上げてシュートを見せる。



「でもシュウくんが産まれて、あなたが成長するにつれて、だんだんその事を後悔するようになったの」



「後悔?」



「うん。パパは自分の息子に自分の夢を押し付けようとしてたんじゃないかってね」



「押し付け……」



 なるほどと思った。


 たしかに俺はいつか息子が産まれたらサッカーをさせたいと考えていた。


 でもそこに当人である息子の意志は考えてなかった。



「無理やりサッカーをやらせてサッカーを嫌いになられるのが怖い。自分のように怪我をして同じ気持ちを味わわせるのが怖い。シュウくんの人生なのに未来を狭めてしまうのが怖い。……ね? 怖がりでしょ?」



「……。」



 俺は、父さんは息子のことをこんなにも思っている事に感動した。


 それと同時に俺の知らない数年間で俺は人として父として成長していて、あの俺はもう俺ではないんだと気付かされる。



 この事を知って俺が父さんのためにできることはなんだろうか。



「シュウくんがサッカーをやりたいなら応援するわよ。他の何だってね」



「うん。ありがとう」



 母さんは俺の頭を撫でた後に部屋から出ていった。





 夜になり夕食を終えた後、俺は書斎にいる父さんの元へ向かった。


 ノックをして入るとノートパソコンで作業をしている父さんがいた。



「パパ、いま大丈夫?」



「ああ。どうした?」



 椅子を回転させてこちらを向く。



「僕、サッカーをやりたいんだ」



 父さんは驚き目を見開いた。



「それは、サッカーを習いたいってことか?」



「うん」



 視線を下げ、なにか悩むように顎に手を当てている。



「サッカーでいいのか? 近所に野球のチームだってある。ピアノやギターでもいい。興味があるなら何だって試していいんだぞ」



「ううん。サッカーがやりたい。サッカー選手になりたいんだ」



 息子の口からサッカー選手になりたいと言われるとは思ってなかったのか、口を開けて固まっている。



「パパは昔凄い選手だったんでしょ? 僕にサッカーを教えてよ」



「ママに聞いたのか?」



「うん」



「そうか……。シュウトよく聞きなさい。パパは昔サッカーをしていたからって、お前にサッカーをさせようだなんて思っていない。シュウトの人生はシュウトの為だけにあるんだ。他のスポーツで頑張るのもいい。勉強して興味のある会社に就くのもいい。ゲームが好きならゲームのプロを目指すのもいい。何を目指してもいいんだ」



 母さんの言った通りだ。父さんは俺の未来を狭めないようにしてる。


 


「ありがとうパパ。でも僕はサッカーが好きなんだ。僕はーー」



 俺は俺のため、父さんのためにこの言葉を告げる。


 俺だけがわかる、父さんの一番喜ぶ言葉。



「ーー世界一のサッカー選手になりたい」



「っ……!」



 父さんの目の端に涙が浮かんだのが見える。


 世界一のサッカー選手はかつて自分が夢見たことだ、自分の息子に言われて嬉しくないはずがない。


 自作自演のようで少しずるい気もするが。



「そ、うか……。世界一になるのは大変だぞ?」



「頑張るよ」



「勉強だって沢山しないといけない」



「大丈夫」



「怪我して痛い思いをするかもしれない」



「パパの言うとおりに練習してたら平気でしょ?」



「そう、だな。その通りだ」



 怪我に泣く選手を減らすために今の仕事に就いたのだ。怪我のしにくい体作りやトレーニング方法を知らないはずがない。



 父さんは俺の目の前にしゃがみ込み視線を合わせた。


 そして優しい笑顔で俺の頭を大きな手のひらで包み込む。



「じゃあ。一緒に頑張ろうか」



「うん!」



 ああやっぱり。


 俺はこのような息子に向ける優しい眼差しはできなかった。愛おしむような撫で方はできなかった。


 俺だと思っていた目の前の男はもう俺ではなく、ひとりの尊敬できる父であると、そう実感した。



 今日この日から、俺の新たなサッカー人生が始まる。



 明日に希望を抱いてベッドに潜り込むと自然と眠りについた。





 翌朝。



 いつになくぐっすりと眠れて気持ちよく朝を迎えると様子のおかしい妹の姿が。


 キョロキョロと辺りを見渡し自分の手足をしきりに確認している。



「おはようハルカ」



「おっ! お、はよう、おにいちゃん……」



 やはり様子がおかしい。


 それにこの反応どこかで……。



「シュウくーん、ハルちゃーん。起きてるー?」



 いつものように母さんがドアを開けて顔を覗かせた。


 それを見た妹は驚いたように目を見開き口をパクパクさせてーー。



「わたしぃ!?」



 妹よ、お前もか。

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自作自演のバロンドーラー Rupnekur @ambasa

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